05
なんとなく、保護局員があらわれることもないことから耕四郎がなんらかのことをしているかとおもっていたが、片山のセリフでそれは証明された。それを知ったからといって、田中はどうしようともおもわなかった。いずれ死ぬのだから、施設にいようが桜井家にいようがどちらでもいいのだ。
ただ、桜井家にいると必然的に美幸の世話を手助けすることになる、それだけだ。
自分の将来が死であるならば、学ぶことに意味はない。学校でなにを身につけるのか、赤ん坊の育児でも習えるならば、いま役に立つくらいだろう。
*
週末、どうしても断れないといって早朝ゴルフに出かけた耕四郎は、昼になるまえにもどってきた。そのかれのあとから片山よりちょっと年上であろう執事がダンボール箱を抱えて居間にはいってきた。
ソファにすわり、揺れる藤籠に美幸をおさめてあやしていた田中は顔をあげた。父親が一直線に息子のもとにきて、笑顔をむける。
「ただいま美幸。ただいま和義」
「はい」
一拍おいて田中は返事をする。挨拶されても、なかなか自分が挨拶されているとわからないためだ。耕四郎はそんな田中には慣れているのか、ふたたび笑うとふりかえった。
「芝さんありがとう、そのテーブルに」
桜井製薬の綺麗な白のダンボール箱を、いつもスーツ姿の芝執事は丁寧におろした。
「ゴルフの帰りにね、保護局に寄ってきたんだ。きみ、まだここにいてくれるだろう? だからきみの私物を引き取ってきた。あんまり少ないんでおどろいたな」
明朗闊達に告げられて、田中はちょっと表情をうごかした。私物。そんなものはあっただろうか。ソファを立って、白に金の装飾がひかえめなテーブルに近づいた。
*
見下ろすと、そのハンカチが目に飛び込んできた。
母と妹が死んでから近づかなかった実家にあった品物だ。どうしてこれがここにあるのだろうか。最初に保護されたときに自分が持ち出したものだったろうか、田中には思い出せなかった。
白いダンボール箱に手をのばし、木綿の白に赤い縁がついただけのハンカチをつかんだ。白が、窓からの光に照らされて黄ばんでいるのがわかった。田中の手に、ハンカチはとても小さかった。小学校一年生の初めての遠足のときに母が用意してくれたものだ。
ひっくりかえすと、薄くなったマジックの字があった。
一ねん 三くみ たなかかずよし みか
――母の字だった。
縁の赤と黄色を用意して、それぞれ好きなほうを選ばせたら、実花は最初黄色を選んだ。
「それじゃこっちがかずくんね、自分で書く? じゃあ、お母さんが書いてあげる」
その後、実花は気がかわって赤がいいといいだし、三人で協議した結果、実花の名前を足して、ふたり共有ということにした。縁が黄色のほうのハンカチもおなじ連名になっているはずだ。
安アパートのせまい居間いっぱいに遠足の用意をひろげていた。
母の字。
気づくと、田中はハンカチを握り締めて毛足のながい絨毯に身をなげだして泣き叫んでいた。
芝と、耕四郎と美幸の声まで聞こえた気がしたが、田中は自分の叫びをとめることができなかった。なにを叫んだかわからない。なんで叫んだかもわからない。たぶん美幸とおなじだろう。ひもじくも不快でもなければ、泣くことはひとつ。




