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栄華の残り香

【聖暦2030年4月3日 アナトリア共和国 旧王都】


 日が落ち、雨が降り始めた。


 かつては王城と共にこの国の中心に位置した統一教会も、王国の滅亡と共に権威を失い、首都はそれらを遺棄するように内海を挟んで遥か北西へと移された。夜時間への移行を告げる教会の鐘が雨の街に響く。数百年の間全く変わらない音色。変化を恐れた国の成れの果てだ。


 虚しいものだ、その鐘の音を遠くに聞きながら、男はふらりと宿を出た。


 ブリタニアン・タイムスから連載記事の打診を受け二つ返事で快諾を返した男は、初回記事の裏付けに向け膨大な関係者リストを当たった。しかしそのほとんどは既にこの世の住人ではなかった。

 苦心の末ようやく連絡を取ることが出来た彼女は、電話の向こうで不敵に鼻を鳴らした。


『会うのなら、雨の日がお誂え向きだろう』


 相手の指定した時間は二十時。既に人の疎らな通りは時折水飛沫を上げて自動車が行き交うだけで、不気味な静けさがある。栄華の名残か、冷え込むかつての魔法の都はどこか淋しげだ。男は古ぼけた丸目の車に乗り込んでキーを捻った。閑散とした旧王都市街地に響く無骨なエンジン音と濁った排気は、それが機械式の内燃機関である証だ。魔法式を使わないのは、特に理由の無い男の拘りだった。


 車を東へ向かう大通りに乗せると、男はステアリングから手を放し煙草を取り出した。長大な石畳、片側五車線の直線道路。走っているのは男の車だけだった。ただアクセルさえ踏んでいればそれで良かった。


 男が走るこの直線道路は、王城を中心に均等に八方角へ伸びており、二千年以上の歴史を持つのだという。宿の主人の言葉だ。寂しげに話される御国自慢は、久方ぶりだったからかすっかり錆びついてしまっていた。


 古代アナトリア、国をあげての一大事業であったであろうこの道路だが、以外にもその終端には飾り気のない石の距離標識と殉職者慰霊碑が佇んでいるだけである。これだけ長大な直線の先にあるのは、都市でも、豪華な記念碑でもなく、ただ行き止まりのみなのだ。豪華絢爛、華美な装飾にあふれたアナトリア文化における数少ない例外である。


 待ち人は、そんな道路の終点に居る。


 三十分ほど車を走らせ、目的地に待ち合わせ時間より五分ほど早く着き、車から降りた。既に相手は真っ赤な傘を差して半壊した石碑に腰掛け、彼を待っていた。


「待たせてすまなかった」


 女は傘を開く男を一瞥するとすぐに足元の水溜りに視線を落とし、やがて力なく笑った。冗談、そんなつぶやきが漏れるのが聞こえた。


「お互い歳をとったものだな」


 火を点けようと傷だらけのオイルライターを取り出した男の手が止まった。女からの意外な一言だった。


「……いつか、お会いしたことがあったかな」

「お前、今年幾つになる?」


 男の言葉を無視した女の発言に、彼は一言「三十だ」とだけ答えて煙草に火を点けた。


「そうか。私の方が二つほど年上だったか」


 ある種の悔恨を含んだ言葉だった。


 彼女は有名人で、十三年前の事件を探る男にとって最重要人物の一人に数えられる。だから当然、彼女の年齢など既に知っていた。しかし、男にとってそんなことはどうでも良い。彼は世間話に来たのではない、目の前の女からかつての真実を聞きに来たのだ。


「……先程の質問に答えよう。十三年前の中東、アルドリカーネだ」


 男が質問に入ろうとした矢先、女が口を開いた。ここで出会ったことがあるというのは彼の身に覚えの無い話だったが、それはまさに彼が聞きたかった事件の話だ。


「その時のことを聞きに来た。他ならぬ貴方にだ、アナトリア第三王女、レイラ・エル・アナトリア」

「あそこでの話をか。皮肉だな、傑作だ。まさか〈忘れっぽいカメラマン〉が本当に記者になって、あろうことかそれを私に聞くとはな」


 男はその言葉をあえて無視した。気になる話だが、今聞くべき話ではない。


「あの大戦の渦中にあってまさか生きているとは思わなかったが、こうして直接話を聞けるのなら、貴方以上の適任は居ない……話して頂こう」


 それを聞いた女――レイラは突然笑い初め、すぐに黙り込んだ。悪い冗談だ、再度呟いた。


「……本当に、皮肉な話だ。ここで起きたことを最も正確に把握していたのは私ではなく、お前自身だというのに」

「残っている資料は少ない。今の俺の手の届く範囲の情報には限りがあるんだ」

「そういう意味じゃないんだ。近衛京介」


 レイラへの連絡は偽名を使っていたにも関わらず、彼女は男を本名で呼んだ。それは、男が自身について憶えている数少ない情報だった。


「第三王女、それは――」

「やめてくれないか、その呼び方は。お前には〈霧の魔女〉とでも呼ばれたほうが、しっくりくるんだ」


 不機嫌そうに言ったレイラは、しかし、その言葉をすぐに撤回した。


「いや……違うな。そうじゃないな。なあ、お前は今、本当に何も憶えていないのか?」


 渋々ながら、男は肯定した。


「……ああ。そうだ、自分の名前しか知らない。この名前で呼ばれていたことだけ、憶えているんだ。誰に呼ばれていたのかも思い出せない」

「そうか」


 ぽつりとそう言って、レイラは男に煙草を一本ねだった。彼女は苦心して、魔法で指先に今にも消えそうな小さな火を灯した。


「今や失われつつある魔素、世界中に満ちていた白く光る粒子の残り香。雨の中なら、これくらいの魔法なら、今でも使えるんだ。意外だろう?」

「……ああ、意外だ」


 こればかりは男の本心だった。十三年前に世界から永遠に失われてしまった魔素。魔法と呼ばれた不思議な業の源が、僅かではあるがまだ残っている、消え去りきった訳ではないと聞いたことはあったが、見たのは初めてだった。


「もはや、魔法は完全に失われたものだとばかり思っていたが……いや、あなただからこそか」

「褒めるなよ」


 レイラはくすぐったそうに笑った。彼女の写真や映像は少なくないが、こういう柔らかな笑顔を見せたことは一切ない。


「憶えていないのなら、何も憶えていないのなら……頼む。レイラと、そう呼んでくれないか……京介」


 懇願だった。

 似つかわしくない、と切って捨てるのは簡単だったが、あまりにも弱々しいその姿に、身分の差を考慮しても、拒否するのは躊躇われた。


「……呼んでくれたら、話してやっても――」


 京介はレイラの言葉を遮って、彼女の名前を呼んだ。


 一瞬の静寂。すすり泣く声はやがて嗚咽に変わった。

 暫くの間、彼女は黙り込んだままだった。昔を思い出していた。


 それから五分、彼女はぽつりぽつりと過去を語り始める。

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