ギルドでの消費活動
ドラキチは「とりあえず日常を楽しく過ごそう」と決め、冒険者ギルドに足を運ぶ。朝の光が石畳を柔らかく照らす頃、ドラキチはギルドの扉を押し開けた。重厚な木の扉は、まるで冒険の始まりを告げるように軋んだ。
ギルドの空気は熱気に満ちていた。勇者志望の若者たちが剣を背負い、魔法使いの卵たちが呪文書を抱えて列をなす。その中で、「マイペースに生きたい」と言い放つドラキチは、まるで風のように異質だった。
受付嬢のマクラは、書類の束を抱えたまま眉をひそめる。その服装はきっちりと整い、表情もまた業務的な整然さを保っていたが、ドラキチの言葉にその均衡が揺らいだ。
「それで……ドラキチさん、どんな冒険を?」
声には困惑と、少しの好奇心が混じっていた。
「冒険はちょっと……。ギルドで一番お得なランチとかない?」
ドラキチは真顔だった。冗談ではなく、真剣にランチを求めていた。マクラは一瞬言葉を失い、呆れつつもランチメニューを差し出した。
その瞬間、ドラキチの指先が淡く光を帯びる。
「消費者契約の魔法」
ドラキチが授かった、奇妙で便利な力が発動した。メニューの文字が揺らぎ、次々と特典が浮かび上がる。ギルド特製ランチを契約すると、「スープおかわり自由」や「ポイントカード発行」などの特典が次々と現れる。まるで魔法のクーポンが踊るように、空中に煌めいた。
「うーん……、今日は日替わりで!」
ドラキチがそう決めると、マクラは小さく頷き、奥の厨房へとオーダーを通す。
周囲の冒険者たちがざわめき始める。剣を磨いていた青年が顔を上げ、魔法使いの少女が呪文書を閉じる。彼らの視線は、ドラキチの手元に集まっていた。
「おい、その契約魔法、俺にも教えてくれよ!」
オニイと名乗る冒険者が声を上げる。ドラキチはパンをちぎるような気軽さで答える。
「教えるのはいいけど、これ、ただのお得生活術だよ?」
「それがホントの魔法だよな!」
オニイが、感嘆の息を漏らす。ギルドの空気が少しだけ変わった。冒険の熱気の中に、日常のぬくもりが混じる。剣と魔法の世界に、スープのおかわりという幸福が差し込んだ。マクラの表情も、いつの間にか業務的なものから、どこか楽しげな笑顔に変わっていた。このようにしてドラキチは、戦わずしてギルドの人気者になっていく。ドラキチの消費者契約魔法は、誰かと笑うためにあった。
「人気者になるのはいいですが、この行列をどうにかして下さい」
マクラが悲鳴に近い声を上げた。ドラキチの消費者契約魔法によって可視化された「ランチ特典:サラダ増量」の文字に釣られ、屈強な戦士たちが「俺も!」「詳しく説明してくれ!」と殺到したのだ。
ドラキチは、山盛りになったギルド特製ランチを口に運びながら、涼しい顔で答える。
「マクラさん、落ち着いて。焦ると契約の細部を見落とすよ。あ、このオムレツ、卵が二個分に増量されている。ラッキー」
「ラッキーじゃないわよ! 誰がその増量分を補填すると思っているの!」
「裏庭に生えている野草をサラダとしてギルドに有利な条件でバルク契約されるように、さっき魔法で書き換えておいたから。原価は変わらないよ」
その瞬間、ギルドの地下から地響きが鳴り響いた。重々しい足音と共に現れたのは、ギルドマスターのテフチンだった。熊のような体躯に傷だらけの鎧。彼の手には、ギルドの全予算を管理する帳簿が握られている。
「……小僧、貴様が勝手に『福利厚生:昼寝時間の30分延長』を全職員の雇用契約に書き加えた奴か?」
テフチンの威圧感に、他の冒険者たちが蜘蛛の子を散らすように道を空ける。
ドラキチは最後の一口を飲み込み、食後の紅茶をすすりながら微笑んだ。
「ええ。だって、マクラさんの顔色の悪さは、過労による契約上の不備に見えましたから。休息が足りないと、冒険者の依頼達成率も下がりますよ。それはギルドにとっての不当な損失……いわば『機会損失』です」
テフチンは一瞬、拳を振り上げるかと思われた。しかし、彼は深くため息をつき、ドラキチの向かいの席にどっしりと腰を下ろした。
「……確かに、職員の離職率は下がった。だがな、お前のせいで『ドラゴンの討伐』より『特売の卵の争奪戦』に志願する冒険者が増えて困っているんだ」
「いいじゃないですか。平和で。ドラゴンだって、戦うより共生契約を結んだ方が、鱗の供給ルートが安定しますよ?」
「そんな無茶苦茶な……」
呆れ返るテフチン。しかし、ドラキチが指を鳴らすと、空中に新たな契約魔法の文字が浮かび上がった。
『提案:ギルドマスター専用・肩こり解消マッサージ付きプレミアム定期便(ギルド運営費の0.1%削減を条件とする)』
「……ほう、詳しく聞こうじゃないか」
最強のテフチンが、あろうことか「お得」の誘惑に屈した瞬間だった。
外ではオニイが騒いでいる。
「この特約、よく読んだら『討伐報酬の3%を貯金に回す』って強制条項が入ってるぞ!」
剣と魔法の世界。命のやり取りが日常だったはずのこの場所で、今、最も恐れられ、かつ愛されているのは、魔王でも勇者でもなく、「契約書の裏側」を読み解く一人の男だった。
ドラキチは満足げに、空になった皿を見つめた。
「さて、次はどの契約を『最適化』してやろうかな」
ドラキチのマイペースな冒険(という名の節約生活)は、まだ始まったばかりだ。




