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囚われの身となったトーマと琴音。琴音は自分の生い立ちを語り始める……。
琴音の父は真山貴臣といい、この火王神社で神主を務めていた。母は鈴子という。六つ年上の兄、笙がおり、琴音が三歳までは四人家族だった。
琴音には父親の記憶がない。彼は琴音が三歳の時に不慮の事故で亡くなったと聞いている。父の死については誰も教えてくれないので、琴音は未だにその原因を知らない。父の死後、神社は母の鈴子が護っていた。
神社の後継ぎは兄の笙と決まっていたが、いつの頃からか、とある噂が氏子達の間で囁かれ始めた。
真山家の娘は龍の印を持っている、と……。
龍の印。母はその噂を打ち消そうと必死になっていたが、次第に周囲の琴音を見る目は変わってきた。
「火龍の娘だ」
そう囁かれ、恐れられながら琴音は育った。小学校に上がってもその噂は琴音にまとわりつき、友達もほとんど出来なかった。
三年前、小学校が廃校になったのを機に琴音は東京の寮のある小学校に転校する事になった。
このままでは琴音の存在が火龍教と火王村の秩序を乱す原因になってしまう。そして真山家と火王神社の後継者である兄の存在をも脅かす事になるかもしれない。
そんなことになる前に、琴音を村から出した方がいいと古くからの信者達が母に進言したのだ。事実、琴音を火龍教の中心にしてはどうかという声があちらこちらで聞こえ始めていた。
鈴子は迷った。
まだ琴音は幼い。一人東京に出すなど、母親として首を縦に振る訳はない。
しかし一方で、鈴子は真山家と火龍教を護るという使命も持っていた。生まれた時からずっと火龍教の中で育った鈴子にとって、その使命は絶対的なものだった。
真山家は封じ込められた龍を鎮め続けるための血筋である。龍の印を持つ娘が後継者になるなどとんでもない話だ。そして、正式な後継者である笙の立場を守るためにも琴音は村から出さなければならない。悩みに悩んだ末、鈴子はそう決断したのだ。
東京での生活は驚きの連続だった。綺麗でお洒落な校舎や敷地、可愛い制服、何もかも村にはない物ばかり。外国人の生徒や先生が当たり前のようにその空間に溶け込んでいた。まるで外国に放り出されたようなものだった。
最初は戸惑う事ばかりだったが、だんだん琴音もその環境に慣れてきた。周囲は琴音の事を何も知らないのだ。龍の印だの、火龍の娘だのといった余計な雑音に悩まされる事もない。自分の事を白い目で見られる事も、恐れられる事もない。親友などと呼べる存在はいなかったが、普通に話ができるクラスメートがいるというだけでも琴音にとっては新鮮で楽しいことだった。
このままこの学校で大きくなっていくのだろう。そして村とは全く縁のない世界で、一人で生きていくのだろう。子供心に琴音はそう感じていた。それも悪くないかもしれない。そんな風に漠然とした覚悟を持ちつつあった。
しかし思いがけない事が起こった。今年になって母が亡くなったのである。その葬儀のため久しぶりに帰省した時、兄である笙の自分を見る目の冷たさに、あらためて故郷には自分の居場所はないと実感した。
自分の存在が兄にとって邪魔なものでしかない事はうんと小さな頃から肌で感じてきた。兄は今、神主となり神社を継ぐための修行に入っている。そんな兄が琴音の帰省を望んでいないのは明らかだった。経済的には援助してやると言ってくれたが、その口ぶりは琴音を完全に突き放したものだった。二度とここには帰れない……琴音はそう思った。
そんな時、一人の男が琴音に近づいてきた。
根岸雄次だ。根岸は火龍教の裏方として長年仕切って来た男である。まだ大学生だった頃、研究のため火王村にやってきた。それから二十年以上の間、火龍教の研究をしながら、神社の事務的な仕事を引き受けてきた。事実上、神社の影の主と言っても良かった。
本音を言えば、琴音はこの男が苦手だった。顔はいつもうすら笑いを浮かべているが、目は少しも笑っていないのだ。何を考えているのかわからなかった。それでも母の鈴子はこの男を心から信頼して、全てを任せているようだった。
その根岸が琴音に囁いた。
「火龍教はもっともっと大きな可能性を秘めている。もっとも、君がその中心となってくれれば……の話だが」
琴音は断った。根岸の言葉に何やら邪悪な物を感じたのだ。
葬儀が終わると東京にすぐに戻った。が、根岸はあきらめなかった。東京にもしばしばあらわれ、琴音にしつこくまとわりつき、自分の元にこないかと誘い続けた。次第にやり方はエスカレートしていき、しまいには見知らぬ若い男がストーカーのように付きまとうようになってきた。
夏休みが近づくと学校も寮も人気がなくなる。困った琴音は学校と相談し、警察に届けた。
その翌日、琴音の前に二人の男達が現れた。中辻一平という優しそうな男と、イケメンだが近寄りがたい雰囲気の高野竜介だ。
「初めまして、真山琴音さん。あなたの身柄を保護するために来ました。警察の者と思ってくださって結構です」
直感でこの二人は自分と同じ種類の人間であるということを感じた。信頼とか信用とか、そういう類ではなく、本能でそう感じたのだ。
そして琴音は一平の自宅のある高乃城でひと夏を過ごす事になった。
<続く>