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くちびる同盟  作者: 風見 十理
六章 目を開ける
116/139

116.二人のマリー




 日はどんどんと経っていく。マリーは暦を見て、時の早さを感じた。

 心は重くとも、マリーはほとんどいつもの生活に戻っていた。デジレと会う前と、同じだ。

 夜は、自室の窓から彼が来ているのか見ようとしたが、場所が悪く見えなかった。ジョゼフが嘘をついていると思えないので、間違いなく来ているのだろう。そう思っても、臆病な心と、会っていない時間が、マリーの足を止める。

 デジレの通いも、いつかは終わるだろう。もうすぐ、プリムヴェール公爵家の夜会だ。おそらく、それ以降彼は来なくなるのではないかとマリーは思う。

 その夜会に、マリーは参加すべきでないかと考えた。


 幸せになるには、と考えた。

 今はマリーの幸せは、よく見えない。まだ消えない、想像するデジレとの未来は、どんどんと色あせていく。この想いを、ずっとこのままにしていては幸せには近付けないとマリーは感じはじめた。

 気持ちにけりをつけるためにも、デジレもマリーローズも参加する夜会に、マリーも出席する。会場で遠く彼らを見るだけでも、諦めがつくかもしれない。もし、機会があれば過去のこととしてデジレに気持ちを伝えられれば。

 しかし、問題としてはどうやって行くか、だった。デジレは一緒に行かないということだから迎えには来ない。マリーローズに頼むにも、間に合うかわからない。


「まっ、マリーさま!」


 リディがいきなり扉を開けた音に驚き、マリーは顔を向けた。焦った顔のリディがおろおろしている。


「すっごい美人な女のひとが、マリーさまに会わせてって今来てて!」


「ここね」


 リディの後ろから声がした。飛び跳ねたリディが後ろを振り返る。

 すっと前に足を進めた美女を見て、マリーは思わず口を開けてぽかんとした。


「……ローズ様」


 マリーローズは、美しく微笑む。夕陽色にほのかに輝く金髪が波打つ。同じ色の睫毛(まつげ)が、サファイアの目を飾り、絹のような白い肌に映える。鼻も口も、配置が完璧な、どこからどう見ても美女だった。

 スリーズ家にいても輝きを放つその姿をマリーがただ見つめていると、彼女はリディに下がるよう言いつけて、扉を閉めさせた。


「お久しぶりね、マリー。まあ、なんてひどい顔かしら」


 到底敵うはずがない美貌を前に、マリーは慌てて手で顔を隠す。


「すみません! こ、こんな顔をローズ様に見せるなんて」


「構わないのよ。沈み込んでそんな顔していると知っていて、会いに来たもの」


 さらりと言うマリーローズに驚き、恐る恐るマリーは顔から手を離して彼女を見る。彼女は綺麗な笑みを作っている。

 まさか会いにくるとは思っていなかった。マリーも、会おうとは思わなかった。会いたいとは、思わなかった。

 デジレのヒロインである、マリーローズ。マリーはその二人の障害か取り巻きに過ぎなかった。そう思うと何度経験しても慣れない痛みが、胸に走る。


「あの、ローズ様のご用件は……」


「ええ、先ほど言った通り、マリーに会いに。それと少しお話ししたくて」


 マリーローズは余裕を持って、微笑んで言う。マリーが悲しんでいても、様子がおかしくても、それに気付いているだろう彼女は態度を崩さない。

 何をしに来たんだろう、とマリーは改めて思う。彼女と違い余裕のないマリーは、自然と怒りが湧いてきた。


「すみませんが、最近体調が思わしくないんです。ローズ様にうつると大変ですから、手短にお願いします」


「あら、そう。そんなに、デジレが好きだったのね」


 マリーローズが頰に手を当てて、ため息をつきながら言った。マリーは、その言葉に何か違和感を覚え、彼女の目を見つめる。


「聞いたわ。マリーがデジレを振ったって」


「えっ? そんな、わたしはデジレ様を振ってなんかいないですよ!」


「でも、くちびる同盟の脱退を言い出したのはマリーでしょう? 自分からデジレとの関係を断ったくせに、振ったと言われて否定するの? まさか自分が振られた被害者だと思っていないでしょうね」


 マリーは頭が混乱した。

 マリーはデジレに振られたはずだった。

 デジレがマリーローズにキスをしていて、マリーと呼んだところを見た時から、彼はマリーローズが好きなのだとわかった。マリーローズもデジレが好きだと感じていたから、失恋することになった。

 ただ、それでもデジレはマリーとの関係を続けていた。そのため、同盟を脱退したいと告げたマリーこそが彼を振った、と言えるかもしれない。

 そもそも、デジレに一度彼が好きか聞かれた時に否定しているのだから、本当の想いはどうであれマリーは彼を振ったことがあると言える。

 マリーがデジレを拒絶した。そう気付くと、愕然(がくぜん)とする。


「かわいそうに、デジレはとても落ち込んでいたわ。あれだけマリーのために頑張っていたのに」


 だからね、とマリーローズは紅い唇の端を上げた。


「マリーが同盟を脱退したというから、わたくしが代わりに同盟に加盟したいと言ったの。デジレからは既に許可はもらっているのよ」


「……え」


 マリーローズが、くちびる同盟に加盟する。デジレとの。

 嫌だった。胸が張り裂けそうだ。その同盟は、マリーとデジレとの思い出だ。それまで、彼女は奪うのか。

 しかし、両思いなら仕方ない。マリーは邪魔者だ。マリーはそう思いながら、唇を強く噛み締めた。


「ねえ、マリー。今日はどうしても言いたいことがあるの」


 マリーは先ほどよりもひどい顔をしているだろうに、マリーローズは笑みを深くした。


「デジレのマリーを、返して?」



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