レイニーリポート(1)
『意味を問うこと、定義を問うこと。
物事が持つ本質と、それを取り巻いて世界を形作る言葉が内に孕むもの』
今は亡き神聖アナトリア魔法王国。その国王最後の言葉は、意外にも市井にありふれた魔法学の教科書に繰り返される、戒めめいた文句だった。
古アナトリア語の意訳であることこそ分かってはいるものの、由来は知れない。しかし魔法に触れて生きるこの世界の人間に、この言葉を一度たりとも聞いたことが無いような者は居ないだろう、そんな言葉。
読者諸氏も決して例外ではないはずだ。
皆が皆、何気なく目にしてきたこの言葉の由来を知らない。
そんな単純で衝撃的な事実が明らかになったのは、国王最後の言葉がまさしくこれであると、アナトリア共和国新政府によって公表がなされた後である。
全世界のトップニュースを飾ったアナトリア新政府式典だ。皆の記憶にも新しいだろう。いくつもの重大な発表の中で、人々の関心をもっとも誘ったのが、国王の死の公式な発表に添えるようにさらりと語られた辞世の言葉だったのだ。それは、抑揚のない事務的なトーンの声とは対照的に、その言葉を聞き届けた者が誰なのか、それすら大して気にされない程の衝撃をもって人々に受け止められたのだ。
誰もがおかしいと思った。そんなはずはないと。誰かが知っているはずだと。
陰謀論も叫ばれた。曰く、魔法の心理に触れる言葉ゆえに、何者かの認識阻害魔法が掛けられていたのだ。こうして皆が気づいたのは、魔素が世界から消え去ったからなのだ、と。
そんな流言飛語を鵜呑みにするつもりは毛頭ないが、私もまた何が裏があるに違いないと思った一人であることには違いない。だからこうして今、すべてを始まりから調べて回っている。
私は手始めに出版社を当たった。ちょうど二か月ほど前になる。
この言葉を最もよく目にするのはどこかと問われれば、その答えは間違いなく魔法学の書籍だ。まさか知らないということはあるまい。そうして連絡を取った担当者は、またか、とうんざりした様子で私に対応した。ともすれば碌に話も聞かずに通話を切ってしまいそうな気配すらあった。この手の質問はもう飽きたと言う。
彼の答えは簡潔だった。知るか、そんなこと。
出版社を中心に、ありとあらゆるメディアを調べた。多くないが伝手にも頼った。結果はそれは見事なたらい回しであった。子供の頃から目にしてきた文章だろう、他も載せてるから載せたのだと、要するに慣習に従ってきた結果のようだった。
堂々巡りの調査は結局、大した成果も上がらず時間だけを浪費するに終わった。
別の方向からのアプローチも同様に、徒労に終わった。
古アナトリア語の意訳であることは分かっているのだから、始めに訳した誰かが居るはずだと、言語学、文学を中心に研究者にも聞いて回ったが、文章それ自体とともに原典は伝わっていないようだった。ここにも、ただ慣習があるだけだった。
真実は最早知りようがないのかもしれない。
一月ほど経って、私はそう思うようになった。この頃になると世間の関心も薄れ始め、と言うよりは大きく変わってゆく世界の情勢を前に、このような些事には構って居られなくなっていた。
しかしやはり、私にはこれこそが真実の一端であるように思えてならない。
何の真実か? 決まっている、世界同時多発魔素暴走事件のだ。
果たして、あの世界最強を誇った魔法国家アナトリアの国王ともあろう人物が、今際の際に意味のない言葉を吐いただろうか。世界の真実を知っていたとすれば、それは間違いなくアナトリア国王その人しかあり得ない。
この言葉こそが、真実に最も近いはずだ。
続く言葉が失われているとも言われるが、その真偽は定かではない。しかし、もし存在するのなら、それは魔法の真理を語っているに違いない。
(ブリタニアン・タイムス 連載記事『レイニーリポート』初回より抜粋)
魔素 - [Magic Particle]
世界の大気中・水中を漂う微細な特殊粒子。魔法因子。
魔法反応により白く薄ぼんやりと発光する。高濃度下でも同様の現象が見られる。
水分との親和性が高く、特に水循環系に多量に存在することが知られている。降雨中は大気中の魔素濃度が飛躍的に上昇するが、比重は空気より僅かに重いことが判明しており、一般に高度が高くなるほど魔素濃度は低下する。
また、一定以上の割合で水分に溶け込んだ場合、粘質を示す。海水中では希釈される為目立たないが、雨雲では如実に表れ、極彩色の魔素干渉光を伴ってジェット気流と共に魔素対流圏を形成する。
高濃度魔素を含む地下水脈を特に龍脈と呼び、その集合地点は龍穴と呼ばれる。上空の魔素対流圏と対になる形で地下に存在し、古来よりアナトリア魔法学に置いて重要視されてきた要素である。
また、ごく微量ながら土中を初め全ての構造物の中にも存在する。
それ意外にも、電磁波の伝搬を阻害するという性質があり、特に一定以上の魔素濃度に達した場合には全ての電子的索敵・通信手段が無効化される。近年の電子機器の普及に伴い、その影響が大きな問題となっている。
いつから存在しているのか、由来ともに不明。
ただその性質が判明しているのみである。