第7話 芽吹きと囁き
翌朝、小屋を出ると空気はしっとりと湿っていた。
夜の間に雨が降ったのか、土は黒く濡れ、草の葉には水滴が煌めいている。
小鳥が枝から枝へ飛び移り、囀りが森に響き渡っていた。
「エリナ様、畑を見に行きましょう」
ミアの声にうながされ、小屋の裏手へ向かう。
昨日まではただの土だったそこに――私は息を呑んだ。
「……芽が、出てる」
小さな緑の双葉が、雨に濡れながら顔を出していた。
ほんのわずか、数えるほどの芽。
けれど、確かに新しい命がそこに息づいている。
「こんなに早く?」
ミアが驚いてしゃがみ込む。
「普通なら、芽吹きにはもっと時間がかかるはずです」
「そうね……でも、この森だからかもしれない」
私は膝をつき、土にそっと触れる。
ひんやりとした感触の奥から、微かな温もりを感じた。
それはまるで、土そのものが生きているかのように。
――ふわり。
昨日と同じ光が、芽の周りに浮かび上がった。
淡い緑の粒がきらきらと揺れ、朝日を浴びて舞い上がる。
一瞬、芽が光に包まれたように見えた。
「また……光が」
ミアが小声で言う。
私はただ見惚れていた。
恐怖ではなく、歓喜が胸に広がる。
「ありがとう」
思わず声が漏れた。
誰に向けた言葉かは分からない。
けれど、芽吹きを祝福する光に対して、自然と感謝の言葉が口をついて出たのだ。
その瞬間、耳元で風が囁いた。
――ようこそ。
幻聴かもしれない。
けれど確かに、優しい声が届いた気がした。
「エリナ様?」
ミアが不思議そうに首をかしげる。
私は微笑み、首を振った。
「ううん、なんでもないわ。ただ……この森は私を受け入れてくれてる。そう感じただけ」
小さな芽を守るように畝を整え、水をやる。
昨日よりも丁寧に、まるで子どもを世話するかのように。
その後、二人で森を歩き、薪を集めたり小川で洗濯をしたりした。
不便だけれど、不思議と苦にならない。
すべての作業が「生きている実感」を与えてくれるからだ。
夕暮れ、再び畑を訪れると、朝よりも芽はしっかりと葉を広げていた。
わずか一日の成長とは思えないほどに。
「……やっぱり、この森は特別ね」
「ええ。もしかすると、精霊が本当に――」
ミアが言いかけたとき、畑の端で小さな影が動いた。
私は息を呑む。
人の形をした小さな光の塊。
幼子ほどの大きさで、淡い緑の輝きを纏っている。
それは芽を見つめ、ふわりと宙に浮かび、やがて森の奥へ溶けるように消えていった。
「……今の、見た?」
「え、ええ……間違いなく、精霊です」
ミアの声は震えていた。
私はただ胸に手を当てる。
恐ろしさはなかった。
むしろ、胸の奥が温かく満ちていく。
「森は……やっぱり私を選んでくれたのね」
呟いた言葉は、夕暮れの空に溶けていった。
芽吹きと共に始まる新しい暮らし。
その背後には、森の精霊たちのまなざしが確かにあった。