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タ・ケ・ル  作者: 高遠響
30/32

光の中へ<1>

「トーマ、行くぞ~」

 タケルはマンションの一室の前に立っていた。トーマの住む部屋である。インターホンをせわしなく連続して押すと、すぐにトーマが顔を出した。

「おはよう」

 左の手はギプスでがっちり固められ、それを三角布で首からつるしてある。

「手、どうよ?」

「うん。ギプスの中がかゆくて……。夏はダメだね。骨折は冬がいいよ。うん」

 トーマはにこにこしながら軽口を叩く。ああ、結構元気だな。タケルは少し安心した。トーマは右手で部屋の鍵を閉めるとタケルを見た。

「じゃ、行こうか」

「おお」

 二人は廊下を歩きだした。今日はこれから二人して病院だ。琴音の見舞いである。

 

 あの後、三人は都内の警察病院へと連れて行かれた。タケルとトーマはそこで家族と無事再会したのだ。

 救急外来の治療台の上でタケルは半ケツ状態にさせられて、今まさに尾てい骨の上に湿布を貼られようとした瞬間、佳奈が飛び込んできた。

「タケル!」

 タケルも湿布を手にしたナースもぎょっとしてそちらを見た。佳奈は鬼の形相で、戸口に仁王立ちになっている。

「このバカ息子!」

 突進してきた。ぼこぼこに殴られると思い「ひっ」と頭をかばったタケルを佳奈は思いっきり抱きしめる。そして人目もはばからず、おいおいと泣き始めた。

「よく無事で……良かった、良かったよおおお」

「か、母ちゃん、苦しい……」

 肋骨が折れるほど強く抱きしめられ、タケルは目を白黒させた。尾てい骨の上に肋骨まで折られてはかなわない。

「お前とトーマがへんなカルト教団に誘拐されたって聞いてさ、どれほど心配したか……」

「う、ううん」

 タケルは曖昧な相槌を打った。トーマは確かに誘拐されたのだが、タケルは自分から飛び込んだのだから少々ばつが悪い。

「コーチ、なんか言ってた?」

 サッカーの試合中に飛び出してきたのだ。さぞかし心配していただろう。

「お腹壊してトイレに走って行って、そんで誘拐されたって? タケル、朝からヘンなモン食べたんじゃないの?」

「……」

「だいたい食い意地がはってるから、こんなややこしい事に巻き込まれるんだよ!」

 随分な話の飛躍である。そりゃまあ、確かに「トイレ!」と叫んだような気はするが……。それにしても、こんなところで食い意地のせいにされるとは思わなかった。

 トーマもまた、タケルの隣で母の咲子と再会を果たしていた。咲子はトーマの処置を黙ってみていたが、医者に声をかけた。

「あの、私、ナースなんです。息子の腕の固定、させてもらっていいですか?」

 白髪交じりの医者は一瞬怪訝な顔をしたが、すぐに穏やかな笑みを浮かべ、咲子に真新しい三角布を手渡した。

 咲子は手早く一人息子のギプス固定された左腕を三角布でくるみ、トーマの首の後ろでその端を結わえた。

「お母さん……」

 トーマが先に涙を浮かべた。ぽろぽろと涙がこぼれる。右手で何度も拭くが、涙は一向に止まろうとしなかった。

 咲子は黙ったまま小さく、何度も頷いた。

「すぐひっつくよ。好き嫌いしないで、ちゃんと牛乳飲んで。ビタミンDも摂らなきゃね。シイタケ、嫌いとか言ってないでちゃんと食べるのよ」

 ぼそぼそと言いながら、だんだん声が震えてくる。そしてゆっくりとトーマを抱きしめた。


「僕らは幸せだって、あの瞬間、心の底から思った」

 トーマは外に出ると眩しそうに夏の日差しを見上げた。タケルも頷いた。

「あれから俺、ずっと考えてた。琴音と俺と何が違うんだろうって」

 琴音とタケルは種類こそ違うものの、同じサイキックだ。他の人とは少し違う能力を持っている。でも、だからと言って、それほど意識してきた訳ではない。タケルはこれと言ってつらい経験を今まですることなく、普通に、ごく普通に毎日を過ごしている。それが当たり前だと思っていたのだ。

「ふと思ったんだ。もし、アユが琴音だったら……って」

 タケルと琴音のもう一つの共通点だった。タケルには妹が、琴音には兄がいる。そしてどちらも歳が離れている。タケルにとってアユミは本当に可愛い、かけがえのない妹だ。

 生まれたての真っ赤なぷにょぷにょしたアユミの顔を見ながら、作りものみたいに小さな柔らかい手をそっと握った瞬間、アユミの心を感じた。

 

 やっと生まれてきた。

 眩しい光がいっぱい。

 これから全てが始まる。


 それは言葉ではない。新しい魂の、喜びと期待に満ち溢れた生への叫びだった。弾けるような生命の賛歌。その瞬間、タケルはこの命を守っていきたいと心の底から思ったのだ。そして、その思いは父も母も同じだった。家族ってそういうものなのだと、なんの疑いもなく信じてきた。

「俺は絶対にアユを嫌いになんてなれないよ……」

 そうじゃない家族もいるという現実が、受け入れられない。

「笙さんも、本音のところでは琴音ちゃんの事を嫌ってた訳じゃないと思うな……」

 トーマは呟いた。

「ぎりぎりのところで結局笙さんは踏みとどまったんだって、一平さんが言ってたじゃない。それはやっぱり琴音ちゃんを妹として大切に思っていたからだよ」

 その呟きの半分はトーマの願いのようなものだった。そうでないと琴音が可哀そうすぎる。トーマの想いは悲しいくらいに純粋で、透明だ。タケルはトーマの肩をポンと叩いた。

「そうだよな、同じだよな。俺達」

 人は皆同じように生まれてきたはずなのに、どこでどう違って行くのだろうか。

「同じだよ。琴音ちゃんも、タケルも、僕も、なんの違いもない。……でも、人生って皮肉だよね」

「……じいさんみたいな事、言うなよ」

 二人の気持ちはあれから沈んだままだった。タケルの尾てい骨の骨折も、トーマの腕の骨折も時間が経てばひっつく。でも、心は壊れてしまったら、くっつくのだろうか……。

 二人は高乃城市民病院行きのバスに乗った。

 琴音が警察病院から高乃城市民病院に転院したと聞いたのは昨日の夜である。タケルの家に一平から連絡があったのだ。

「琴音、大丈夫ですか? 元気になった?」

 せっつくようなタケルの質問に一平は重い口調で答えた。

「あの時、一気に自分の力を解放してしまったから、しばらくは弱っていたけど、今は大丈夫。君達のお陰で怪我も火傷もなかったしね」

 電話の向こうで一平がためらっている。

「でも、心を閉ざしたままだ。目は開いているけれど、それだけ」

 タケルの脳裏に窟の中で人形のように動かない琴音の姿が浮かんできた。あの時のままだという事か。タケルの心に重い物がのしかかる。

「トーマくんと二人で一度来てくれないかな」

 電話の向こうの一平の声はどこか歯切れが悪い。

「騒ぎが終わって、これ以上琴音に関わりたくないと思われても仕方ないんだけど……。彼女が唯一心を許していたのは、君とトーマくんだけだからね。君達の声なら彼女に少しは届くかもしれない」

 断る理由はどこにもなかった。

 タケルはすぐにトーマに連絡した。当然トーマも二つ返事だ。

 高乃城市民病院は最近改装されたばかりの大きくて綺麗な病院で、琴音の入院しているのは心療内科という病棟だった。

 静かな廊下を歩いていく。

「ここだよ」

 六〇三と書かれた札の前で二人は立ち止まった。一瞬顔を見合せ、なんとなくじゃんけんをする。タケルがパーでトーマがチョキだった。


<続く>

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