下
第四話です。
前の投稿から時間が空いてしまい申し訳ありません。
やっと終わりに近づいてきました。
あと一話で完結予定ですので、もうしばらくお付き合いくださいませ。
作者自身まだ学生ですので、至らぬ点も多々あるかと思いますが、何卒よろしくお願いします。
リクエストや質問等感想で受け付けております。
ガタン。
音を立てて、俺の昼ごはんになるはずだった弁当がコンクリート造りの床に落下した。
竹製の丸箸が、屋上の端まで転がっていく。
俺はそれらを拾う気にもなれずに口をぱくぱくと動かした。
それもこれも___
___屋上の縁に足をかけて座る、優羽の姿があったからである。
「……ゆ、う」
なんとか絞り出した声は掠れていたけれど、それでもあいつには聞こえていたようで、髪の毛を風に揺らして振り返った。
「あ、旭」
ひらりと手を振る様子は、恐ろしいほどに気が抜けている。
今日の今日まで行方不明、というか存在自体を消していたくせに。
こっちの気も知らないで。
焦りも忘れて、いっそ腹が立ってきた。
「優羽、なんでお前……ていうか最近、どうして居なかったんだよ!?」
踵を鳴らして詰め寄ると、優羽はいつも通りの飄々とした様子でさらりと応えた。
「最近居なくなってたのは……まあ、どうでもいいでしょ。何しに来たか、は旭の願いを叶えにだけどなにか?」
「はい?」
なんておっしゃいました、優羽さんや。
いや、「なにか?」じゃない。
どういうことだよ。
これがマンガなら、多分俺の背景にはクエスチョンマークが沢山浮かんでいるんだろう。
いや、そうなって当たり前だ。
急に「願いを叶えに」なんて言われたら、誰だって混乱するに決まっている。
『願いを一つ、叶えてあげよう』
夢の中の声が脳裏をよぎる。
落ちたままだった弁当箱を拾い上げて俺に渡した優羽は、それはそれは満足そうにほほ笑んだ。
彼女はどこからかアイス棒を取り出し、スッと俺の目の前に掲げる。
はずれ、の文字がやけに大きく見える。
どこぞの魔法使いのようにそれを降ってみせた優羽は、笑顔のまま口を開いた。
「願いを一つ、叶えてあげよう」
どこかで聞いた一本調子で、どこかで聞いた台詞の通りに、優羽は言ってのけた。
「ど、ういうこと、なんだよ」
なんとか語句を絞り出す。
優羽はそれがなんでもないことのように言った。「だから。願いを叶えてあげるって言ってんの」「そんなこと……」
できるわけない。少なくとも、人間には無理だ。「できるわよ。あのさ___」
___私、天使なんだよね。
あの夕暮れ時の言葉をもう一度、同じような口調で。もうそれすらも懐かしい。
それくらいには、俺はこの状況に疲弊していた。
そんな少しの間に、優羽はいつの間にやら制服のベストを脱いでいた。
ワイシャツ一枚という、涼し気な格好になって見せて、柵の外の虚空に背を向けた優羽は、なんだか非現実的に思えた。
「知ってた?私、天使なんだよ」
刹那、光が広がる。
目を刺すような、強い光。
思わず細めていた目を開くと、そこには信じられないものがあった。
優羽の背中に、羽が生えていたのだ。
カラスのような真っ黒な羽でもない、かといって、アオサギのようなしなやかさもなくて。
どちらかといえば、ひな鳥の羽毛のような、柔らかそうな羽だった。
そして、びっくりするくらいに真っ白。
まっさらで高潔な、まさに「純粋」という言葉の似合うような。
天使。
まさに、その言葉の通りだった。
冗談でもなんでもない、優羽の言葉は全て真実だったのだ。
「ねーえ。旭の願い聞かないと私上に帰れないの。ほらはーやーくー」
「帰る、って……どうして」
つまり、また居なくなるということだろうか。
上、などと言う言い方をするのだから、自分の家だとかいうことじゃない。
「当たり前でしょ?だって、旭と私は、出会ってなくて当然なんだから」
「どういうことだよ」
「まだ気がついてないの?天使がヒトと関わるなんて、本当ならありえないんだよ」
「そんなわけ……」
だって現に今、関わっているじゃないか。
「そんなわけないって?それがあるんだよ。更に言うなら、旭は本当は私と出会ってないはずなんだよね。幼馴染なんかじゃない」
「はぁ!?」
それこそ正にそんなわけない、だろう。
物心つく前から、いつからかもわからないくらい前から、ずっと知り合いだというのに。
「信じられないって顔してんね。じゃあ、私から質問。旭から見て、私と出会ったのはいつ?」
「いつ、なんて」
答えられない。
ずっと幼い頃から、いつからなんてわからないほどだ。
気がついたら優羽はそばにいて、一緒に過ごしていた。
「ほら、答えられないでしょ?
だって、私が記憶を書き換えたんだから!!
答えられなくて当然、分からなくて当然!私たちは幼馴染なんかじゃない!私が、勝手に、旭の記憶に入って、私をあることにしたんだよ!」
優羽はほとんどパニックで、こんな彼女をみるのは初めてだった。
こんなに取り乱すなんて、それこそ珍しいくらいだ。
ありえないことを聞いてしまったからか、俺の頭の中は一周回って落ち着いていた。
「……なんで、そんな事したんだ?」
優羽は気まずそうに後ろ手に指をこすり合わせた。
「話すと、長くなるんだけど___」
___私たち天使は、一人前と認められるまでに試験があるの。
それが、これ。AAI。
……よくわからないって顔してんね。
天使適性審査、Angel Aptitude Inspection、略して、AAI。
で、その内容が、ヒトに混じって三年間生活をすること。
ヒトのことを知ること、ヒトの中にいかにしてなじむかっていうところかな。
え?その後?
当たり前だよ、元の場所に帰るだけ。
関わったヒトの記憶は全て消してね。
だから、私が旭と会ったのは数ヶ月前。
高校の入学式ってことになる。
もちろん、ヒトの記憶に入って更にそれをいじるなんて重罪だよ。
バレたら、そのままじゃいられなくなる。
良くて堕天使、悪くて消滅、奇跡が起きて追放ってとこ。
だけど、私はそれを犯した。
風見旭というヒトの人生に、少しでも介入したいと思ってしまったから。
ここ数日間居なくなったのはそれがバレたせい。
罰を甘んじて受けようかと思ってたんだけど、カミサマがせめて後腐れをなくしてこいって言うからね、今日は来たんだよ。
え?どこからバレたか?
旭も会ったでしょ、あの人。
なんだっけ、こっちでの名前……そうそう、宮先輩。
あの人も関係者。
まあ、天使ってこと。
場合によっては、私を処罰する人でもある。
あの人、ああ見えてエライ人だから。
「どうしてそんな事したんだ?」
そう聞くと、途端優羽の頬がピンク色に染まった。
活火山レベルに一瞬で赤くなったその顔を見て、そんな変なこといったか俺、と眉をひそめる。
こんな優羽は初めて見る。
今日は、優羽の珍しい姿をみる機会が多いな、と呑気にもそう思った。
「おい、なんで……」
「うるっさい、あほ!」
「はぁ!?」
不可解に顔を赤くしたかと思ったら、今度は急な暴言。
いくら何でも理不尽すぎやしませんか、優羽さん。
こいつが支離滅裂なのは今まで何回もあったが(優羽に書き換えられていただけかもしれないが)ここまで理不尽なのは初めてだ。
「どうしてそんな事言うんだよ!」
「鈍感!ニブチン!ばーかばーか!それ聞くのは野暮ってもんでしょ!!」
「どういうことだよ!?」
「うるっさいわね!」
優羽が急にあっちを向いたかと思ったら、一呼吸の後にその顔が勢いよくこっちを振り向く。
頬は、さっきと比べ物にならないくらい赤く染まり上がって、目は今にも泣き出しそうにうるんでいた。「私が、旭のそばに居たかったからだよ!アンタの人生の中に、私という存在をねじ込みたかったの!私が!旭を好きなんだよ!!」
衝撃の告白。
好き。すき。スキ。
そんなの初めて言われた。
好きって……。え?
「likeじゃなくて?」
「loveだわばか!言わせんなあほ!恥ずかしいでしょうが!!」
まじか。友人としての、知人としての好きじゃなくて、つまり、恋愛的な。
惚れた腫れたの好き。
likeじゃなくてlove。
そんなの、考えたこともなかった。
俺の優羽への気持ちは、恋愛というよりかは、家族に向ける愛情に近い気がしていたから。
「ねぇ、責めないの?私の勝手で旭の記憶書き換えて、挙句好き、だなんて。怒らないの?気持ち悪いって思わない?」
気持ち悪い、よりも嬉しい、のほうが近いだろう。
人間、好意を向けられて悪い気はしないものだ。
欲を言うなら、もっとその言葉を聞きたいし、優羽ずっとそばにいて欲しい。
更に言うなら、手を繋いで街を歩きたいし、それを何十年先まで続けていたい。
この感情は、何というのだろう。
家族に向けるものな気もしたし、愛情のような気もした。
恋、とも呼ぶのかもしれない。
「まあ、安心してよ、願い叶えたらすぐいなくなるし……」
「優羽……お前、本当に俺のこと好きなんだな」
「ハァ!?」
口からポロリと言葉がこぼれ落ちる。
何気ないそれに、優羽は大きく眉を寄せた。
「さっきから聞いてるとさ、俺のそばに居たすぎてそんな事したんだろ?内容はともあれ、良いことじゃん、好きな人と一緒に居たいっていうのは。なんでダメなんだ?」
「それは……カミサマに怒られるし」
バツが悪そうに優羽は指をいじくった。
あっちのルールとこっちのルールはだいぶ違うらしい。
でも、優羽と一緒にいられて悪い気はしなかった。
それならいいかな、と俺は思ってしまうのに。
天使というのも難儀なものだ。
「優羽は、これからどうなるんだ?」
「旭の願いを叶えてから、あっちにもどるよ」
「その後は?」
「さぁ」
硬くて冷たい声だった。
絶望しているのか、興味がないのか。
少なくとも後者でないことは明らかだったが。
「罰を受けると思うよ。追放か、消滅か……記憶を消されるとかね。全部カミサマ次第。まぁ、一回消えたとしても、また巡り巡って何らかの形で生まれると思うけどね」
優羽は肩をすくめた。
遠くで昼休み終了の鐘が鳴る。
そろそろ戻らないといけないけど、肝心の足が動かない。
その場に縫い付けられたみたいに、直立不動のまま歩き出せなかった。
「じゃあ、願い言うよ。叶えてくれるんだろ」
「まあ。決まったの?」
優羽がアイス棒をこっちに向ける。
俺は、深呼吸を一つして口を開いた。
「優羽と一緒に居たい」
つい、口に出していた。
優羽が居なくなって、痛いぐらいにわかったことがあったから。
ずっと、この先、何年、何十年先まで、一緒に居たいと思った。
この気持ちは重いのかもしれない。
笑われたって仕方ない。
だけど、願いが一つ叶うなら、これが良いと、そう思った。
「そんなこと、言わないでよ……軽蔑してよ、いっそのこと。気持ち悪いって吐き捨てて、教室に帰ればいいよ。そうじゃないと、そうじゃないと___」
___私も一緒に居たいって、思っちゃうでしょ。
消え入りそうな声で告げられた言葉は、俺にとっては飛び上がりそうなほど嬉しいものだった。
プロポーズを受けてもらえたような気分だ。
できるできないは別にして、少しでもそう思ってくれたことが嬉しかった。
「じゃあ……」
「無理だよ。私、どうせ消えちゃうんだからさ。ほら、なんか無いの、お願い事」
優羽がアイス棒をくるりくるりと回す。
いい加減時間が経ちすぎているのか、優羽の体から向こう、景色が透けて見えていた。
大きな羽も、セーラー服をまとった体も、全て。「じゃあ……」
慌てて口を開くと、優羽は目線をこちらに向けた。「生まれ変わったら、一緒にいて欲しい。記憶がなくなっても、追放されても、消滅して生まれなおしても、俺が探しに行って会いに行くから。その時は、ずっと一緒にいて欲しい。いつでも良い。何年先でも、何十年先でも、俺が死んで天国に行った後でも。その時は、一緒にいて欲しい……です」
急に気恥ずかしくなって、少し俯く。
優羽は、顔をほんのり赤くしていたけど、最後には満足そうに言った。
「それなら、いいよ。早く探しに来てね?私も待ってるからさ」
優羽は満足気に笑った。
それはそれは綺麗な笑みだった。
純真無垢な、それこそ天使にふさわしい笑顔で、柄にもなくドキリとする。
「願いを一つ、叶えてあげよう」
優羽がアイス棒をくるりと振った。
途端、あたりに閃光が満ち満ちていく。
景色が白く焼け付く中、一瞬厳粛な顔になった優羽が、優羽はもう一度笑みを浮かべた。
今度こそ、いつもの快活な笑顔だった。
「私も、旭のこと探すよ。だから、旭も私のこと待っててね。私も___」
___待ってるからねっ!
その言葉を最後に、優羽は居なくなった。
優羽がいた床には、代わりにアイスの棒が落ちていて。
はずれ、の文字を見て、少し笑った。
「おい、風見ー!もう授業始まってるぞ!!早く降りてこい!」
校庭から怒り狂った先生の声が聞こえる。
優羽は、居なくなってしまったけれど。
だけど、きっとまた会える。
なんの根拠もないけど、そう思った。
「はーい」
大きく返事をして、俺は校舎の中へと踏み出した。
閲覧ありがとうございました。