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見えない大人の壁

いじめは、多くの人が経験し、悩み、そして何度も繰り返されてきた社会の深い問題です。この物語では、そんな現実の中で、自分たちの力で立ち向かう高校生の姿を描いています。


「見て見ぬふりをする大人」「声を上げられない子どもたち」――その中で、何ができるのか。二人の主人公が自分の弱さや恐れに向き合いながら、成長し、行動を起こす姿を通じて、現実の世界でも大切なメッセージを伝えられることを願っています。


この章では、凌央が具体的な行動を起こし、紗奈が少しずつ変わり始める瞬間を描きました。二人の決意がどのような変化をもたらすのか、ぜひ見届けてください。


黒板に刻まれた名前の落書きは、教室全体に重苦しい空気を漂わせていた。担任の先生は笑いながら、その文字をさっと消しながら言った。


「だーれ、落書きはだめよ。ほら、消しちゃうからね。」


「はいはい、授業始めるよ。」


その軽い口調に、教室内のざわつきが一瞬止まった。しかし、次の瞬間にはいつもの日常が戻る――とでも言わんばかりに生徒たちは再び喋り始める。


紗奈は机に座りながら、じっと視線をノートに落としたままだった。その表情には何も映らない。


(……また同じだ。)


胸の奥に広がる失望感。目の前の光景が過去の記憶と重なり、嫌でも思い出させる。これまでのどんな場面でも、結局何も変わらなかった。そのたびに感じた無力感が、心を静かに締め付ける。


一方、隣の席の凌央は、その光景を目に焼き付けながら拳を握りしめていた。


(……ふざけんな。)


授業中、窓際から見える雲ひとつない空模様とは対照的に、凌央の心の中は嵐のように荒れていた。名指しの落書きを軽く流した担任の態度が、許せなかった。


授業が終わり、教室が静まり返る中、凌央は机に置かれたノートを勢いよく閉じると立ち上がった。迷うことなく廊下に出ると、職員室へ向かう足が自然と速くなる。


(あの落書きを見て、何も感じなかったってことかよ。)


胸の中にくすぶる怒りと焦り。紗奈を見て、何も行動しない大人の姿勢を考えると、黙っているわけにはいかなかった。


職員室の扉の前で、一瞬だけ立ち止まる。だが、その手には迷いはなかった。勢いよく扉を開けると、中にいた教員たちがちらりと振り向く。その視線を意識する間もなく、凌央は担任の先生の机へと向かう。


「先生、ちょっといいですか?」


普段より少し低い声で話しかけると、担任は書類から顔を上げ、気の抜けた表情で返事をする。


「どうした?」


凌央は一息つくこともなく、言葉をぶつけた。


「黒板の落書き、見て……何も思わなかったんですか?」


その一言に、職員室の空気がわずかに変わる。周囲の教員たちが視線を交わす中、担任の表情には一瞬、面倒そうな色が浮かんだ。凌央の視線は鋭く、言葉の後に続く沈黙が、職員室全体に緊張感を漂わせる。


凌央の低い声が職員室に響く。机に向かっていた担任が顔を上げ、不機嫌そうに眉をひそめた。


「何の話だ?」


「あの黒板のことだよ。紗奈の名前が書かれてたやつ。」


担任はあからさまに面倒くさそうな表情を浮かべた。軽く鼻を鳴らし、書類を手で払いながら答える。


「ああ、あれ?別に大したことじゃないだろう。子どもたちのおふざけだよ。」


その言葉を聞いた瞬間、凌央の指が無意識にズボンのポケットを強く掴んだ。肩が微かに震えるのを止めるように、呼吸をゆっくり整えようとする。顔には何も出さないつもりだったが、視線の奥に抑えきれない怒りが静かに燃えているのが感じられる。喉の奥から湧き上がる言葉を飲み込み、拳を作らないように意識しながら、胸の中で何度も言葉を反芻(はんすう)していた。


(……落ち着け。ここで感情的になってどうする。)


一見冷静を装ったその姿は、まるで今にも張り詰めた糸が切れそうな緊張感に包まれていた。


「おふざけ……?先生、本気でそう思ってんのかよ。」


「本気も何も、いちいちそんな落書きに騒いでたら、教師なんてやってられないんだよ。」


担任の声には、わずかな苛立ちが混じっていた。その一言が、まるで導火線に火をつけたかのように、凌央の怒りを一気に爆発させた。


「最低だな。お前ら教師って、ほんと見て見ぬふりが得意だよな。」


「なんだと?」担任は椅子を引いて立ち上がる。「お前、教師を何だと思ってる?」


凌央は一歩も引かず、鋭い目で担任をじっと見つめた。


「思ってる?見てりゃわかるだろ。問題をなかったことにして、自分の楽な道を選ぶのが大好きなやつらだって。」


「ふざけるな。こっちは安い給料でこんな大変な仕事をやってるんだ!」


その言葉に、職員室の他の教師たちの視線が担任に集中する。微妙な緊張感が漂い始める。


「大変な仕事だから、いじめを見過ごしていい理由になるのか?」


凌央の声は低いが、確実に担任の心を(えぐ)った。その場にいた誰もが、彼の言葉の正当性を否定できない。


「いいよ、先生が何もできないなら、俺がやるよ。24時間子供SOSダイヤルに相談するし、教育委員会にも連絡する。」


その一言で、職員室全体の空気が凍りついた。机の上にペンを置く音も、紙をめくる音もピタリと止まる。担任の顔が引きつり、何か言い返そうと口を開くが、言葉が出てこない。


「凌央……お前、紗奈が前の学校でも同じようなことがあったって知ってるか?」


担任が搾り出すように言ったその言葉に、凌央は一瞬、目を細めた。


「……それがどうした?」


「紗奈は……慣れてるんだ。いじめに。」


担任のその言葉が放たれた瞬間、空気が一気に冷え込んだ。それはまるで、言葉が刃物となって心を抉る感覚だった。


「……あ”?」


凌央の声が低くなる。怒りが彼の全身から滲み出し、担任はその迫力にわずかに後ずさる。


「慣れてるから大丈夫だって言いたいのか?」


担任は沈黙する。答えられないのではなく、答える必要がないと思っている態度だった。


「……話になんねぇ。」


凌央はそれ以上言葉を発さず、振り返った。そして、紗奈を連れて教室を出る決意を固めた。


職員室を後にした凌央は、そのまま教室へと向かった。扉を開けると、机をじっと見つめる紗奈の姿が目に入る。無言で佇むその背中には、何かを諦めたような重い空気が漂っていた。


「紗奈、帰る準備しろ。」


凌央の声は普段より少し強めだった。その言葉に紗奈は一瞬だけ顔を上げたが、何も言わずにカバンを取り出した。彼女も、この場からいなくなりたい――そんな思いを抱えていたのかもしれない。


「紗奈……行くぞ。」


その声には、強い決意が込められていた。すでに次の授業が始まるチャイムが鳴り響いていたが、凌央はそれを無視し、紗奈の手をしっかりと握りしめた。彼女もまた、抵抗することなくその手に応える。


校舎を出る二人の姿は、教室の窓際に座る生徒たちの目に映った。授業中にも関わらず、外に向けられた視線がいくつも重なり、小さなざわめきが教室内に広がる。


「何やってんだ、あいつら……。」


生徒たちがひそひそと囁き合う声が飛び交う中、誰もそれを止める者はいなかった。教室は次第に緊張を(はら)みながら、窓の外に注目が集まっていく。


窓越しに見える校庭の向こうで、凌央と紗奈は言葉も交わさずただ歩いていた。紗奈の手をしっかりと握りしめる凌央の背中には、怒りと覚悟が入り混じった強い意志が漂っていた。


その時、校舎から三人の教師が慌ただしく飛び出してきた。


「待ちなさい!君たち、一体どこに行くつもりだ?」


声が風に乗り、二人の耳に届く。紗奈は思わず振り向いたが、凌央は足を止めることなく、前を向いたまま冷たい声で答えた。


「どこに行くかなんて、俺たちの勝手だ。」


教師たちは足を速めて追いかけながら、声を強める。


「相談に乗るから、戻ってきなさい!ちゃんと話を聞くつもりだ!」


その言葉に、凌央の足が一瞬止まった。だが、彼は静かに深呼吸をし、顔を一度も振り返らずに紗奈の手を握り直す。


「今さらだろ。何を言われても信用なんかできない。戻る理由なんて、どこにもない。」


その言葉に込められた冷たさと重みが、教師たちの足を止めさせた。追いかける口実を失ったように、その場に立ち尽くす。


一方で、二人はゆっくりと校門へ向かう。紗奈は無言のまま、凌央の手の力強さを感じ取っていた。その手には、守りたいという明確な意志が伝わってきて、彼女の胸にわずかな安堵と温かさが広がった。


「ねえ、いつまで手、つないでるつもり?」


紗奈が小さな声で呟くと、凌央はふっと笑い、わずかに振り返った。


「ずっと。お前が嫌って言わない限りな。」


その一言に、紗奈は少しだけ驚きながらも、思わず口角が緩む。風が吹き抜ける校庭で、二人はそのまま歩き続けた。


教師たちが見て見ぬふりを決め込む中、二人の決意だけが、校庭に静かに刻まれていくようだった。


校門を越え、冷たい風が二人の間をすり抜ける中、凌央は無言で紗奈の手を握り続けていた。その手には、彼の揺るぎない決意と優しさが込められているようだった。


「……とりあえず、ばあちゃんいるけど、俺んち行くか。」


唐突に放たれた言葉に、紗奈は驚いて凌央を見上げた。


「え?」


「行くとこ、ないだろ。俺んちでいいだろ。」


まるでそれが当然であるかのように自然に言い切るその口調に、紗奈は不意にこみ上げるものを感じた。その優しさが、自分を包み込んでいるようだった。


「……ありがとう。」


短くそう返しながら、紗奈の口元に久しぶりの微笑みが浮かんだ。二人の足音が、静かな街路に小さく響いていく。


「ただいまー。」


玄関の扉を開けると、奥から祖母の穏やかな声が聞こえた。


「おかえり。あら、その子は?」


キッチンから顔を出した祖母は、紗奈を見て、柔らかく微笑む。その表情に、紗奈は少し肩の力を抜いた。


「友達。ちょっと色々あってさ、しばらくここに置いてやってくれないか?」


凌央は短く事情を伝えながら、紗奈の方をちらりと見た。


「もちろんいいわよ。でも、大変だったのね。」


祖母はそれ以上何も聞かず、にこやかに二人をリビングへと招き入れた。紗奈がソファに腰を下ろすと、祖母は手際よく紅茶を用意し始める。その光景に、紗奈は静かに息を吐いた。


優しい香りのする温かい紅茶が差し出され、紗奈の心に少しだけ癒された気がした。凌央の家は、自分の居場所がないと感じていた紗奈にとって、ほんの少しだけ安心できる場所になり始めていた。


「疲れてる顔してるわね。何か甘いものでもいる?」


紗奈は小さく首を振る。祖母の優しい声にどこか安心感を覚えながらも、まだ気を許しきれない様子だった。


「ばあちゃん、俺たち、ちょっと用事があるから。」


「わかったわ。でも、困ったことがあったらすぐ言うのよ。」


紅茶のカップを前に置かれた紗奈は、ふと祖母に小さく頭を下げた。


紅茶の温かさが、少しだけ心を和らげる。紗奈はゆっくりとカップを持ち上げ、香りを吸い込むと、わずかに目を閉じた。


「……こんなに静かな場所、久しぶり。」


小さく呟いたその声に、凌央は気づかれないように目を細めた。彼女がこんな風に安らぎを感じる瞬間を、もっと作りたい――そう思った。


「でも、静かなだけじゃダメだよな。」


凌央が不意に立ち上がり、スマホを手に取る。紗奈が驚いたように彼を見上げると、彼は真っ直ぐな目で言った。


「俺たち、もう黙ってるだけじゃ終わらせない。」


スマホの画面を操作する凌央。そこに表示されたのは、24時間子供SOSダイヤルの番号だった。迷うことなく発信ボタンを押すと、画面に「接続中」の文字が映し出される。


「本気でやるのか……?」


紗奈の問いに、凌央は一瞬も目をそらさずに答えた。


「やるよ。先生たちが動かないなら、俺たちが動くしかないだろ。」


その言葉に、紗奈は唇を噛んだ。胸の奥で、何かが小さく灯るのを感じる。守られるだけじゃなく、自分も何かを変えられるかもしれない――そんな思いが、心の中で膨らみ始めていた。


通話が繋がり、相手の声が電話越しに聞こえてくる。凌央は端的に、学校での状況と紗奈の名前が黒板に書かれたことを話し始めた。その声には、怒りと決意がはっきりと滲んでいた。


紗奈はその横顔をじっと見つめた。頼りがいがあるだけじゃない。本当に人を動かす力を持っている――そう思わせる彼の姿に、胸が高鳴る。


「市の教育委員会にも繋がるんだな?ありがとう。それじゃ、そっちにも連絡してみる。」


通話を終えた凌央は、再び教育委員会の番号を押した。その背中から感じる圧倒的な意志に、紗奈は思わず微笑んだ。


(……私も、変わらなくちゃ。)


彼女の中で、何かが確実に変わり始めている。もうただ守られるだけじゃない。自分の力で動き出す――そんな決意が芽生え始めていた。


凌央が電話を終えると、紗奈はゆっくりと立ち上がった。その顔には、今まで見せたことのない自信が宿っている。


「次はどうするの?」


その問いに、凌央は少し驚いたように眉を上げたが、すぐに口元に笑みを浮かべた。


「決まってるだろ。腐った奴らを一掃してやるんだ。」


二人の視線が交わる。その瞬間、何かが確かに始まろうとしているのを、二人とも感じていた。


静かなリビングには、二人の決意だけが力強く響いていた――。


彼らの決意は学校を変えることができるのか?次回、物語がさらに動き出す――。

読んでいただきありがとうございます。この章では、主人公たちがいじめ問題に対して「動く」ことの重要性に気づき、第一歩を踏み出しました。


いじめに直面したとき、どんな行動が有効なのか――それを考えるきっかけになれば嬉しいです。大人や教師、友人の視点もこれから掘り下げていきます。次回は、紗奈の意外な一面が明らかになり、物語がさらに動き出します。


あなたが同じ立場なら、どう行動しますか?

私たちにできることを一緒に考えていきましょう。


あなたの感想や意見が、今後の展開を作る力になります。ぜひコメントでお聞かせください!これからもどうぞお楽しみに!

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