最終回ナナイロサウルス
*前回までのはお話*
クリスマスを兼ねた展覧会で、館長の描いた絵がナナイロサウルスの最後の骨が隠されていた。
床にしゃがみ込んだままの館長に、元之がこれまでのいきさつをすべて話した。
「図書館での出来事はお話ししましたね。読み終えた途端、本が虹色の骨に変わってしまったのです。その後も、歌を歌い終わったとき、思い出の小路のブロンズに触れたとき、学芸会で踊ったときもそうでした。そこでわたしは思いついたのです。ナナイロサウルスを見て、心に感じた者の中に、ナナイロサウルスの感性が入り込んだのだ、と。これまでもそうでした。本を書いた者、歌を作った者、ブロンズを創った者、踊りを作った者、みんなその完成に突き動かされて創作に励んだのです」元之は館長を指差すと、「そして、最後に感性を受け取ったのがあなた、館長だったのですよ」
館長はよろよろと立ち上がった。
「そうだったのか。どうりで急に絵が描きたくなったと思ったんだ。すると、あの美しいナナイロサウルスの絵は、わしの実力ではなく、彼女の魔法の力だったのだなあ……」
館長はがっくりと肩を落とすのだった。
「それより、これをつけてあげようよ」と緑が虹色の玉を差し出す。「これって、ナナイロサウルスの目なんでしょ? 早く付けてあげないとかわいそうだもん」
「うむ、それもそうだ。さっそく入れてやろう」館長は、クリスマスに使っていた脚立をナナイロサウルスの頭までかついでいくと、両の目を持って上っていった。
「さてと、どちらが右目で裏表はどうなっとるのかな」館長は片方の目玉を眼孔に入れてみた。しかし、玉は微妙に形が歪んでいて、どうしても入らない。
「では、もう一方のはどうかな?」もう1つの眼球を入れたがこれも入らないので、反対向きにしたり、裏にしたところ、見事、すっぽり収まった。「やったぞ。目にはどうやら向きがあるようだ」館長が脚立の上から叫ぶ。
同じ要領で、左目もあっちへ向けたりこっちを向けたりしてピッタリとはめ込んだ。
その時、ナナイロサウルスの骨格が金色に輝きだした。明るさはどんどん増していき、館長はもとより、その場にいた者全員が目を伏せなければならないほどだった。
一番最初に目を開けたのは緑だった。そして、驚いたことにこう叫んだのだ。
「シャルルーっ!」
もっとびっくりしたのは、タンポポ団の面々だった。ナナイロサウルスの名前など教えていないのに、なぜ、緑がそれを知っているのだろうか?
シャルルーはすっかり元通り、肉が付き、以前にも増して美しい虹色を放っていた。
「あら、坊ちゃん」館長にも聞き取れる澄んだ声で、シャルルーはそう言った。「こんなところで何をしているんですか。もうとっくに1億年が過ぎているのに」シャルルーも、これまたたまげた様子である。
「なに? あんた達知り合いだったの?!」美奈子は、自分でもそうとわかる、裏返った声で聞いた。
「うん、ぼくの友達のシャルルー。まさか、骨になっちゃってるなんて気がつかなかったなあ」
「わたしこそ、最後に遊んだのが1億年も昔だなんて信じられませんよ、坊ちゃん」
「いったい、こりゃあどういうことだ?」たまりかねて浩が口を挟む。
「ぼく、頭がこんがらがってきちゃった」和久までもが、頭を抱えてしゃがみ込む。
ただ1人、元之だけがなるほどねえ、とうなずいているのだった。
「緑君がどこから来たのか、これでやっとわかりましたよ。彼は1億年もの過去からやってきたのです。シャルルーは言いましたよね、1億年前にも人が住んでいたと。わたしは内心、そんなばかなはずはないと思っていたのですが、これが何よりの証拠です。そして、奇妙な偶然により、再び2人は出会ったのです」
全員が驚いたり喜んだりする中、元之だけが額にしわを寄せていた。
「どうしたの、元君?」思わず美奈子が尋ねる。
「緑君もシャルルーも、もう2度と元の世界へは帰れないと思いましてね」と元之。「何しろ過ぎた時間ですから。おそらく、ヒカリアゲハを封印したとしても、それは変わらなかったでしょう」
そう言うと、シャルルーはニッコリ笑ってみんなに安心するよう促した。
「わたしは、自分がどうやったら元の世界へ帰れるか知っています。あなたもいらっしゃい、坊ちゃん」 シャルルーは魔法の力で見る見る縮んでいき、ポニーくらいの大きさになった。「さあ、背中にお乗りなさいな」
緑はタンポポ団とシャルルーに挟まれた状態で迷った。けれど、結局、シャルルーの背中に乗ったのだった。
「緑……」美奈子がポロポロと涙をこぼす。緑も顔をぐしゃぐしゃにして、
「お姉ちゃん、いつも遊んでくれてありがとう」と声を詰まらせながら言うのだった。
しばらくの間、緑の別れに時間が費やされる。向こうへ帰っても、おれ達のことを忘れるなよ、体にだけは気をつけるように、ナナイロサウルスがもう昼寝をしないよう、見はっていてね、などなど。
「で、どうやって帰るのだね?」館長が聞く。
「星降り湖の底深くに、向こうの世界と繋がる洞窟があるんです。そこから帰ります」シャルルーは言った。
「まあっ」と声を上げたのは美奈子だった。「あたし、その場所知ってる。前に喫茶店でそんな幻想を見たもの。もっとも、あたしが乗っていたのはユニコーンだったけど。とにかく、水に浸かってもちっとも濡れず、息もできたの。洞窟の向こうには、一面がタンポポだらけの原っぱが広がっていたわ」
「きっと、わたしの心の一部があなたに流れ込んだのでしょうね」シャルルーは優しく言った。
博物館の扉を開けると、西日が目にまぶしく突き刺さった。星降り湖は林を抜けて、真っ直ぐのところにあった。木々の間から波のさざめきが美しく輝いて見える。
緑を乗せたシャルルーが先頭を行き、その後を館長やタンポポ団が付いていった。
「1億年前の世界は、わたしの魔法がなければ通り抜けられません」シャルルーが語る。「第一、星降り湖の底まで下りていくなんて、誰であれ、絶対に無理でしょう。それからもう1つ、向こうへ帰ったら、2度とこちらへは戻ってこられません。そのことをよおく胸に刻んでおいてくださいね、坊ちゃん」
美奈子の目から再び涙が溢れ出る。ほんの数ヶ月しか一緒に過ごさなかったが、それでも本当の弟のつもりでいたのだった。
けれど、緑がどうしても帰りたいというのなら仕方がない。それを止める権利は美奈子にはないのだった。
「ここはまるで、別れの湖だな」館長がしみじみと言った。「ヒカリアゲハのときもそうだった。そしてナナイロサウルスに緑ちゃん。みんな行ってしまうんだな」
「お願い、館長。もう言わないで」両手で顔を押さえながら、美奈子が頼んだ。「それ以上何か言われたら、あたし、小さな子供みたいにわんわん泣いてしまうわ」
「いいじゃないですか、美奈ちゃん。別れは悲しいものです。こんな時に泣かないでどうします。遠慮なく泣いていいのですよ」元之が、とても子供とは思えないことを言う。
「そうだぞ、美奈子君。別れは悲しいが、緑ちゃんは君の心の中にいつまでもいるのだ。どうか、それを忘れないでおくれ」そういうと、館長はそっと美奈子を抱いた。
それを見ていた緑は、急に大声で鳴き出した。彼がこんなふうに泣くなんて、まったく初めてのことだった。
シャルルーから飛び降りると、美奈子に向かって走ってくる。強く美奈子に抱きつき、泣きじゃくりながら言う。
「ぼく、やっぱりここにいる! シャルルーと別れるのは悲しいけど、お姉ちゃんと離ればなれになるのはもっといやっ!」
「坊ちゃん……」シャルルーは悲しげな、それでいて微笑んでいるような瞳で緑を見つめるのだった。「わかったわ。それじゃあ、1億年後にまた会いましょう。わたしはきっと、どこかで居眠りをしてしまい、また骨になっていると思う。そうだわ、また三つ子山の同じところで眠るとしましょう。またいつか、わたしを掘り出してくださいね。今度は失くし物をしないよう、しっかりと心を閉ざしておきますから」
最後の言葉は館長に向けられた言葉だった。
シャルルーはゆっくりと元の大きさに戻っていき、まるで会釈でもするかのように頭をたれ、そのまま星降り湖へ入っていった。
しばらくはシャルルーの影がくっきりと見えていたが頭としっぽがすっかり沈んでしまうと、あとには白いしぶきだけが残った。
「あんた、本当にこれでよかったの? もう、今度こそ帰れないのよ」美奈子は、まるで叱るように緑に言った。
「うん、いいの。ぼく、美奈子姉ちゃんとも、ほかのみんなともさよならしたくなかったんだもん」
「それはそうと、何か忘れてはおらんかな?」館長が軽く咳払いをした。
「あ、展覧会の絵!」和久が思わず叫ぶ。まだ、半分以上残っているのだった。
「今から始めて間に合うと思う?」美奈子は心配そうな顔をする。
「なあに、間に合わなかったら、それはそれで仕方がないではないですか」元之がのんきな声を出す。
「間に合うかどうかやってみなきゃわかんねえだろう。とにかく、手分けして、頑張ってみようぜ」いつも前向きな浩がそう言った。その言葉に勇気をもらったのか、その場にいる者全員が一斉にうなずく。
「よし、わしも手伝うから、とにかく急ごう」と館長。
「ナナイロサウルスがいなくなった理由を聞かれたらどうするの?」と美奈子。
「そうだなあ、逃げ出しちまった、とでも言っておくか」館長はそう言うと、カラカラと笑い出した。
つられて、美奈子達も笑いだのだった。緑だけは、笑っていいのか1人ポカンとしていたが。
逃げ出したわけではないが、実際、自分の足で帰っていったのだ。決してウソにはなるまい。
ちなみに、急いだ甲斐があって、あれだけあった絵は、開館前にすべて張り終えることがで来た。
おかげで、全員クタクタに疲れ果ててしまったが。そして、先にも書いたように、1等の特大アンモナイトの化石は一介の高校生に持っていかれてしまい、館長は改めて痛手をこうむったのであった。