『コミュニケーションは誤解の関係』コミュニケーションの前提条件は整っていますか?
1人は1人では生きられません。
誰かと何処かで関わる限り『コミュニケーションの問題』は、生涯避けられない問題です。
『コミュニケーションは誤解の関係です』
短大のコミュニケーション論で、先生が一番始めに口にした言葉が、あれから四半世紀以上過ぎた今も印象に残っています。
『同じ物を見ても、同じ様に受け止めない』
リンゴの木がある風景を2人以上の人が見ています。
『あ、リンゴがある』と言われて、別の人がどんな風に受け止めるかの例えをだしていました。
『リンゴの生産者に取って、見るのは実の発育状態や樹木の健康状態。大変な農作業を思い出したり、収入や経済的な事、あるいは消費者が美味しいと食べる姿』
『アレルギーのある人にとって、リンゴは生命の脅威。アナフラーキーショックの時の苦痛。口にしたくない食べ物。無理解から食べさせられて、入院するはめになった。混入の恐怖で、他人の手作り料理が食べられなくなった原因の品』
『カメラマンや画家などの芸術家。大地と空を背景に、どの角度から、どれくらいの距離からが、美しく印象的に見えるかが気になる。或いは細部の実や、木の一部のが絵になるかもしれない』
『初めに見て声をかけた人が【リンゴの実を見て、美味しそうだな】と感じた時、周りの人がどの様に見て、どの様に受け止めているのかは別である。
この事がコミュニケーションをする上で、第一の前提条件です』
そんな内容を話されていました。
続けて第二の前提条件を話されました。
これも凄く印象深く記憶に残っています。
『コミュニケーションは正しく伝わらない』
最初の講義で、思ってた事を2重に否定されながら、コミュニケーション論の講義は進みました。
『【A=A'】
【A=A"】
これ位なら、正しく伝わっている方でですね。
【A=B】
【A=Z】
こんな風に伝わる事から、コミュニケーションのエラー、誤解が生まれ問題が発生して行くのです』
リンゴの例えのように、【A】と言う事に対して、それぞれが経験した事、その時の感情、沢山の中からどの記憶や印象が強いのか、先に来るのか…全部の条件は双子でも一致しないのです。
こんな印象的な話から始まり、
『だからこそ【正しく伝えよう】【正しく受け止めよう】双方がこう意識をする事、これがコミュニケーションなんです』
と、講義をされていました。
両者に【しよう】と意識があって、初めて成立する事がコミュニケーション。
伝える側、受け止める側、どちらも投げやりではコミュニケーション以前の状態です。
文章でのコミュニケーションも同じだと思うのです。
人の目を意識しない文章は落書きやメモ書きです。
その中の気に触る言葉が目に入るから、不満を持つ。
書き手の思い、せっかくなら読者に届く表現を。
読み手も、せっかくなら何を伝えようとしているのか、読み取る努力を。
受け止める自由があるなら、自由に書く事を不満に思うのは自分勝手ではないでしょうか?
自分だけの自由なのでしょうか?
文章を通じてのコミュニケーション、前提条件整っていますか?
学生時代は随分前ですが、このコミュニケーション論の講義、講師の先生のお名前は忘れてしまいましたが、教わった内容は折に触れ思い出し、私を支えてくれました。
感謝しています。
6月26日追記
コミュニケーションについての補足です。
会話以外のコミュニケーションについてが分かりにくいみたいで、文章によるコミュニケーションが突然出てきたように受け止められたので補足説明です。
コミュニケーションは[言語]と[非言語]のコミュニケーションがあります。
[言語]による物が、文字や会話による物です。
[非言語]による物が、言語以外の物です。
表情やジェスチャー(手振り身振り)、態度や姿勢、声のトーン(抑揚)等による物です。
これらをひっくるめた物が[コミュニケーション]という物です。