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タ・ケ・ル  作者: 高遠響
31/32

     <2>

 トーマは恐る恐る扉をノックした。は~い、という間延びした女性の声がして、ゆっくりと扉が開く。出てきたのは二十代の若い女性だった。小柄で少しぽっちゃりしたその女性はにっこりと笑った。

「ええっと、タケルくんとトーマくん……ね?」

 二人は戸惑いながら頷く。

「一平から聞いてますぅ。どうぞ、入って」

 そう言いながら、扉を大きく開けてくれた。そして中に戻ると、

「琴音ちゃん。お友達よぉ。少し座りましょうね」

 と優しく話しかける。

 二人が中に入ると、ベッドの上で上半身を起こした状態で琴音が座っていた。

「……琴音ちゃん」

 トーマがぎゅっと拳を握りしめた。

 長い黒髪をゆるく三つ編みにして、肩の上に流している。この女性が毎日ちゃんと身の回りの世話を してくれているのだろう。

「どうぞ、傍に座って」

 女性は丸椅子を二つ用意して、ベッドの横に並べて置いてくれた。

「あの、お姉さんは……」

 タケルは座りながら女性を見た。

「お姉さん? あらぁ、まだお姉さんって言ってもらえるの?」

 女性は嬉しそうに笑いながらタケルの肩をパンと叩く。どうも調子が狂う。深刻な状態の琴音の病室とは思えない。が、どうもこれがこの女性の地のようだ。

「私、一平の妻の、まり子です」

 まり子は丁寧に頭を下げた。慌てて二人も頭を下げる。

「あ、そう言えば……」

 タケルはふと初めて琴音に遭った夜を思い出した。公園の前の交差点に迎えに来ていたのはこの女性だったのかもしれない。

「琴音ちゃん、お友達よ。ゆっくりお話してね。私は一平に連絡してきます。あなた達が来たら知らせてって言われてるから」

 まり子はほよよ~んと笑うと、席を外した。

「……一平さんの奥さん、だって」

「う~ん、なんか調子狂うよな。あれ、どうも天然だぜ」

 二人は顔を見合わせる。一平とまり子が並んでいる図を想像して、タケルは思わずうなる。

「う~~~~~ん、なんだかなぁ」

 お似合い……のような気もするし、そうでもないような気もするし。

「気が楽でいいんじゃない? 一平さん、タケルと同じだし。ある意味、タケルのおばさんに通じるものがあるかも」

「うちの母ちゃん、あんなにぽへ~っとしてないって」

「でも裏がないのは一緒じゃない?」

 改めてそう言われると、そうかも知れない。タケルの母親は口で言う事も心の中もほとんど一緒だ。それは父親も一緒である。テレパスであるタケルが何の違和感もなく、ここまで育ったのはあの二人が親であったからに違いない。

 二人は丸椅子に腰かけた。

「琴音、来たぞ」

 タケルは琴音の顔を覗きこんだ。ガラス玉のような瞳にタケルの顔は映るがなんの反応も見せない。

「琴音ちゃん……」

 トーマの瞳が潤む。タケルはトーマの肩を拳で軽く叩いた。

「痛いよ、腕に響く」

「お前が泣いてんじゃね~よ」

「……うん」

 トーマは涙目のままじっと琴音を見つめ、タケルはきょろきょろと病室を見回した。

 空調の効いた清潔で明るい病室だ。大きな窓からは外の景色がよく見える。

 立ちあがって窓のところに行くと、病院の散歩エリアが一望出来た。

 ところどころに植えられている背の高い木々は夏の強い太陽の光を受けて、黒い影を作っていた。その下にちょうどベンチが置かれてある。入院患者と思われる人々がベンチの下でくつろいでいた。

「……トーマ、琴音、散歩に行こうぜ」

 タケルは二人を見た。

「そうだね……。僕、まり子さんに頼んでみる」

 トーマは病室を出て行った。

「こんなに天気いいのに、寝てばっかじゃ病気になっちゃうぜ。太陽から元気もらえよ。な?」

 タケルは外を見ながら琴音に話しかける。琴音からはなんの“声”も聞こえてこない。

 しばらくすると車いすを押したまり子とトーマが帰ってきた。

「暑いわよぉ、外」

「大丈夫。木陰にいますから」

 トーマがきっぱりとした口調で言うとまり子はにっこりと笑った。

「じゃあ、よろしくお願いします」

 まり子は車いすに琴音を乗せた。

 タケルが車いすを押し、三人は病室を出た。

「なんかさ、病室って嫌いなんだよね、俺」

 タケルは肩をすくめた。

「いくら綺麗でもこんな静かな所にいたら気が滅入るよ」

「タケルは静かな方が落ち着くんじゃないの?」

「いやぁ、家の静かなのと病院とは違う。病院ってさ、音は静かだけど、結構暗くて重~い声が聞こえるからヤなんだよ。どよよ~んっつうか、どぉおおおん……っていうか」

「そりゃ、ま、入院している人が明るい考え持っているとは思いにくいよね」

 二人でそんな話をしながらエレベーターで一階に下り、外へ出た。

「うわ。暑っっ」

 熱気が塊となって、むんと三人を包み込む。

 慌てて木陰を探す。

「お、あっちだ。早く行こう。琴音が溶ける」

 二人で急いで車いすを押し、一番近くの木陰へと入った。にぎやかに鳴いていたセミが三人の登場にびっくりしたのか、ヂッと鋭く鳴いて飛び立っていった。

「やっぱり暑いね」

 トーマはベンチの横に車いすを停めるとブレーキをかけ、ベンチに腰をかけた。その横にタケルも座る。

「うん。でも、外がいいんだよ、外が。それもやっぱり緑の多いとこがいいな」

「そうだ、ビオトープ、見に行ってないよ」

 トーマが思いだしたように叫んだ。

「夏休みに昆虫採集して、観察記録作ろうかと思ってたんだけど。すっかり忘れてた」

「骨折れてんだから、今年は無理だろ」

「そうだね……。小学校最後の夏休みだったのになぁ」

 トーマは残念そうに唸る。

「いいじゃん。冬休みがあるって」

「冬は種類が少ないからなぁ……。タケル、手伝ってよ」

「嫌だね。俺はトーマみたいに虫全般が得意な訳じゃないんだから」

「ケチ。琴音ちゃんならきっと手伝ってくれるのに……」

 恨めしそうにトーマはタケルをにらんだ。

「で、タケルは宿題は終わったの?」

 タケルはあさっての方向を見た。

「尾てい骨折れたからさぁ、長いこと座ってると尻が痛いんだよね~。あ、痛い痛い」

 わざとらしく顔をしかめて、お尻を斜めにして座って見せる。

「うまいこと言って」

 トーマはくすくす笑った。

「おばさんに怒られながら三十一日に徹夜するのが恒例行事だもんね」

「あ~、腹減ったな~」

 タケルは両手を頭の後ろで組むとふんぞり返った。

「琴音も宿題終わってないだろ? 仲間だ、仲間」

 ぴくんと微かな電流がタケルの頭に届く。

 それはずっとまっすぐに流れていた心電図が一つだけ小さな山形の波形を作るような、そんなわずかな気配だった。

 タケルは身体を起こし琴音を見た。

 琴音は相変わらず、身じろぎ一つせずに座っている。瞳の輝きもない。

「どうしたの?」

 トーマが不思議そうにタケルを見る。

「いや……」

 気のせいだったのだろうか。いや、確かに何かがタケルの中に届いた。

 タケルは立ちあがると琴音の後ろに立った。少しの間ためらったが、やがて両手を琴音の肩に置く。

 目を閉じた。息を吸って、吐く。ゆっくり、ゆっくり、吸って、吐く。

 セミの声が遠くで聞こえる。

 さわさわと頭上の木々の囁く声が聞こえる。

 小鳥がさえずりながら頭上を飛んでいく。

 透明な湖の底を覗きこんでいるような、静かで穏やかな感覚が流れる霧のようにタケルを包み込んでいく。

 

 ああ、この感覚だ。火王神社の土蔵の裏で夢に入り込んで行った時の感覚だった。


 タケルの意識はゆっくりと湖の底へと沈んでいく……。


 真っ暗な暗闇だった。

 何の音も聞こえない。上も下もない。

 真っ暗な中でプールに入っているみたいだ。


 そんなことを思いながらタケルはゆっくりと泳いだ。身体を包み込んでいる闇がタケルの身体にまとわりつき、ねっとりとした抵抗を感じる。


 目の前にぽっかりと何かが現れた。


 琴音だ。


 琴音は胎児のように身体を丸め、闇の中に浮かんでいた。

 琴音の周りを何か小さい物が取り巻くように蠢いている。

 宇宙空間に浮かんでいる星のようだ。


 タケルは泳ぎながら琴音に近づいた。


 琴音は眠っている。

 自分の腕の中に顔を埋め、静かに眠っている。

 白くて細い蛇のような龍が眠る琴音を護るようにくるくると琴音の周りをめぐっている。

 龍はタケルの存在に気がつくと、全身の白い鱗を逆立てながら小さな火を吐く。


 違うよ。俺は敵じゃない。琴音の友達なんだってば。


 タケルはゆっくりと龍の前に手を差し出した。隣の犬を手なずけた時の事を思い出す。手を差し出して、話しかけるのだ。

 

 お前ならわかるだろ? 俺が敵じゃないって。

 

 白い龍は指先の匂いを嗅ぐように鼻を近づけた。まるで子犬みたいだ。そして、タケルの手のひらの上に乗り、腕に絡みつきながらタケルの顔へと近づいてくる。

 怖いという感情はまるで湧いてこなかった。龍はタケルの目の前に来ると、二三周タケルの頭の周りを飛び交い、そして、琴音の元へと帰っていく。そして、琴音の脇に寄り添うように丸くなって動くのをやめた。


 お前が琴音の中に住んでいる火龍なのか?

 

 龍は頭をもたげると、じっとタケルを見た。吸いこまれそうな深い緑色の瞳だった。でも、哀しい色だと思う。


 寂しい。


 言葉にならない想いがタケルの中に響いてくる。それは琴音の声のようでもあったし、違う声にも聞こえた。


 寂しい。


 タケルは龍に近づき、ゆっくりと手を伸ばした。

 白い鱗が生えた額に手を置く。


 あの時夢に出てきたのは、お前だったのかな。夢に出てきたのは、人の姿をしていたけど。あれはお前だったんだな、きっと。


 龍は身じろぎせずタケルを見つめているだけで、何も答えてくれない。

 タケルの目の前を小さなきらめきが流れて行く。澄んだ煌めきだった。

 琴音の周りには小さく輝く星のようなものが浮いている。よくよく見るとそれは琴音の涙だった。眠る琴音の目からこぼれる涙が、きらきらと輝きながら琴音の周りを漂っている。


 琴音。


 タケルは眠る琴音の肩に手を置いた。


 琴音。起きろよ。


 琴音の唇が微かに震える。


 このまま。このまま、眠りたいの。


 タケルは琴音の肩をそっと揺さぶった。


 起きろよ。早く起きないと、夏休みが終わっちまうよ。


 夏休み……。


 トーマが待ってる。あいつ、ずっと待ってるよ、琴音の事。……きっと、あいつ、ずっと待ってたんだ。何百年も、お前の事。


 窟の中で寄り添いながら消えていった二つの魂は、長い時間を超えてお互いを探していたに違いない。今は一緒に生きられなくても、必ずいつかは一緒に生きようと、お互いに強く心に刻み込んで。そして今、ようやくまた出会えた。

タケルにはそう思えてならなかった。


 夏休み、もう半分済んじまったんだぜ。お前、宿題終わってないだろ? 俺も終わってないんだよな。まあ、俺は毎年の事だけど。

 

なんでこんなくだらない事しか言えないのだろうか。もっともっと伝えなきゃならない事があるはずなんだ。自分のバカさ加減が腹立たしい。


 琴音の瞼が微かに震え、わずかに目が開いた。


 トーマのヤツ、ビオトープで昆虫採集手伝ってほしいって。……なあ、琴音。トーマも、俺も、待ってるんだからさ。早く起きろ。なあ、今のお前は一人じゃないよ。


 トーマくん……タケルくん……。

 

 突然白い龍が体をくねらせる。タケルは少し琴音から離れた。

龍は琴音の周りをぐるぐると勢いよく回り始める。そして徐々に白い光を放ち始めた。


 琴音?


 琴音の身体が龍の光に包まれていく。それはまるで光の繭<まゆ>のようだった。琴音の身体はすっかり光の繭に覆い隠された。繭はやがて光の塊になり、膨張<ぼうちょう>を始めた。

光が膨らみ、辺りはまばゆい光で満たされた。


 『光  あれ!』



 タケルは静かに目を開けた。

 目の前は真っ白で、何が何やらさっぱり見えない。まるで押入れの中から外に出た時みたいだ。しばらく目をぱちぱちとしているうちに、ようやく視界が戻ってくる。

 緑の芝が敷き詰められた散歩エリアと、抜けるような青い空。

 ぎらぎらと照りつける夏の太陽の銀色の光。

 焦げ付くような暑い風が頬を撫でながら通り過ぎて行く。

 セミの声が頭の上で聞こえ始めた。

 ここはどこだっけ? ……そうだ、病院の散歩エリアだ。トーマと一緒に琴音を連れ出したんだった。

 頭の中はまだぼんやりしたままだ。

「タケル!」

 トーマの大声が耳に届く。それで我に返った。ほえっ? と間の抜けた返事をしながらトーマの方を見た。

 トーマはベンチから弾かれたように立ち上がると、琴音の前に座り込んだ。

「琴音ちゃん!」

 今まで宙を見ていた琴音がゆっくりと瞬きをし、そして視線を上げた。

「トーマくん……」

 瞳に生命が戻っている。

 トーマは琴音の手をがしっと握りしめた。何か言おうとするが、言葉が出てこないようだった。

「何、どうしたの?」

 琴音が戸惑いながらトーマを見て、少しはにかんだように笑う。

 タケルは琴音の肩を両手でポンポンと叩いた。

 琴音がびっくりしたように顔を捻ってタケルを見上げた。

「タケルくん?」

「やっと起きたか。……この寝ぼすけがあ!」

 そして琴音の三つ編みを掴んで軽く引っ張った。ついでに琴音の耳元をそれでくすぐる。

「くすぐったいよ、タケルくん」

 琴音が首をすくめて抗議した。

「良かった、良かったよおおお」

 いきなりトーマが声を出して泣き始めた。

「こらあ、トーマ! だからお前が泣くなっちゅうの!」

「だって、だって、だって!」

「やめろってば。感染<うつ>るだろーが」

 タケルは喉の奥の方に込み上げてくる塊をぐっと飲み込んだ。

 何が起こったのかわからない琴音はきょとんとしたまま二人を見比べていた。



<続く>

ついに大団円へ……。

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