時の止まった街②
『ー……慎司、ここにはね、キワミさんがいて、私たちの願いを叶えてくれるのよ』
『きわみさん、がいるの?』
『そうよ。みんなはね、【神様】って呼んでるけどね。お母さん、小さい頃キワミさんにあったことがあるの』
『母さん、きわみさんに、あったことあるの?』
『ええ。それで名前を訊ねたら、キワミだっていうものだから、いまでもそのまーんま。キワミさんはね、私たちが努力すれば、願い事をなんでも叶えてくれるのよ』
『…じゃあ僕、お願いする!母さんの病気が治りますようにって!お手伝いも、いーっぱい、するからね!』
『…ふふ、ありがとう、慎司』
桜が舞い散る中、見かけたあの懐かしい姿と、それによく似た幼子。
あの幸せそうな笑顔に、心奪われてしまった自分を何度も責めたてた。
そんな記憶の断片から目を覚まし、街を見つめる。
白い霧に包まれた町並みとは対照的に、空は漆黒の闇に染められ星ひとつ見ることができない。
まるですべてが石でできているように、暖かさがここには微塵も感じられなかった。
口笛を吹く。あの人の機嫌のいい日は、いつもこうやってメロディーを奏でていた。
あ、今日はうまくいった。
きれいな響きが、町中に届けられる。
「…頑張れよ、慎司」
風が、時が止まったはずの境内を走り抜けた。
2
「…なんなんだよ、これ」
カーテンを開けて見えたのはいつもの見慣れた景色ではなく、昔の写真のようにモノクロな町並み。
そんな中、目を引いたのは神社の鳥居。朱色がじんわりと目に染みた。
「ふっざけんなよ。まじで、こ、こんなっ…!」
自分が願ったのは、こんなことじゃない。
もっと人が願うような、ささいなことを考えていたはずなのに。
どうしてこんな、取り返しのつかないようなことにー…。
「堪能しました?」
振り返ると、おどおどしていた先ほどの狐の少年がぴょこん、ととびだしてきた。
そのいかにもほのぼのとした雰囲気に苛立ちを覚え、歯軋りをする。
こんな状況で、なに笑ってやがるこいつっ…。
「堪能したのならほらっ、行きますよっ」
ぴょこんぴょこんとゲームのキャラのように跳ねながら俺を外へ誘導しようとする。
行くって、どこへだよ。こんな状況であっけらかんとして、意味わからん。
「行くって、どこにだよ?っつか、お前には関係ねーだろ」
「関係大アリですよ!だって僕は、慎司さんの『ご親友』ですから!」
それ絶対関係ねーだろ!?と思いつつ怒りに任せて思い切り枕を投げつけた。ぼふっと鈍い音がして少年に命中する。
「…ふっざけんなよ…!俺が、俺が友達いないからって、そんな変な理屈通用すると思ってんのか!?だいたい、お前どこの誰だよ!不法侵入で通報することだってできんだからな!?」
一気に心の中をぶちまけると少しスッキリし、そのまま少年に背を向ける。きっと後ろでは傷ついた顔をしているのだろう少年の紅い瞳を、これ以上は見ていられなかった。
世界の汚れた部分を一度も見たことの無いような、あの澄んだ瞳をこれ以上みたらおかしくなりそうだった。
「どっか行けよ、早く………!」
絞り出すように、声を出した。
「…じゃあ、どうするんですか?このままだと時が止まったままですよ?」
「…っ!う、うるさい!いっそこのまま時が止まってれば学校にも行かなくてすむし!どうせ友達いないなら一人で居ても変わらないー…」
「っそうじゃない!!!」
凛とした大きな声が、部屋に響く。思わず振り向くと慎司は目を見開いた。
苦しそうに涙を流す少年がいた。他人事なのに。妖怪だから関係無いのに。
………『友達になる』っていう仕事な、だけなのに。
「どんな存在も、隣に誰かがいなきゃ生きていけないんです!寂しくなくても、気づかなくても!そばには誰かが守ってくれてるんです!その存在を否定してしまったら、生きづらくなってしまいますよ!」
支えてくれる人?そんなこと、考えたこともなかった。
激しい口調なのに、なぜか心にストン、と自然に入り込んでくる。
「甘えてください!頼ってください!一人じゃなにもできない上等!甘えた分、誰かを助けてください!
…その前に、頼ってください!」
「友達でしょ!?」
ぐっと胸が詰まったような感覚に襲われる。話す人がいない。笑い合う仲間がいない。
辛かったにもかかわらず、誰かに甘えようとせず独りよがりをしていたのは自分だ。
『甘えた分、誰かを助けてください!』
自分も、支えになれるだろうか。
助けてあげられるだろうか。
こんな自分でも、幸せになっていいのだろうか。
「…ハ、ハハ」
「いいのか、俺でも。頑張って、幸せになって、いいのか?」
それを聞いた少年は目を細め、歯をみせて、嬉しそうに答えた。
「もっちろんっ!」
「…そうか」
つられてふふ、と笑う。それにつられてまた少年も笑う。
笑い合うだけで、ここまで幸せだとは。さっそく願いがかなってしまった。
…けどここからは、自分の力でやるしかない。幸せとの、等価交換だ。
勇気を出して、声を搾り出せ。目を見て、伝えるんだ。
「頼みが、ある」
「俺と、友達になってくれないか?」
少年が驚いたように目を見開く。と思ったらうれしそうに顔をほころばせた。
いきなり且つ勢いよく、大きな跳躍をした。そのまま慎司に抱きつくようにぶつかる。
「ぐぼぁ!?」
「慎司さん!慎司さん慎司さん!うへへへっ、慎司さーん!」
ブンブンと尻尾を振る。顔をお腹に擦り付けてくる。まるで、犬だ。
先程の真剣な感じはどこへ行った。とまた笑いがこみ上げてくる。
「………あーーーーーーーッ!!?」
「びゃっ!!?し、慎司さん、なんですかいきなり!?」
そうだ思い出した。どうしてこんな大事なことを忘れていたんだ。友達だぞ!?めっちゃ大事だぞ!?
「名前だよ!な、ま、え!」
「な、名前ぇ……?」
「そう!お前の名前だよ!一切聞いてねえぞ!?」
「いまさらな感じしますけど、そうですね」
からからと少し呆れたように声をだした少年は、慎司に首を傾げつつ問う。
「ていうか、別にいいんじゃないですか?慎司さん、お前。で」
「良い訳ないだろっ!」
「え、なんか意外ですね?けっこう慎司さんそういうのドライそうなんですけども」
「あたりまえだろ。初めて出来た友達にそんなぞんざいな扱いできるかアホ」
真面目な顔でいう慎司に、少年はそういうものか、と頷いた。
名前教えろなんて、初めてだ。と嬉しさを心の奥に隠したまま。
「僕の、名前はー……」
3
「さあ行きますよ、慎司さん!」
「お、おう。というか知ってんのか?『田中さん』って人がいる場所」
「知りませんよおそんな事」
「おい」
だから、と少年は続けた。
「情報屋さんに、頼みましょうか!」
そう言うと少年は窓から外に飛び出した。それを見た慎司は苦笑いをしながらその姿を追いかける。
時を進めよう。自分と未来を、変えるために。
「ちょっと待てよ、『幸』!」
幸せを呼び込んだ友人の名を呼ぶ。
時が止まった街に、一瞬風が流れた。