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タ・ケ・ル  作者: 高遠響
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祭りの夜に<1> 

     1.祭りの夜に


「じゃあ、お楽しみの通知表を渡すぞお!」

 担任の成田先生が大声を張り上げた。途端に六年一組の教室の中は「え~」とも「ぎゃああああ」とも「はあああ」ともつかぬような子供たちの声で満ちあふれた。

「夏休みだからって浮かれて遊びまわっている場合じゃないぞお。この通知表をありがた~く受け取って、夏休みの過ごし方をよおく考えるようにな!」

 ひょろっとしていて銀ぶち眼鏡の成田先生はにやにや笑いを浮かべている。いつもにこにこしているのはいいが、こういう時は憎たらしい。

 成田先生は名簿順に名前を呼び始めた。

 タケルは机の上に顎<あご>を置くと、どんよりとした顔で前を見る。

「川上タケル! おい、タケル!」

 成田先生の非情な声が飛んでくる。カ行なんてすぐ回ってくるから大嫌いだ。

 タケルは力なく立ちあがると、見るからに嫌そうな顔でのろのろと前に出た。

 くすくすと女子の笑い声が聞こえる。

「見る前からそうがっかりするなよ。頑張ったよ、うんうん、体育はな」

 成田先生は笑いながら通知表を目の前に差し出した。

「二学期は運動会があるじゃないか! お前の華麗な走りを見せてやれ! しっかり夏休みに鍛えとけよ。宿題をしてからだけどな」

「あ~~~もう!」

 タケルはひったくるように通知表を受け取ると、どすどすと大股で自分の席に戻って勢いよく座った。また女子がくすくす笑う。

 二つ折りの通知表を少しだけ開けて、顔を突っ込むようにして見る。

「…………」

 体育は全項目「よくできる」だ。これは予想通り。問題はその他だが……。

 無情にも五段階のど真ん中から下がずらりと並んでいる。社会に至っては全ての項目が一番下と来ている。予想通りと言えば、予想通りではあるのだが……。

「……まずい。これはまずい」

 パタンと通知表を閉じると、机の上に置き、その上に頭を乗せた。

 教室のそこかしこから、タケルと同様の焦りの“声”や、嬉しそうな“声”が波のように聞こえてくる。


 やった! これでゲームソフト、ゲットだ!

 わあああ、こんなの見せたら母ちゃんに殺されるかも。

 やばい! やばすぎる!!

 びみょ~な内容だぁ……。塾でなんて言われるかなぁ。


 タケルはその“声”をぼんやりと聞きながら大きなため息をついた。多分俺が一番やばいんじゃね~? 心の中でそう呟く。

 軽やかなチャイムが鳴り響き、教室の中のざわめきは一層大きくなった。

「なんだかんだ言っても、小学校最後の夏休みだ。皆、楽しんでこいよ。事故と病気には十分気をつけてな! 起立、礼!」

 成田先生の言葉を合図に教室のにぎやかさは最高潮に達した。

 タケルはやけくそのようにカバンの中に通知表を突っ込んだ。そして勢いよく椅子を机の中に入れた。

「タケル! どうだった?」

 クラスメートがばんっと勢いよくタケルの背中を叩く。

「いってぇ!」

 タケルは大げさに痛がって見せた。

「骨折れた!」

「お前の骨がこれくらいで折れるか!」

 友人はけらけらと笑う。

 タケルは体育だけが取り柄というだけあって、それほど大柄ではないが猟犬のようにしなやかで軽やかだった。確かに背中をはたかれたくらいで骨が折れるはずもない。足も速いので、クラスの男子の中では一目置かれている。地元のサッカークラブに入っていて、レギュラーとして活躍していた。日に焼けた顔に、強い生命力を感じさせる瞳が印象的な少年だった。

「で、どうだったってば」

「聞くな……」

 タケルは顔をしかめて見せた。友人はにやにや笑いながら頷いた。

「いいんじゃね? 天はニモツを与えずって言うじゃん」

「なんだよ、それ」

「それで勉強まで出来たら、嫌われてるってこと」

「バカってことじゃねーか!」

「そうとも言うな。じゃあな!」

 友人はそう言いながら走って教室を出た。その後ろ姿にタケルは苦笑いしながら手を振った。そして、教室の一番奥の席に向かって叫ぶ。

「トーマ! 帰ろうぜ」

「うん」

 自分の席で荷物をまとめていた山本冬馬、トーマはゆっくりと立ち上がる。小柄で色白で眼鏡をかけているトーマは、タケルとは対照的に、見るからに秀才といったところだ。実際、トーマの成績は恐らく学年で一番に違いないとタケルは信じている。タケルを始め、クラスの何人かの男子はわからない問題があるとトーマに教えてもらう事にしている。トーマの教え方は先生よりも上手いというのがもっぱらの評判だ。わかりやすいし、根気よく教えてくれるし、なによりもうれしいのは、自分の親のように「なんでこんなのがわからないの!」などと言わないところだ。成田先生はトーマの事をプチ孔明などと呼んでいる。ちなみに孔明というのは三国志というやたら長い物語に登場する中国の賢人である。それくらい賢いのに、それを鼻にかけることなくいつもニコニコしているところが、いい。

 意外な事にトーマはタケルの親友なのである。見た目も中身もまったく違うのに、しょっちゅう一緒にいるので、二人は「オセロ」とクラスメートから呼ばれていた。勿論、黒い方がタケルで白い方がトーマだ。ちなみにオセロをトーマとタケルがすると、ほとんどパーフェクトでトーマが勝つというのは言うまでもない。

「なあなあ、トーマ」

 タケルは少し声をひそめる。

「天は荷物を与えずって何?」

 トーマは一瞬目を見開き、それからパチパチ瞬きした。

「天は荷物って……それを言うなら『天は二物<にぶつ>を与えず』だよ。秀でた才能をいくつも持ってるモンじゃないってこと」

「……やっぱりバカってことじゃねーか」

 タケルが唇を突き出して不服そうにぼやくので、思わずトーマは笑いだした。

「運動神経いいって充分だと思うけど」

「どーせ俺は筋肉バカですよ。脳ミソの代わりに、カニミソが詰まってるんだい」

 タケルはむくれた。

「カニミソ……って」

「高級なんだぞ、どうだ参ったか」

 無意味にいばるタケルを、トーマはさらりといなす。

「……なんで高級か知ってる? ちょっとしか入ってないからだよ」

「やっぱりバカってことじゃねーかあああ!」

 タケルはトーマの肩をつかんでゆさぶった。

「あはは……ごめんごめん。帰ろ」

「おう」

 二人は並んで教室を出た。

 校舎の外は一瞬めまいがしそうなくらい暑い空気と日差しと、セミの声であふれている。

 学校の外の道路は家へ向かう子供でいっぱいだ。皆足取りも軽く、うきうきしている。

「あ~、やっと夏休みだよお」

 タケルは太陽を見上げて伸びをした。ようやく教室に閉じ込められる時間から解放されると思うと、青空のように爽快な気分だ。タケルにとって人のたくさんいる空間に閉じ込められるという状況は拷問以外のなにものでもない。それには勉強嫌いという理由とは別に、ある特別な事情があるのだが。

「今日の夜、泊まってもいいって?」

 強い日差しを避けるように黄色い帽子を目深にかぶっているトーマは少し顔を上げると眩しそうな目でタケルを見た。

「うん。母ちゃんがいいって。……それにしても大変だよな、看護師さんって」

 トーマの母親である咲子はシングルマザーで、大きな病院で働いている看護師だ。夜勤が入るとトーマはよくタケルのうちに泊まる。トーマが生まれるまでは救命救急の仕事もしていたそうで、相当なやり手のようだ。今でこそ病棟勤務だが、責任の重い立場にあるようでとても忙しい。それでもトーマにとっては尊敬すべき自慢の母であり、タケルにとっては「いつもクールでカッコいい、超イケてるおばちゃん」だ。

 タケルとトーマは保育園の乳児クラスからの付き合いで、ほとんど兄弟のようなものだった。家も近いのでしょっちゅう行き来している。母親同士も仲が良い。タケルの母親、佳奈のさっぱりしたあけっぴろげな性格に、咲子は癒されるとよく言っているそうだ。お互いに色々な相談をしたりして、今では家族ぐるみで付き合っている。

 タケルの家は自営業で必ず誰かが家にいる。人の出入りが多いので、トーマを預かるくらいタケル一家にとってはなんでもない。それに佳奈はタケルと全く違う性格のトーマのことがお気に入りなのだ。いつも犬みたいに駆けずりまわっているタケルと、物静かで目立たない、とんでもなく真面目な秀才のトーマ。見ていると飽きないらしい。

「そういえば、今日の夜の高乃城≪たかのしろ≫祭、行ってもいいってさ」

「え、本当?」

 トーマはぱっと目を輝かせた。

 高乃城祭というのは高乃城市の中心にある大きな公園、高乃城址≪たかのしろあと≫公園で毎年開かれている祭りだ。この辺りでは唯一の夏祭りだ。この祭があってようやく夏が来たという実感が湧く。

「トーマと一緒だったら安心だからって」

 鉄砲玉のようなタケル一人では何をするやらわからないが、トーマが一緒だったらちゃんとブレーキをかけてくれると言ったところだ。

「うーん、夏休みっていいよな~」

 タケルはもう一度嬉しそうに伸びをした。


<続く>

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