1.真夜中の恐竜
ここ最近、ラブタームーラには奇妙な噂が広まっていた。
真夜中になると、町中を巨大な黒い影がうろつき回るというのだ。
「それ、絶対、人食い鬼だよ」怖がりの和久が怯えた顔をする。「うっかり捕まったりしたら、頭からボリボリと食べられちゃうんだ」
「いや、見たという人の話によれば、どうやら恐竜の姿をしていたそうですよ」元之が言った。
「ラブタームーラに恐竜ですって? ばかばかしい!」ぴしっと美奈子が否定する。
「いや、わからねえぞ。三つ子山の向こうなんて、あんま人が行かねえしな。今も生きながらえているのかもしれねえ」浩はうなずいてみせた。
確かに、三つ子山を越えた先は誰も行かないような森が続いていた。もし、何か未知の生物が住んでいるとするなら、そこよりほか、考えようがなかった。
「しかし、妙じゃありませんか」元之が首を傾げる。「三つ子山からラブタームーラの住宅街まではかなりの距離がありますよ。なぜ、わざわざやって来るのでしょうか」
これには誰も答えられなかった。仮に恐竜だったとしても、なんの目的があってさまよい歩くのか。しかも、町の真ん中を。
「なあ、ここはおれ達タンポポ団の出番じゃねえか? その謎の生き物の正体を突き止めようじゃねえか」
「わたしもそう考えているところでした」
「いいわ、あたしもそれがなんなのか知りたいし」
「ちょっと怖いけど、ぼくも参加するよ。このままじゃ、なんだか怖いもんね」最後に和久も賛成した。
その晩、タンポポ団はこっそりと家を抜け出し、見晴らしの塔の元へと集まった。
緑も来たいと言って聞かなかったが、そこはまだ小さな子供のこと。夜の9時にはとうにぐっすり眠ってしまっていた。
「みんな、集まったな」浩が言う。「まずは、この森から探してみるとしようぜ。ここで見かけたって話を聞いたんだ。何か手がかりがあるかもしれねえしな」
「足跡でもあればいいんですが」と元之。
「聞いた話だと、滑るようにして歩いていったそうよ。足音すら立てずにね」
「少なくとも、人食い鬼じゃなさそうだね」ほっとしたように和久が言う。「だって、あいつらはばかでかいだけじゃなく、とんでもなく重いっていうじゃないか。足音を立てないはずがないもんな」
「この塔に登れさえすればなあ」浩がぼやく。しかし、見晴らしの塔はどこからどこまでもつるんとしていて、入り口一つないのだった。
遙か頭上では、この晩も明かりが灯り、周囲をぐるぐると回っていた。
「まあ、ちょっと歩き回ってみましょう。もしかしたら、わたし達のほうでその何かに出くわすかもしれませんよ」
元之の提案で、4人は暗い森の中をしばらくさまよってみた。
暗いとは言っても、あちこちに水銀燈が立っているので、ただ遠目が聞かないというだけのものだった。なんなら、本を読みながらだって歩けたに違いない。一応、全員がポケット・ライトを持ってきてはいたが。
見晴らしの森を端から端まで歩き回ったが、結局この日はなんの週間も得られなかった。
「やっぱ、たんなる噂だったかなあ」と浩がぼやく。
「いえいえ、火のないところに煙は立ちませんよ。それに、実際に見たという人にわたしもあったことがあります。それがなんであるにせよ、きっと見つけられますとも」
「そろそろ帰らないとね。あたしの親、たまに部屋を覗きに来ることがあるのよ。ちゃんと布団を掛けて寝てるかってね」美奈子はあくびを噛み殺した。
「いったい、なんだろうね、その影って。まさか、お化けじゃないよね」和久は両手を抱えて、勝手に震え上がっている。
この晩は、それぞれが色々な想像を膨らませながら、帰っていった。
次の晩は、自分達の通う小学校の回りを探索してみた。当たりには人っ子1人見当たらず、しんと静まり返っている。
「もし、1人で自分の教室まで行って帰ってこい、だなんて言われたら、ぼく、その足で逃げ出して家に帰っちゃうな」と和久。夜の学校は真っ暗で、和久でなくとも入るのはごめんだった。
「確か、この辺りでも見かけたという話を聞きました」元之が話す。「宿直の先生が見たそうですよ。たまたま職員室の前を通ったとき、そう聞きました」
「勉強でもしにきたかな」浩がおどけてみせる。
「恐竜が勉強するなんて聞いたことないわ。連中は狩りをするのが仕事でしょ? 数学や社会なんて必要ないもの」
「なんにしても、ここにもいないようですね」
元之がそういったとき、和久が「あっ」と声を上げた。
「どうした?」と浩。
「今、学校の裏を大きな影が通ったんだよ」和久は興奮しきっていた。
一同がそちらを見るが、文字通り影も形もなかった。
「あんた、怖い怖いと思ってるから、幻覚でも見たんでしょ」美奈子がそう言って笑う。
「しかし、まあ、学校の裏へ行って確かめてみましょう。何か手がかりが見つかるかもしれませんからね」
4人はぐるりと回って学校の裏側へ行ってみた。もちろん、何もない。
「ほら、やっぱお前のみ間違えだって。何もいやしねえじゃねえか」
「……でも、確かに見たんだけどなあ」それでも和久は、1人つぶやく。
この晩も、タンポポ団は何も見つけることができなかった。
その後も、3丁目で誰かが目撃したといえばそこへ行き、1丁目で見たといえば、足を運んだ。
しかし、依然、なんの痕跡も見つけることはできなかった。
ところがある日、ラブタームーラ日報の表紙に、でかでかとその写真が載ったのだ。
いつものように、見晴らしの塔の前で待ち合わせをしていると、珍しく息を切らせながら元之が走ってきた。右手にはラブタームーラ日報を持っている。
「みなさん、ちょっとこれを見てください」
そこに映っていたのは、ビルから頭を出した影だった。たまたま居合わせた者が、とっさに撮ったのだという。「ラブタームーラの町に恐竜が現れる!」と見出しには書かれている。
いくらかピントはボケているが、明らかに恐竜の姿をしていた。
「噂は本当だったか」浩はうなった。
「ずいぶんと大きな恐竜ね」美奈子も、食い入るように写真を見つめている。
「いえ、これは恐竜ではありませんね。クビナガリュウです。ほら、わたし達が掘り出したナナイロサウルス。あれと同じ種類ですよ」
「恐竜もクビナガリュウも同じじゃねえのか?」浩が洩らすと、元之はピシッとした口調で、こう説明する。
「いいえ、同じサカナでも、サメとエイほどの違いがあるんです。とにかく、夜中に歩き回っているのがクビナガリュウとわかっただけでも大収穫ですね」
「あとはわたし達で見つけ出すだけね。いるとわかった以上、断然やる気が出てきちゃったなあ」美奈子は拳をギュッと握りしめた。
「うろつき回る理由も知りてえしな。本番はこれからってとこか」浩もうなずく。
「まずは、この写真の撮られた場所へ行ってみない?」と美奈子が提案する。
「手前に大通りが見えますね。カエデ大通りに違いありません。その向こうにあるのは、暗くてはっきりしませんが、坂下スーパーのように思います」
「ということは2丁目か」と浩。
「ほら、やっぱり学校の近くだったでしょ?」おずおずと、けれどここははっきり主張すべきと、和久が行った。「この間のあれ、やっぱりぼくの見間違えじゃなかったんだ」
タンポポ団は、写真が撮られたと思われる場所へ行ってみた。ラブタームーラ日報の写真と一致する。
「今晩、ここを見はりましょう」元之が言った。
「今度こそ出会えますように」美奈子は手を合わせて祈る。
「後を付けていって、住処を見つけてやるぞ」浩は言葉に力を込めた。
「クビナガリュウってことは、人は食べないよね。よーし、少し怖くなくなってきたぞ」これは和久の独り言だった。
美奈子は夕食後、0時に目覚ましを掛け、すぐに自分の部屋のベッドへ横になった。いつものように少し眠って、それから探索をするためだ。
「あんた、この頃テレビも見ないで、すぐに部屋に行っちゃうのね」とおかあさんが言ったとき、「うん、宿題があるから」とウソをついた。
目覚ましが鳴り、美奈子はぱっと飛び起きた。十分眠ったので、目覚めは上々だった。
着替えると、そっと階段を降りていき、靴を履いて外へ出る。まだ3月も中旬だったので、オーバーをはおっていても寒いくらいだった。
例の場所に着くと、すでに元之と和久が待っていた。
「浩は?」と聞くと、まだ来ていないという。
そこへ、バタバタと走りながら浩がやって来た。
「やべえ、やべえ。外に出るとき見つかっちゃってさ。とっさに、トイレだってごまかして、やっと出てこられた」
とりあえず、これで全員が集まった。もちろん、緑は今頃、ベッドですうすう眠っている。
「さあ、今晩は現れるでしょうかね」元之が固唾を飲んで様子をうかがう。
「だといいけどなあ。でも、同じ場所にまた来るとは限らないわよね」そう美奈子が気掛かりなことを言う。
「犯人は同じ場所に再びやって来る、って言うだろ? きっと来るさ」
「浩君、それって、推理ドラマじゃないか。それに、クビナガリュウは犯人じゃないし」珍しく和久が反論する。もっとも、誰も気にとめてもいなかったが。
そのとき、通りの向こうから何やら近づいてきた。
「来たっ!」と美奈子。
確かにそれはクビナガリュウだった。黒くて半透明をしており、カエデ大通りをのんびりと歩いてくる。
ただし、歩幅があるので、人が全速力で走っているのと同じくらいの速度だった。
「写真、写真!」元之が促すと、浩はポケットからデジカメを出し、何度もシャッターを切った。
もたげた首の長さだけでも5階建てのビルよりまだ高い。足音がまったくしないので、まるで滑るように歩いているようだった。
クビナガリュウはどんどん近づいてきて、あっと言う間にタンポポ団の目の前を通り過ぎていった。
「見たわよね? 確かにクビナガリュウだったわ。しかも、あれだけ大きいのに、まったく振動もなかった」興奮しきった美奈子が話しかける。
「まるで影のようだった」と和久。
「そう、あれはきっと実体ではないのでしょう。影なのか、それとも……」元之は腕を組んで考え込む。
「よーし、撮りまくったぞ。次は追いかけなきゃな」浩はそう言ったが、クビナガリュウは、とうの昔に遙か先へ行ってしまっていて、とても追いつけそうになかった。