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3話 譲ることのできない、そんなものが誰にもあるのです。

 池田秀治(しゅうじ)。それが帰宅部幽霊部員の名前。端的に言えばイケメンのオタク。イケメン。だけど、オタクなのだ。心なしか声すらカッコいい。だけど、オタクなのだ。

 いや、オタクであることは別に悪いことではない。昨今では漫画やラノベ、アニメなどはポップカルチャーとして親しまれている。アニメーション映画が実写映画よりも興行収入が高いこともザラにある。

 だが、物事には限度がある。一定のラインを超えるディープなオタクは、ポップカルチャーを楽しむライトな一般層に混じってはいけないのだ。だって引かれるし。我々オタクは今も昔も変わらず擬態して生きているのだ。

 そう、擬態をしているのだ。普通は。なのにこの男ときたらどうか。ワイシャツの下にはアニメキャラの印刷されたTシャツを着用し、あまつさえ前面のボタンは全開放。スマホケースはもちろん痛ケースで、カバンには小さめのぬいぐるみ。隠す気ゼロ!圧倒的オタク!擬態、適用せず!


「それで、俺に何の様だ」


 顔も良くて声も良いのが腹立たしい。しかもTシャツや痛ケースから察するに、コイツは萌え豚だ。許せん。やつらは原作を蔑ろにし、キャラにしか目を向けないクズだ。(当社調べ)


「あぁん?」


「待て。何で俺は喧嘩を売られている?」


 おっといけないいけない。落ち着け僕。シズマリタマエー。


「ごめん少し間違えた。確認なんだけど、萌え豚くんは帰宅部に所属してるんだよね?」


「やっぱり喧嘩売ってるよなお前?それに俺は萌え豚じゃない。というかオタクでもない」


「萌え豚御用達セットを取り揃えておきながら、寝ぼけたことを言うな。どっからどう見てもオタクだろ」


「わかった認めよう。俺はオタクだ。だが何故わかった・・・?」


 むしろ何でバレてないと思った。

 喉まで出かかった言葉を強引に飲み込む。僕はこれから彼を説得しなくてはならないのだ。これ以上怒らせるのは得策ではない


「それともう一つ、俺は萌え豚ではない。声豚だ!」


「どう!でも!いい!すごく!どうでも!いい!!」


 我慢できませんでした。

 そうしてヒートアップし始めた僕を、左の袖を引っ張る小さな力が引き留めた。


「恋崎くん、落ち着いて。同族嫌悪、良くない」


「待って月宮さん、同族じゃない。断じて違う。僕は原作の尊さを尊重しないアニメ表現や実写表現を許しはしない。いいかい月宮さん。声豚や萌え豚って言うのはキャラや声優ばかりを見ていて、アニメでしか作品を見ていない生き物なんだ。原作にしかない表現や、文章の余白にしか存在しない感情、そう言ったものを全く無視した愚かな存在なんだよ」


「おい待て、貴様さては原作厨か。今のは聞き捨てならんな。アニメにはアニメにしかない表現があるだろう。原作では読み手次第によって様々な解釈をされるセリフや感情、それが声優の演技やBGMと言った、アニメならではの演出で表現することにより、原作者と視聴者で感情やセリフの裏の意味を共有することができる。まぁ貴様らの様な自分だけの解釈に陶酔するような、自己中心的な原作厨には説明しても伝わらんだろうがな!」


 何だコイツ、早口で捲し立てる様なんてまんまオタクじゃないか。全く僕を見習ってほしい。


「よくわからないけど、2人とも仲良し。よかった」


「「どうしてそうなった!」」


「ほら、息ピッタリ」


 なんだこのベタな流れは。これじゃまるで・・・。


「まるで、変恋みたいだ・・・」


 池田は何かに感動しているかの様に、口を手で押さえ、目を潤ませながらそう呟いた。っておい、待て。コイツまさか・・・?


「池田、お前も見たのか?変恋を・・・?」


 『クラスの変なやつらに、俺は恋をしている』通称、変恋。タイトルの通り奇想天外なクラスメイト達に恋をしていく主人公の片道くん。ハーレムの構図に見せかけて、片道くんの片想いが多方面に炸裂するカオスなオリジナルアニメーションだ。

 当時、話題作をいくつも発信した制作会社と、成功請負人と言われた監督、更に海外で賞を受賞した作品の脚本家、そして売れっ子声優達などなど。僕が考えた最強のチームによって作られたアニメなのだが・・・。

 蓋を開けてみれば、絶妙にパースの合っていない作画崩壊。微妙に辻褄の合わない台詞回し。体調不良による声優の降板と、代役が事務所ゴリ押しの俳優を起用して歴史に残る棒読み演技。果てはスポンサー企業ゴリ押しの、病床に伏せるヒロインへ主人公が作った、謎の民族料理。

 元々カオスなストーリー、そこに付加された様々な要因により、カオス以上の何かが爆誕した。そう、歴史に残るクソアニメだ。


 制作会社は話題になりすぎたために、同時並行で劇場アニメや同じクール放送のアニメなど、スケジュールを詰め込み過ぎてしまう。

 監督と脚本家もお互いに仕事が増え過ぎて、内部の打ち合わせがロクに出来ない。

 声優は前クールから多忙だったが、同じクールに放送中のアニメ、その半分に出演して過労。

 スポンサーは・・・何だったんだあいつら。

 兎にも角にも、これは現場が忙しすぎるため起きた不幸な事故なのだ。


 だがクソアニメはクソアニメで、一部の層が独自な方向性で楽しみを見出し、カルト的な人気を誇ってもいた。そして変恋は、ある概念を生み出していた。

──────変恋が好きなやつに、悪いやつはいない。


「お前、まさか・・・。さっきはすまなかった。名乗る必要もない様だが、改めて俺は池田秀治だ。お前の名前を教えてくれないか?」


「僕は恋崎好人。こちらこそさっきはごめん。池田くんのこと、誤解していたよ」


 僕達は熱い握手を交わした。


「君付けなんてよせよ。秀治で良いって」


「ありがとう池田くん。それなら僕のことは恋崎さんと呼んでくれ」


「あぁよろしくな好t・・・って普通そこは下の名前で呼ぶところじゃないのかよ!下の名前で呼ばせてくれるところじゃないのかよ!」


「え、嫌だよ馴れ馴れしい」


 初対面で名前呼びって、そんなことできたら、お花畑な雑誌読んでコミュ力鍛えたりしていない。


「似たもの同士、だね」


 何故か月宮さんが半歩だけ、遠くに感じたが気のせいだろう。


「まぁいい。それで俺が帰宅部に所属してるかって話だが。所属はしているが俺は幽霊部員で・・・」


 冷静になり視野が広がったのだろうか。池田くんの視界に月宮さんが映ったのか、目を見開く。


「お前は、帰宅部2年!月宮麗華!」


 些かオーバーでトレンディなリアクションだ。ちょっと憧れてたんだね。何となくわかるよ。


「貴様、騙したな恋崎好人!このクソッタレ!」


「バカめ、池田秀治!お前が帰宅部幽霊部員であることはリサーチ済みだ!」


 逃げようとする池田に、回り込む僕。激しい攻防の火蓋が切って落とされた。


「2人とも、目立つから、場所変えよう」


「「はい」」


 そして火種が落ちる前に、火蓋は閉じられた。



@



「つまり俺が原因で帰宅部が廃部の危機であると」


 場所は変わって仮部室こと、社会科準備室。もちろん、ここが帰宅部の仮部室になっていることは伏せている。だからノコノコついてきてしまったのだよ、貴様は。


「それなら恋崎が入部したら解決じゃないか」


「バカ言うな。ギャル3人に囲まれて帰宅なんて、僕のメンタルが持つわけないだろう」


「その言葉、もう一度口に出してみろ。俺の目を見て」


 そう言えばそうでしたね。


「廃部の件もある、だけど、一回でいい、先輩達の話、聞いてほしい」


「正直に言うなら、俺はギャルという生き物が苦手だ。あのノリでグイグイ進めてく感じがどうにも合わない。先輩達の事も苦手という意識はある。だが、お前達の真剣さが伝わらないほど、俺も馬鹿じゃない」


 お前達、その言葉が少し引っかかる。月宮さんは言わずもがな、とても真剣に今回の件を考えている。だが、僕はどうなのだろう。半ば巻き込まれたような立場だし、そこまで親身になっているつもりはない。

 ただ、先輩たちの想いも、月宮さんの想いも、無碍にして欲しくないと思っていただけだ。僕は一体どうしたいのだろうか。


「つまり、話、聞いてくれる?」


「あぁ構わん。部室に行けば、先輩達はいるのか?」


「あ、ここ帰宅部の仮部室だから、先輩達ももうすぐ来ると思うよ」


 しれっと返す僕に、池田は脳の処理がまだ追いついていない様子。池田、君はもう僕の術中にハマっているのだよ。


「恋崎ィ!」


「さんを付けろよ。デコ助野郎ォ!」


 騙された、と気づいた池田が逃げ出そうとし、僕が回り込む。教室での出来事が繰り返されているようだが、池田はあの時と違い明らかに逃げる気がない。

 池田がこちらの意図を汲んでくれた以上、僕だって池田の話を聞いてくれる、という言葉を信じている。つまりこれはただのプロレスみたいなものだ。

 あと、一回言ってみたかったんだ、あのセリフ。


「原作厨の貴様がアニオリのセリフを口にするとはなぁ!」


「え、だって一回言ってみたいじゃん」


「まぁ、確かにそれはそうだ。俺も言ってみたかった」


 それに僕は原作厨とは言え、アニメだってちゃんとみるんだぞ。


「あれれぇ〜。なんかもう2人仲良くなってんじゃん」


「マジか、ウチら出番なかったっぽい?」


 そこに入ってくる白石姉妹。心なしか表情が少し堅い気がするのだが、気のせいだろうか。

 同じように感じたのか、月宮さんの2人を見つめる視線も不安そうな陰が混ざっている気がした。


「いえ、先輩達の話を聞く、俺がここにい理由はそれだけです」


「あぁなるほどなるほど〜」


「そしたら単刀直入に聞くけど!イケっちって、なんか悩んでる?」


 あまりに唐突な問いに、池田は一瞬たじろいだ。

 まぁ悩みがあるか、と聞かれたら普通考える。そして考える内に、人は必ず悩みに行き当たりる。当然だ。人生に不満のない人間なんて、いるはずがないのだから。


「そうですね・・・。顔が良いことですかね」


「ぶっ飛ばすぞ。お前」


「なんか恋崎、俺に対する当たり強くないか?」


 いや、これは誰だってそうなる。なまじ顔が良い分、余計に腹が立つ。


「そうじゃなくって、自分の居場所がない、的なやつ。ない?」


 今までテンションアゲアゲのアッパーラッパーだった葵先輩は、いつもよりもずっと真面目なトーンで、だけど池田を責めるのではなく、まるでイタズラを隠す子供に対するような優しさで、再度問いかけた。


 僕は数刻前の軽はずみな返しを、早くも後悔し始めていた。

 どうしてこんな簡単なことに、僕は気づけなかったのだろうか。

 帰宅部は居場所がなかった白石先輩達に、三塚先生が用意したくれた場所。そこから考えればすぐにわかったはずなんだ。


 きっと先輩達はずっと心配していたのだ。居場所のない彼が、縋ろうとした場所。自分達は、それすら奪ってしまったのではないか。そんな風に彼女達は考えていたのではないだろうか。


 今まで人の気持ちが、わからなかったことがない。僕はそう思ってきたが、その実、僕がわかった気になっていただけで、今みたいに本心に気づいていなかっただけなのではないか。


 急なことで面食らう池田を見て、紬先輩が口を開く。


「ウチらさぁ、こんな感じだし。周りからもノリの軽い、不良生徒みたいに思われがちでさ」


 紬先輩は目を伏せる。口にはしないが、今まで色々な言葉が、視線が彼女達に投げかけられてきたのだろう。


「ただ好きな格好して、好きな事してさ〜・・・。自分達の好きに、正直でいただけなのにねぇ」


「しかもウチらの親、結構厳しくて!ファッションとか、髪色とか、そーゆーのは自由にさせてくれるんだけどね。進路とか、マジなとこはしっかりやらされて」


「そぉそぉ。それでウチらも思春期じゃん?葵と2人で反抗期突入しちゃってさぁ。学校でも浮いてるし、家も居心地悪いし。もぉどうしよ〜って時に、みやっちゃんが声かけてくれてぇ」


「あん時はマジで嬉しかったなぁー・・・。ウチらにも味方がいるんだって、それだけで元気になれたってゆーか!」


「まぁ、蓋開けてみれば、最初っから敵なんていなかったんだけどねぇ」


「それな!マジウケる!」


「それでさぁ。もしイケっちも、そうゆー悩みがあるなら、帰宅部を居場所にして欲しいなぁって、思うわけよぉ」


「そーそー!ウチら誰でもウェルカムだし!それで、もし良かったらイケっちが帰宅部に入った理由、教えてくんない?」


 白石姉妹の過去。帰宅部の生い立ち。もちろん全てを話した訳ではないだろうが、それでも十分過ぎるほどに、彼女達が大切にしているものが伝わった。

 池田もそれを感じたのか、神妙な面持ちで、重々しく口を開く。


「実は俺、憧れてたんです・・・」


 あれ、ちょっと待て。この入り、もしかして全部台無しになるやつじゃ。


「アニメみたいな学園生活に!そんな中で変な部活があったから、気になって気になって・・・気づいたら入部してましたぁ!」


 すっごく深刻な悩みをカミングアウトした風な池田は、涙ぐみながら思いの丈を告げた。


「あぁ〜うん、そんな感じかぁ」


「イケっちマジか!ウケる!」


 先ほどまでの深刻な空気感は何だったのか。


「先輩達のお気持ちは嬉しいですが、俺の望んだ世界はここにはないんです・・・」


 池田よ、気づけ。もう真面目ムードは吹き飛んだ。


「池田、お前少しは空気を読みなよ」


「まぁ良いじゃん?ウチらの考えすぎで済んだんだから、みんなハッピ〜的な感じだし」


「そーそー!てゆーか一回体験してみたら良いじゃん!もしかしたらイケっちも気に入るかもよ?」


 確かに池田が悩みを抱えていなかったとしても、帰宅部に復帰しないとは限らない。

 厳しいだろうが、この帰宅部体験で上手い事勧誘してもらおう。


「それじゃ、みんな荷物持ってしゅっぱーつ!」


「いや、俺まだ体験するなんて」


「良いから良いから!ほら、麗ちゃんもヨシリンも行くよ!」


「ヨシリン・・・って恋崎、お前まさか」


 はい、ヨシリンです。おいそこ、笑うな池田。


「マジかっ・・・おまっ、お前のミッチー、どこだよっ・・・」


 うるさいよ。僕だってミッチーがどこにいるのか教えて欲しいよ。


「葵先輩、僕は体験する必要ないんじゃないですか?」


「まぁまぁ良いじゃん。ヨシリンも帰宅部入ればさぁ」


「いや、何で僕が入る話になってるんですか」


「だって男子1人って、『一般的な感性を持つ男子高校生には無理』なんでしょ?」


「あぁそれ言ってたねぇ。ヨシリンも責任取らなきゃねぇ」


 笑い散らかしていた池田にヘッドロックをかけながら抗議するも、その声は姉妹に軽くいなされる。ついでにヘッドロックも振り解かれた。白石姉妹が仮部室を出たのを見送ると、池田は不敵な笑みを浮かべる。


「恋崎、お前だけ1人抜けなんて、俺は許さないからな」


「池田お前もしかして・・・」


「あぁそうだとも。この体験が終わったら、俺は先輩達に言うぞ。恋崎も入るなら、復帰を考えても良い、とな」


 部員の不足を補うには、池田の復帰が最速の解決方法だ。だが、ギャル3人の中で男子高校生が1人なんて・・・いや、違う2人になるのか。あれ、それならまだ何とかなるか?


 池田が仮部室を出て行く背中を見送りながら、思考を巡らせていると、ふっと違和感に気づき振り向く。その先にいる月宮さんは、いつも通り月宮さんだった。

 だけど、それならなんで、さっきは一言も話さなかったのだろうか。


「月宮さん、どうかしたの?」


「どうって、なにが?」


 質問を質問で返す彼女の視線には、まだ不安の色が残っている気がした。

 何故だかその瞳から目が逸らせず、言葉も発せずにいると、月宮さんは観念した様に視線を逸らした。


「紬先輩も、葵先輩も、何か隠してる」


 彼女の呟きは、何故か自分を責める様な、そんな気配を纏っていた。

 僕はそれに気づかないふりをして、「それなら後で確かめてみようよ」なんて、そんなあり触れた言葉しか、かけることができなかった。


 そこに触れてしまうと、取り返しがつかなくなってしまうのではないか。そんな僕の不安すらも、気のせいだと自分自身に言い聞かせて歩き出す。


 校舎から出た僕を風が撫でる。梅雨は明けているはずなのに、晒した体には不快感が残る。空を見上げれば、夕焼けを覆う様に雨雲が流れてきている様だった。

 遠くで雷の音が聞こえた気がした。

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