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タ・ケ・ル  作者: 高遠響
26/32

     <3>

 本殿の輿に座らされた琴音はぼんやりと目の前の光景を眺めていた。

 火が燃えている。大きな火……。顔がちりちりするくらい。ここはどこだろう。沢山の人がこちらを見ている。何を見ているの? 私を見ているの? ねえ、どうしてそんな妙な目で私を見るの……。

 頭が痛い。何かを一生懸命考えようとするのに、ちっとも頭が働かない。炎の暑さと自分に降り注ぐ人々の好奇の視線。その感覚だけが妙に生々しい。

「琴音さま。聞こえますか」

 耳元で男の低い声が響く。まるでお風呂の中で聴いているような、どこから聞こえているのかわからない。

「あの炎はあなたの炎。あなたが作った炎」

 そんなはずはない。わたしはあんな炎、作った覚えはない。

「美しい炎です。あの炎が全てを焼き尽くすのです。この世の汚れたモノを全て。あなたの炎はこの世の汚れの全てを焼き尽くし清めるのです」

 男の声がぼんやりした頭の中にじわじわと沁み込んでいく。

 わたしの炎。焼き尽くし清める。わたしの炎。

 琴音の中をその言葉がころころと転がり始める。

「あなたの炎は美しい」

 そうかしら。そんなこと初めて言われた……。そんな風に思う人もいるのかしら。美しい。そう……ね。こんなに一生懸命燃えている炎は、美しい……かも。

「でもこの炎はすぐに消えてしまう。ほら、小さくなってしまいそう。あなたが少し手を貸してくれれば、もっと元気になるのですよ。お願いします。ほんの少し、力を注いであげてください」

 男の声は優しくねだるような響きで琴音の中に響く。

 琴音は言われるままに右手を炎へとかざした。

 炎の熱気が手の平に伝わってくる。

 じゃあ、少しだけ。元気になってくれるなら……。こんなに頼まれたんじゃ……断れない。

 琴音は目を閉じた。自分の中の小さな炎がゆっくりと右手の方へと移動していく。

 さあ、炎よ。もっと元気よく、燃えなさい。

 大松明の橙色の炎が一瞬白く光り、膨らんだように見えた。

 

 ごおおおお………。


 龍の咆哮のような音が炎と共に空へと駆け上っていく。境内の群衆からひと際高い歓声が上がった。

「女神だ。龍の女神だ」

 誰かが叫ぶ。

 太鼓の音が激しさを増し、炎がますます高く夜空を焦がし始めた。

 タケルは言葉を失っていた。

 琴音が手を炎にかざした直後、耳がきーんと痛くなるような衝撃波がタケルの頭を直撃した。琴音の意識は曖昧で、何を考えているのかちっとも読み取れないが、琴音から発生したその波の強さは予想以上だ。

 境内に集まった人々の興奮の度合いがどんどん増していく。感極まって泣き出す若い娘、突き上げるような太鼓の音に合わせて憑かれたように身体を揺らす者、叫びながら本殿へ駆けあがろうとして取り押さえられる者。

 竜介が小さく舌打ちした。

「遅い。一平のやつ、何してる。押さえが効かなくなるぞ……」

 タケルは自分の周りを取り巻く激流にもみくちゃにされながら、必死で自分を保とうとしていた。

 まともにこの流れを受け入れていたら自分がパンクしてしまう。なんとかして自分の中に流れ込もうとする狂気の思考を遮断しなくては……。しかしまだタケルはその術を身につけてはいない。

「ダメだ」

 タケルは遂に耐えきれなくなり、その場にへたり込んだ。

 と、その時。

 石段の方から激しく言い争う声が響き、警察官が大勢なだれ込むように境内へと昇ってきた。

「困ります!」

 黒装束の男達が血相を変えて警察官を押しとどめようとするが、警察官達は構わず境内に入り込んでくる。

 異様なまでに興奮していた群衆は水をかけられた野良犬のようにあっけに取られて警察官達を眺めている。

「責任者はどこですか!」

 背広を着たゴリラのようないかつい男が警察手帳と薄い紙を手に前に進み出る。左腕の時計を見ながら日付と時間を告げると、

「火龍教本部火王神社、家宅捜査に入ります。はい、これ、令状!」

 畳みかけるように言い放った。

 太鼓の音が止まる。今までとは違う、困惑と不安に満ちたざわめきが徐々に広がり始めた。大松明のぱちぱちとはぜる音が妙に大きく聞こえてくる。

 警察官達は群衆を取り囲むように境内の隅々と参道沿いに立った。何が起こったのかわからない人々はあっけにとられ、あるいはうろたえながら辺りを見回している。

 本殿で太鼓を叩いていた男も茫然と立ちつくしていたが、はっと我に返り、近くにいた女に目配せをした。女は小さく頷くと社務所の方へと走っていく。

 警察官が一人本殿へと上がってきた。鋭い視線で周囲の者をけん制しながら、ゆっくりと琴音に近づく。

 琴音は焦点の定まらない瞳のまま、ぼんやりと座っているだけだ。

「真山琴音さん、だね?」

 警官は声をかけながら、用心深く琴音の前で身をかがめた。

 その途端、太鼓の前にいた男が獣のようなうなり声を上げて警察官へと突進した。体当たりを食らわし、警察官を跳ね飛ばす。

 床にふっとばされた警察官はすぐに立ちあがった。血走った眼で睨みつける男をぎらっと睨み返した。

「公務執行委妨害で逮捕する!」

 警察官の鋭い声が響く。同時に男がまたしても床を蹴り、警察官につかみかかった。

 それが合図になった。

 境内で警察官と押し問答をしていた黒装束の男達が一斉に暴れ始める。それに呼応するように、群衆が騒ぎ始めた。

 境内は一気に混乱した。


 境内が蜂の巣をつついたようなさわぎになっている頃。

 根岸はトーマを土蔵の前に立たせた。トーマも琴音と同様、まだ薬が抜けきらずふらふらしている。根岸はその手に鍵を握らせる。そして、トーマの耳に口を寄せると囁いた。

「この扉を君が開けるんだ。中にいる笙くんを、琴音さんのお兄さんを出してあげてよ」

 トーマは立っているのがやっとだったが、手にした鍵を握りしめながら根岸を見た。

「……どうして、僕が」

「彼を閉じ込めたのは私だよ? 私がこの手で鍵を開けてみなさい。彼は怒り狂って私をぼこぼこにしてしまうだろ」

 根岸の声は笑いを含んでいる。

「私は平和主義者だから争うのは嫌いなんです。殴られるのも嫌いだからね。君なら笙くんも殴ったりしない」

 なにかがおかしいような気がする。トーマは頭を振る。なんか違うと思いながら、少しも頭が働かないのが腹立たしい。

「あなたは、どうするんですか」

「私は本殿にいるよ。琴音さんの晴れ姿を見守りにね」

 くくくと小さく笑う。ああ、嫌な笑いだ。何かきっと良くないことを考えているに違いない。トーマは土蔵の壁にもたれながらうらめしそうに根岸を見る。

「笙くんさえ出してくれれば、君の仕事はおしまい。後は好きにすればいい。家に帰ってもいいよ。ただし車は出せないけど。そうだ、帰りの地図くらいは書いてあげよう」

 根岸はいやらしく笑いながらトーマの肩をぽんぽんと叩くと、社務所の方へと戻っていく。

 トーマはぼんやりとその後ろ姿を見送った。そして手の中の鍵を見る。古びた長い鍵だった。何が起こるかはわからない。でも、この土蔵の中の琴音のお兄さんを出して上げなくてはならない。だって、琴音ちゃんに約束したじゃないか。必ずお兄さんを助けようって……。ぐるぐると取りとめない考えが浮かんでは消える。

 土蔵の扉にはがっちりとカンヌキがかかってあり、それをいかめしい南京錠が封じてある。手の中の鍵はこの南京錠の鍵のようだ。

 トーマは南京錠のカギ穴に鍵を差し込もうとした。が、指先が細かく震えてなかなか入らない。ずいぶん苦労してようやく差し込むと、ゆっくりと回した。がちゃりという重い音が響く。

 南京錠を外し、閂を抜き取った。

 土蔵の扉をゆっくりと開ける。

 そこには笙が立っていた。

 その姿はまるで青白い幽鬼のようだった。整った顔立ちに血の気はなく、目だけが鋭く光っている。そして身体全体から怒りが湯気のように立ち上っているのが見えるようだった。

「琴音ちゃんの、お兄さんですよね?」

 トーマは笙を見上げた。

「……君は誰」

 扉を開けたのが見ず知らずの子供だったので、少し驚いたのか、笙の瞳からわずかに鋭さが消えた。

「琴音ちゃんの、友達です。琴音ちゃんを、助けてください」

「……琴音を助ける?」

 笙の口から出る言葉には鋭い刃が宿っているようだった。

「根岸さんを止めてください。琴音ちゃんは、利用されてるだけなんです!」

 すがりつくようにしてトーマは訴えた。笙の目が細くなる。

「……琴音はどこにいる」

「多分、本殿に。今、儀式の真っ最中のはずです」

 笙は黙って空を睨んでいたが、きびすを返し土蔵の奥へと入っていく。再び現れた時、笙の手には一振りの刀が握られていた。

「!」

 トーマは思わず息を飲んだ。笙はその刀を手に風のように駆けだした。引き留めようとしたが、身体がついていかず、トーマはそのままひっくり返ってしまった。

「ちょ、ちょっと! 笙さん!」

 なんだかまずい事になりそうだ。トーマはよろよろしながら立ちあがり後を追った。


<続く>



いよいよクライマックスへ……。

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