10.ヒマワリ畑
*前回までのお話*
夏休みの課題で、美奈子は「本当の真夜中」を観測する。
和久は、テーブルの上の水槽を、頬杖をついて眺めていた。腐葉土を敷いた上に数本の木を絡ませてあり、オスのカブトムシがうまそうにキュウリをチュウチュウと吸っているのだった。
一方、メスの方は落ち着きがなく、穴を掘ってみたり、あちこち走り回ってみたりと、エネルギーが有り余っているかのようだ。
「実際、メスの方が力が強いもんな。おとなしく、一緒にキュウリでもかじってればいいのに」傍らには絵日記と色鉛筆が転がっている。カブトムシの観察が、和久の夏休みの自由研究なのだった。
「そういえば、前に見た魔法昆虫のカブトムシはでかかったなあ」デパートの地下に突如として現れたダイオウカブトは、とにかく大きく、しかも馬鹿力だった。
その場所は誰にも知られていない昆虫工場だったが、機械が何台も破壊されてしまったっけ。
「そうだ、デパートで売っているカブトムシはあそこの生産だから、裏にマークがついているって言っていたっけ」和久は水槽の蓋を開け、キュウリにしがみついたままのオスのカブトムシを持ち上げると、裏返してみた。
メイド・バイ・ラブタームーラ・デパート
腹の横にそう刻まれている。
「やっぱり本当なんだ。昆虫ってみんなデパートで作られているんだなあ。でも不思議だぞ。カメムシだとかゴミムシなんて、いったい誰が欲しがるんだろう。あんなもの作ったってしかたないのにのさ。それに、ゴキブリ! 欲しがるどころか、みんなが嫌がるじゃないか。それとも、デパートで売っているのはデパート製ってことなのかな。売れない物を作ったってしょうがないもんなあ。きっと、ガとかアブラムシなんていうのは、もともと自然にいたに違いない。そう考えないとおかしいよね」
和久はカブトムシを元の場所に戻してやると、スケッチの続きを始めた。少なくとも、オスのカブトムシは大人しくキュウリにしゃぶり付いているだけなので描きやすい。しかし、メスはしょっちゅう動き回っていて、どうにも捕らえにくいのだった。
「和久-、冷蔵庫にアイスがあるから食べていいわよ」とおかあさんの声がする。
「はーい」この部屋にはエアコンがなかった。扇風機だけでは確かに暑い。アイスクリームだなんて、これは最高だぞ、と和久は喜んだ。
さっそく冷蔵庫へ行くと、冷凍室からカップ・アイスを1つ取り出す。
水槽の置いてある部屋に戻ってくると、カブトムシを眺めながら木のスプーンでアイス・クリームをしゃくり上げ、パクッと食べる。その冷たくて甘いこと。
「ぼく、かき氷よりもラクト・アイスの方が好きなんだ」思わず独り言が出る。かき氷を食べると、いつも眉間がキーンと痛くなるのだ。
「そうだ、どうせなら縁側で食べようっと」和久はアイス・クリームを持って立ち上がると、そのまま廊下をペタペタと歩いていった。
庭の隅には、ヒマワリが10本ばかり並んで立っていた。誰かからもらったヒマワリの種を庭の端に、自分で植えたのだ。
「立派になったなあ。ぼくなんかより、もうはるかに背が伸びたよ。今年はぼくが種を取ってあげるね」和久はヒマワリにそう話しかけた。
そのとき、ヒマワリがグラグラと揺れ動き、和久は急にめまいがしてきた。
「おいでー、こっちにおいでー」優しい声が、風に乗ってやってくる。気がつくと、辺り一面、ヒマワリだらけだった。木も山もなく、ただどこまでもヒマワリが延々と続いているのである。
「ここはどこ?」つい、口にする和久。
「ここはヒマワリの国。太陽に1番近い場所なのよ」さっきの優しい声が応える。
「ヒマワリの国だって? 太陽に1番近いのは赤道だけど、そんな暑くもないしなあ。なんだか不思議な世界に来ちゃったぞ」
「わたし達、あなたに植えられた恩を決して忘れないわ」すると、周囲のヒマワリたちも、同じ言葉を繰り返し言うのだった。それはまるで、フルートで奏でられた音楽のようだった。
「ああ、そういえばぼく、庭にヒマワリを植えたっけ。あの種、誰からもらったのかな。おじさんだったかな、それとも知らない人だったかもしれない」たった数ヶ月前のことなのに、それがさっぱり思い出せないのだった。
「あなたに一言、お礼が言いたくって」ヒマワリ達が一斉にいう。
「でも、ぼく、そんなにたくさん植えてないよ。せいぜい、10かそこらだもん」
「でも、わたし達の種がまた芽吹いて、その子達もいつかは種を付けるわ。そうすれば、今あなたが見ているように、この世界はヒマワリでいっぱいになるの」
「ふうーん、そうなんだ」
和久はヒマワリ畑を歩いてみた。自分の背丈よりもはるかに高いところに咲かせた花が、そんな彼を微笑むように見つめている。
「あなたは秋になったら、わたし達の種を集めてくれるでしょう」とヒマワリが言う
「その種を、どこか野原に撒いて、またたくさんのヒマワリを咲かせてくれるでしょうね」
「種はさらにそこいらに散らばって、さらにたくさんのヒマワリを咲かせるわ」
「そしていつの日にか、あなたが見ているこの世界のようにヒマワリでいっぱいになるの」
「これって、夢なの? それとも、どこか別の世界?」和久は聞いた。
「ここは夢の中でもあり、どこか別の世界でもあるのよ」ヒマワリは言った。
「でも、最初に種を植えたのはあなた」
「そう、あなたが植えてくれたのよ」
「だから、わたし達はこうしていっぱいに咲くことができたの」
内心、和久には言っていることの半分もわからなかった。ただ、庭の片隅に植えたヒマワリは、間違いなく彼の手によるものである。それは確かだった。
「このヒマワリの野原はどこまで続いているの?」と和久が尋ねる。
ヒマワリ達はさわさわと一斉に答えた。
「どこまでも、どこまでも」
「果てしなく、ずっと続いているわ」
「歩いても歩いても、そこはヒマワリでいっぱいなの」
「でも、ここはラブタームーラでしょ? どこにも町はないし、木も生えていないよ。少なくとも、ぼくの知っているラブタームーラじゃないね」和久はヒマワリ達を見上げながら言った。
「でも、ここはラブタームーラ」
「あなたの知らない、もう1つのラブタームーラ」
和久はますます混乱してしまった。ここはラブタームーラなのに、ラブタームーラじゃないんだって? じゃあ、いったいどこだっていうんだろう?
「君達は本物のヒマワリなの?」
「あら、もちろんよ。わたし達は本物のヒマワリだわ」
「不思議なことをいう子ね。わたし達に触れてごらんなさい。ちゃんと感じるでしょ?」
「あなたが植えてくれた、本当のヒマワリなのだわ。だって、こうしてお日様の光を受けて、キラキラと輝いているでしょう?」
試しにヒマワリの葉に触れてみる。確かにそれは実感を伴っていてた。太い幹も確かにヒマワリに違いなかった。
「でも、ぼくはこんなにたくさん植えた覚えがないよ」和久は困惑したような声を出す。
すると、あっちからもこっちからもクスクスと笑い声が聞こえてくるのだった。
「あなたが撒いたのはほんの10粒かもしれないけれど、さっきも言ったように、わたし達の種がまたその何十倍も花をさせるの。そして、その花も、そのまた花達もね」
「いつかはこの野原のようになるわ。なんて、素敵なんでしょう!」
「あなたが種を植えてくれたおかげよ。だから、どんどん増えていくの」
「そう、わたし達の仲間がどんどん増えていくのよ」
「世界はヒマワリでいっぱいになるわ」
「ラブタームーラも、それ以外の町もね」
「そして、この地球はヒマワリでいっぱいになるの」
「でも、そんなことになったら困らない? ほかの花は? 木は? 町も電車も何もかもヒマワリで埋もれてしまうじゃないか」和久がそう反論した。
「心配ないわ。だって、この世界はここだけじゃないもの」
「そうよ、ヒマワリだけの世界なの」
「何もかも、すべてヒマワリばっかり!」
「この世界はいくつもあるの?」不思議に思ってそう尋ねる。
「もちろんだわ。リンゴの木ばかりの世界もあれば、チューリップだけ咲いているところもあるわ。この世は無限にあるんですもの」
そういえば、いつだったか元之が言っていたっけ。宇宙は1つだけではなく、いくらでもあるんだって。少なくとも、そういう説があるのだと話してくれた。
なるほど、そう考えればヒマワリだけの世界があっても不思議じゃないのかもしれないな……。
「あなたに約束して欲しいことがあるの」ヒマワリの1つが言った。「わたし達、秋になったら枯れてしまうでしょ? そうなったら、1粒残らず種を取って欲しいの。あっちこっちに落ちてしまったら、きっと腐ってしまうもの」
「うん、いいよ。袋に入れて取っておいてあげる。そして、どこかいい場所を見つけたら、そこに撒いてあげるよ」
ヒマワリ達は一斉にわぁーっと歓声を上げた。
「うれしいわ。場所ならここにあるわ。来年、種を撒くときが来たら、またあなたをここに連れてきてあげる」
「でも、ここはもうヒマワリでいっぱいじゃないか」
「あなたが見ているのは、ヒマワリの国のヒマワリ。あなたはラブタームーラに撒いてくれればいいの」
「そうだったんだ。じゃあ、どんどん増やさなくちゃね。うん、ぼく、君達がどんどん増えていって、寂しくないようにしてあげるね」
「ありがとう。あなたって、本当に優しいわ」
そのあと、和久は再びくらくらとし、ハッと気がつくと縁側に座っているのだった。
「あ……夢だったのかなあ。それとも、熱中症にでもかかったかなあ」
傍らに置いてあるアイス・クリームは、とっくに溶けてしまっていた。
*次回のお話*
11.開かない箱