10.オーギュスト・ド・グルナード ★
「自分で自分がわからない……」
王城の一室にて、書類を整理しながら、デジレは本日何度目かわからないため息をついた。
窓を背にして陣取る執務机にかけて、ペンを走らせていたこの国の王太子――オーギュスト・ド・グルナードは、手を止めて、肘をついて柔らかい蜂蜜色の金髪に手を添えた。そして、王妃譲りで良かったと何度も言われるその美貌を少し歪め、自身の側近を見ながら同じくため息をつく。
「毎日のその気が滅入るような哲学、止めてくれないか」
「申し訳ございません」
デジレがまた、ふうと息をつく。元気がない様子で、まとめた書類をオーギュストに渡す。受け取ったオーギュストは、そんな彼をじっと見つめた。
「まあ、仕事に支障がないなら好きに落ち込んでくれていいが。なあ、デジレ」
「はい」
オーギュストが、口の端を上げる。
「しかしこんな体たらくになったのは、なんだったかな。ああそう、求婚して振られたんだった。無理って即答だったか。デジレが! 全く傑作だな!」
「……毎日繰り返さないでください」
ひとり声を上げて愉快そうに笑う主人を見て、デジレは苦い顔をした。
マリーと話し合いをした後に登城したデジレは、耳が早いオーギュストに詰め寄られ、事の次第を全て話した。話を聞いた彼はひとしきり大声で笑い、それ以降、毎日のように同じやりとりを繰り返してからかってくる。
大層ご機嫌なのは良いことだと思うが、その原因が自分の失態だと思うと、デジレは気が重くなる。
「それで、キスした原因はわかったのか?」
「医者にかかりましたが、健康体そのものだと言われました。病気ではないそうです」
「何度も言っているが、一目惚れじゃないか?」
変わらずにやにやと揶揄する言い方に、デジレは眉をひそめた。
「彼女を以前見かけたことはありますが、つい先日会うまで、思い出したことはありませんでした」
「いや、デジレが女性を以前見かけたと覚えているだけでも特別じゃないか。恋かもしれないぞ」
「今は申し訳なさで胸がいっぱいです。これを恋といいますか? でしたら、これ以上は恋をしたくありません」
真面目な顔をしてきっぱりと言い切るデジレに、オーギュストが苦笑する。
デジレはまた、ため息をつく。
連日連夜、考えても考えても、自分の行動の原因がわからなくて頭が痛い。その上、マリーにしてしまったことを思い出す度に、自己嫌悪で狂いそうになる。
また思い出してしまった彼は、壁に頭を自らぶつけた。一回の痛みでは足りず、もう一度音を立ててぶつける。
「おい、止めろ。私の部屋で人が頭を壁に打ちつけて死にました、なんて言いたくない」
オーギュストは深いアメジストの目を呆れたように細めた。
「全く、これだからもっと女性と関わるようにと言っていただろう」
「昔から寄ってたかる令嬢たちを私に押し付けたのはどなたですか」
「なんだ、原因は私だと言いたいのか? 原因はお前だろう。お前が女性を上手くさばけなかったくせに、人のせいにするのは止めてもらおうか。あれだけ女性に囲まれていたのなら、たらしこむ力が付いてもおかしくなかったんだが」
デジレが口を引き結ぶ。そのまま無言で、まだ整理していない書類を手に取った。
「お前もいい加減、私を盾にせずに婚約者を持てば良いのに」
「え? 殿下次第ですが、殿下は婚約者を持てそうなのですか?」
「デジレ、お前な……」
オーギュストは、こほんとひとつ咳払いをした。
「まあ、良い。それでデジレ、今後はどうするつもりなんだ?」
「はい。彼女と次の夜会に参加します。マリーに協力を依頼していますし、彼女のことは噂もまとめてなんとかします」
「マリーローズ?」
「ああ、そうですね。マリーローズに協力を依頼しています」
デジレの言葉に、オーギュストはしばし思案すると、彼を傍に呼んだ。そして、彼に執務机の上にある、書類や封筒をどんどん渡していく。
「これも、あとこれも。ついでに近衛隊長から相談を持ちかけられているから、代理で処理してくれ。勿論、いつもの業務に加えてだ。しばらく夜は来られないのだろう、それで勘弁してやろう」
「ありがとうございます」
どっさりとした紙の重さを腕に感じながらも、デジレは頭を下げた。仕事を私事で一部放棄するのに、これは寛大な方だと心の中で繰り返す。
早速どれから処理していこうかとデジレが考えを巡らすと、オーギュストが笑いを零した。
「会ってみたいな。デジレの、くちびるの君」
「なんでしょうか、それは?」
「デジレの唇を奪い、くちびる同盟なるものを結んだ相手。まさに、お前のくちびるの君だろう」
デジレが怪訝な顔をオーギュストに向ける。しかし、何も言わずに書類に目を戻した。
オーギュストは笑いを噛み殺す。
「これは、面倒臭そうだ」
呟いた言葉は、デジレには届かなかった。




