制服のポケット
クローゼットの奥を掃除がてらのぞいて見ると、かけっぱなしにされたままの高校の制服を見つけた。私は少しだけ興味を惹かれ、その紺色のブレザーをハンガーごと取り出してみる。三カ月前までは毎日これを着て学校に通っていたんだっけ。ちょっと前のことなのに、なんだかはるか遠い昔のことのように感じられる。今の大学生活に不満があるわけでもないのに、あのころに戻りたいという気持ちがふっと湧いてくるのはどうしてだろうか。
私は家族が入ってこないように部屋のドアを閉め、部屋着の上から制服を羽織ってみる。鏡台の前でポージングをすると、まだまだ現役の女子高生として通用しそうでちょっとだけ嬉しくなる。
そして、私が不意にポケットの中に手を突っ込んだその時、指先が何か折りたたまれた紙のようなものに触れた。レシートか何かかと思って取り出してみると、それは四つ折りにされた淡いピンクのメモ用紙だった。なんだろうと思いながら私はそれを開いてみる。
『タイヤ公園裏のおざしきさん前で待ってるね。明美より』
明美。差出人の名前を見た瞬間、脳裏に卒業式の時の光景が立ち現れた。部活動の仲間と戯れていた私を遠くから見つめていた明美。私が他の友達と離れた一瞬の隙に私のもとへと駆け寄り、一緒に写真を撮ろうと提案してきた。普段の明美らしくなく、妙に身体をくっつけてきたっけ。卒業式の非日常的な雰囲気に浮かされていただけかと思ったが、どうやらそのタイミングで私のポケットにこのメモを入れるためだったのだろう。私はもう一度メモ用紙に書かれた文字を目で追う。可愛らしい丸みを帯びた筆跡に、無駄なことは何も書かない簡潔な文章。短いながらも、まさにそれは、小学校から変わることのない明美の特徴をギュッと詰め込んだ言葉だった。
それにしても、SNS全盛期の時代に、よくもまあこんなアナログな手法を使ったものだ。ある意味明美らしいと言えばそうなのだが、もっと他の方法があっただろうと思わずにいられない。私はため息をつく。三か月も前に書かれた言葉を今さら気にする必要などはない。それでも高校を卒業して以降、明美とは連絡を取っていなかったことが少しだけ私の心をちくりとつついた。私は試しに、明美に簡単な挨拶メッセージを送ってみる。しかし、メッセージには既読すらつく気配がない。
卒業式が終わった後、ずっとおざしきさん前で待っていたのかもしれない。来なかった私に怒っているのだろうか。いや、気丈に見えて打たれ弱いところがあるから、変に思い詰めてしまったのかもしれない。
ひとしきりモヤモヤした後、無駄なことだと思いつつも、指定された校舎裏のおざしきさん前へと向かうことにした。罪の意識を少しでも和らげたかったし、もしかしたらおざしきさん前に私への恨み節か何かが残されているかもしれないと思ったからだった。
自転車をタイヤ公園にとめ、裏手にある山林へと入っていく。タイヤ公園裏のおざしきさん前というのは、私と明美が小学生だったころに決めた二人だけの秘密基地のことで、すぐ近くにある立派な樫の木の枝分かれした部分が、御座敷のようにきれいに平らになっていることから名付けたものだった。
濃い草いきれの臭いに郷愁を駆られつつ、山道を通って、秘密基地へと歩いて行く。そして、十分かかってようやくおざしきさん前へと到着した。そして、驚いたことに、そこには明美がいた。それも、ロープに首を吊った状態で。
私は自分の目が信じられないまま、首吊り状態の明美の元へと歩み寄ってみる。制服姿の明美はネクタイのようにだらんと一直線に垂れ下がり、身体はやせ細ってがりがりの状態だった。私は言葉を無くしたままじっと明美を見上げた。すると、ふいに明美は顔を上げ、目を開いた。明美が私を見下ろす格好で、私たちは見つめあう格好となる。
「いつからぶら下がってるの?」
私は驚きを隠せないまま明美に尋ねる。
「卒業式の日からずっとだよ。美里が来てくれないからさ、寂しくて首を吊っちゃったの」
「ごめん、ポケットの中の紙に気が付かなかったの……」
今の今まで明美が私を待っていたとは思ってもおらず、私は心の底から反省と謝罪の言葉を繰り返した。明美もそんな私の気持ちを読み取ってくれたのか、それともそもそも自分の連絡の渡し方が悪かったと思いなおしたのか、おそらくどちらかの理由から私を許してくれた。
「とりあえず下に降りな」
「うん」
私の言葉に明美は素直な返事をする。
しかし、明美は自力では降りられず、結局は私が樫の木によじ登り、ロープの固い結び目を四苦八苦しながらほどいてあげた。それと同時に明美はお尻から地面に落っこちて、「痛ーい」と小さなうめき声をあげる。ごめんごめんと平謝りしながら木を降りてきた私に、明美は尻についた土を手ではたきながら微笑みかける。
私は明美に近づき、顎をくいっと上へあげる。血管の色がはっきりとわかるくらいに白く透き通った首には、赤黒い縄の跡がしっかりと刻まれていた。三か月もの間縄に吊られっぱなしだったから当たり前ではあるが、その赤い筋が何とも痛々しい。私はなんとなくその筋を指でなぞると、くすぐったいと明美は嬌声をあげた。
「ずっとここで首吊ってたからさ、めちゃめちゃ痩せちゃったよ」
明美はそう言いながら自分の腕をさする。手は骨ばり、爪先は淀んだこげ茶色に変色していた。
「お腹空いたからさ、なんかおごってよ。それで許してあげる」
「それはいいけどさ。でも、その前にシャワー浴びたり着替えたりした方がよくない?」
私が明美の制服に鼻を近づけて臭いを確認すると、土や雨が混じった独特の臭気を発していた。明美も自分の服の袖の臭いをかぎ、顔をしかめながら「そうだね」と返事をする。そして私たちは訳もわからず笑いあった。
公園に停めていた自転車に二人乗りをして、私たちはすぐ近くにあった町唯一の小さな銭湯へと直行した。そこで明美は三か月分の汚れを落とし、その間、私が来ていた服を洗ってあげた。風呂を浴びてさっぱりした明美は先程とは比べ物にならないほど血色がよくなっており、顔はうっすらと赤みを帯びていた。乾燥機で服が乾くのを待ち、その後で私たちは食事を取るために近所の行きつけのハンバーガーチェーンへと向かった。
昼食どきではないということもあって店内に客は少ない。しかし、私たちが店の中に入った時、入り口近くに座っていた男性客に明美が思いがけずぶつかってしまい、その男から大きな舌打ちをされてしまう。
奥の席に向かい合わせで座るやいなや明美はその男の方を見て不愉快そうな表情を浮かべ、「ああいう人間が犯罪とかに手を染めるんだよね」とおどけた様子でそう言った。私が振り返ると、ちょうど男も私たちの方を見ていたせいで、ばっちりと目が合った。私はなんとなく謝った方がいいだろうと思い、小さくおじぎをする。聞こえるよ、私が明美に向き直って注意すると、明美はごめんごめんと軽い調子で返事をした。先ほどまで三か月間首をつっていた人間とは思えないほどの軽さだった。
「なんで首吊りなんかしてたの?」
「あった時に言ったじゃん。美里が来てくれなかったからだよ」
明美はメニュー表を見ながら言った。
「それは私も悪かったけどさぁ、わざわざ首吊りまですることないじゃん」
「その時は頭の中がわーってなってたしねー。まあ、そういうもんでしょ」
「そういうもんかー」
明美の言葉に私はなんとなく納得した。私たちは680円のAセットをオーダーし、明美はそれに追加でチリビーンズを注文した。注文が届くと私たちは向かい合わせで仲睦まじく食事を取り始めた。
長い間食事を取っていなかったせいか、明美は胃を驚かせないようにと一口一口ゆっくりと食べ進める。フォークを使い、ちびちびとチリビーンズを口に運ぶ姿はどこか愛らしい。
私は先に食べ終わり、もう一度店内を見渡す。すると、再び入口そばの男性客と目が合う。男はちらちらとこちらを見ているようで、その上、先ほどの明美の行動をまだ許せないでいるのかすごく不機嫌そうな表情をしていた。三か月以上首を吊っていてもあっけらかんとしている人間もいれば、あの男のように小さなことをねちねちと引きづる人間もいるのだと思うと面白い。
そう明美に伝えると、明美は私の向こう側にいる男の方をもう一度見て、男をからかうような表情を浮かべる。失礼だとは思いつつ、その表情が面白くてつい笑ってしまう。
「ちょっとトイレに行ってくるわ」
私は席を立ち、店の奥のトイレへと歩いて行った。そして、用を足し、洗面台で手を洗っていたその時だった。店内から妙な騒ぎ声がし始めたと思うと、続けざまにつんざくような悲鳴が聞こえてきた。
何事なのか。私は急いでトイレを飛び出し、店内へともどった。
私の目に真っ先に飛び込んできたのは、数人の客によって床に押さえつけられた、入口そばに座っていた男の姿だった。そして、そのすぐそば、私がさっきまで座っていた席に目を向けると、そこには右目にフォークが突き刺さった明美の姿があった。
私は慌てて、明美の元へと駆けよる。フォークは明美の眼球をきれいに貫通し、その周りからはとめどなく赤い血が流れ出していた。明美の口はだらしなく開き、もう一つの目は閉じられている。両腕は力なく垂れ下がり、身体は人形のように椅子の背もたれにもたれかかっていた。
「明美っ!!」
私の呼び声に反応し、フォークが刺さっていない左目がぱっちりと開いた。そして、器用に左目だけをキョロキョロと動かし、私の姿を捉えると、ようやく動きを止めた。
「どう……?」
私がそう尋ねると、明美は右頬を撫で、手についた鮮血を左目で確認する。そして、明美はせせら笑いを浮かべながら、首を横に振った。
「さすがにこれは無理だわ」
それだけ言うと、左目は閉じられ、明美の頭はがっくりとうなだれた。私は手を明美の口元へと持っていく。明美はもう息をしていなかった。三か月以上首を吊っても死ななかった幼馴染明美は、こうしてあっけなく死んでしまったのだった。




