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タ・ケ・ル  作者: 高遠響
28/32

     <2>

 竜介につかまってじたばたしていたタケルの耳に咆哮が聞こえてきた。


 おおおおおおお……。


 思わず、タケルの動きが止まった。声は本殿の方から聞こえてくる。それは哀しみと怒りにうち震えた龍の咆哮だった。

「しまった」

 一平が初めて焦った声を出す。

 本殿の奥から白い閃光が走った。そして次の瞬間、白い光が本殿の屋根を吹き飛ばして夜空へと駆け上った。

 境内は一瞬、水を打ったように静まりかえった。

 壊れた屋根からゆっくりと黒い煙が立ち上り始め、辺りに鼻を突くきな臭い匂いが流れ始めた。

「龍が……降りた……」

 誰かが呟いた。

 ごおおお……っと唸り声を上げながら、熱風が境内を駆け抜ける。若い娘が甲高い悲鳴を上げなが

ら、石段の方へと駆け出した。

 それが合図だった。人々は叫びながら我先に逃げ始め、その場は一気に大混乱となった。警官の怒声も鋭い警笛も人々の耳には届かない。とにかく少しでもこの場から遠ざかりたい、それしか彼らの頭にはなかった。

「火龍が、蘇った!」

 人々の興奮はいつの間にか恐怖へと変わっていた。


 トーマはふらふらしながら笙の後を追いかけ、なんとか社務所を出た。境内では祭りの真っ最中のはずだが、そんな雰囲気は感じられない。警察官が大勢いるのが見えた。なんだかよくわからないけど、祭りは中止なのかも……。そんな事を思いながら、本殿の入り口にたどり着いた。

 その途端、白い光に弾き飛ばされた。

「わあああ!?」

 石畳にひどく叩きつけられる。

 とっさに身体を支えた左腕に激痛が走った。

 普段あまりけがをし慣れていないのでこういう痛みには免疫がない。あまりの痛みに泣きそうだ。タケルだったらきっと平気なんだろうけど……。唇を噛みしめ、身体を丸めて痛みに耐える。

 何が起こったのかわからないが、とにかく逃げなきゃ。巻き込まれてしまう……そう思った途端に琴音の顔が脳裏に浮かんだ。

 寂しそうな横顔。儚げな笑顔。

 そうだ、こんなところでヘタってる場合じゃない。僕だけ逃げてどうするんだよ。琴音ちゃんを助けなきゃ。腕の一本や二本、彼女を助けるためなら……。痛みは気持ちでコントロール出来るんだって、お母さんが言ってた。

 トーマは必死で自分に言い聞かせながら、顔を上げる。

 本殿の奥を見ると、木の龍が燃え上がっていた。その後ろの扉があけ放たれ、何かが動いているのが見えた。煙でよくわからないが、人影のようだ。

 トーマは立ちあがり、倒れそうになりながらも階段を上がると奥へと向かった。炎が広がろうとしている。木の扉からも、階段からも炎と煙が昇っていた。

 扉の傍には瀕死の根岸が倒れている。その横には煤けた男が二人、呻きながらなんとか立ちあがり、根岸を惹き起こそうとしていた。

 階段の下にかけより、上を見上げると階段の途中でぐったりした笙が倒れている。笙は火傷こそ負っていないが、腕と背中に刀傷があり、ひどく出血していた。

「大丈夫か!」

 血相を変えた警察官が駆けつけてくる。

「救急車を! けが人が!」

 トーマは叫びながら階段の上を見上げた。琴音が階段をのぼりつめ、窟に消えて行くのが見えた。

「琴音ちゃん!」

 トーマは腕の痛みも忘れて燃え上がっている階段を駆け上がった。


「トーマだ!」

 タケルは本殿の向こうに伸びている木の階段をトーマが昇っていくのを見た。

「あいつ、なんであんなとこにいるんだ」

 竜介が呟く。

「琴音を追っているんだ」

 一平が目を閉じて意識を集中する。

「……まずいな。琴音もトーマくんも、パニックになってる」

「とにかくここでは遠すぎる。もっと近くへ」

 竜介はタケルの腕をむんずと掴むと、人混みの中を走り出した。三人の進行方向にいる人間が不自然に左右に弾き飛ばされていく。竜介の力だろう。

「……すげぇ」

 タケルは思わず感心してしまった。

 本殿の入り口に辿りついた。

「ちっくしょ~! これじゃ入れないじゃないか!」

 タケルはわめく。

 火勢は確実に増していた。けが人を運び出すのが優先されたため、消火が間に合わなかったのだ。

 木の龍は炎の龍に姿を変えていた。そして、木の扉からも階段からも炎がめらめらと上がっている。まるでこれ以上の侵入を拒んでいるようだ。

「トーマ! 琴音!」

 タケルは炎の向こうに向かって思い切り大声で叫んだ。

 ふいに煙と炎の向こうから琴音の意識が聞こえてきた。混乱して、絶望して、自分を呪って、哀しみと憤りでわが身を焼き尽くそうとしていた。次第にその意識が細くなっていく。

 そして同時にトーマの意識が伝わって来た。琴音の名を呼んでいる。何度も何度も……。いつも穏やかで冷静なトーマが、狂ったように、琴音の名を呼んでいる。その声には溢れんばかりの慈しみと哀しみが詰まっている。胸が潰れそうなくらいの激情だ。トーマのどこにこんな激しい感情が隠れていたのだろう。

 タケルの中を白い稲光が走りぬけて行く。

 そうだ、この光景は見た事がある。俺はこの光景を知っている。

 デ・ジャ・ビュ……そんな言葉をタケルは知らない。が、勘違いなんかではない。確かにこの目で見たという確信があった。

「そうだ、あの、夢だ……」

 タケルは茫然と立ちつくした。


―燃え尽きろ……。皆、燃え尽きてしまえばいい……。

 

 頭に響く誰かの叫び。


―炎を操るこの吾が、それほど恐ろしいか。それほど憎いか。それほど吾はおぞましいか。吾は生きることすら許されぬのか。吾は呪われし者。誰にも受け入れられぬ、呪われし者。誰も吾を受け入れてくれぬ。いや、吾を慈しんだ者すら疎んじられる。


―良いのです。これで……良いのです。どれだけ皆がそなたを疎んじようと、わたしの、そなたを慕う心に嘘はない。そなたの痛みはわたしの痛み。そなたが己を呪い、己を焼き尽くすならば、この身もそなたと共に炎となろうぞ。そなたの炎に焼き尽くされるならば本望……。もしも来世があるのならば、わたしは必ずそなたと再びまみえましょうぞ。……たとえ、今生で共に生きる事が叶わぬとしても……。


「タケル?」

 一平がタケルを覗きこんだ。

「俺、見たんだ……」

 空へと立ち上る煙と炎。窟に追い詰められ、封じ込められ、寄り添いながら消えていく二つの魂。

ストロボのようにイメージが浮かんでは消えて行く。

「俺、見たんだ……」

 タケルは茫然と本殿を呑みこもうとする炎を見つめた。

 あの夢は、夢なんかではない。恐らく遥か昔に、この地で実際に起こった事。そして今また、同じ事が繰り返されようとしている。

 タケルは竜介を見た。

「おっさん! 俺を飛ばしてくれ!」

「は?」

 竜介の目が点になる。

「このままじゃあいつら死んじまうんだ! あの時みたいに、煙に巻かれて!」

 タケルは竜介の腕を掴んで思い切り引っ張った。

「俺はあいつらを助けなきゃならないんだ! 俺があいつらと一緒に飛び降りるから、おっさん、受け止めてくれ!」

「アホか! 俺を殺す気か?」

 竜介がこめかみをぴくぴくさせながらタケルの腕を振り払おうとすると、タケルは強い瞳で竜介を見据えた。

「今あいつらを助けられるのは、俺達だけじゃないか! 俺達がしなくて、誰がするんだよ!」

「……」

 竜介が不思議なモノを見るような目つきでまじまじとタケルを見る。一平が強い口調でタケルをいさめた。

「上は熱気と煙が充満している。君もただでは済まないかもしれないんだよ!」

「わかってるわい!」

 タケルは一平を睨みつけた。

「だけど、そんな事言ってる場合じゃない。ここで二人を見殺しになんかしたら、俺は一生俺を許せない!」

 一平は怖いくらいに真剣な表情でじっとタケルを見つめている。タケルの心を探っているのだろう。タケルは強い瞳で見返した。読みたけりゃいくらでも読めばいい。俺の気持ちは変わらない。

「お前ってやつは、本当に考え無しだな」

 竜介はそう言うと、いきなり背広を脱いで襟元を緩めた。サングラスを外すと一平に預ける。

「俺の脳みその血管が切れたら、お前のせいだからな。お前の親に慰謝料払わせてやる」

「ちょ、ちょっと、竜介!」

 一平が目を見張った。

 その一平を手で制すると竜介は上を見上げた。煙に邪魔されてよく見えないが、窟の位置を確認する。

「結構距離あるな……。」

 そして目を閉じて集中を高める。

「おっさん、コントロールに自信あるのかよ」

 タケルも窟を見上げて深呼吸した。心拍数が次第に上がって行く。

「俺を誰だと思っている」

 竜介は静かに息を整えた。竜介の中から、圧力を感じさせるような「気」が立ち上る。

 タケルは自分の周りの空気が、ふうっと周りの渦を巻いて動き始めるのを感じた。

 竜介の口から鋭い気合いが発せられた。

 次の瞬間、タケルの身体は一気に何かの力に弾かれ、空へ向かって放り投げられた。


<続く>


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