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くちびる同盟  作者: 風見 十理
五章 離れるくちびる
102/139

102.キスして ★

 


 マリーローズが真面目な顔でデジレを見つめる。デジレは突然のことに、理解ができなかった。


「え?」


「聞こえなかったなら、何度でも言ってあげるわ。わたくしに、キスしなさい。唇に、よ」


 堂々と言い放つマリーローズに、デジレは言葉を失う。

 本気だと、彼女の目も態度も物語っていた。付き合いが長いため、よくわかった。冗談ではと一瞬浮かんだ考えが、潰される。


「なあに、黙って。何をすればいいって、聞いたでしょう」


「それは……」


「別に、いいでしょう。もう二回、しているんでしょう?」


 デジレは息を呑む。

 その二回とは、マリーとだ。


「マリーに聞いたわ。キスの一回も二回も同じだって、言ったのでしょう。ならば、三回だってたいして変わらないのではないの?」


 言った。身体が強張る。


「それとも、わたくしには夜会に参加させてマリーに声を掛けさせて、上手くいったからと頼んだデジレは知らないふり? 無責任ね。頼まれた時に高くつくって言ったはずだけれど、約束も、つい先ほど自分が言った言葉さえ守れないのかしら?」


 言葉が出ない。頭が激しく揺さぶられるようにぐらぐらとする。目が回りそうになり、デジレは必死に堪えた。

 そうだ、マリーローズにマリーの件で頼んで、結果としてマリーローズは見事に応えてくれた。その対価を払わないなど、無責任なことはできるはずがない。デジレは歯を食いしばる。


「キスなんて、唇と唇が触れるだけよ。あなたも最初は、意思がなかったのでしょう。気持ちなんてなくてもできるわ」


 たしかにそうかもしれない。

 デジレがキスした二回は、マリーへの気持ちは特になかった。二回目は好きな気持ちがあったかもしれないが、気付いていなかった。ならば、なにも思わなくても、できるのかもしれなかった。

 震える手を、マリーローズに伸ばす。華奢な肩に、両手を置いて、軽くつかむ。


「簡単でしょう」


 そう言って、マリーローズが目を閉じる。閉じられた目の縁は、美しい睫毛(まつげ)が整然と並ぶ。

 デジレは恐れるように、目線を彼女の目から下げていく。形の良い鼻から、唇に至る。

 薔薇のような瑞々しい色をしたマリーローズの唇は、濡れたように艶を放ち、どこか妖艶だ。小ぶりで花びらを思わせるかたちは、マリーローズの優美さを際立たせている。マリーと、全く違う唇だ。


 ぎゅっと肩をつかむ手に力を入れて、唇に向かって顔を少し近付ける。

 唇と唇をくっつければ良いと思うが、なかなか距離が縮まらない。そもそも今までのキスが衝動でしたため、やり方がよくわからない。

 それでも、やらなければ。至近距離でマリーローズの唇を見ながら、思う。

 唇が、震える。

 デジレは強く、目を(つむ)った。


 視界を遮れば、いつかの感覚が蘇る。陶酔するような幸せな気持ち。今回も、同じなのだろうか。


 ――キスした全員と責任とって結婚するんですか?


 ふいに脳裏を過った言葉に、デジレは目を開けた。

 顔を離し、マリーローズとも距離を取る。

 彼女がゆっくり目を開けて、デジレを見た。


「駄目だ」


 デジレがぽつりと呟き、顔を上げる。


「ローズ。これはできない」


 真摯に、マリーローズに伝えるよう言葉を紡ぐ。マリーローズはまっすぐに、デジレを見てくる。


「キスするのは、一人だけ」


 その言葉は自然と心の奥から滑り出る。


「マリーだけだ」


 迷いは一切なかった。力強く、エメラルドの目でマリーローズに訴える。

 デジレが、キスしたいと思うのも、キスするのもマリーだけ。それはマリーローズではない。例えマリーがデジレと同じ気持ちでなくても、デジレは胸を張って彼女だけと言えた。

 マリーローズはそのデジレの言葉を聞いて、小さく長く息を漏らす。そして、困ったこどもを相手にするような顔で、微笑んだ。


「そう」


 彼女は、そして笑った。


「冗談よ。ごめんなさい、からかって」


 明るめの声だが、どこか虚しい。冗談とは到底思えなかったデジレは、なにも言わなかった。


「他のことにしてほしい」


「ああ、見返りならマリーに会わせてくれたことでいいわ。それで帳消しにしてあげる。マリーとわたくしの優しさに感謝なさい」


 デジレが驚いた顔を向ける。マリーローズはいたずらっ子のように笑う。楽しんでいる時の顔だった。

 冷たい空気に、マリーローズがショールを握る。冷えてもなお赤い唇が静かに動く。


「でも、そうね。どうしてもというのなら、ひとつだけ」


 背後に広がる庭に遠い目を向けてから、彼女はまっすぐに立つデジレに微笑む。


「最後に。わたくしのこと、もう一度だけ、マリーって呼んで」


 サファイアが光る。

 寂しさ、諦め、期待。そして、強い決意が見て取れる。

 デジレはすっと息を吸う。胸に入り込む冷たい空気を温めて、しっかりと目の前のマリーローズを見つめ、笑顔で彼女の名前を呼んだ。


「マリー」


 様々な気持ちを込めたその言葉を、マリーローズは目を閉じて感じ入るように受け止めた。


「ありがとう」


 次に目を開けた時には、彼女はいつものマリーローズだった。


「デジレ。もうわたくしをマリーと呼ぶのは禁止ね」


「え」


 間抜けな声を出したデジレに、マリーローズが声を漏らして笑う。

 昔からそうだったが、やはりマリーローズには敵わない。そう思いながらデジレは気恥ずかしくて、髪を掻く。それを見てますます彼女が笑う。

 空が澄んだ青色を覗かせ、寒さが和らぐ。

 離れた場所で、物音がした。ふとデジレが振り返りその方向に顔を向ければ、誰かが走っていく足跡がする。

 誰だ、と思いながら顔を戻せば、目の前のマリーローズが難しい顔をしていた。


「ローズ?」


「デジレ。見られたかもしれない」


 誰に、と言う前になぜか胸騒ぎがする。


「今の、マリーだったわ」


 息が止まる。また呼吸をすれば、心臓が激しく鼓動する。

 なぜいるのか。疑問が瞬間頭を過る。デジレはマリーにやましいことは一切していない。そう思っても、なぜか手先が冷えていく気分を味わった。

 急げ。早く。心が急かすままに、物音が聞こえた方に駆け出す。


「早く行きなさい!」


 マリーローズの声を背中で聞きながら、物音が聞こえた場所につけば、もはや誰もいなかった。

 それでも、デジレは全速力で走り出す。

 なんとしても見つけ出して会ってみせる。そう強く決意して、広い公爵邸に飛び込んだ。




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