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閑散とした民宿にただ一人取り残されたタケルは、することもなく畳の上にあおむけに寝転がり天井を眺めるしかなかった。
暇を持て余してごろごろと畳の上を転がっていたが、ふとちゃぶ台の上に置いてあるリーフレットを手にした。
「火王村観光案内……観るトコあるのか~?」
手作り感満載のリーフレットを開くと、村の中の地図に観光ポイントが描かれてある。
村営のアスレチックや、道の駅があるらしい。季節によってはアユやアマゴを釣る事も出来るようだ。そう言えば祭りの頃には客が多いとさっきのおばあさんも言っていた。
地図を辿っていた指がふと止まる。そこには「火王神社」と書いてあった。
「火王神社……千年以上の歴史を誇る神社で、村の名前の由来になっている火龍を祀っている。火王村のシンボル的なスポット……。これって」
タケルは慌てて起き上がると座りなおした。いつもなら絶対にスルーしてしまうような細かい文字を一生懸命辿る。
『火龍伝説』~火王村伝承より~
昔むかし、海を渡って一匹の恐ろしい龍がやって来た。
そして村の近くにある山の中腹の窟に住みついた。
龍は口から火を吐き、野を焼き、山を焼き、村を焼き、村人はたいそう難儀した。
何度か都から誉れ高い武将がやってきたが、龍の炎の前になすすべもなく焼き尽くされた。
困り果てた村人は龍を鎮めるために人身御供を立てることにした。
人身御供には村で一番美しい娘が選ばれた。
娘は花嫁衣装を身にまとい、窟へ送り込まれた。
不思議な事に、それ以来、龍はぷっつりと姿を見せなくなった。
村人は窟の前に祠を建て、龍と、龍を鎮めた娘を祀った。
それから数年後、祠の前に赤ん坊が捨てられていた。
不思議な事にこの赤ん坊は火を操る事が出来た。
故に村人たちはこの赤ん坊を「龍の子供」として恐れ敬い、たいそう大切にした……。
「龍の子供……火を操る……」
タケルの脳裏に琴音の顔が浮かぶ。パイロキネシス、発火能力保持者。さっき確かに一平はそう言った。
「火王村のシンボル……火王神社……火龍教……」
ぐるぐると言葉が頭の中を駆け巡る。
「……龍の子供? 琴音は、龍の子供? まさか、そんな話……あり得ないよな? でも」
タケルは茫然とリーフレットを握りしめた。
翌朝タケルの目が覚めたのはまだ明るくなりきらないうちだった。目に入って来たのは黒く変色した古い天井。ここ、どこだ? そうだ、ここは火王村だ。
タケルは昨日の出来事を頭の中で再生しながら、もそもそと身体を起こした。部屋の中は自分が寝っ転がっている布団だけで、竜介が帰ってきた気配もない。
「マジでほったらかしか……」
タケルは頭をかきむしった。冗談じゃない。このまま何もしないでこんなところでごろごろしているなんて耐えられない。
タケルは寝る前に枕元に脱ぎ散らかしたはずの自分の服を探し、手早く着替えた。椅子の上に置いていたレガース(脛当て)を手にとってしばらく考えていたが、それも身につけた。ユニフォームを着ると気が引き締まる。これはタケルにとって戦闘服なのだ。
タケルは地図の載ったリーフレットを手に玄関に向かった。
廊下はまだ真っ暗といっても良いくらいの静けさが満ちている。そこを猫のように足音を忍ばせて歩いていく。玄関で自分のシューズを履き、そうっと引き戸を開けた。思ったよりも大きな音に一瞬首をすくめるが、人の気配はないようだった。
外に出ると、胸一杯に空気を吸い込んだ。山の匂いが満ち溢れ、しっとりと湿り気を帯びた朝の空気が心地よい。山の自然から元気をもらえそうだ。
タケルは朝もやが立ち込める中へと駆け出した。
地図を見ながら川沿いの道を足早に歩く。とにかく火王神社とやらにたどり着きたい。そこが琴音に縁のある場所である事は間違いない。火龍教だとか仲間割れだとか、そんな事はどうでも良かった。トーマの無事を確かめなければ居ても立ってもいられない。
地図上では目と鼻の先のようだが、かなり大雑把な略図だったようである。三十分経ってもそれらしい目印には辿りつかない。もしかしたら見逃して行き過ぎたのか。
「この地図、めっちゃウソつき」
タケルはリーフレットを指でぱちんと弾いた。
遠くで微かに爆音が響いている。
ふと前を見ると、道路から少し下にある田んぼに続く斜面を草刈り機で草刈りをする人が見えた。草刈り機の作動音が広がる田んぼの上に響いているのだった。
タケルはその人に近づくとおそるおそる声をかけた。
「あのお、火王神社ってどこですか」
麦わら帽子をかぶって草刈り機を操っていた男は顔を上げた。
「はあ?」
作動音がやかましくて、タケルの声が聞こえていなかったようだ。タケルの姿を見て草刈り機を止める。そしてタケルの頭の先から足の先までじろじろと見る。見慣れない子だな……どこの子だ? 男の“声”がタケルに伝わってくる。
「おはようございます。あのぉ、火王神社ってどこですか?」
タケルは大声で聞いた。
「火王神社かぁ? あそこに橋があるだろぉ、あの橋渡ったらすぐに鳥居があるから。その上だぁ」
「ありがとうございました!」
タケルは頭を下げると小走りに先を急いだ。麦わら帽子の男は手を止めたままじっとタケルの後ろ姿を見送っていたが、またすぐに草刈り機の音が響き始めた。
橋にはすぐにたどり着いた。古い木造の橋だ。欄干から身を乗り出して下を見ると、透明で冷たそうな水の中に小さな魚がすばやく泳ぎまわっているのが見える。川はところどころ深い翡翠<ひすい>色で白い水の流れが生き物のようにうねり流れて行く。
流れに足をつけてみたい衝動にかられたが、今は押さえて橋を渡った。
橋を渡り切るとアスファルトが途切れて地道になる。そしてその先に大きな石造りの鳥居があった。
「あった……」
タケルは鳥居を見上げると目を閉じた。
大きな深呼吸をする。
頭の中のアンテナをうんと広げてみる。
トーマの気配はまだ感じられない。が、タケルを包みこむように静かなさざ波が打ち寄せられてくる。穏やかで静かなその波はどこか懐かしい。時々こんな空気の場所がある。そのさざ波の源はなんなのかタケルは知らないが、そういうところでは不思議に心が落ち着く。
タケルは目を開けた。薄い朝もやと深い緑の木々の中にまっすぐ続く参道がある。
「……よし、行くぞ」
タケルは駆けだした。
<続く>