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タ・ケ・ル  作者: 高遠響
23/32

     <4>

 トーマと琴音の身になにが起こっているのか、タケルは知る由もなく、縁の下から出るタイミングを見計らっていた。相当長時間縁の下に潜んでいるのだ。そろそろ外に出たかった。

 ここは相当に居心地の悪い場所だ。途中ででかいクモや足の長いへんな虫にたかられて、危うく悲鳴をあげそうになったりしたが、それはなんとか我慢出来た。我慢できないのは床板の隙間からしみだしてくる、どろどろしたエネルギーだった。

 大勢の大人がいる。それもなにかしら屈折した、歪んだエネルギーを心の中に抱え込んでいる大人ばかりだ。どろどろした負の思考。妬み、怨み、怒り、絶望、復讐……、そんな名前をつけられた闇のエネルギー。干上がったドブ池のヘドロ臭いぬかるみに足を突っ込んでしまった時のような感覚だった。不愉快なのに絡めとられる。なんとか足をひっこ抜こうとするのに、まるで泥の奥へと引き込もうとするような吸引力がある。得体の知れない力が自分を取りこもうとしている。

 むかむかしてきた。ここに長くいては危ない。アラームがタケルの頭の奥で鳴り始める。

 タケルはここから出る事を竜介に告げた。

「……仕方ない。庭で隠れてろ」

 竜介の声が耳に届く。

 タケルは様子をうかがいながらダッシュで縁の下を飛び出した。そのままの勢いで、庭木が密集している植え込みに飛び込み、そのまま土蔵の裏へと移動した。誰にも気づかれてはいないようだ。ようやく一息つけるというものだ。

「俺ってば忍者みたい……」

 ちょっと面白い。

「調子に乗るな、このアホ!」

 竜介が間髪いれず突っ込んできた。まったく子供心を解さないおっさんである。

 しばらくしてから、タケルは気を取り直し、母屋の方に意識を集中した。

 建物の中はますますざわめきを増し、忙しそうだ。人の出入りも激しくなっているし、中の人々の興奮度もどんどん上がっている。まるで脈拍のようにドクンドクンと興奮が伝わってくる。

「境内にも人が増えてきている。俺も一度移動するから、お前はもう少しそこで隠れてろ」

 竜介の声が聞こえてくる。

 それはいいけど、いつまでここにいなきゃいけないんだ? とタケルは口に出さずに竜介に問いかけた。

「儀式が始まれば人間も外に出る。その時にどさくさにまぎれて出てこれるだろう。とにかく俺が良いというまでそこで待機だ。いいな」

 タケルは顔をしかめた。さっきから蚊に食われまくっている。かゆくて仕方ない。

「どれだけ蚊に食われたって出血多量にはならん。お前みたいな血の気の多いガキは、たくさん吸われて丁度いいくらいだろうよ」

 まったく竜介は意地が悪い。タケルはとほほ~と頭を抱えた。

「あ~、腹減ったな~。よく考えたら朝も昼も食ってないじゃん」

 ぶつぶつと小声で文句をたれる。

 今までは気が張っていたから空腹も感じなかったが、やることもなくここで膝を抱えているとそんなくだらないことを思い出す。

 腹減った腹減ったとひたすら考えていたら、イヤホンから竜介のあきれた声が飛んで出てくる。

「お前、どういう神経だ。よくこういう状況で腹が減るもんだな」

「しかたねえだろ。育ち盛りなんだから」

「寝てろ。寝てたら腹も減らん。省エネモードだ」

「ちぇっ、何が省エネモードだよ。俺はハイブリッドカーか」

「そんな高級車とも思えないがな」

 大きなお世話だった。

 あほなやり取りだったが、竜介もそれなりにタケルを気遣っているのだろう。

 タケルは土蔵の壁にもたれると目を閉じた。

 建物から聞こえてくる人の気配の波をうち消すように、ざわざわと山の木々がざわめく。

 セミの声がとぎれとぎれに耳に届く。

 時々霧のような冷気を帯びた薄い気配が風に乗って周りに満ち溢れる。

 なんの気配だろう。今まで似たような波長を感じた事はない。それは人間のそれではないような気がした。得体の知れない、しかし、不思議に怖いというような感じもない。むしろ神聖な、清々しい、湖の水面みなもを渡る風のような……。

 タケルはその霧に意識を集中した。気持がふうっと吸い込まれるように心の奥底に沈み込んでいく。 

 深い湖の底へ……。


 強い風が吹きつけている。その風には鼻を突くような刺激臭が含まれていて、目を開けるのがためらわれた。嫌な匂いだった。

 ようやく開けた目の前には、灰色の重苦しい雲で覆われた空と緑色の波打つ峰々が広がっていた。

 ひと際強い風が吹き、もうもうたる煙がタケルを取り巻いた。思わず顔をそむける。その刺激臭は明らかに何かが燃えている匂いだった。

 眼下には小さく集落が見えた。そのところどころから、黒い煙が立ち上り、谷間を渡る強い風がその煙を巻き上げ、こちらに向かって渦を巻くように空を駆け上ってくる。炎が噴きあがり、火の粉が一気に舞い上がる。

 炎の龍だ……。龍が空を駆け上ってくる。

 タケルはうねりながら空を駆けまわる煙と炎の渦を見つめた。それは、のたうちまわる龍の姿だった。


―燃え尽きろ……。皆、燃え尽きてしまえばいい……。

 

 誰かの叫びが頭に響く。


―炎を操るこのわれが、それほど恐ろしいか。それほど憎いか。それほど吾はおぞましいか。吾は生きることすら許されぬのか。


 それは怒りと悲しみに満ち溢れた、血を吐くような声だった。


―吾は呪われし者。誰にも受け入れられぬ、呪われし者。


 炎はいつしか集落を焼き尽くし、周囲の木々へと燃え移る。炎と煙が恐ろしい勢いで増殖していく。


―誰も吾を受け入れてくれぬ。それどころか、吾を慈しんだ者すら疎んじられる。


 燃えたぎるマグマのような感情の激流がタケルの周りを取り囲み、タケルは思わず胸を押さえて身体を丸めた。余りの熱さに胸が苦しい。その熱さは木々を舐める炎のものではない。怒りと悲しみに満ち溢れた激情の炎だ。

 二三歩後ずさる。と、そこが岩場に開いた洞窟であるという事に初めて気がついた。山間を駆け抜けてきた風がこの岩肌に当たり、長い時間をかけて抉った風穴だ。

 熱い風と煙が風穴の中に容赦なく流れ込む。


―良いのです。これで……良いのです。

 

 かぼそい呟きが切れ切れに聞こえてくる。


―どれだけ皆がそなたを疎んじようと、わたしの、そなたを慕う心に嘘はない。そなたの痛みはわたしの痛み。そなたが己を呪い、己を焼き尽くすならば、この身もそなたと共に炎となろうぞ。そなたの炎に焼き尽くされるならば本望……。

 

 胸が痛くなるような優しさと慈しみに満ちたその声は次第に細くなっていく。最後の力を振り絞って、命のともしびを燃やそうとしている。そんな思いがタケルの胸に迫って来る。


―もしも来世があるのならば、わたしは必ずそなたと再びまみえましょうぞ。……たとえ、今生で共に生きる事が叶わぬとしても……。


 ダメだ。このままではこの人は死んでしまう。この人を死なせてはいけない! 焦りながら辺りに目を凝らす。声は窟の奥から聞こえてくる。タケルはもうもうと立ち込める煙を必死で突き進む。この奥で死にかけている声の主を救わなければ!

 煙の向こうにうっすらと人影が見える。

 人影は二つだった。

 倒れている女とそれを胸に抱きしめる男。

 

 おおおおおお………


 岩肌がきしむような咆哮が響き渡る。身の置き所のないほどの愛おしさと悲しみが、堤を突き破った鉄砲水のような勢いでほとばしる。


 なにゆえに。

 なにゆえに。

 なにゆえに。

 

 タケルは激流に押し流されて、窟から空中へと放りだされた。

耳元で風が唸る。身体に絡みつくような煙と感情の流れにもみくちゃにされながら、落ちて行く。


 どうした! 返事しろ!


 誰かが耳元で叫ぶ。


 はっと目が覚めた。

鼻先に木の枝と、緑の葉っぱが揺れている。あれ、ここ、どこだ? と、辺りを見回した。

白い土蔵の壁、木の匂い、ざわつく気配。

「あ……あ、そうだ」

 トーマと琴音を見つけて、縁の下から出て、土蔵の裏で隠れてたんだ。

「どうした、大丈夫か」

 耳元で押し殺した竜介の声が聞こえる。

「……大丈夫だけど、俺、寝てた?」

 タケルはごしごしと目をこする。今のは夢だったのか? いや、寝ていたという実感はない。でも、夢にしてはあまりにも生々しい。煙の臭いがまだ鼻についている。タケルは自分の腕や服を匂ってみた。汗と砂ぼこりの臭いは微かにするが、煙の臭いはまったくついていない。くんくんと周囲の空気を匂ってみたが、そこからも煙の気配はない。

「やっぱり夢……だったのか」

 タケルは首をかしげた。

「一時間近く黙り込んでた。思考すら飛んで来なかった。何があったのかと思ったぞ」

 竜介の声からわずかに緊張がほどける。

「そんなに長い時間? ひゃ~」

 自分でもびっくりだった。

「夢を見てた……ような気がするんだけど。なんか、不思議な……。そうだ、洞窟の中にいたんだ。人がいて……」

「無事ならそれでいい」

 竜介が遮る。

「その話は合流してからゆっくり聴く。それより、もうそろそろ心構えしておけ。動きがありそうだ」

 タケルは唇を尖らせたが、腰を上げ、小さく身をかがめ木の陰から建物の方を窺がう。人の気配が少しずつ移動していくのがわかる。建物の外、境内の方へと向かっているようだった。

 よし、いよいよだ。トーマ、琴音、待ってろよ。タケルはちろっと舌舐めずりした。


<続く>

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