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冷たい風が二人を繋ぐとき

この度も読んでいただきありがとうございます!

今回のサブタイトルは「冷たい風が二人を繋ぐ」。

物語の中で、登場人物たちの心の距離が少しずつ近づいていく様子を描いてみました。

屋上のシーンでは、紗奈と凌央の抱えるそれぞれの傷が風に揺れながら交錯する瞬間をお楽しみいただければと思います。

二人の物語がどのように動き出していくのか、ぜひ最後までお付き合いください!

清々しいはずの朝の空気が、どこか重たく感じられた。

校門を抜けると、見慣れた風景が広がる――けれど、紗奈にとってそれはいつもと違う"憂鬱の始まり"だった。


昨日の机の落書き。

あの言葉が、まだ頭の片隅に張り付いている。


「おはようございます」と小さく呟きながら教室の扉を開けると、すでに誰かが先に来ているのが見えた。

窓際に立ち、ぼんやりと外を見つめる――凌央。


紗奈は静かに自分の席へ向かったが、座る寸前、机の中に違和感を覚えた。

「……」

無言で手を伸ばし、取り出したのは二つに折られた紙切れ。


(また、これか。)


その瞬間、胸の奥がひんやりとした。

広げられた紙には、簡潔な文字が並ぶ。


――「お前…暗いんだよ。うざい。」


紗奈は震える指先で紙を折り直した。折り目がいつもより歪んでいる――それだけで、心の揺れが表れた気がした。『またか』と思う一方で、心のどこかがひどく冷たくなる。ゴミ箱に落ちた紙切れは、まるで何度も繰り返される"終わらない日常"の象徴のようだった。


教室の後ろから、クスクスと笑う声が聞こえた。

視線を向けなくてもわかる――声の主は、いつもの女子三人組だ。彼女たちは悪意を隠そうともせず、紗奈を一瞥(いちべつ)しては笑う。


まただ――この感覚。前の学校でも同じだった。自分の居場所が一瞬で壊される、あの嫌な感覚が蘇る。


紗奈はそう思いながら、無表情を装った。

昨日だって、以前の学校だって、いつも同じだった。無記名のメモ、悪意を込めた言葉、そして笑い声。

最初は涙が出た。次に怒りが湧いた。そして最後には――何も感じなくなった。


「……何も気にしない。それでいい。」

まるで呪文のように心の中で繰り返す。


だが、隣の席の凌央には、そんな紗奈の様子すべてが見えていた。

紙に書かれた言葉も、ゴミ箱へ捨てる仕草も、後ろで笑う彼女たちの声も。


紗奈が「無になる」ことしかできない、その表情を見た瞬間、凌央の胸の中で何かが(きし)んだ。

(……何も気にしてないふりかよ。)


強く拳を握りしめ、彼は隣の席から紗奈を見つめる。

静かな怒りと、どうしようもない焦り――それが絡み合い、凌央の心を締め付けた。


(俺は何もなかったことにはできねえ。)


少しして、チャイムが鳴り響いた。

教室がざわめき始める中、紗奈は無言でノートを開き、いつものように授業の準備を始める。


その横顔には何も映っていないように見えたが、凌央にはわかっていた。

――彼女は一人で戦っている。


「……チッ。」

凌央は小さく舌打ちをすると、机の上に視線を落とした。


(見て見ぬふりなんか、できるわけねえだろ。)


静かな教室の中、時計の針の音だけがやけに大きく響いていた――。


放課後の教室は、人が少なく静かだった。

そんな中、凌央はふと視線を紗奈の席に向けた。そして、そこで目にした光景に眉をひそめる。


男子数人が、紗奈の机に集まって何やら悪戯をしようとしていたのだ。

机の上に落書きを加えようとしているのか、一人がマジックペンを手にして笑っている。


「おい、何やってんだよ。」


低い声で問いかけると、そのうちの一人が振り返った。

「ちょっとした遊びだよ。別にいいだろ、こんなの。」


その声は軽かったが、悪意が透けて見える。

「遊び?」凌央は冷ややかな目で彼らを睨みつけた。「誰かを傷つけることで、何が楽しいんだよ。」


注意されて怯むかと思いきや、逆に挑発するかのように一人の男子が肩をすくめた。

「関係ないだろ。それに、お前…いい奴ぶってんじゃねえぞ。ヤクザの息子のくせに。」


その瞬間、教室の空気が一変した。


凌央の表情が一気に変わる。冷酷な目つきでその男子を見つめ、静かに言い放った。

「……だから、なんなんだよ。」


ただの一言だった。だが、その声の冷たさと鋭さに、男子たちは怯んだように身を引いた。

「行こうぜ。」

一人がそう言い、みんな教室から足早に出て行った。


彼らが教室から出て行った後、重苦しい空気が漂っていた。凌央は紗奈の机を見つめ、何かを考え込むようにため息をついた。(……あいつ、平気なふりしてるけど、どんな気持ちでこの机に座ってるんだろうな。)教室の窓越しに差し込む夕陽が、彼の影を長く伸ばしている。気持ちが落ち着かず、彼はカバンを掴むと無言で教室を後にした。


自然と屋上へと足が向かっていた。

普段は行くことのない場所――でも、彼の中で妙な確信があった。紗奈がそこにいるのではないか、と。


屋上の扉の前で、凌央は一瞬足を止めた。

重たい鉄の扉が目の前に立ちはだかり、風に押されてさらに開けにくそうに感じた。

(なんでこんな時に限って、こんなに重いんだよ……。)

心の中でぼやきながら、凌央は手に力を込め、扉に触れた。

彼女がそこにいるかもしれない――その思いだけが、足を前へ進める力になっていた。


「……っ。」

ギシリ、と音を立てて扉が少しずつ開く。

冷たい風が頬を切るように吹き抜けた。視線を前に向けると、フェンスにもたれかかる小さな背中が目に入る。


やはり、いた。


屋上を吹き抜ける風が、冷たく紗奈の頬を撫でていた。

その風は、まるで彼女の孤独をさらに強調するかのようで、凌央の胸にわずかな痛みをもたらす。

誰もいない世界の中で一人きり――そんな印象を受ける彼女の姿が、視界に焼き付いた。


少し距離を取った場所で足を止め、凌央は風に揺れる彼女の髪を見つめる。

言葉をかけるべきか、迷いが胸をよぎる。

しかし、何も言わずこの場を去る選択は、できそうになかった。


「……ここにいたんだな。」

自然と口をついた言葉に、紗奈が少しだけ振り返る。


「……さっき、教室でお前の机に悪戯しようとしてるやつらがいた。」

凌央の声が静寂を破る。


不意にかけられたその言葉に、紗奈は少し驚いたように振り向く。


「……そう。」


紗奈が小さく返したその声は、まるで感情を完全に閉ざしているかのように平坦だった。

「気にしていないのか?」

「気にしてない。」


紗奈は短く答えるだけだった。その声はどこか諦めを含んでいる。


凌央はその答えに少しため息をつき、「そっか」と呟きながらも、視線を紗奈から外さなかった。

「気にしてないって言い切れるお前が、逆にすごいよ。」


その言葉に、紗奈は彼の顔をちらりと見上げる。

「でもさ、俺も昔は気にしないふり、ずっとやってたよ。」


「……どういう意味?」


「俺、元暴力団の父親と水商売の母親の家で育ったんだ。」


凌央は、どこか冷静な口調で言葉を紡ぎ出した。 「小6の時、親父が捕まって、それっきり。母さんも巻き添えを食らって、今は母方の祖母に世話になってる。」


紗奈は思わず彼の横顔を見つめた。淡々と語るその表情に、痛みが滲んでいるように感じる。


「親父はさ、暴力がすべてだと思ってた人だった。力で威圧して、全部をねじ伏せるタイプ。」 彼は苦笑を浮かべる。 「ずっと暴力は悪だと思ってた。でも、俺自身がそれを体験するまで、その本当の意味はわかってなかった。」


彼の声が少し低くなる。 「……暗い場所で、頭を床に押し付けられて、足で踏みつけられたんだ。その時、初めて思ったよ。『ああ、これが親父が他人にやってたことなんだな』って。」


紗奈の胸がざわつく。彼の語る言葉一つひとつが、痛々しい記憶の断片のように胸に響く。


「周りの奴らは笑ってた。俺の頭を踏みつけながら、『なんで生きてるんだよ』ってさ。笑い声が頭に響いて、存在を否定される気分だった。」 一瞬、拳を握る音が静かな空間に響いた。


「……あの時の冷たいコンクリートの感触、湿った匂い、全部今でも忘れられない。」 彼は軽く目を伏せると、小さく息を吐いた。 「ただ痛いだけじゃなかった。悔しくて、情けなくて、自分が自分であることが怖くなった。……それが一番最悪だった。」


彼の言葉が風に乗って消えていく。 紗奈は、目の前の彼がどれほど深い傷を抱えているのかを想像し、胸が締め付けられるような感覚に襲われた。


その言葉は静かに響きながら、屋上に吹く風の音に吸い込まれていった。

紗奈は、彼の表情をじっと見つめた。


目の前の彼がどれだけの傷を背負い、それでも今ここに立っているのか――その重さが、胸をギュッと締め付けた。紗奈は自分だけが苦しい思いをしているのではないことを初めて知った。


「……凌央……。」

紗奈の声が小さく震えたが、その言葉の続きを、彼女自身がどうしても見つけられなかった。


紗奈は、彼の静かな声に胸が締め付けられるような痛みを感じた。


――あの目の奥にあるもの。

それは、彼が語った言葉以上の深い傷跡を物語っていた。


「……あれは最悪だった。」


風に溶けて消えたその言葉が、彼の過去を想像させるには十分すぎた。

頭を踏みつけられた瞬間、孤独の中で耐え続けた日々――彼の痛みは、紗奈自身が受けてきた傷とは比べ物にならないほど深い。


(こんなに酷いことが、あっていいの……?)


胸が痛い。心が震える。

彼の語ったことは、言葉で簡単に表現できるような出来事ではなかった。

どれほどの絶望を感じながら、それでもここまで生きてきたのだろう――そんな思いが頭の中で何度も繰り返された。


けれど、その痛みに飲み込まれる一方で、紗奈の胸には、今まで感じたことのない不思議な感情が芽生えていた。


(どうしてだろう……。)


彼を愛しいと思った。

こんなにも傷ついているのに、それでも誰かを守ろうとする姿が、どうしようもなく心を揺さぶる。

自分よりも強く、誰よりも優しい――その彼の存在が、なぜか胸の奥で温かく広がっていく。


(……私、どうしちゃったの。)


紗奈は目を伏せ、無意識に唇を噛んだ。

この気持ちに名前をつけるのは怖かった。

彼が遠い存在に思えてしまうから、自分には不釣り合いだと感じてしまうから。


でも――その感情を完全に否定することもできなかった。


ふと彼の方を見上げる。

凌央の横顔はどこか遠くを見つめていて、彼自身もまた、自分の中の痛みと向き合っているように見えた。


「……凌央。」


小さく名前を呼びながら、紗奈の胸は不思議な感情でいっぱいだった。

目の前の彼は、あまりに傷ついているのに、それでも誰かを守ろうとする。

それが、どれだけの重さを背負っていることなのか――想像するだけで、胸が締め付けられる。


こんなに強い人を、見たことがなかった。

でも、どうしてだろう。その姿が、ただ強いだけじゃなく、どこか(もろ)くて(はかな)いもののようにも感じられる。


(……私、どうしてこんな気持ちになるんだろう。)


紗奈は無意識に手を握りしめた。

それは温かさであり、切なさであり、初めて知る感情だった。


凌央はふと視線を上げ、紗奈を見て淡く笑った。

その笑顔の裏には、言葉にしきれない痛みが隠されているように見えた――。


紗奈は目の前の風景に視線を落としながら、しばらく何も言わなかった。

彼女の横顔は、まるで何かを一生懸命に探し求めているように見えた。


風が髪を揺らす中、紗奈は小さく息を吐いた。

言葉を紡ごうと唇が動くが、すぐに閉じる。その繰り返しが、彼女の胸の内に渦巻く迷いを如実に表していた。


そして、ようやく。

ぽつりとつぶやくように、彼女は言葉を絞り出した。


「……ねえ、凌央。」


その声は、普段の冷静さとは違って、どこか震えを帯びていた。

まるで、心の奥底に隠していた感情が今にも溢れ出しそうな――そんな危うさを秘めているかのようだった。


言葉を選びながら考え込む彼女の様子が、静かな空気の中に漂っていた。


「……ん?」

凌央が応じると、紗奈はふと視線を下げ、言いかけた言葉を飲み込むように首を小さく振った。


「いや……なんでもない。」


その短い言葉には、どこか後悔や戸惑いの色が混じっていた。

彼女の表情に浮かぶ迷いの影が、風に揺れる髪の隙間から見える。


凌央は少しだけ眉をひそめると、静かな声で言った。

「だからさ、お前が"気にしてない"って言ってるの、嘘だってわかるんだ。」


紗奈は驚いたように顔を上げた。その目は一瞬だけ揺れたが、反論の言葉を探すことはできなかった。


「……どうせ、また同じだから。」


その言葉を紡ぐ紗奈の声は、かすかに震えていた。

彼女が抱える孤独と諦めの色が、夕暮れの空に溶け込むように、静かに響いていた。

「前の学校でも、先生に相談したけど、"あなたの勘違いよ"って気にもしてくれなかった。」

紗奈は拳をギュッと握り締める。


「いじめのアンケートにも書いた。でも、何も対応してくれなかった……。それが現実なの。」

声を落としながら、彼女は悲しそうに笑った。


「だから、また同じよ。」


その言葉に、凌央は黙って彼女を見つめた。

そして、静かに口を開く。


「……同じになんか、させねえよ。」


その声は低く、けれど力強かった。

紗奈が目を見開いたその瞬間、凌央は真っ直ぐに彼女を見つめて言った。


「俺が必ず守ってやる。」


紗奈はその言葉に答えず、ただ黙って彼を見つめた。

吹き抜ける風が、二人の間をすり抜けていく。その冷たさが、どこか言葉にならない想いを運んでいるかのようだった。


帰り際、紗奈は立ち止まり、小さな声でつぶやいた。


「……どうして、そんなこと言うの?」


その問いに、凌央は一瞬だけ紗奈を見つめ、少し笑って肩をすくめた。

「別に。ただ放っておけないだけだ。」


その軽い言葉に、紗奈の目がわずかに揺れる。そして、ほんの少しだけ表情が緩んだ。

それは、彼女にとって「誰かが自分に触れる」久しぶりの瞬間だったのかもしれない。


静かな沈黙が二人の間に流れる中、紗奈は何も言わず屋上の扉を押した。

その背中を見送りながら、凌央は静かに目を閉じる。


「……俺が必ず守る。」


その言葉が、風に溶けて消えた。


――そして、次の日。


何事もない朝のはずだった。

しかし、教室に入った二人を待ち受けていたのは、黒板に大きく書かれた紗奈の名前と、彼女を侮辱するような言葉だった。


その瞬間、教室の空気が一変する。

生徒たちのざわめきが広がり、一部は目をそらし、一部は面白がるようにクスクスと笑い始める。


凌央は黒板に刻まれたその言葉を見つめ、拳を無意識に握りしめていた。だが、その場で声を上げるよりも早く、担任の先生が教室に入ってきた。


「おはようございます!」明るい声とともに教室の中央に立った先生は、黒板に目を向けて一瞬だけ動きを止める。

そして、少し笑いながらこう言った。

「だーれ、落書きはだめよ。ほら、消しちゃうからね。」


黒板消しを手に取り、軽々とその言葉を消していく先生。

彼にとってそれはただのイタズラでしかない――そう感じさせる軽い態度だった。


だが、その光景は紗奈にとって耐えがたいものだった。

自分の名前があの場所に書かれたこと、その言葉がどれほど自分を傷つけるものだったか。そして、それを何事もないように笑って消してしまう大人の態度――すべてが彼女の中に冷たい痛みを残していく。


紗奈は机に座ったまま微動だにせず、ただ手元を見つめていた。

凌央はそんな彼女の様子をじっと見て、胸の奥に怒りが沸き上がるのを感じた。


(これが、また"同じ"だっていうのかよ。)


だが、その場で何もできない自分に苛立ちながらも、彼は心の中で誓った。

(俺が守る。絶対に、もう同じにはさせねえ。)


消えた黒板の言葉とは裏腹に、その瞬間から二人の運命は大きく動き始めていた。

紗奈の胸の奥に隠された本性、そして凌央の中に眠る力――そのすべてが、この出来事をきっかけに姿を現していくのだった。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます!

今回のエピソードでは、紗奈と凌央の間に少しずつ生まれる絆を描いてみました。

「冷たい風」が彼らの距離を縮めるきっかけとなり、これからの展開にどう繋がっていくのか、私自身もとても楽しみです。


ご感想や応援コメントはいつでも大歓迎です!

次回もさらに深い物語をお届けできるよう、頑張りますのでよろしくお願いします!


それではまた次回、お会いしましょう!

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