婚約のあれこれ②
「よく、あんな場であれだけ落ち着いていられるわね」
「なんだかもう、わけがわからなかったから」
デジレとともに多くの来賓に挨拶をしたが、マリーの想像を遥かに超える立場の人物ばかりで、驚く以前に理解がよくできていなかった。
披露会では時折マリーローズに呼ばれては、友人であると嬉しそうに周りに紹介され、オーギュストに声を掛けられては、マリーローズに声を掛けるよう言われたとため息とともに呟かれた。
「私としては、デジレ様が印象的だった。あんな顔できるんだって思ったもの」
「うん。ずっとにこにこして機嫌がよかったよね」
「完全に浮かれきっていたよね。マリーの前じゃいつもあれなの?」
「うーん、いつもじゃないけど最近あんな感じかも」
思い返せば、デジレは気持ちが通じた時からずっと、常に嬉しそうに張り切って、迅速に婚約の準備をしていた。
婚約披露時に着てほしいと、エメラルドグリーンと白を基調としたどう見てもシトロニエ色のドレスを準備されていたり、婚約披露前から様々な夜会にマリーを連れて行って、マリーの名前を呼ぶより多く婚約者と紹介してまわっていた。
「あーあ。でもこれで、マリーはもう逃げられないね」
ルージュが力を抜いて、ソファーの背もたれに体を預けた。
「前から自分たちで周り固めて、何やってるんだろうって思っていたけど。陛下まで巻き込んで周りをここまで固められちゃ、逃げ場ないよね。逃げるつもりないならいいけど」
冗談のように軽くおどけた口調だが、向けられるはしばみ色の瞳はマリーの本意を窺っている。
今までのマリーたちが流した噂はデジレが否定し損ねたらしく、そのままいきていた。結果として噂があってもなくても問題ないとのことで、何もせずに放置している。
マリーは笑顔でルージュに答えた。
「逃げないよ」
婚約披露までの怒涛の勢いを傍から見れば、マリーがデジレに流されているように思えるかもしれない。しかし、マリーは最初から、デジレに嫌なことは嫌だと言えた。
とても単純なことだ。こうなったのは、今までの流れについてマリーはひとつも、嫌と思ったことはなかったからだ。
「逃げる必要はないから、前だけ進むの」
背筋を伸ばして、胸を張る。ここ最近デジレとどこかに行く時は、ずっと意識していた。
ルージュはマリーの態度を見て、彼女には大変珍しく、満面の笑顔を見せた。
「それにしても、マリーが婚約ね。私も同い年なのに、相手が見つからないのよね」
「結構男性に囲まれていたと思うけど?」
「だめね、ほぼ全員難ありだから。頼りがいがないのよ。もう私が実質子爵家のこと全てやるから、それでも婿に来てくれる無難な二男以下いないかな」
半眼で乾いた笑いを零すルージュは、マリーには少し疲れているように見えた。
独身で、無難な二男以下。なんとなくぼんやりと考えると、ふとひとりの男性が思い浮かんだ。
「ルージュ、ひとりだけ心当たりがあるけど、会ってみる?」
ルージュは片眉をぴくりとあげた。
***
「マリー」
シトロニエ邸に着いて玄関を開ければ、嬉々とした声が飛んできた。マリーは自然と笑みが零れて、目の前ににこにことしている美青年に軽く礼をする。
「デジレ様、こんにちは」
「こんにちは」
丁寧に礼を返すデジレは、ずっと頰が緩んで顔がひときわ明るい。最近の彼はずっとこんな感じで、最初こそこっぱずかしかったが、慣れてきた。しかし、しばしば向けられる蕩けそうなほど幸せで堪らないとわかる顔は、まだ恥ずかしい。
彼の背後に控えるベルナールに気付き、同じく挨拶をして、マリーはデジレに顔を向き直した。
「いきなりなのに、すみません」
「大丈夫。全く気にしないで。むしろマリーに会えるから、もっと頼ってくれてもいいくらいだ」
「え、一昨日も会いましたよね?」
「足りない」
一瞬だけ、デジレが真顔になった。そういう時だけずるいと、マリーはうっすら頰を染めてためらいがちに視線を右下に落とす。
「あ、じゃあ、お時間あったら、呼んでください。行きますから……」
「マリーを何度も呼びつけるわけにはいかない。かといって、何も連絡せずにスリーズ邸に行くのもな。ジョゼフ殿に見つかれば何を言われるか」
「それなら、簡単な訪問の手紙を何通か貰っていいですか? 来ても大丈夫な日をこちらから連絡しますので、その日に来てもらえれば、それで連絡を貰っていたことにするので。デジレ様に会うための準備に少し待ってもらうかもしれませんけど」
「うん、わかった。至急用意する。耐えきれなかったら突撃するかもしれない」
「え。だ、だったら、いつでも会えるように準備しておきます!」
「とても仲良くされているところに水を差して、大変申し訳ないのですが」
冷静で落ち着いた声が、マリーの隣より聞こえた。ルージュがちらりとマリー見て、一歩前に出る。デジレの目の前だ。
「私も、挨拶してもよろしいでしょうか」
「あ、ごめんルージュ! 気が利かなくて」
「別に全然いいのよ。邪魔して気が利かないのは私だから」
やけに冷えきった言葉を零して、ルージュはしっかりとデジレに挨拶をする。
「改めて、ご婚約おめでとうございます」
「ありがとう。マリーの、友人だね。披露会にも来てくれた」
嬉しそうに笑うデジレに、ルージュが頷く。
先日の婚約披露会は、デジレから呼びたい人がいたら呼んで良いと言われていたので、マリーはルージュを招待した。彼女は一つ返事で来てくれた。
終わった後にどうだったか感想を聞いてみると、婿に来てくれるような独身がいなかったと一言だけ呟かれた。
「こうやって直接話をするのははじめてか。いつも、マリーがお世話になっているね」
「ええ、それはもう。何度あなたの話に付き合ったかしれません。泣きつかれたこともあって」
「えっ、マリーが泣きついた?」
「ああ、具体的な内容は二人きりの時に本人にじっくりと聞いてください。私経由だと、事実がねじ曲がるかもしれないので」
すっとルージュから手で指され、えっとマリーが目を瞬かせる。デジレからもまっすぐに目を向けられて、つい顔を伏せる。ルージュに相談した時の諸々を直接彼に話すなんて、考えただけでも羞恥に頭がくらくらする。




