ファイルA.ロック番号
クソ旦那が。
ケっ、さっそくスマフォの画面ロックですか。不倫の前兆ですか。同じ寝室、同じベッドで寝ている癖していい度胸していますね。
百歩譲って旦那の心情に寄り添えば、画面ロックくらい誰だってしますよね。スマフォがあれば何だってできますし。えーと、旦那、スマフォロック、あやしい、埋める、っと。
けれども、先月までと番号ちがくない? どうして変えたのか説明してもらおうではないか、クソ旦那。クソ旦那に四文字も使って下品な言い回しをするのも業腹なので、旧旦那で十分だ。
……待て、怒っている時こそ冷静にいこう。離婚した姉貴も言っていた。
隣で熟睡している旦那の顔面に縦長液晶を押し付けて迫るのは簡単だ。が、どう言って迫るつもりだ、私。
“先月から番号変えたでしょ! 私を信じていないの! キぃぃぃ”
“え、どうして僕の先月の番号知っているの? 怖っ”
……これは、うーん。ちょっと分が悪い。何でもできるスマフォのプライベートを侵害していますって自供したくない。私だって旧旦那に自分の番号を教えていない。先月の課金額はトップシークレットであるからして。
いや、弁明させて欲しい。
私だって、結婚早々に鬼嫁へとクラスチェンジしたのではないのだ。旧旦那が出勤する時には必ず行ってこいのキスをしてやっていたし、帰宅した時にはお風呂、お夕飯、私のバリューセットを用意してやっていたし。
毎日、姉貴に旦那自慢した結果、ブロックされてしまったし。
愛する旦那のプライベートは侵害しないようにもしていました。
では、どうして私が旧旦那の画面ロック番号を知っていたのかというと、今日と同じく、不慮の事故だ。
えー、まあ、バージンロードを歩く前にも同衾くらいしますよね。今日のように。
で、たまたま、深夜に目を覚ましますよね。
で、目を覚ましたらまずスマフォを手に取りますよね。
で、一緒に寝ている旧旦那のスマフォを間違えて取ってしまいますよね。情状酌量ありで陪審員の心証グットですよね。
当時の私は画面をタップしてロックを解除してから、初めて違和感を覚えたのですよ。アプリの配置が違う。課金している最愛のゲームが先頭にないのはおかしいって。
判断が遅い?
かもしれないけど、そこは重要ではなくって。
私は自分のスマフォだと思って、旧旦那のスマフォを操作して画面ロックを解除したのです。はい、ここ。ここが冤罪ポイント。
画面ロックはよくある四桁のナンバー入力式。パターンロックでも顔認証でも指紋認証でもない。
寝ぼけた私が入力したのは、私のスマフォの番号だったのに、何故か旦那のスマフォの画面ロックが解除されてしまった訳ですよ。あれれ、おかしいなー。
ちなみに、入力したのは旦那の誕生日四桁……。
「ぐフォッ」
クソ、自分の行動ながら自分の臓器に強烈なダメージが。体温が上がってサーモグラフィーで見られたなら真っ赤になっているはず。頼むから、骸骨狩猟系の凶悪エイリアンは地球に来ないで。
「はぁ、はぁ、はぁ」
旧旦那の隣でもだえる事、三十分。
ちょっと落ち着いてきました。
いや、私のスマフォの画面ロック番号を旧旦那の誕生日にしていた理由に、甘酸っぱい理由なんてありませんからね。好きな人の誕生日を使った? はっ、そんな女学生が好きなYouTuberの誕生日を画面ロック番号に採用するみたいな行動、しません。
セキュリティを考えて私の誕生日ではなく、偶然、隣にいた男の誕生日を使っただけです。スマフォは何でもできるのだから、対策しないとね。他意はありません。
これで私が旧旦那の番号を知っている理由は説明できました。私のウェディングドレスみたいに真っ白な無実でしたね。
だというのに、どうして今日に限って、旧旦那のスマフォをロック解除できないのだ。
入力している四桁は旧旦那の誕生日である。魂に刻んでいる四桁なので忘れたりはしていない。保険で私のスマフォにポチポチっと入力すれば……ほら、解除。
何度試しても、旦那のスマフォのロックを解除できない。
おいコラ、どうなっていやがる。
“先月から番号をいきなり変えた理由を言え! 前提として私は無実!”
“え、何でもできるスマフォのセキュリティは大切。自分の誕生日はバレ易いよ、って、ミーちゃんが自分で言っていなかったっけ?”
私の脳内旦那め、小癪な回答をしてくる。信じてしまいそうだ。
うーん、言ったかもしれないし、言っていなかったかもしれない。結婚直前だった当時、精神不安定だった所為で曖昧である。
けれども悲しいかな、預金通帳の番号さえ面倒臭くて変更しないのが人である。スマフォの番号だって理由がない限り変更しない。
何せ不用心に変更してしまって、番号を忘れてしまう事の方が重大だからである。何でもできるスマートフォンを自己封印してしまっては、もはや原始人生活。物を買うたび消費税を支払うだけでポイントがつかないのは詐欺だ。……え、昭和原人だった頃は消費税がなかった? またまた、そんな見え透いた嘘をー。
「……四桁入力。一回五秒だとして五万秒。一時間が三千と六百秒だから、朝までに間に合わない」
深夜二時。旧旦那の起床まで四時間か。
朝までの四時間に画面ロック解除しようとせず、数日使えば確実に解除できるが……いや、私は冷静さを失っているな。連続で番号入力に失敗するとしばらく入力できなくなる。最悪、データが初期化されるのだったか。余計な機能をつけてくれたものだ、スマフォ会社ごときが。
連続入力の失敗上限が五回とした場合、四回まで試して翌日にチャレンジし直す。これを繰り返せば一万を四で割って最悪二五〇〇日。長過ぎて再婚時に支障が出るくらいに老けているではないか。
「冷静に。冷静に。旧旦那は誕生日を番号に使っていたから、新しい番号も日付の可能性が高い」
希望的観測も含まれるが、可能性が高い番号から試行するのがクレーバー。日付であれば閏年を考慮しても三六六パターンとなり、四で割って約九十日。
「いける。まだ若い内に再出発できる!」
正直、九十日も仮面生活を続けなければならないのが口惜しい。けれども、旧旦那のスマフォに記録されているであろう不貞の証拠を確実に得て、姉貴のように慰謝料をふんだくるための必要期間だと割り切らなければならない。
「日付の中でも可能性が高いものから試しましょう。まずはお義母さんの誕生日を……ふぅ、マザコンでなくて一安心」
不倫野郎がマザコン不倫野郎に強化されていなくて正直、ホっとしたものの、お義父さんの誕生日も当然ハズレ。本命と思って打ち込んだ旧旦那が私と出逢う前に飼っていたペットの誕生日でもなかった。あれれ、おかしいなー。
失敗回数は累計三回。
四回までの失敗が許されるとすると、今夜入力できるのは残り一回だ。
「まさか不倫相手の誕生日を設定したとか。それは、許せない。……旧旦那、拷問、樹海、っと」
通販サイトにて、ポイント付きでシャベルを購入する。地域によっては大きい方をスコップというらしいが、私の家では人を埋めるのに最適な大きい方をシャベルという。私がルールだ。
「――ミキ、どうかした? 怖い顔でスマフォを睨んで」
完全犯罪を実行する前に旧旦那が目を覚ましてしまった。自分のスマフォに集中し、旧旦那のスマフォからは手を離していたので言い逃れは可能である。
「な、何でもない。肥料が手に入るから家庭菜園を初めようかなって」
「唐突だね。というか、今は何時?」
チャンスが到来する。旧旦那も多くの現代人と同じく起床直後にスマフォを確認する電脳人類だった。
寝起きでトロい指の動きに集中する。どこを押したのかを見逃さないように瞼を限界まで広げて凝視する。
旧旦那が押したのは1、0、1、0。たった二ヵ所の反復だったので見逃さない。
十月十日か。なんという事だ。旧旦那の不倫相手の誕生日は奇しくも今はなき体育の日であり、私の誕生――ッ?!
「……どしたの、ミキ。顔を真っ赤にしながらゴロゴロと」
「な、何でもないから!!」