第77話 太古の遺跡
最初の試練を乗り越えた翌日、一行は再び、遺跡へと続く道を歩き始めた。
境界内の異様な景色は、進むにつれて、さらにその密度を増していくようだった。空を覆う薄紫色の雲、地面に走る不規則な亀裂――そのすべてが、この場所が、通常の世界の理から外れていることを、静かに物語っていた。昨日の戦闘の疲労も残る中、一行の足取りは、それでも確かな目的意識に支えられていた。
「見えてきた」
先頭を歩くノアが、静かに告げた。その声には、これまでの道のりで積み重ねてきた確信が、静かに滲んでいた。
その言葉に、一行は歩みを速めた。やがて、視界の先に広がった光景に、誰もが言葉を失った。長い旅路の果てに、ついにこの目で見る太古の遺跡――その圧倒的な存在感は、想像をはるかに超えるものだった。
想像を絶する規模の構造物が、大地に半ば埋もれる形で横たわっていた。高さは、アーレントの城壁をも優に超えるだろう。その表面には、これまで見たこともない紋様と文字が、隙間なく刻まれている。淡い紫色の光が、紋様の隙間から漏れ出すように、微かに明滅していた。
「これが……」
カイが、掠れた声で呟いた。目の前に広がる遺跡の巨大さに、言葉を失っていた。
遺跡は、長い年月の中で、その一部が風化し、崩れ落ちている箇所も見受けられた。それでも、なお圧倒的な存在感を放つその姿は、見る者すべてに、畏怖にも似た感情を抱かせるものだった。崩落した瓦礫の一つひとつにさえ、細やかな紋様が刻まれており、この構造物が、単なる岩の集合体ではないことを、静かに物語っていた。
「これは……」
魔導連邦の観測技師が、震える声で呟いた。手にした機材を構えることも忘れ、ただその構造物を見上げている。長年の研究生活で培ってきた知識のすべてが、目の前の光景の前では、まるで役に立たないもののように感じられた。
「私たちの知るどの文明の建築様式とも異なります。帝国の古代遺跡とも、獣王国に伝わる古代建築とも、明らかに違う」
技師は、興奮を抑えきれない様子で、機材を取り出し、慌ただしく記録を始めた。手が震え、うまくペンが持てないほどだった。
「この紋様、この構造――これまで蓄積されてきた考古学的な知見の、どれにも当てはまりません。まったく未知の技術体系です」
ノアもまた、遺跡を見上げながら、静かに、しかし確かな確信を込めて頷いた。全身から、これまで感じたことのないほどの緊張と、同時に確かな感慨が滲み出ていた。
「伝承に語られた場所、そのものだ」
その声には、これまでの寡黙さとは違う、抑えきれない感慨が滲んでいた。長老から受け継いだ物語の中でしか知らなかった場所に、今、確かに立っている――その事実の重みを、ノアは全身で受け止めているようだった。目に浮かぶわずかな涙を、彼は隠すことなく、ただ静かに遺跡を見上げ続けていた。
「間違いない。ここが、太古の遺跡だ」
ノアの声が、静寂の中に、確かな重みを持って響いた。
「あそこに、入り口のようなものが見えます」
アルドリッジが、遺跡の一角を指差した。旅装の埃を払う暇もなく、彼の視線は、すでに次の目標へと向けられていた。
巨大な構造物の側面には、確かに、人が通れるほどの大きさの開口部があった。その周囲にも、びっしりと文字が刻まれており、まるで、その入り口自体が、何かを警告しているかのようだった。
「入る前に、一度、状況を整理しよう」
レインが、一行を集めながら告げた。
「ここまで、大きな怪我人もなく、たどり着くことができた。これは、皆の連携と、それぞれの力があってこそだ」
レインの言葉に、皆が頷いた。疲労の色は隠せなかったが、それぞれの表情には、確かな達成感も滲んでいた。
「だが、ここからが、本番になる。慎重に、そして確実に、調査を進めていく必要がある」
「レインさんは、これから、何をするつもりですか」
カイが、静かに尋ねた。遺跡を見上げるレインの横顔に、これから起こることへの緊張を感じ取りながら。
「一度、神眼鑑定を試みる」
レインが、遺跡を見上げながら告げた。長大な構造物の全貌を捉えようとする、その眼差しには、確かな覚悟が宿っていた。
「境界の時のように、うまくいかないかもしれない。だが、少しでも情報を得ておきたい」
レインの声には、これまでの経験を踏まえた、確かな慎重さと、それでも前に進もうとする意志が滲んでいた。
その言葉に、リリアが心配そうな表情を浮かべたが、何も言わずに頷いた。これまでの旅路の中で、レインの判断力への信頼を、彼女も確かに積み重ねてきていた。境界の前でも、無理はしないと約束してくれたレインの言葉を、リリアは静かに思い返していた。
レインは、静かに目を閉じ、神眼鑑定を発動させた。
視界に、膨大な情報の奔流が押し寄せてきた。
これまで対峙してきたどの対象とも、比較にならない情報量だった。遺跡の各所に刻まれた紋様、内部に眠る未知の力の気配、そして、遠い過去から積み重ねられてきた、幾重にも重なる時の記憶――それらが、一度に、レインの意識へと流れ込んでくる。まるで、大河の奔流に呑み込まれるような、そんな感覚だった。
「く……っ」
レインは、思わず声を漏らした。像を結ぼうとするたびに、次から次へと、新たな情報が押し寄せ、焦点を結ぶことができない。
しばらくして、レインは静かに目を開けた。額には、うっすらと汗が滲んでいる。意識を現実へと引き戻すまでに、いつもより多くの時間を要していた。
「大丈夫ですか」
カイが、すぐさま駆け寄った。心配そうな表情の奥に、レインの身を案じる確かな気遣いが浮かんでいた。
「ああ、問題ない」
レインは、額の汗を拭いながら、静かに続けた。息を整えるまでに、いつもより長い時間がかかっていた。
「だが、想像以上だ。この遺跡全体の情報量は、これまで対峙してきたどの対象とも比較にならない。断片的な像しか結べなかった」
「何か、分かったことは」
アルドリッジが、慎重に尋ねた。レインの様子を気遣いながらも、この遺跡についての手がかりを、一刻も早く知りたいという想いが、その声には滲んでいた。
「はっきりとしたことは言えない。ただ、この遺跡が、途方もなく長い年月をかけて、幾つもの層のように、情報を積み重ねてきたということだけは分かった。一度に全体を捉えようとすること自体が、無謀だったのかもしれない」
レインの言葉には、これまでの神眼鑑定の限界を、改めて痛感した者だけが持つ、確かな重みがあった。
レインは、静かに一行を見渡した。疲労の色が濃く滲む表情の中にも、確かな決意が浮かんでいた。
「一つずつ、確かめていくしかない」
その言葉に、一行は、それぞれ気を引き締め直した。
「内部を、直接調査していくということですね」
リリアが、確認するように尋ねた。医療班として、これから起こりうる負傷への備えを、すでに頭の中で組み立て始めているようだった。
「ああ。断片的な鑑定に頼るのではなく、実際に足を運び、この目で、この手で、一つずつ確かめていく。それが、今の俺たちにできる、最も確実な方法だ」
レインの言葉に、皆が頷いた。地道な調査こそが、この巨大な謎に立ち向かうための、唯一の道なのだと、誰もが静かに理解していた。
「遺跡の入り口付近、魔力の反応が、他の場所よりも強くなっています」
観測技師が、機材を確認しながら報告した。額に浮かぶ汗を拭いながら、彼はなおも数値の変化を注視し続けていた。
「危険がある、ということですか」
「断定はできません。ですが、慎重に進む必要があるでしょう」
技師の言葉には、これまでの観測経験に基づく、確かな慎重さが滲んでいた。
技師の言葉に、ガルドが剣の柄に手をかけた。周囲を油断なく見渡すその眼差しには、これまでの旅路で培われた、確かな警戒心が宿っていた。
「なら、俺が先頭を行く。何かあれば、すぐに対応できるようにしておく」
「頼む」
レインが頷くと、ガルドは静かに頷き返した。二人の間には、言葉を多く交わさずとも通じ合う、確かな信頼があった。
「カイ、お前は俺のすぐ後ろにつけ。何かあれば、二人で対処する」
「分かりました」
カイもまた、聖剣の柄に手を添えながら、静かに頷いた。境界内での戦闘を経て、二人の連携には、これまで以上の確かな信頼が生まれていた。師弟でも主従でもない、対等な仲間としての絆が、この一言のやり取りにも、静かに滲んでいた。
「私は、この壁面の文字を、できる限り記録しておきます」
アルドリッジが、携行してきた紙とペンを取り出しながら告げた。文官としての几帳面さが、こうした状況でも、確かに発揮されていた。震える手を落ち着かせるように、深く息を吸い込んでから、彼はペン先を紙に走らせ始めた。
「ノア殿、始原の言語について、何かお分かりになることがあれば、教えていただけますか」
「もちろんだ。この文字の一部は、カイの聖剣に刻まれたものと、共通する部分がある」
ノアの言葉に、カイが、思わず自分の剣を見つめた。刃に刻まれた文字と、遺跡の壁面に刻まれた文字――両者の間に、確かな繋がりがあることを、この瞬間、皆が改めて実感していた。聖剣がこの遺跡と、そして自分自身と、どのように結びついているのか――その答えが、この壁の向こうに眠っているのかもしれないという予感が、カイの胸に静かに広がっていった。
「入り口へ向かおう」
レインが、静かに告げた。短い言葉の中に、これまでの旅路すべての重みが込められているようだった。
一行は、慎重に、しかし確かな足取りで、遺跡の入り口へと近づいていった。開口部の奥には、これまで誰も踏み入れたことのない、深い闇が広がっている。誰の足取りにも、緊張と、同時に確かな決意が滲んでいた。
「明かりを」
アルドリッジが、携行してきた魔道具の灯りを取り出した。淡い光が、入り口周辺を照らし出す。闇の奥まではその光も届かず、正体の見えない不安が、一行の間に静かに漂っていた。誰もが、無言のまま、その闇の奥に何が待っているのかを、想像せずにはいられなかった。
入り口の前に立ち、一行は、しばらくの間、その先に広がる闇を見つめていた。誰もが無言のまま、これから先に待つものへの緊張を、静かに噛みしめていた。
「行きましょう」
カイが、静かに、しかし確かな声で告げた。恐れを押し殺すように、その声は、いつもより力強く響いた。
「ああ」
レインが頷くと、一行は、ゆっくりと、遺跡の内部へと足を踏み入れていった。これまでの長い旅路のすべてが、この一歩のためにあったのだと、誰もが静かに実感していた。長く伸びた影が、闇の中へと吸い込まれるように消えていった。
その日の夜、レインは手帳を開き、この日の出来事を静かに書き記した。周囲では、それぞれが遺跡内部での野営の準備を整えていた。
「ついに太古の遺跡に到達。想像を絶する規模の構造物で、未知の建築様式であることを、観測技師とノア殿、それぞれの視点から確認した。神眼鑑定を試みるも、情報量が膨大すぎて、断片的な像しか結べず。これより、内部を直接調査していく方針とする。一つずつ、確実に、真実へと近づいていく」
書き終えたところで、レインは静かに手帳を閉じた。遺跡の内部には、これから、どのような真実が待ち受けているのか――その答えを、一行は、これから自らの足で、確かめていくことになる。
カイもまた、眠りにつく前、遺跡の入り口を振り返っていた。あの奥に広がる闇の先に、聖剣の真実と、そして世界崩壊現象の正体が、確かに眠っている。その予感が、これまでにない緊張と共に、カイの胸に宿っていた。それでも、隣にはガルドが、後ろには仲間たちがいる。その事実が、確かな支えになっていた。
アルドリッジは、記録してきた壁面の文字を、灯りの下で見返していた。断片的にしか読み取れないその文字列の中に、いつか、帝国という国の未来を照らす手がかりが眠っているかもしれない――そんな期待を、静かに胸に抱きながら。
ノアは、遺跡の方角を見つめながら、長老に伝えるべき報告の言葉を、静かに頭の中で整理していた。一族の役目を、ついに果たすことができた――その確かな実感が、彼の心を、静かに満たしていた。
その灯りに導かれるように、一行は闇の奥へと、確かな一歩を踏み出していった。




