5話 食後に飲む熱々のアメリカン、あいつにしか出せない味があるんです。
「なぁ恋崎」
「恋崎さん、だ。3度目だぜ。表に出な」
その薄汚え声豚とかの血、絶やしてやるぜ。
「お前は闘魂の星を見たか?」
闘魂の星。確か昭和に放送されていたスポコンアニメだ。だがあいにく僕は見ていない。今の世では、虐待に近いトレーニングをこなしているイメージしかない。
「どうした藪から棒に」
「俺はあのアニメで運動部のなんたるかを全て理解している」
「なるほど」
「だが、あのアニメには部員の勧誘イベントがなかった。主人公が1人で9人分の働きをして、敵チームを薙ぎ倒していく光景しか知らない」
「それはお前が運動部のことを何も理解できていないからじゃないかな」
「そんなもんか」
「そんなもんだ」
闘魂の星、ちょっと興味が湧いてしまったことが悔しい。
雨の翌日、高岡先生に入部の話をしたところ、放課後に仮部室へ呼び出された。そこで改めて帰宅部の面々と合流したのだが、月宮さんと白石姉妹は最後の活動とのことで、そうそうに帰路に着いた。
これから入部届を書く僕はもちろん、3人水入らずで過ごしてください、などと気を遣った池田の2人が仮部室に残っていた。
そう、百合の間に男が入ることは許されないのだ。
「待たせて悪いな。主任に捕まっちまって」
若干の猫背に少し生えた無精髭と気怠げな喋り。だらしなさに定評のある高岡先生が、いくつかの書類を待って入ってくる。
「なんだ、お前達2人か。白石達の退部届も持ってきたんだがな」
書類の中から入部届を引っ張り出し、僕の前に置く。さりげなくボールペンもセットで渡してくれるあたり、大人のスマートさ?を感じさせる。
「3人は最後の部活動に繰り出していきましたよ。俺と恋崎は留守番です」
「留守番というか、あの3人の中に入るのが気まずかっただけだろ」
「何故それを・・・!?」
池田はショックを受けているが、どうしてバレないと思った。
気を遣ったことに間違いはないだろうが、気まずいという気持ちは過分にあるのだろう。僕が同じ立場でもそうした。
「それと、白石達の退部届はここに置いておくから、明日にでも書かせておいてくれ」
「先輩達からもう聞いたんですか?」
「あぁ、朝一に職員室まで来て騒いでたよ」
どうりで今日は気怠さマシマシだったのか。
「池田が復帰して、恋崎が入部して。丸く治ると思ったんだがな。結局は振り出しに戻ったわけだ」
「振り出しとは、また違うと言いますか・・・」
白石先輩達が前に進めた、と言うのは良いことなのだ。それでも僕は、『安心して欲しい』そう言った月宮さんの後ろ姿が、少しだけ引っ掛かっている。
「どうした。何か気掛かりなことでもあるのか?」
「気掛かりってほどではないのですが・・・。多分僕が気にしすぎているだけです」
ともすれば月宮さんのプライベートに踏み入る話だ。勝手な憶測で人に話すようなことじゃない。
「そうか、まぁなんだ。お前達もまだ若い。悩みってほどじゃないにしろ、両親にも友達にも言いにくいこともあるだろう。相談とまで言わないが、誰かに吐き捨てるだけでも楽になるもんだ。気持ちの整理ができないとか、本当に困った時は俺に言え。何かしてやれるかはわからんがな」
三塚先生の言った通りだ。高岡先生はなんだかんだ言いながら、僕達の味方になってくれる。頼れる大人がいるっていうのは、何だか良いな。
「なんか、かっこいいっすね」
「俺ちょっと高岡先生のこと、誤解してましたよ」
「そうだろ?」
そう言って高岡先生は僕達の頭を乱暴にガシガシ撫でる。池田は抵抗を試みるも、高岡先生の力にねじ伏せられガシガシされる。僕はそんな無駄な抵抗なんてしない。ありのままを受け入れる、事なかれ主義なんだ。
僕も、いつかこんな風に、大人になれるのだろうか。そんな無駄な思考と一緒に、一つため息を吐き出して、ボールペンを手に取る。
入部届を書き終えた頃。高岡先生は見計らったようにインスタントコーヒーを出してくれた。
「こっそり準備室に持ち込んでる奴だから、誰にも言うなよ」
「あの、僕熱々のアメリカンがよかったんですけど」
食後に飲む、薄くて熱いアメリカン。あいつにしか出せない味があるんですよ。
「俺苦いの苦手だからマックスコーヒーが良いです」
「お前らな・・・」
おっとまずい、怒らせたか?池田がマックスコーヒーなんて贅沢を言うからだ。
男3人、なんだかむさ苦しい仮部室の外では、運動部の掛け声に吹奏楽部の演奏音、蝉の鳴き声と、夏の音で溢れている。
今頃寄り道まっしぐらな、ギャル3人の周りには、どんな音がしているのだろうか。何故か僕には、それが想像ができない。
これこそ無駄な思考だ、そう自分に言い聞かせて、また一つ僕はこっそりため息を吐いた。
僕の帰宅部初めての活動は、ちょっとした雑談と、少しの苦味で幕を閉じた。
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翌日の仮部室。月宮さんの向かいに、僕と池田が座る。真ん中の机には『緊急会議!!』と書かれたA4サイズのホワイトボードが山積みの資料に立てかけてあった。ゆるふわフォントに、ゆるいキャラで装飾され・・・と言うか書いたのは白石先輩達だ。
「と言うか何で先輩達いるんですか?」
白石姉妹は所謂お誕生日席ポジションに座り、机を囲んでいた。
「えぇ〜ヨシリン酷くなぁい?」
「ほら勉強する場所は自由だし?」
それなら一昨日のしんみりした空気はなんだったんだ。まぁ場所は自由と言われたら、それはそうなんだけれども。
「あーでも考えてみたら、ちょうど良かったです。これ、お2人の退部届です」
「「ヨシリン酷くない!?」」
「恋崎くん、タイミング、考えよう」
おっとしくじったか?
「あ、インスタントコーヒー見つけたぞ!」
我関せずと言わんばかりに棚を漁っていた池田から思わぬ助け舟。・・・でも、それ勝手に飲んでいいのか?
「コーヒーかぁ。紅茶ないの?午後ティーとか」
高岡先生に紅茶を求めるのは酷ではないだろうか。それと、午後ティーなら自販機にありますよ、紬さん。
「ウチあれがいいんだけど、えくすぷれす?だっけ、なんか濃いやつ!」
なんだその速そうなコーヒーは。それにインスタントコーヒーでエスプレッソは無理があるのではないだろうか。
「紬先輩、葵先輩、ワガママ、ダメ」
「そうですよ。飲めるだけありがたいと思わないと。あ、僕は熱々のアメリカンで」
「恋崎くん、人の話、聞こ?」
マジか。アメリカン、だめ?
「マックスコーヒーがないのは仕方ないが、練乳もないのかここは」
何故練乳があることが普通だと認識しているんだ。そしてお前は常温保存の練乳でもいいのか。
「私が淹れるから、池田くん、座ってて」
「それなら僕が水組んでくるよ」
このままでは僕も、ワガママギャルと愉快なオタク達、に仲間入りしてしまう。
「恋崎くん、座ってて」
「はい」
戦力外通告と、ワガママギャルと愉快なオタク達の称号を受け渡されました。解せない。
紬先輩の前には午後ティー、葵先輩の前には濃いめに淹れたコーヒー、池田には大量のミルクポーションとスティックシュガーを添え、そして僕にはお湯で薄めたコーヒーが置かれた。そんな気配り上手な月宮さんは普通のブラックコーヒー。
ちなみに紬先輩の午後ティーは僕が買ってきました。
「改めて、緊急会議。部員補充、どうするか」
ようやくこの時が来たか。そう、僕にはとっておきの候補がいる!
「部員候補だけど、僕には、この人はって候補がいるんだ。早速だけど、ここに呼んでもいいかな?」
「おぉヨシリンやるじゃ〜ん」
「まぢ?でも呼んだらすぐ来てくれる感じなん?」
白石姉妹はどこか訝しげだが、僕を侮ってもらっては困る。
「まぁ、任せてくださいって」
僕は徐に立ち上がり、窓を開ける。
大きく息を吸い込んだところで、何かを察したのか、月宮さんは止めに入ろうとした気がするが、気のせいだろう。
「涼風さぁぁぁぁあん!社会科準備室にーーーしゅーーーごーーーー!!」
3度繰り返し叫び、満足げに振り返ると、頭を抱えた月宮さんと、ドン引きする3人が目に入る。
「ヨシリン、まぢか・・・」
「そういえば去年も誰かが叫んでたことあったけど、あれヨシリンだったんだねぇ・・・」
マジか。頑張って声出したのに。
「事実は小説よりも奇なり、とは言うが、恋崎は奇に寄りすぎじゃないか?」
「いや、そんなことは」
否定しようとする僕に、月宮さんは食い気味に言葉を挟む。
「ある。恋崎くん、そう言うところ、ちゃんと認識、して」
僕ってそんなに変な部類なのか。
そう言えば、高岡先生には素行が真面目じゃないって言われてたけど、まさかね。
それから程なくして、廊下を駆ける足音が聞こえてきた。十中八九、涼風さんだ。十に一つは青筋を浮かべた高岡先生かな。
勢いよく開け放たれたドアから顔を出したのは、やはり涼風さん。乱れた前髪を掻き上げる様はやはりカッコいい。たまに女の子であることを忘れそうになる程だ。
「ちょっっっと良いかな!恋崎くん!」
「やぁ涼風さん、結構早かったね。ってあれ、なんで襟掴むの?待って引っ張らないで!伸びちゃうから!」
僕はそのままズルズルと引き摺り出され、一つ角を曲がり階段横へ拉致られた。
「どうして!君は!いつも!そうなのかな!」
「いつもってほどやってなくない?あ、いやごめんなさい反省してます!」
別に圧に負けたわけではない。そう、断じて違う。ほら、ここで意地張るのも子供っぽいと言うか、大人の対応というか。ホントだよ?
「風紀委員長の前で風紀を乱すことは辞めて欲しい、と言ったはずなんだけれどね・・・」
それについては若干反省しているつもりだ。
「それで、あんな呼び出し方をして、一体私になんのようだったのかな?」
さぞかし大事な用事なのだろうね。と圧をかけてくる涼風さんだが、僕は動じない。今回ばかりは大事な用事なのだから。
「実は帰宅部の部員が足りなくって廃部の危機なんだ。それで涼風さんに入ってもらえないかなと思って」
「私の耳にも話は入ってきているけど、三塚先生の産休で問題児達の問題が発覚した、って」
マジか、帰宅部って公認で問題児の集まりになってるのか。やっぱり僕も退部した方がいいかな。
「それで、その・・・どう?」
「はぁ・・・。まず学校でインスタントコーヒーは校則違反だよ。それに白石先輩達と月宮さん、彼女達は服装の規定違反。池田くんはそれに加え、私物の持ち込みが校則に違反する。そして君は素行が非常に悪い」
「つ、つまり?」
「前にも言っただろう。私の前で風紀を乱すのはやめて、と。今までは形式上の指導で済ませていた」
確かに月初めに風紀取り締まり週間として、校門での検査と違反する生徒には、朝別室での指導があると聞く。
涼風さんは一呼吸を置くと先程の少し砕けた雰囲気を潜め、真剣な眼差しを僕に向ける。
「だけど私が入部したなら、そうはいかない」
みんなからしたら、この時の涼風さんが怖いのだろう。1年弱の付き合いしかないけれど、そんな僕でもわかる。彼女は誰かのために、ちゃんと叱ってあげることができる人なんだ。
僕も含め、多くの人達は嫌われることを恐れ、余程仲良くない限りは人を叱るなんてことはできない。その方がその人のためになるとわかっていても、だ。
それでも涼風さんは、人を選ばずに、その人のために、時にはキツイ言葉で叱ることができる。そんなかっこいい女の子なんだ。
「もちろん帰宅部以外にも校則を破る生徒はいる。緩くはあるけれど、私達風紀委員はそれを正す立場にある。その事に、みんな多少の不満は持っているんだよ」
だから帰宅部に入部したら、みんなのことを正さなくちゃいけない。そういうことなのだろう。
「だけどね恋崎くん。私はみんなの好きを否定したくないんだ。帰宅部の人達だけをなぁなぁに流してしまうと、あの人達だけ優遇されていると、そんな認識が広まってしまう」
「その差別意識が、新たな問題を起こすってこと?」
わかっているじゃないか。涼風さんはそう告げると、背を向け歩き出す。
そう、わかっているんだ。だけど、それでも。あの部活を守らなくちゃいけない。
「待ってよ!涼風さんの言う事もわかるけど。これは月宮さんの!」
「そんなの私だって!」
振り向く彼女は、今までに見たことのない顔をしていた。その時に僕は、不謹慎ながらも少し安心していた。あぁこの人も怒るんだな、と。
しかし彼女の口からは、それ以上の言葉は出てこなかった。出そうとして、それでもその言葉を飲み込んで。今まで一体どれくらい彼女は、そうやって自分を殺してきたのだろうか。
初めて触れる彼女の気持ちに、僕も言葉が出せずにいた。このままでは良くないとわかっていながら、それでもなんて言葉をかければいいのか、わからなかった。
「恋崎くん、無理強いは、良くない。涼風さん、ごめんね」
「月宮さん・・・私こそ、力になってあげれなくて、ごめんね」
「大丈夫。帰宅部の事は、私達がなんとか、する。主に恋崎くんが」
月宮さんの言葉を聞いて、涼風さんはクスリと笑うと、先程の感情をはどこかへ消えていた。
「主に恋崎くん、か。少し不安だけど、それなら大丈夫かな」
「うん。大丈夫」
なんだその僕に対する過剰な期待は。責任だけが増えてく気がする。
「涼風さん、なんかさっきはごめん」
今度ちゃんと、さっきの続きを聞かせて欲しい。そう続けようとした僕を、押さえ込むように、涼風さんは食い気味に答えた。
「いいよ許してあげる。それじゃ恋崎くんに、1つヒントをあげようか」
今は、聞かないで欲しい。そんな彼女の思いが、拒絶がそこには込められていた。それならもう、聞けない。
「ヒントってなにかな?」
「ノートの彼女。恋崎くんに感謝していたよ」
ノートの彼女。思い当たる人物が1人だけいた。中庭で出会った1年生の女の子。
「あの人か。そう言えば僕、彼女の名前知らないんだけど」
「彼女のクラスは1年3組。あとは自分で聞きなよ」
"いつも"の様に不敵な笑みを浮かべると、涼風さんは人差し指で軽く、僕の額弾いた。これでこの話は終わり。そういう事なのだろう。
「それじゃ、月宮さんも恋崎くんも、部員勧誘頑張ってね」
涼風さんは、後ろ手で手を振りながら来た道を戻っていった。
「恋崎くん、女ったらし?」
「そう言うんじゃないから。どっちかと言えば涼風さんが女ったらし、いや、人たらし、とでも言うのか?とにかく、カッコいい、ステキ」
「恋崎くんも、いつも通り、だね」
いつも通りを装っていた事は、月宮さんには、見透かされているのだろう。それでも、いつも通りと言ってくれるのであれば、僕はもう前に進むしかない。
帰宅部の最後の1人に、ドン引きさせた後輩を勧誘か・・・。なんだかすごく気が重いが、大丈夫。月宮さんだって、池田だっているんだ。いざという時は、どちらかに会話を丸投げしよう。うん、それがいい。
心なしか、いつもより少し痛く感じる額をさする。それでも消えない痛みを、僕は無理やり意識の外へ追い出し、仄かに薫るコーヒーの匂いに向かって歩き出した。




