呪ってません、祝ってます! 〜不憫な悪役令嬢(自称・善意のネクロマンサー)は、死霊術で友達を増やして幸せにしたい〜
ノクティルカ公爵家の夜廷には、一年中、名もなき銀色の花が咲き乱れている。月光を浴びて透き通るその花びらは、死者の涙を固めたものだという不穏な伝承があるが、この家に住む者にとっては、安らぎを与えるただの庭木に過ぎない。その銀の花が、今宵は一段と冷ややかに、そして美しく輝いていた。
「ネアリス、ネアルス、ネオトロム。よく聞きなさい。我がノクティルカの瞳は、常に二つの世界を映さねばならない。天にある星々の運行と、地に眠る魂の叫び。その両方を知る者こそが、この国の真の守護者なのだ」
父、レグルス・ノクティルカ公爵の声が、静寂な夜の空気に染み渡る。瑠璃色の髪を優雅に後ろに流し、至極色の瞳で三人の子供たちを見下ろすその姿は、一国の命運を左右する「星読み」としての圧倒的な威厳に満ちていた。その隣では、母であるエレノア夫人が、扇を片手に持ち、薄い唇に優雅な微笑を湛えている。彼女の瑠璃色の髪もまた、月光を浴びることで、まるで生きた銀の糸を紡いだかのような輝きを放っていた。
「ええ。私たちは天に星を読み、地に死者を伏せさせる。光と闇、その両輪があってこそ、この国の天秤は保たれるのですよ。いいですか、お前たち。これは呪いではなく、選ばれし者にのみ許された神聖な責務なのです」
死霊術――ネクロマンシー。それは国王夫妻と、その盟友であるノクティルカ公爵家の一部しか知らされない、国家の最高機密である。一般的には忌むべき禁忌として語られるその術も、この家族にとっては誇り高き血統の証であった。レグルスは厳格な仮面をふっと緩め、慈愛に満ちた眼差しで五歳の愛娘、ネアリスを見つめた。
「だが、お前たちはこの力を、決して孤独を招く呪いと思ってはならない。孤独な術だからこそ、家族の間では最大限の愛を持って使いなさい。さあ、ネアリス。先日の修練の成果を、私と母上に見せてごらんなさい」
幼いネアリスは、父と母の期待に応えようと、決然と小さな手を空へ掲げた。彼女の瑠璃色の髪が月光に反応し、毛先からじわじわと神秘的な銀色へと変貌していく。
「はい、お父様、お母様! お仕事でお疲れのお二人に、私にできる最高のおもてなしをいたしますわ!」
ネアリスが一生懸命に唱えた拙い呪文が空気を震わせると、書斎の隅にある影が不自然に伸び、そこからスゥーッ……と青白い数本の手が現れた。それらは生前、王宮一の按摩師として名を馳せた老人の霊であった。ネアリスが可愛らしく指を差すと、霊たちは音もなくレグルスとエレノアの背後に回り込み、魔法のような正確さと速度で、二人の肩や背中の凝りを解きほぐし始めた。
「……ふむ、実に見事だ。ネアリス、お前の魔力はどこまでも純粋で温かいな。死霊たちの冷気が、火照った脳に心地よく染み渡る。死者をこれほど優しく、そして的確に御せるとは……お前は我が家の至宝だ」
「あらあら、なんて素晴らしいのかしら。ネアリス、あなたは本当におもてなしの才能があるわね。こんなに心が穏やかになる術を、私は他に知りませんわ」
威厳ある両親に手放しで褒められ、ネアリスは幼心に深く確信した。死霊術とは、愛する人を笑顔にし、日々の疲れを癒やす、最高にハッピーな「おもてなしの魔法」なのだと。その傍らで、十歳の長男ネアルスは「さすが僕の妹だ。この霊の指使いには芸術性すら感じるよ。次回の社交会で披露できればいいのに」と熱烈に感銘を受け、一方で末っ子のネオトロムだけが、一人、至極色の瞳を微かに震わせ、自分たちの家族を包む異常な空気感に、幼いながらも深い溜息をついていた。
☆
その数日後、王宮のサンルームにて。父レグルスの親友である国王夫妻と、その息子・アルリオン王子、そして公爵家の親戚たちが集まる内輪のお茶会が開かれていた。窓から降り注ぐ暖かい太陽の光の下、ノクティルカの三兄弟の髪は、夜の銀色とは打って変わり、落ち着いた深い瑠璃色を保っていた。
「あ、アル! こっちだよ! この蝶、とっても綺麗!」
「フェリス、待ってよ、そんなに走ったら危ないよ!」
愛称で呼び合い、屈託のない笑顔で芝生を駆け抜けていくアルリオン王子と、公爵家の分家の娘フェリス。二人の楽しげな声を、壁際で「ノクティルカの品位」を守るために人形のように立っていたネアリスは、熱っぽい羨望の眼差しで見つめていた。ノクティルカ家では、たとえ幼子であっても公私の別を厳格に求められる。人前では常に本名で、敬称を添えて呼び合うのが揺るぎない鉄則だ。
(素敵……。愛称で呼び合うなんて、まるで天に瞬く星々がお互いに手を繋ぎ合っているみたい。私も、あんな風に誰かと心の距離を縮めてみたいわ)
憧れという名の種火が、ネアリスの胸の中で静かに燃え上がった。お茶会を終え、公爵家の豪奢な馬車に揺られて帰宅した直後、ネアリスはまだ幼いネアルスとネオトロムを図書室へと呼び出した。
「お兄様、ネオトロム。……いいえ、今日からはそのように呼ぶのはおしまいですわ。お父様とお母様には内緒ですけれど、家族の間だけは、特別な『愛称』で呼び合いましょう! 誰よりも仲良しな、私たち三人の秘密の約束ですわ!」
「愛称……? 姉様、父上に知られたら『家門の秩序を乱す不心得者め』と一時間は説教の嵐ですよ」
ネオトロムがいつものように冷静に指摘するが、一度決めたら止まらないのがネアリスである。
「いいの! 形式なんて関係ありませんわ。ネオトロム、あなたは……そうね、『ネオ』。とっても力強くて格好いい響きだわ! そして私は『ネアリ』。お兄様は……『ネアル』ですわ!」
「ネアル、かい? 響きが柔らかくて悪くないね。ネアリがそう呼びたいと言うなら、僕は喜んで受け入れよう。いや、むしろ今すぐこの愛称をノクティルカの家憲として刻み込みたいくらいだ。素晴らしい提案だよ、ネアリ」
兄のネアルスは、早くも全肯定の構えでネアリスの小さな手を取った。
「ネアルお兄様、大好き! ……さあ、ネオ。あなたも呼んでみて? 『ネアリ姉様』って!」
ネオトロムは、期待に満ち満ちた姉の瞳と、圧をかけてくる兄の視線に抗えず、至極色の瞳を泳がせながら、蚊の鳴くような声を出した。
「……っ。……ネアリ、姉様」
「きゃあ! 完璧だわ、ネオ! 嬉しい、とっても嬉しいわ!」
ネアリスは喜びのあまり、その場でお祝い用の浮遊霊たちを数体召喚した。青白くぼんやりと光る霊たちが、ネオトロムの周りを「おめでとう!」と言わんばかりにくるくると舞い踊る。ネオは頬に触れる霊のひんやりとした感触に顔を引き攣らせながら、これから始まるであろう「姉の善意の暴走」に、自分だけが防波堤にならなければならない過酷な運命を予感していた。
☆
それから数年の月日が流れ、三人は学園へと入学した。ノクティルカの「三宵」と謳われる彼らは、学園の最高学年として君臨するネアルス、才色兼備のネアリス、そして冷徹な優等生のネオトロムとして、全生徒の憧れと畏怖を独占していた。
ある日の放課後。ネアリスは予言の力を用いて、幼なじみのアルリオン王子と友人フェリスが今、旧校舎裏の温室にいることを突き止めた。二人は最近、どこかギクシャクしており、ネアリスはそれを「おもてなしの精神」で解決しようと考えたのだ。
(星の導きによれば、今日、この場所で思いを伝え合えば、二人は永遠に結ばれる宿命のはず。……さあ、私が最高のムードを作り上げて差し上げなくては!)
ネアリスが影の中でそっと指を鳴らすと、虚空から数体の霊が現れた。生前、宮廷楽団のバイオリニストだった霊たちだ。彼らが奏でる旋律は、この世のものとは思えないほど美しく……そして、聞く者の背筋を凍らせるほどに禍々しかった。
その中心で、アルリオン王子がフェリスの手を優しく取った。
「フェリス……。君を、一生僕の側で守らせてくれないか」
完璧なタイミング。完璧な演出。
だが、その甘い光景を目にした瞬間、ネアリスの脳内を雷が貫いた。
(……え? 私、知ってる。このシーン、前世でプレイした乙女ゲーム『星霜のレゾナンス』のグランドエンディングじゃない! っていうか、私、その横で嫉妬に狂って死霊をけしかける、断罪対象の悪役令嬢じゃない!?)
濁流のように流れ込む前世の記憶。自分が今まで「家族のため、友人のため」と信じて行ってきた死霊術の数々。それが客観的に見れば、ただの「呪いの行進」でしかなかったことに、彼女は今さらながら気づいてしまったのだ。
(待って。今のバイオリンの霊の音色、どう聴いても『地獄の葬送曲』だわ! これじゃ、お祝いじゃなくて呪いのお葬式じゃない!)
ネアリスは顔面を真っ青に染め、這々の体で温室から逃げ出した。彼女が向かったのは、学園内にある生徒会室。そこは兄、ネアルスの絶対的な支配下にある場所だ。
「ネアルお兄様! ネオ! 大変なの! 私……私、自分が『嫌がらせをする悪い子』になっちゃうことに気づいたわ!」
ドアを乱暴に開けて叫ぶネアリスに、生徒会長のネアルスは慈愛に満ちた聖母のような微笑を向け、一年下のネオトロムは、淹れたてのハーブティーを静かに差し出した。
「おや、どうしたんだいネアリ。そんなに息を切らせて。……誰かに何か言われたのかい? もし君の美しさを否定する不届き者がいるなら、その家系ごと星の塵にしてあげようか」
「ネアル兄様、それは極論です。……で、ネアリ姉様。今度は何を『おもてなし』して失敗したんですか」
ネアリスは涙ながらに訴えた。自分が「悪役」として破滅する運命にあり、今まで良かれと思ってした行動が、すべて周囲を怖がらせていたのだと。
「私、フェリスさんに嫌われちゃう! 彼女の幸せを願っているのに、『呪いだわ!』って怖がられて……。もう嫌、お友達になりたいだけなのに、もうお友達なんてなってあげないんだからっ!」
ぷいっと横を向いて泣きじゃくる姉を見て、ネオは、至極色の瞳に微かな満足感を宿した。
「……そうですか。ようやくあの光属性の女が、姉様にふさわしくないと気づかれましたか。安心してください、姉様。あんな女、最初から僕たちの輪に入れる価値もありません。姉様には、僕たちがいますから」
「そうだね、ネアリ。君の清らかな善意を解さない無粋な輩など、放っておけばいい」
ネアルスは、ネアリスの震える肩を優しく抱き寄せ、冷徹なまでの美貌に毒のような甘い笑みを浮かべた。
「むしろ好都合だ。君に害をなす可能性がある者は、今のうちにすべて遠ざけておこう。大丈夫、ノクティルカの真の姿は僕たちが守り抜く。君は何も心配せず、僕たちの愛だけを受けていればいいんだよ。……ネオ、例の『隠蔽工作』、始めておきなさい」
「了解しました、ネアル兄様。学園中に広まった幽霊騒動は、すべて『月光の乱反射による一時的な視覚異常』として処理しておきます」
二人の兄弟は、泣きじゃくる姉を宥めながら、その裏で冷酷なまでの手際で、ネアリスを否定する世界への「掃除」を開始していた。
☆
それから数日後。学園の裏山にある禁足地に近い森で、事件は起きた。
ネアリスは「もう友達なんていらない!」と自室の天蓋付きベッドに潜り込み、ふて寝を決め込んでいたが、枕元に置いた水晶玉が不吉な光を放った。星読みの力が、冷酷な未来を彼女に突きつけたのだ。
(……そんな、今日の午後、裏山でフェリスさんと王子様が、凶暴な古代魔獣に襲われる予報が出ているわ! 友達じゃないけど、人として見捨てられないもの!)
ネアリスは、今度こそ「絶対に死霊術だとバレないように」と自分に言い聞かせ、裏山へと駆け出した。そこでは、予報通り数頭の魔獣――禍々しい角を持つ巨大な狼たちが、王子とフェリスを完全に追い詰めていた。
「アルリオン様、危ないわ! 助けて!」
「くっ、これほどの数の魔獣がどこから……! 私の聖剣の輝きが、闇に飲み込まれていく……!」
絶体絶命の瞬間。ネアリスは茂みの陰から、渾身の力で死霊術を解放した。ただし、あくまで彼女なりの「お助け(お祝い)」の体裁を保って。
「呪ってません、祝ってます!……いでよ、一騎当千と呼ばれた伝説の騎士団の霊たち(お祭り仕様)!」
戦場に突如として響き渡る爆音のファンファーレ。宙から現れた数体の騎士の霊たちは、なぜか華やかな黄金の神輿を担いでおり、それを魔獣たちに超高速で叩きつけ始めた。
「ワッショイ! ワッショイ!」という地響きのような唸り声が響き、フェリスの周りには、彼女を守るために「守護の結界(という名の、笑いながら回転する生首の霊の輪)」が展開された。
「ひ、ひぃぃぃっ! お助けを! 悪霊よ、去りなさい!! 呪われるわ!」
フェリスは、自分を必死に守っている霊の顔が目の前で「ニカッ」と笑った瞬間、本日最大級の絶叫を上げた。
「な……何なんだ、この禍々しい演出は! ノクティルカの魔女め、隠れて見ているのは分かっているぞ! 貴様、ついに本性を現して我らを呪い殺す気か!」
恐怖で錯乱したアルリオン王子が剣を抜き、ネアリスが潜む茂みを一刀両断にせんと振りかぶる。
「な……っ! せっかく助けてあげたのに、魔女!? 本性!?……もう、本当に、本当に知らないんだから!!」
ネアリスが悲しみと怒りで霊を霧散させ、涙を拭いながら茂みから飛び出したその時。王子の剣が彼女に届くよりも速く、二つの影がネアリスの前に立ちはだかった。
「――そこまでだ、殿下。我が妹にその薄汚い鉄屑を向けるというなら、相応の報いを受けてもらう」
ネアルスが指先一つで地面から巨大な黒い茨を噴出させ、王子の剣を紙屑のように弾き飛ばした。
「兄様……。殿下、これは磁場異常による幻覚です。姉様はそれを察知して、身を挺して救護に駆けつけただけですよ。……それとも、ノクティルカの『星読み』の正当性を疑うのですか?」
ネオトロムが冷淡に言い放ち、震えながら自分を見るフェリスを、まるでゴミを見るような冷徹な瞳で見下ろした。
「さあ、帰りましょうネアリ姉様。こんな恩知らずな人たちのために、その美しい力を使う必要はありません」
ネアリスは、兄弟の腕に引かれながら、自分を怯えた目で見つめるフェリスを振り返った。かつて抱いていた純粋な友情が、音を立てて崩れ去っていくのを感じた。
☆
後日。ノクティルカ公爵邸のテラス。
学園での騒動は、翌朝には「ノクティルカの聖なる星読みが、王子の危機を事前に察知し、遠隔から奇跡の守護を発動させた」という英雄譚に書き換えられていた。
実際には、父レグルスが国王の元へ「我が娘を魔女呼ばわりし、あまつさえ剣を向けた王子の無礼」を盾に、凄まじい圧力をかけた結果である。王宮はノクティルカ家との決裂を恐れ、非を全面的に認めざるを得なかったのだ。
「ネアリス、今回の『お助け』も実に見事だった。王宮からは王子を救った功績として、公式な感謝状と多額の寄付金が届いているよ。……ふむ、王子の首を差し出させても良かったのだが、まあ今回はこれで許してやろう」
レグルスが感謝状を灰皿に放り込みながら、威厳たっぷりに頷いた。
「ええ、本当に誇らしいわ。ネアリス、あんな恩知らずな王子たちのことはお忘れなさい。次はお父様とお母様に、どんな素晴らしいおもてなしをしてくれるのかしら?」
母エレノアも、優雅に紅茶を啜りながらネアリスを全肯定する。
両親の愛を受け、ネアリスはすっかり元気を取り戻して満面の笑みで答えた。
「はい! 今度は、生前伝説のパティシエだった霊を十体ほど呼んで、最高に美味しくて、見た目もちょっと……賑やかなお祝いケーキを作らせますわ!」
その背後では、ネアルスとネオトロムが、ネアリスを見つめて静かに微笑んでいた。
学園でフェリスがどれほど二人に近づき、「あの日の恐怖」を訴えようとしても、彼らが一瞥もくれず、周囲の耳を「物理的」に塞いでいる理由を、ネアリスは生涯知らなくていい。
「ねえ、ネアルお兄様、ネオ! ケーキ、一緒に食べましょうね!」
「ああ、もちろんだよ、ネアリ。君が望むなら、世界中の魂を呼び集めてでも、最高の茶会を開こう」
「……ええ。姉様が幸せなら、それでいいです。たとえ世界が姉様を魔女と呼ぼうとも、僕がすべてを星の導きに変えて差し上げますから」
不憫な悪役令嬢(自称・善意のネクロマンサー)は、今日も世界一幸せな勘違いの中で、一族の深い愛に包まれながら、銀色に輝く夜を明かすのだった。




