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琴音の、長い話が終わった。
いつの間にか天窓から入ってくる光はなく、裸電球のオレンジ色の光がぼんやりと辺りを照らしていた。
琴音は膝を抱え、腕の中に顔を埋めていた。トーマはその隣で同じように膝を抱えながら天井から頼りなげにぶら下がっている電球を見上げていた。
なんだかとても切なかった。同じ国に生まれて、同じ歳で、どうしてこんなに背負っている物がちがうのだろうか。琴音になんと言葉をかけたらいいのだろう。可哀そうとか、気の毒とか、そんな言葉をどれだけ並べたところで、琴音が抱えている重荷や哀しみをトーマはどうにもしてあげられない。
自分はどうなんだろうか。ふとそんな事を思う。
物心つく頃には母親と二人の生活になっていた。大学病院で研究者をしていた父は母と離婚した後、外国へ行った。今はアメリカの大学にいるらしい。年末にクリスマスカードが来たり、時々母にメールが来たりするようだが、実際のところトーマの中に父の記憶はほとんどない。それは琴音と一緒だ。
トーマの母、咲子は優秀な看護師で、いつも凛としていて冷静で堂々としている。ぶれも揺るぎも感じさせない。「私達が迷ったら、患者さんも迷うのよ」と、後輩に指導しているらしい。それはトーマに対しても同じだった。職業柄か、どんな緊迫した状況でも、落ち着いて状況を観察し、把握する。
今頃どうしているだろうか。病棟を走り回っているのだろうか。もう自分が誘拐された事を知っているのだろうか。
「……ごめんね、トーマくん。お母さん、心配してるね、きっと」
トーマの気持ちに答えるように、琴音が顔を埋めたまま謝る。
きっと母は心配しているだろう。母一人子一人だ。立派すぎるくらい立派な母だが、一人息子を思う気持ちは誰にも負けない。それはトーマに充分届いていた。死ぬほど心配しているだろう。そんな事を思うと涙が出そうになる。
ふとトーマは琴音を見た。
琴音の前で自分は泣いたらダメだ。絶対にダメなんだ。トーマは自分に強く言い聞かせた。僕には、僕の事を大切に思ってくれる家族がいる。死ぬほど心配してくれる母がいる。兄弟のように育ったタケルという親友がいる。でも、琴音には誰も心配してくれる人はいないのだ。僕が泣いたら、琴音ちゃんは絶対に自分自身を許せなくなるに違いない。
「……大丈夫だよ」
なんの根拠もない言葉だとはわかっている。
「大丈夫だよ、きっと」
しかし、トーマは繰り返した。何か言わずにはいられなかった。それは琴音に対する言葉でもあり、自分を励ます言葉でもあった。
「知ってる? 想像出来ることはなんでも現実になる可能性があるんだって。だから、大丈夫って思えば、きっと大丈夫なんだよ」
これは母親の受け売りだ。「病は気からって言うでしょ。重病だと思えば、大したことない病気でも重病になっちゃうし、大丈夫なんだって思えば大変な病気でもよくなる事もあるんだから」と。そう、だから、駄目だと思ったら駄目になるし、大丈夫だと思ったらきっと大丈夫になる。強くそう信じる事が肝心なんだ。僕が迷ったら、きっと琴音ちゃんも迷う。
トーマはきっぱりと言った。
「大丈夫に決まってるんだから……」
<続く>