w''uhlen〈掘り起こす〉
結はつまらなそうな顔をする。というか、あまり感情表現をしないのか。ため息に思えた表情やしかめた顔も善樹がそう思っただけなのか。
「えっと、聞いてます?」
背中を打った経緯を話した。結は無表情である。つまらなそうな顔をする。
だが、目が違う。つまらなくはなかったのだ。ちゃんと聞いている。
黙って結の返事を待つ。きっと考えている。ゆっくりと動き出した結の手を見る。タブレットに何か書いて善樹に見せた。
『ここであったことを小説にしますか?』
「はあ。あ、まんまではないですよ。参考にはなります。こんな造りの建物も珍しいし、偶然にせよ、雪で閉じ込められたりとか。ネタにしないわけにはいきませんよ」
『では、その背中は、どう書きますか?』
事故ではない、確かに突かれたのだ。
『参考でもネタでも、背中を押した方はその小説を目にした時、あなたに何かしらの危害を加えるかもしれません。殺そうと思って押したのなら、尚更です。それでも書くのですか?』
殺す気で落とされたのなら。
「書きますね。書いておかないといけない」
ハッとした。何というか、心や頭がすっきりした。
書かねば。
「書きます、書きますとも」
結は少し笑った。惚れそうなくらい、かっこいい。
『スランプ、抜けましたね』
「あ、はあ、ほんと、ほんとですね」
このやりとりも書かねばならない。結はかっこいいし、優しいし、欠点はどこにあるのか。口利けないことなど、何でもなさそうだ。そういえば、先程の声は?
「さっき、喋ってませんでした?」
結はちょっとびっくりした顔をした。すぐににっこりして立ち上がるとタブレットに書いた。
『まさか』
「あはは、そうですよね」
体よく部屋を追い出された気がする。知られたくないことがあるのか。秘密もかっこいい理由の一つになりそうだ。
なんとなく中庭を見た。白く埋まった中庭。ちらりと見える人影。
人影。
向こうはまだ気が付いていない。よく見ろ、誰だ。
「桜井様、コーヒー、飲まれますか?」
「え、あ、はいっ」
下にいたオーナーの声に反応して目を離してしまった。人影はもうない。青だったか。黒? 真っ白の景色に目がチカチカする。
降りていくとヤクザが現れた。
「あ、すいません」
反射的にすいませんが口をついて出た。しゅうかくんの父親は善樹を一瞥して階段を上がっていく。
「桜井様、どうぞ」
オーナーに呼ばれるまま、ダイニングに入る。朝ご飯でしゅうかくんが座っていたテーブルだ。
「背中はどうですか?」
「はい、まあ、痛いですよ、やあ、不注意で申し訳ない」
オーナーのかわいらしい笑顔が歪む。オーナーのせいではない。だが、不安や責務が這い上がる。
「しゅうかくんのお父さんは何をされてる方なんですかね?」
「え、さあ。優しい方ですよ」
「ここだけの話、怖くないですか?」
オーナーは、ふふっと笑った。
「怖くありませんよ、もう一人のほうが、あ」
パッと口を手で隠した。
「オーナー、もう一人って?」
「いいえ、何でもありません」
くるりと背中を向けて行ってしまった。
さっきの人影が気になる。桃色ではなかった。オーナーではない。従業員の作務衣を思い浮かべる。桃色、水色、紫、橙。紺色もあった。紫か紺だろうか。従業員が寮に行っただけかもしれない。
部屋に戻ろう。とにかく書くのだ。つらつら書くうちに分かることもあるだろう。コーヒーを飲みほしてから階段を登っていく。
「あ」
オーナーが中庭に出ていった。追いかけるが間に合わず、鍵が掛かっていた。よく見ると内側からも外側からも差し込む鍵がないと開かないようになっている。手でカチャリと回せる鍵も付いている。
「三つも鍵が付いていたのか」
中庭にまた人影。
「え」
しゅうかくんだ。玄関の方、中庭の下から上がってきたようだ。善樹には気づかず、寮に向かう。ドンドンとドアを叩いてみたが、しゅうかくんは行ってしまった。
少し待ったが、しゅうかくんを追ってくる大人はいなかった。
何でもなければいい。だが、中庭には出ないようにと言っていたのだ。それに笑っていたのに急に泣き出したりしている不安定な子供を放っておくにはいかない。父親はどこだ、さっき出てきたはずだ。階段を上がっていく。大浴場にはいなかった。
近い青枝の部屋をノックしたら、出てきたのは結衣子だった。
「あ、桜井さん、どうしました?」
「あ、いやいや、先生、落ち着きましたか?」
さりげなく中を見る。青枝以外はいないようだ。
「はい。すいませんでした、あの、背中は?」
「平気、平気ですよ、じゃ」
善樹が扉を閉めた。
結の部屋をノックしようか悩んだとき、急に扉が開いた。目の前には結。さっきと同じ雰囲気が漂う。
「あ、あの、しゅうかくんのお父さん、知りませんか。しゅうかくん、中庭に出たみたいで危ないなと」
結は部屋の中を振り返り、一度だけ頷いた。出てきたのは父親だった。
「あ、あの」
「どけ、邪魔だ」
父親に邪魔者にされ、結は善樹を見ずに父親を追う。きれいに階段を降りていく。
見ている場合ではない、追いかけなくては。
父親は自分の部屋を開けると叫んだ。
「おい、りょうかはいるか? よし、頼むぞ」
部屋には入らずに閉めてしまう。結は父親を素通りし、玄関に向かった。
「桜井様、何か」
「え」
オーナーだった。