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追放された鑑定士ですが、本当の能力は"未来の価値"が見えることでした。王国が滅びてももう遅いので、辺境で商会を作ります  作者: まつたけひめ
第4章

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第53話 閑話・リリアと難民の子どもたち

 調査団がダンジョンへと旅立ってから数日、アーレントの診療所には、いつもと変わらぬ日常が流れていた。リリアは朝から、難民として流れ着いた人々の診療に、忙しく従事していた。


 朝日が差し込む診療所の窓辺には、薬草を乾燥させるための棚が並び、その独特の香りが、室内にほのかに漂っている。この匂いも、リリアにとってはすっかり馴染み深いものになっていた。


 軽い風邪、慣れない環境での疲労、小さな怪我――日々の診療は、決して劇的なものではない。だが、その一つひとつの積み重ねが、この街に暮らす人々の健やかな日常を支えているのだと、リリアは静かな誇りを持って、日々の仕事に向き合っていた。


 勇者パーティーの聖女として、常に緊迫した戦場での治癒に追われていたあの頃とは、まるで違う日常だった。だが、この穏やかな忙しさこそが、今のリリアにとって、何よりも大切なものになっていた。



    



「リリア先生、また来たよ!」


 診療所の入り口から、元気な声が響いてきた。難民の子どもたちが、いつものように、診療所に遊びに来ていたのだ。開け放たれた扉から差し込む午後の光と共に、子どもたちの明るい笑い声が、診療所いっぱいに広がっていった。


「あら、みんな。今日はどうしたの?」


 リリアが優しく声をかけると、子どもたちは口々に、他愛のない出来事を報告し始めた。近所の子と喧嘩したこと、街の広場で見た面白い出し物のこと、そして時折、まだ癒えない故郷への想い。子どもたちのその声一つひとつに、リリアはいつも、真剣な眼差しで耳を傾けていた。


 リリアは、その一つひとつに、丁寧に耳を傾けた。医療という仕事は、単に身体の傷を治すだけではない。こうして子どもたちの話に耳を傾け、心の傷にも寄り添うこともまた、リリアが大切にしている役割の一つだった。


 難民として流れ着いた子どもたちの中には、故郷を追われる過程で、辛い経験をした子も少なくない。そうした子どもたちが、少しずつ、この街での新しい日常に馴染んでいく様子を見守ることは、リリアにとって、何よりも大きなやりがいだった。



    



「ねえ、リリア先生」


 子どもたちの一人、まだ幼さの残る少女が、ふと真剣な表情でリリアを見上げた。診療所の柔らかな午後の光の中、その瞳には、年齢に不似合いなほどの真剣さが浮かんでいた。


「なに?」


 リリアは手元の作業を止め、少女の目線に合わせるように、優しく微笑みかけながら尋ねた。


「アレンお兄ちゃんみたいな人が、いつか助けに来てくれる?」


 少女の澄んだ瞳が、まっすぐにリリアを見つめていた。


 その言葉に、リリアは思わず息を呑んだ。手にしていた薬瓶を、思わず取り落としそうになる。


「……どうして、そんなことを聞くの?」


 リリアは動揺を隠しながら、静かに問い返した。声が微かに震えていることに、自分自身でも気づいていた。


「だって、みんな言ってるもん。勇者様が、いつかこの街を守ってくれるって」


 少女の無邪気な言葉に、リリアは複雑な表情を浮かべた。子どもたちの間で、いつの間にか、そんな噂が広まっていたのだろう。難民として各地を渡り歩く中で、彼らも様々な英雄譚を耳にしてきたのかもしれない。その一言一言が、リリアの胸に、静かな波紋を広げていった。



    



「勇者様は、もう、この街にはいないのよ」


 リリアは静かに、しかし優しくそう答えた。子どもの前で、複雑な事情を全て語ることはできない。だが、嘘をつくこともまた、リリアの流儀ではなかった。


「じゃあ、誰が守ってくれるの?」


 少女は不安そうな表情を浮かべながら、さらに問いを重ねた。その眼差しには、故郷を追われた経験から来る、拭いきれない不安の色が滲んでいた。


 少女の問いに、リリアは少し考えてから、微笑みを浮かべて答えた。


「この街には、カイお兄ちゃんっていう、聖剣を持った、とても強い人がいるのよ。それに、ガルドさんや、レインさんや、この街に暮らす、たくさんの人たちが、みんなでこの街を守っているの」


「聖剣!」


 少女の目が輝いた。子どもたちの間で、カイの聖剣は、既に憧れの的になっていた。街中で語られる、聖剣覚醒の噂話は、こうして子どもたちの間にも、確かに広まっているようだった。


「そうよ。だから、大丈夫。この街は、たくさんの優しい人たちに守られているの」


 リリアは静かに、しかし確かな温もりを込めてそう答えた。


 リリアの言葉に、少女は安心したように頷き、他の子どもたちと共に、また元気に遊び始めた。無邪気にはしゃぐ子どもたちの後ろ姿を、リリアはしばらくの間、静かに見つめ続けていた。



    



 子どもたちが去った後、リリアは一人、診療所の窓辺に立ち、静かに物思いに耽っていた。


 アレン――かつて共に旅をした勇者。功を焦り、単独行動に走り、そして勇者パーティーを崩壊させた、あの人。今は放浪の身となり、行方も定かではない。


 あの子の無邪気な問いが、リリアの中に眠っていた複雑な感情を、静かに呼び覚ましていた。憎しみでも、未練でもない、もっと言葉にしづらい、複雑な想い。かつて共に戦った日々への郷愁と、彼が犯した過ちへの失望、そして、それでも消えない、人としての心配。


 思えば、あの日、追放されるレインを見送ることもできず、ただ立ち尽くしていた自分がいた。あの選択が正しかったのかどうか、リリアは今でも、時折考えることがある。だが、あの経験があったからこそ、今の自分がある。それだけは、確かなことだった。


「アレン、あなたは今、どこで、何をしているの」


 リリアは小さく呟いた。答えの返ってこない問いだったが、それでも、口にせずにはいられなかった。窓の外に広がる穏やかな街並みを眺めながら、リリアはしばらくの間、物思いに沈み続けた。



    



「リリア先生、大丈夫ですか」


 声をかけてきたのは、診療所の手伝いに来ていた若い助手だった。リリアの様子に、何か気づいたのだろう。


「ええ、大丈夫よ。少し、考え事をしていただけ」


 リリアはそう答えながら、静かに笑みを浮かべた。表情を取り繕いながらも、まだ胸の奥には、複雑な感情の余韻が残っていた。


 かつての自分は、勇者パーティーの一員として、常にアレンの後ろをついていくだけの存在だった。パーティーの回復役として、常に戦況に一喜一憂し、自分の意志で何かを決断する機会など、ほとんどなかった。だが今は違う。この診療所で、自分自身の判断で、多くの人々の健康を支えている。その確かな役割を持てていることに、リリアは静かな誇りを感じていた。


「私は、私にできることを、精一杯やるだけ」


 リリアは静かにそう呟き、再び診療の準備に戻った。手にした薬草の束を丁寧に整えながら、彼女は自分自身に、改めてそう言い聞かせていた。


 作業を続けながら、リリアはふと、シュバルツ洞での出来事を思い出していた。功を焦ったアレンが単独で洞窟に向かい、ガルドと共に必死に彼を救出したあの夜。あの日を境に、勇者パーティーは、静かに、しかし確実に終わりへと向かっていった。


 あの夜、傷ついたアレンを抱えながら、リリアの中には、様々な感情が渦巻いていた。怒り、失望、そして、それでも消えない、パーティーの仲間としての情。あれから随分と時間が経ったが、あの夜の記憶は、今でも鮮明にリリアの中に残っている。


 だが、あの経験があったからこそ、リリアは自分自身の意志で、新しい道を選ぶことができた。誰かの後ろをついていくだけの日々から、自分自身の判断で人々を癒す日々へ。その変化は、リリアにとって、何よりも大きな成長の証だった。



    



 夕刻、診療所を訪れたのは、ミーナだった。帳簿を片手に、忙しい合間を縫ってきたのだろう、その表情には、僅かな疲労が滲んでいた。夕暮れの光が差し込む診療所の中で、リリアはちょうど、片付けの手を止めたところだった。


「リリア、調子はどう?」


「変わりないわ。今日も、たくさんの人が来てくれた」


 リリアの答えに、ミーナは微笑んだ。何気ない日常の報告の中にも、リリアがこの街で確かに築いてきた信頼が、静かに滲んでいた。


「調査団のことは、聞いてる?」


 ミーナの問いに、リリアは頷いた。窓の外に広がる夕暮れの空を見つめながら、その表情には、静かな懸念が浮かんでいた。


「ええ。カイくんたちが無事に戻ってくることを、祈っているわ」


 リリアは薬瓶を棚に戻しながら、静かにそう答えた。医療者として、いつも誰かの無事を願うことには慣れているはずだったが、遠く離れた場所にいる仲間の身を案じる感覚は、また少し違う種類のものだった。


「私も。彼らが持ち帰る情報が、これからのアーレントにとって、大きな意味を持つはずだから」


 ミーナはそう言いながら、窓の外に視線を向けた。街道の向こうを見つめるその眼差しには、調査団への確かな期待と、僅かな不安が入り混じっていた。


 二人はしばらくの間、静かに調査団の無事を願いながら、言葉を交わし続けた。窓の外には、夕暮れの穏やかな光が差し込んでいる。


「レインも、表には出さないけど、きっと心配してるはずよ」


 ミーナがそう続けると、リリアは静かに頷いた。窓の外を眺めながら、その言葉の重みを、静かに噛みしめるように。


「レインさんは、いつも冷静だけど、仲間を想う気持ちは、誰よりも強い人だから」


 リリアはそう言いながら、これまでレインが見せてきた、数々の静かな決断を思い返していた。追放という理不尽な仕打ちを受けながらも、恨みを引きずらず、この街を築き上げてきた、その確かな在り方を。


 二人は互いに、この街を支える仲間たちへの、確かな信頼を分かち合っていた。



    



「そういえば、さっき、子どもたちがアレンのことを聞いてきたの」


 リリアがふと切り出すと、ミーナは少し驚いたような表情を見せた。


「アレンのこと? 珍しいわね」


 ミーナは手にした帳簿を膝の上に置きながら、興味深そうに尋ねた。普段、リリアがアレンの話題を自分から持ち出すことは、確かに稀だった。


「ええ。勇者様が、いつかこの街を守ってくれるのかって。無邪気な質問だったけど、少し、考えさせられたわ」


 リリアの言葉に、ミーナは静かに耳を傾けた。帳簿を膝の上に置いたまま、彼女はリリアの表情を、じっと見つめていた。子どもの何気ない言葉が、時に大人の心の奥底にある感情を、静かに揺さぶることがある。ミーナもまた、そのことを、よく理解していた。


「あなたは、アレンのこと、今でも気にかけてるのね」


 ミーナはそう言いながら、リリアの表情を静かに見守った。責めるでも、揶揄するでもない、ただ純粋に、友人としての気遣いが、その声には込められていた。


「……そうかもしれない。憎んでいるわけじゃない。ただ、あの人が、今、どこかで無事に生きていることを願っている。それだけよ」


 リリアの言葉には、複雑ながらも、確かな優しさが滲んでいた。長い沈黙の後、彼女はそれ以上、多くを語ろうとはしなかった。言葉にできない想いは、そのまま胸の内に留めておくのが、リリアなりの向き合い方だった。


「レインも、アレンのことは、静観する方針を続けてるみたいね。介入はしないけど、見捨てているわけでもない」


 ミーナがそう補足すると、リリアは静かに頷いた。ミーナの言葉には、レインの判断を信頼する、確かな響きがあった。


「レインさんらしい判断だと思う。あの人は、いつも、その人自身の選択を尊重してくれるから」


 リリアはそう言いながら、自分自身がこの街に迎え入れられた日のことを、静かに思い返していた。追放される直前、涙ながらに謝罪の言葉を告げた自分に、レインは静かに手を差し伸べてくれた。あの日の記憶は、今でも色褪せることなく、リリアの胸に刻まれている。


「そうね。もしアレンが、自分の力で、何か新しい道を見つけられたら――そんな日が来たら、いいなと思うわ」


 ミーナの言葉に、リリアは静かに頷いた。答えの出ない問いではあったが、その願いだけは、二人の間で、確かに共有されていた。夕暮れの光が、二人の横顔を、静かに照らし出していた。



    



 夜、診療所を閉めた後、リリアは一人、窓辺に立ち、夜空を見上げていた。


 この街には、今、たくさんの人々が、それぞれの想いを胸に暮らしている。難民として流れ着いた人々、この街で生まれ育った人々、そして、かつて様々な過去を抱えながらも、この街に居場所を見出した人々。


 リリアもまた、その一人だった。かつての追放劇、聖女としての苦悩、そして今、この診療所で見つけた確かな役割。過去を悔やむのではなく、今この瞬間、自分にできることを全うすることこそが、リリアにとっての、確かな生き方だった。


 思い返せば、王都でレインが追放される日、リリアだけが彼に謝罪と別れの言葉を告げた。あの日の自分の選択が、間違っていなかったと、今なら胸を張って言える。そして、パーティーが崩壊した後、自ら未来商会の門を叩き、治癒の力を役立てられる場所で働きたいと申し出た、あの日の決断もまた、リリアにとって、確かな誇りとなっていた。


「アレン、あなたも、いつか、自分の道を見つけられるといいけれど」


 リリアは静かにそう呟くと、窓辺を離れ、明日への準備を始めた。薬棚を整理し、明日使う分の包帯を数え、そして、静かに灯りを落とす。


 夜のアーレントは、いつもと変わらぬ静けさに包まれている。その静けさの中で、この街に暮らす一人ひとりの想いが、静かに、しかし確かに、明日へと繋がっていくのだった。子どもたちの無邪気な問い、ミーナとの静かな語らい、そして、まだ心の奥底に残るアレンへの複雑な想い――それら全てを抱えながら、リリアは、明日もまた、この街の人々のために、その手を尽くし続けるのだった。

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