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追放された鑑定士ですが、本当の能力は"未来の価値"が見えることでした。王国が滅びてももう遅いので、辺境で商会を作ります  作者: まつたけひめ
第4章

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第50話 最初の亀裂

 夜明けと共に野営地を発った三人は、昼過ぎには目的地であるダンジョンの入り口付近に辿り着いた。だが、そこに広がっていた光景は、これまでの想像を遥かに超えるものだった。


「……これは」


 カイが思わず息を呑んだ。


 ダンジョンの入り口周辺、本来であれば岩肌が続くはずの地形に、まるで何かに引き裂かれたかのような、亀裂状の歪みが幾筋も走っていた。その歪みからは、目に見えるほどの濃密な魔力の揺らぎが、絶えず漏れ出している。空気そのものが、陽炎のように微かに歪んで見えるほどだった。


 周囲の木々は、なぎ倒されたように枯れ果て、地面には黒ずんだ跡が、亀裂を中心に放射状に広がっている。これまで三人が経験してきたどんなダンジョンとも、明らかに異質な光景だった。



    



「ガルドさん、この光景、これまでのダンジョンとは、まるで違います」


 カイの声には、隠しきれない緊張が滲んでいた。腰の聖剣が、亀裂に近づくにつれ、これまでにない微弱な振動を発しているのを、カイは肌で感じ取っていた。


「ああ。俺も長年、色々なダンジョンを見てきたが、こんな光景は初めてだ」


 ガルドは油断なく周囲を見渡しながら、静かに答えた。空気そのものが、これまで経験したどんな戦場とも違う、異様な重みを帯びているように感じられる。


「エルナ、これは……」


 ガルドが亀裂を見つめながら、言葉を詰まらせた。長年の傭兵経験を持つ彼をもってしても、この光景を前にしては、次の言葉が出てこなかった。


「ちょっと待って。今、記録するから」


 エルナは即座に観測機材を取り出し、亀裂の周辺に向けて計測を開始した。手が微かに震えているのを、彼女自身も自覚していた。長年、様々な魔力の異常を観測してきた経験があってなお、目の前の光景は、これまでの理解の範疇を超えていた。


 機材の目盛りが、これまでに見たことのない数値を示していく。エルナは眉を寄せながら、その数値を食い入るように見つめた。針は限界値近くまで振り切れ、それでもなお、正確な数値を測りかねているようだった。


「エルナ、どうだ」


 ガルドが尋ねると、エルナは震える声で答えた。


「魔力濃度が、通常の……ちょっと信じられない。これまで観測してきた最大値の、優に十倍を超えているわ」


 エルナは声を震わせながら、機材の目盛りを何度も確認した。


「十倍……」


 カイが思わず繰り返した。想像もしていなかった数字に、言葉を失う。


「それに、この揺らぎ方も異常よ。単純に濃度が高いだけじゃない。まるで、空間そのものが、脈打っているみたいな」


 エルナは機材を亀裂により近づけながら、さらに詳細なデータを取り続けた。数値が刻一刻と変化していく様子を、彼女は食い入るように見つめ続けている。これまで積み重ねてきたどんな観測経験も、この現象を前にしては、ほとんど役に立たなかった。既存の理論の枠組みそのものが、根底から覆されていくような、そんな感覚を、エルナは覚えていた。



    



 その時、亀裂の奥から、低く唸るような声が響いた。


「来るぞ!」


 ガルドが即座に剣を構える。全身の神経が、瞬時に戦闘態勢へと切り替わった。亀裂の奥から姿を現したのは、これまで氾濫の際に見た強化されたオークよりも、さらに一回り大きな個体だった。全身から、目に見えるほどの魔力の陽炎が立ち上っている。その双眸は、通常のオークが持つ本能的な獰猛さとは異なる、どこか異様な光を宿していた。


「エルナ、下がってろ!」


 ガルドが叫ぶと同時に、カイも聖剣を抜き放った。純白の刀身が、亀裂から漏れ出る魔力に反応するように、微かに輝きを増していく。緊迫した空気の中、二人の呼吸だけが静かに重なっていった。


「あの魔物、これまで見たどの個体よりも、気配が濃い!」


 カイの「感知」スキルが、これまでにない強さで警告を発していた。全身の毛が逆立つような感覚に、カイは自然と体を強張らせた。


 激しい咆哮と共に、魔物が突進してくる。ガルドが盾となってその一撃を受け止め、カイが横合いから斬り込む。聖剣の刃が魔物の身体を捉えるたびに、刃に刻まれた始原の言語が、明滅するように輝きを放った。


「くっ……この力、普通じゃない!」


 カイは歯を食いしばりながら、魔物の猛攻を凌いでいく。これまで戦ってきたどの魔物とも異なる、圧倒的な力の奔流を、肌で感じていた。一撃一撃の重みが、これまでの戦闘経験を根底から覆すほどのものだった。額から汗が流れ落ちる感触すら、ほとんど意識に上らないほどの、極限の集中状態だった。


「カイ、右だ!」


 ガルドの声に反応し、カイは間一髪で魔物の爪撃を躱す。二人の連携が、辛うじて均衡を保っていた。息の合った呼吸が、これまでの積み重ねを物語っていた。ガルドの盾が魔物の一撃を受け止めるたび、鈍い金属音と共に、腕全体に痺れるような衝撃が走った。


「くそっ、これほどとは……!」


 ガルドが思わず呟く。長年の傭兵経験を持つ彼をもってしても、この個体の力は、想定を大きく超えるものだった。全身の筋肉が悲鳴を上げるほどの負荷を、彼は静かに受け止め続けていた。


 激しい戦闘の合間、エルナは物陰から、必死に観測を続けていた。この戦闘の一部始終もまた、貴重なデータになる。恐怖を押し殺しながら、彼女は機材を握りしめ続けた。震える手で、魔物の動きと、機材の示す数値の変化を、必死に記録していく。



    



 激闘の末、辛うじて魔物を退けたカイとガルドは、肩で息をしながら、亀裂の前に立ち尽くしていた。地面には、絶命した魔物の巨体が、まだ微かに魔力の陽炎を纏いながら横たわっている。


「……これが、通常の氾濫とは、まるで違う」


 ガルドが荒い息の中、そう漏らした。額から流れる汗を拭いながら、彼は改めて周囲の光景を見渡した。


「はい。あの魔物、アーレント近郊で戦った氾濫の個体よりも、明らかに強かった」


 カイも息を整えながら、頷いた。手にした聖剣の刀身には、これまでにない量の魔物の血糊が付着している。


 その様子を見ていたエルナが、機材を手にしたまま、静かに、しかし震える声で言った。周囲には、まだ絶命した魔物の残す濃密な魔力の気配が、微かに漂っていた。


「これは、ただの魔力異常じゃない。世界そのものの構造に、ひずみが生じている」


 その言葉に、カイとガルドは思わず顔を見合わせた。エルナの表情には、恐怖と同時に、研究者としての確信めいたものが宿っていた。



    



「どういうことだ、エルナ」


 ガルドが尋ねると、エルナは観測データを見せながら、慎重に説明を始めた。手元の紙には、これまでの観測記録とは明らかに異なる、複雑な数値の羅列が記されている。


「この亀裂から漏れ出ている魔力は、これまで私たちが観測してきた大気中の異常とは、質そのものが違うの。まるで、この場所だけ、世界の『枠組み』そのものが緩んでいるみたいな……上手く言葉にできないけど、そんな感覚があるわ」


「世界の枠組み……」


 カイが呟くと、エルナは深く頷いた。


「獣王国の伝承にあった『世界の傷』という言葉、覚えてる? もしかしたら、この亀裂は、その傷に繋がる、もっと大きな現象の、ほんの入り口に過ぎないのかもしれない」


 エルナはそう言いながら、亀裂の奥へと視線を向けた。その先に広がる暗闇の向こうに、まだ誰も見たことのない、途方もない何かが眠っているような、そんな予感が、彼女の胸を静かに満たしていた。


 その可能性に、三人は静かに、しかし確かな緊張を覚えた。



    



「これ以上、深く踏み込むのは危険だ」


 ガルドが冷静に判断を下した。息はまだ乱れていたが、その口調には確かな理性が保たれていた。改めて周囲を見渡すと、いつどこから次の魔物が現れてもおかしくない、そんな緊張感が漂っていた。


「ここで得られた情報だけでも、十分に価値がある。無理をして、深追いする必要はない」


 ガルドはそう言い切ると、亀裂の奥を最後にもう一度、鋭い目つきで見やった。


「はい」


 カイも同意した。先ほどの戦闘で、この場所の危険性は、身をもって理解していた。もし、あの魔物がもう一体、あるいはさらに強力な個体が現れていたら――そう考えるだけで、背筋に冷たいものが走る。


 エルナは最後にもう一度、亀裂の周辺を丹念に観測し、必要なデータを全て記録し終えた。手が震えながらも、彼女は最後まで冷静さを失わなかった。研究者としての使命感が、恐怖を押し退けていた。


「これだけあれば、十分な分析ができるはずよ」


 エルナは記録した資料を大切に胸に抱えながら、そう言い切った。


「よし、撤退しよう」


 ガルドの号令に、三人は静かに頷いた。互いの無事を確かめ合いながら、三人は速やかに、しかし決して油断することなく、その場を後にした。振り返れば、あの亀裂は、まだ静かに、しかし確かにその存在感を放ち続けていた。



    



 撤退の道中、三人は無言のまま、それぞれこの旅で見たものの重みを、静かに噛みしめていた。


「あの亀裂、まだ頭から離れません」


 カイがぽつりと呟くと、エルナも静かに頷いた。夕暮れの薄闇の中、その表情には、まだ拭いきれない緊張が滲んでいた。


「私も。あれほどの規模の異常は、正直、想像を超えていたわ」


 エルナは手にした観測記録を、大切そうに抱きしめながら、そう答えた。この一枚一枚のデータが、これからの研究にとって、かけがえのない財産になることを、彼女は確信していた。


「アーレントに戻ったら、すぐにレインに報告しないとな」


 ガルドの言葉に、二人は深く頷いた。今回得られた情報は、これまでレインたちが積み重ねてきた断片的な手がかりを、大きく前進させるものになるはずだった。特に、エルナが指摘した「世界の枠組みの緩み」という現象は、獣王国の伝承にある「世界の傷」との関連を、より具体的に裏付ける手がかりになるかもしれない。


「レインさんも、この報告を聞いたら、驚くでしょうね」


 カイがそう呟くと、エルナは小さく頷いた。夕暮れの光が、三人の影を長く街道に伸ばしていた。


「驚くだけじゃ済まないと思う。この現象の規模を考えると、今後の対応も、大きく見直す必要が出てくるはずよ」


 エルナは真剣な表情で、そう予測した。今回の調査で得られたデータは、これまでのアーレントの想定を、根本から覆すものになるかもしれない。


 三人はそれぞれ、これから待ち受ける報告と、その先の展開について、静かに思いを巡らせていた。この発見が、これから訪れるであろう大きな局面において、どのような意味を持つことになるのか、今の彼らにはまだ、確かなことは分からない。だが、少なくとも、この旅で得た手がかりが、アーレントにとって、そして大陸全体にとって、重要な意味を持つことだけは、三人とも確信していた。


 この目で見た光景、そしてエルナが集めたデータ。これらが、これから訪れるであろう大きな脅威に立ち向かうための、確かな第一歩になることを、三人はそれぞれの心で、静かに、しかし確実に感じ取っていた。


 夕暮れの街道を、三人はアーレントへ向けて、静かに、しかし着実に歩を進めていく。その足取りには、この旅で得た確かな絆と、これから待ち受ける困難への覚悟が、共に宿っていた。


 途中、カイがふと立ち止まり、腰の聖剣に視線を落とした。夕日を浴びた刀身が、橙色に輝いている。


「ガルドさん、エルナさん。この剣、あの亀裂に近づいた時、確かに反応していました。単なる偶然じゃないと思います」


「ああ、俺も見た。刃の輝きが、これまでとは違っていた」


 ガルドの言葉に、エルナも頷いた。戦闘の最中、視界の端に捉えていたあの輝きを、彼女も鮮明に覚えていた。


「もしかしたら、この剣は本当に、あの伝承の剣と、何か深い繋がりを持っているのかもしれない。詳しい解析は、アーレントに戻ってからになるけど」


 エルナはそう言いながら、カイの腰に差された聖剣を、興味深そうに見つめた。研究者としての探究心が、この発見によって、新たに刺激されているのが見て取れた。


 三人は再び歩みを進めながら、それぞれの胸に、この旅で得た手がかりの重みを、静かに刻み込んでいった。


 夜の帳が降り始める頃、遠くにアーレントの街灯りが、微かに見え始めた。その温かな光を目にした瞬間、三人はようやく、張り詰めていた緊張が、少しずつ緩んでいくのを感じていた。今回の調査は、決して平坦なものではなかった。あの亀裂の光景、強化された魔物との激しい戦闘、そしてエルナが下した衝撃的な結論――どれもが、これまでの三人の経験を大きく超えるものだった。


 それでも、三人はこうして、無事にこの旅を終えようとしている。それぞれの持ち場で、それぞれの力を発揮し、必要な情報を確実に持ち帰る――出発前に交わした約束を、三人は確かに果たしていた。


「もう少しで着くな」


 ガルドが街灯りを見つめながら、静かに言った。その声には、これまでの緊張から解き放たれつつある、確かな安堵が滲んでいた。夜風が、三人の疲れた頬を、静かに撫でていった。


「はい。早く、レインさんたちに報告したいです」


 カイもそう答えながら、腰の聖剣に、そっと手を添えた。この旅で得た手がかりが、これから先、大きな意味を持つことになるという予感を、彼は静かに噛みしめていた。刃に刻まれた始原の言語が、月明かりの下で、微かに白く光っているように見えた。


「私も、早くクロエに、今日見たものを伝えたいわ」


 エルナがそう言うと、三人は互いに顔を見合わせ、小さく笑い合った。緊張と恐怖に満ちた一日の終わりに、こうして仲間と笑い合えることの大切さを、三人はそれぞれ、改めて実感していた。長い一日だったが、確かな成果と、何より無事に帰れるという安堵が、三人の足取りを軽くしていた。

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