12.あなたは盟友
「……こんばんは」
何か言われる前に先手必勝とマリーが言った言葉は、やはり一歩引いたようなよそよそしさがあった。
「こんばんは」
どこか困ったように眉尻を下げて微笑むデジレは、近くで見ればやはりむかむかするほど格好良い。マリーは自分から話し掛けたにも関わらず、次の言葉が出てこなかった。
「来ていただけて、良かったです」
「あ、そうですか」
視線を落とすと、自らの地味なドレスが見えて、なんとも言えない気持ちになる。デジレはぱっと見ただけでも似合う、派手すぎず上手くまとまった服装で、煌びやかだ。改めてマリーは立場の違いを思い知る。
目をあわせないようにしていると、デジレからも気まずげな雰囲気を感じられて、お互いしばらく口を開かない時間が訪れた。
「お二方とも。そろそろ出発するお時間です」
マリーが声の聞こえた方を向けば、ベルナールが歩いて向かってきていた。
「あ、ああ。ベル、ありがとう」
「いえいえ、なんのこれしき」
ベルナールはそのまま御者の席に着く。マリーと目があうと、彼は小さく微笑んだ。
「では、乗りましょうか」
デジレから手を差し出されたが、マリーは首を横に振った。乗ったこともない豪奢な馬車に向かうと、高いステップに足を掛けて上がろうと力を入れる。しかし、ステップが高すぎて、さらにドレスが邪魔でなかなか上がれない。
一人でしばらく頑張り、休憩として足を下ろすと、その隙を見てデジレがさっと手を取って乗せてくれた。マリーは顔を羞恥で赤くする。
「あ……ありがとう、ございます」
「いえ」
「出発致します」
二人が乗ったことを確認して、ベルナールが馬車を走らせる。
ごとん、とマリーの足裏に、振動が伝わった。
考えが甘かった、とマリーはすぐに気付いた。
馬車の中は立派なものとはいえ、狭い。その中で、デジレと二人きり。
マリーはデジレと向かいの席に、対角線に最長に距離を取って、窓際に身を寄せていた。風景を見ようかと思っても、デジレへの警戒心で彼から目が離せない。
彼は少し、困ったような顔をしている。
「マリー嬢」
「……はい」
突然名前を呼ばれて、マリーは身を固くしつつも返事をした。そういえば、名前を呼ばれたのは確認の最初を除きはじめてかもしれないとふと思う。
「先日は取り乱してしまい、大変失礼いたしました」
「はあ」
頭を下げるデジレは、以前と違って顔色は悪くない。しかし変わらず心がこもっている言い方だった。
「一方的にまくし立てたところがありましたので、同盟のおさらいをしたいと思います」
「え。あれ、本当にやるんですか?」
「言ったからには、やります」
真顔でデジレが頷く。
マリーとしてはなくてよかったのだが、彼の真面目さに言葉を呑みこんだ。
デジレがマリーに見せるように二本の指を立てる。
「くちびる同盟の内容は主に二つ。一つは、相手のくちびるを他の者から守ること。もう一つは、キスしたくなるような相手探しに協力すること。どちらも互いに、となります」
先日と内容が変わらない。
再度聞いてもよくわからない同盟だとマリーは思う。
「あの、くちびるを他の人から守るって、わたしはどうなるんですか? シトロニエ様の利点は聞きましたけど」
「以前のように、理不尽なキスは困るでしょう。貴女が望んでいないのに、無理強いされそうでしたら、私が助けます」
それをやった本人が何を言うのだ、とマリーは訝しげな目でデジレを見た。
確かにデジレはとんでもない美形で、地位だって高いが、やはり勝手にファーストキスを奪ったのは許せない。
それよりも、なぜよりによってマリーだったのか。もっと綺麗な人なんてたくさんいるのに、と思いながらマリーは尋ねた。
「じゃあ、わたしはともかくとして、シトロニエ様の相手を探すっていうのは必要なんですか? そんなことしなくても、自然と綺麗な人が寄ってきそうなのに」
「私は、幼い頃から女性を苦手に感じています。今も女性なら姉かマリー……失礼、幼馴染のマリーローズくらいしか関わっていません。婚約者の強要がされないからとのらりくらりと過ごしていましたが、さすがにいい加減に相手を決めろと父に叱られまして。先日の夜会は、どうしようもなくて参加しました」
それで、あの流れ。
適当に女性除けの盾にされたのではないか、とマリーはデジレに不信感が募る。
それが思い切り顔に出ていたようで、デジレが焦って、身を乗り出す。
「恋愛対象は女性です!」
「そ、そうですか。えっと、シトロニエ家が存続できそうで、よかったですね」
そんなことは聞いてない上に、言われた内容の反応にマリーは困惑した。デジレも気まずそうに彼女から視線を逸らす。
これ以上居たたまれない空気になるのが嫌で、マリーは口を開いた。
「……あのー、わたしだって、一応女なんですけど」
「ええ、そうですね。一応ではなく、立派なひとりの女性です」
「えーっと、女性が苦手って言ってましたよね」
「そうですね、苦手です」
「じゃあ、苦手なら、わたしに関わらない方がいいんじゃないですか?」
「貴女は盟友ですよ?」
不思議そうな顔をして、デジレが言う。マリーはぽかんと口を開けた。
女性だが、盟友だから問題ないというのか。姉や幼馴染のように肩書きがあれば平気なのか。
先日の訪問からなるべく考えないようにしていたが、マリーは思った。
この人、馬鹿なんじゃないか、と。
 




