キスの許可③
デジレが、目に見えて戸惑った。
まだ警戒はしているが、瞳をマリーローズに向けた後、引き結んでいた唇をほどく。
「……二回に一回は」
頻度か。だいぶ我慢している。マリーローズは思う。
おそらく、様々な人から釘を刺されていることだろう。デジレをよく知る者なら、好きな相手と両想いになった後のデジレを想像できていたはずだ。初恋叶って見事にでれでれになった彼の暴走に、マリーが巻き込まれることを心配しない者などいない。
マリーローズもしっかりと言っておいた。マリーを酷い目に遭わせようものなら、と脅せば、デジレは何を想像したのか、真っ青になって頷いていた。
「半分は我慢しているのね」
デジレの我慢の具合などどうでもいいが、マリーのためだ。
「それ、三回に一回我慢するようにしなさい」
「は?」
素っ頓狂な声をあげるデジレにマリーローズは面倒臭そうに腰に手を当てた。
「マリーが、もっとあなたとキスをしたいって言っていたの」
デジレが驚愕に目を見開いたまま、動きを止めた。しばらくすれば魚のように口をぱくぱくして、マリーローズを睨みつける。
「そんなに私に都合の良い話、信じられるか! またマリーに誤解されるのはまっぴらだ!」
「またって、前の庭でのことかしら。謝ったじゃないの。丸く収まっても、まだ謝れというの?」
「そうではなくて、信用できない」
余裕のない男、とマリーローズは心の中で呟く。
デジレの今までの行動を見る限り、マリーに嫌われないよう必死だ。周りを固め、マリーが逃げられないよう囲い込んでも、またマリーに嫌われては意味がないと焦っているようだ。だからといって好きなマリーに触れずにはいられず、彼女を求める心が大切にしたいと思う心とせめぎ合って、大変なことになっている。マリーにキスしてよいか確認するのは、間違いなく嫌われたくないからだ。
そんな彼を見ていて、マリーローズは大変愉快だ。
「そう。それなら、マリーに直接聞けばよいでしょう」
つい笑いながらそう言って、デジレの横を通り過ぎる。
こう言えば、デジレのことだ、そのままマリーに聞くに違いない。そうすれば、マリーは恥ずかしがって戸惑って。
「だから、勝手になるようになるのに」
ふう、とマリーローズは息を零す。次にマリーに会う時には、今日の続きを聞くことになるだろう。
惚気話はもう結構。そう思うのに、なぜか口角が自然と上がっていた。
***
デジレが休みをもらったとのことで、マリーはシトロニエ邸に来ていた。白を基調にしたさっぱりとしつつ清潔感がある応接室のひとつは、もう結構通ったために慣れてきた。しかし、この部屋にデジレとふたりきりは、まだ慣れない。
いつもは気配を消して風景の一部のように控えているベルナールは、いない。最近彼は二人を残して部屋の外に待機するようになったが、マリーには物音がしたらすぐに駆け込むと伝え、デジレには散々節度を保つよう言い含めていた。どうやら、デジレがふたりきりでいたいと彼を説得したようだった。
「マリー、これ美味しいよ」
「はい、食べてみますね」
焼き菓子をデジレから受け取って頬張れば、彼がにっこりと笑う。甘さが舌をたどって、心から湧く温かいものと合わさる感覚がした。ごくり、と喉を動かす。
「とっても、おいしいです」
じんわりと広がるようにマリーが微笑む。
飽きず嬉しそうにマリーを見つめるデジレを見返すと、心がくすぐったいが嬉しい。こうやって、堂々と見つめてもらえるのは本当に幸せなことだとマリーは思う。
今までのことを思い返せば、必死に隠さずに好きと伝えられ、デジレからも同じく返される今の関係は、手放したくないほど幸福に満ちている。
あのすれ違いと勘違いで遠回りしたことは、話し出すと互いに何度も相手に謝ることになって収拾がつかなかった。そのため、過去がどうあろうと結果として今があるのだから、今の気持ちを代わりに相手に伝えようということになった。
「わたし、こうやってデジレ様といられて、嬉しいです」
気持ちをさらけ出して言葉にするのは恥ずかしいが、しっかりと言葉で伝えないと伝わらないことがある。デジレもマリーもそれは身をもって知ったので、相手を良い意味で驚かせる場合以外は隠し事はしないことと約束した。
「うん。私も、今この上なく幸せだ」
エメラルドが細くなり、奥に熱が篭る。
蕩けるようなその顔は、婚約してからはじめて見るようになったもので、間違いなくマリーに向けられていると感じると、身を捩りたくほど身体が嬉しさに震える。そしていまだ、恥ずかしさに悶えそうになる。
デジレはとにかく愛情表現もまっすぐだ。驚くほど正直な言葉がどんどん飛んでくる。人目も気にしない。恥ずかしい。ただ、こんなにも好きでいてもらえるのかと喜んでしまうほどには、マリーもデジレが好きだった。
「わたしも、幸せですよ」
「じゃあ、同じだ」
嬉しそうに響く声音に、マリーの心が揺れる。
同じ気持ちである奇跡を、どれだけ夢見ただろう。どれだけ叶わないことと涙したかしれない。
温かくて包み込むような柔らかい気持ちにたゆたいながら、マリーはぼうっとデジレを見続けた。デジレの眼差しを感じる。
膝におしとやかに置いていた手に、大きな手が触れた。優しく握られて、マリーははっとした。
この空気。ふたりきり。
キスされるかも。
普段こんなにはっきり思わず流れるようにしているのに、マリーローズに話したせいかはっきりと意識してしまう。手が急に汗ばんで、どうしようと内心で焦る。デジレの綺麗な唇に目が釘付けになる。
小物を入れるポーチに、口紅を入れたか思い出す。場合によっては口紅が全て取れてしまうため、クリーム缶と併せて最近は常に携帯している。
デジレの唇がそっと動く。
聞かれる。聞かれるかな?
心臓の音がやけに大きく聞こえて、マリーは緊張が最高潮だった。
ところが、デジレは唇を閉じた。なにか考えるように、視線を落とす。
マリーが驚いていると、デジレが目を泳がせて言いづらそうに口を開いた。
「マリー。ローズに、なにかキスの話をした?」
いきなりのことにマリーは絶句した。
マリーローズに話をしたが、なぜそのことをデジレが知っているのか。
「ローズが、マリーがもっとキスをしてほしいと言っていたと私に伝えてきたんだ」
「ええ!」
相談した内容を本人に伝えられては相談の意味がないではないか。マリーローズに心の中で文句を言いながらも、彼女ならしかねないので諦める。
しかもやけに端的だ。いきなりそんなことをマリーローズから言われては、デジレも驚いたことだろう。
「正直言って信用ならないんだ。だから、どういうことか、教えてほしい」




