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8 香具土ーかぐつちー













   8 香具土ーかぐつちー

     2021.2.25


     しあわせな木番外編









   

短編なのに前書き


 この短編は、私の最近書いたしあわせな木という小説の番外編です。

 先にこっちを読むと、本編のネタバレします。

 できれば、本編から読んでいただけると嬉しいです。


 でもね、本編は長いし、こっちから読むという方がいましたら、お止めしません。しょうがないよね。


 もう一個、世界的な大事件、コロナの発生により、私ももう一年以上日本に帰れていないわけです。

 しかし、この短編はコロナの起きていない世界で進行している物語です。

 

 ちなみに、若干、時代設定がおかしいな。

 コロナのない現代と思っていただいて、神谷さんはアラフォーということで読めばOKなんですが、自分で自分にツッコミ入れてもしょうがないけれど、実は、私の小説は、せいちゃんとなっちゃんが私と同世代。即ち、その娘と夫の千夏ちゃんと樹君が親になって、孫の春樹くんや暎万ちゃんが活躍している時代は……

 

 未来です。


 すみません。近未来物を書きたいわけではなく、だから、未来になっている物についてもこっそり、ひっそり、現代を背景にして書いてます。今のところは誰にも怒られていませんが……。この問題については誰かに怒られたら考えようかと思ってまして。すみません。


(二回、すみません使いました)


 それでは、細かいことはおいておいて。短編をお楽しみください。


汪海妹

(自宅より、息子に朝食のパンを用意しましたが、ゲームばっかしてて食わねえし。冷めたよ。もう〜)














   神谷 しゅう












   

「取材の依頼が一件きてます」


 たかしの声で、窓の外の空を見ていた顔をデスクの向こうに置いてある応接用のソファへと向ける。


「どこから?」

「雑誌ですよ。前、マジの時に記事書いてくれた人。新しいお店についても書かせてくれって」

「雑誌って?」


 崇は立ち上がって一旦部屋を出ると、どっかから一冊の雑誌を持ってきた。


「これです」

「ああ、これか」


 Kuuという名前のグルメ雑誌だ。飲食関係の人なら大抵読んでるだろう。


「読んだ。読んだ。結構いいこと書いてくれたよね。これ」

「受けますか?」

「そりゃ受けるでしょ。断る理由がない」

「じゃ、いっつも任せっぱなしにしないでたまにはオーナーが受けてくださいよ」

「え〜!」


 めんどくさ


「だって、新しい店舗について何話せってんですか?よくわかりません。今度のお店。今までと違うし」

「あんだよ。コンセプトいっつも言ってるだろ?」

「だから」


 崇の目が若干冷たい。


「たまには、そのコンセプトを一番よく理解しているオーナーが応対してください」


 じっと睨まれました。


 めんどくさいことをいつも適当にこの崇君に丸投げしてきました。この人は男ですけど、仕事の上では俺の奥さんみたいな人で、で、皆さん知ってます?奥さんってときどきご主人に反旗を翻す。そして、この人いないと俺、困る。そして、今までのいろんな弱みを握られています。本気で怒らせるなんて怖いこと、できるわけないじゃないですか。


「え〜、気が乗らねえなぁ」


 ぶつぶつと言いながら、マジの記事が載ったその雑誌をペラペラと見るとはなしにめくる。そして、気が付いた。


「かみじょう…、なんだ?これ、何て読むんだ?変わった名前だな」

「えまですよ」

「え?なに?女?」


 崇君無表情な顔で俺を見る。


「女です」

「若いの?」

「……」


 しばらく魚市場で魚の品定めをするような顔でジロジロ見られる。


「やっぱりわたしが……」

「いやいやいやいや、そこまで振っといて」

「業界でちょっと有名な人が、実際会ったらただのすけべ親父だったなんてことになったら、店の評判ガタ落ちですよ。やっぱりわたしが……」

「すけべは100歩譲って許すけど、俺のことオヤジって呼ぶなよ」

「なんでですか?」

「これからも生きていく勇気が削られる」

「歳を取るのは避けられないんだから、諦めなさいよ」

「で、どうなの?若いの?」

「……」


数日後

オープン間近のレストランの個室で向かい合って立っている二人の男の人と、一人の女の子


「まさかオーナーの神谷さんにお会いできるなんて思ってもみませんでした〜」

「どうも初めまして。神谷秀です」

「感無量です〜」


 記者の子は、若くて明るいかわいい子だった。感無量と言った上に、若干目がうるうるしてるし。なんだ。早く言えよ、崇君。こんな楽しい仕事ならいくらでも受けたのに。


「あ、上条暎万と申します」


 名刺を交換する。その後、部屋のテーブルに向かい合わせて座った。横から崇君が声をかける。


「上条さん、今日は取材はオーナーの神谷が対応しますので」

「え、そうなんですか?」


 少ししゃちほこばった。


「オープン直前でいろいろやることがあって、僕は取材には同席できません。でも、このドアは開けときますし、ちょっと声出せばすぐ人が飛んできますから」

「え?」


 崇のやつ、一体何を言っているんだ……。


「僕の他にも今日はお店にたくさん人がいますから。相手が偉い人だからって、いざというときに躊躇してはダメですよ」

「あ……、はい……」


 ちーん

 

 これじゃ、まるで、俺が婦女暴行罪の前科があるみたいじゃねえか。

 誤解がないように言いますが、俺は個室に女の子と2人っきりになったからって、相手の子がキャーっと声を上げるようなことをする人間ではありません。しかも、昼日中から酒も入っていないのに。


 崇君は、それから出てった。


 感無量〜と言ってくれた上条さんのテンションは……、もちろん一気にさがりました。

 ちっ、崇、後で覚えてろよ。


 こほん


「今のは中川君なりの冗談なんで、気にしないでください」


 ははははは……


 笑って誤魔化す。しかし、あんなこと言われた以上、ちゃっかり横に座るとかできないじゃん。今座ってるこの席からちょっとでも近づいたらきっと警戒される。


 くそ

 人の楽しみ奪いやがって……


 別にさ。どうこうしたいなんてのはさ。さらさらないわけよ。歳を取ってくるとさ(この言葉嫌いなんだけど)、むしろ欲しいものは、あれだよ。あれ。中学生ぐらいの時にさ、席替えして好きな子の隣になったら嬉しくてどきどきしたじゃん。ああいう、さりげなーいきらめきみたいなのが欲しいだけなのに……。


「あの……」


 上条さんがちょっと困って俺を見ている。

 やべ、今、なんか意識が飛んでたな。


「ああ、すみません」


 一応、大人に戻りました。つまらない大人に。


「珍しいお名前ですね。暎万さん」


 すると、暎万ちゃん(心の中では勝手にこう呼ばせてもらおう)はにっこりしました。


「しりとりみたいなもんなんです」

「しりとり?名前が?」


 なんだそりゃ?

 

「おばあちゃんが、夏に美しいで、夏美。お母さんが、千に夏で、千夏。それで、わたしに万がついたというわけで」

「あ〜、なるほど」


 夏美、千夏、暎万


「すごい長い時間かけたしりとりですね」

「ほんとですね」


 二人で笑った。知り合ったばかりの女の子と。

 ああ、なんかいいわ。そうそうこういうほのぼのしたの。ちょっと傷ついた心を癒やしてくれる。


「あ、すみません。どうでもいい話を、お忙しいのに」

「いえいえ」

「それでは失礼して」


 暎万ちゃんは、バッグからゴソゴソと手帳を取り出した。それから、レコーダーを。


「録音させていただいてもよろしいですか?」

「ああ、どうぞ」


 彼女は、レコーダーのボタンをカチリと押した。


「まず、今回のレストランが、和食だと伺って驚いたんですが、神谷社長の手掛けられるものは、フレンチとかイタリアンとか、欧米のものという印象が強かったので」

「ああ、まぁ、僕が和食に手を出さなかったのには、シンプルな理由があって」

「理由とおっしゃいますと?」

「ここは、日本だから和食の本場じゃないですか。既にたくさんの名店がある。若者がのこのこ参入しても、老舗に勝てないからですよ」


 ちょっとぽかんとした暎万ちゃん。気分が表情に出る人だな。


「そんな理由なんですか?」

「そんな理由ですねぇ」


 笑った。人の意表をつくのは結構好き。


「僕なりの法則なんですけど、人はできるだけ、他の人がしないこと、やっていないことをすべきだと思うんです」

「その方が儲かるからですか?」

「う〜ん、なんていうのかな?」


 テーブルに肘をついて、自分の作った店の天井を見上げる。美しい木の梁の艶やかな濃い茶色を。


「誰かがやっていることというのは、もうその人が一生懸命やっているから、その人に任せればいい。そこに敢えて入っていったら、よく言えば競争、悪く言えば争いが生まれるんだよ。でもね」


 こんな話、わかるかなーと思いつつ、手振りを交えつつ続ける。小さな輪を両手で作る。


「こんな小さな輪の中でみんなすったもんだしてるけど、ほんとは世界は広いし、時は常に流れてる。もっと面積としては広く、時間としては長い視野で考えてみる。必ず、今の、この日本に必要なんだけど、誰もやっていないことってのがある。僕はそれをレストランというツールを使ってやりたいんです」


 夢中で話した後にしまったと思った。暎万ちゃんが、ぽかーんとしてしまいました。


「すみません。俺、子供の頃から、へんなやつって言われて……。みんなのよくわかんないこと考えてる人間で」


 ぽかーんとしていた暎万ちゃんが、その言葉で戻ってきた。


「ああ、いえ。どうぞそのままお続けください」


「僕が今まで作ってきたお店というのは、二つの憧れを具現化したものなんです」

「二つの憧れ、ですか?」

「一つは、鎖国をやめて開国して以来、日本人の心の中にある欧米への憧れ。ま、紆余曲折はあったと思いますが、戦争をした時代がありますから」

「はい」

「もう一つは、現代の20代から僕の同世代くらいの人達の富への憧れとでもいうんですかね?」

「富?」

「まじめにこつこつ働いてもらえる給料では、ちょっと背伸びをしないと入れない店。ただ、特別な日にちょっと奮発してきてみたら、やる気を甦らしてくれる。自分だって頑張ればこんな店に気軽に来られるようになる。頑張ろうって上を向ける店」


 話しながら、自分がサラリーマンだった時を思い出す。自分の手の平の中にあるささやかな夢のかけらを、繰り返し繰り返し踏み潰し粉々に砕いていった自分より歳上の男達。まるで何かに取り憑かれたように、そんなこと考えるだけ無駄。お前の言ってることはただの理想。理想と現実は違う。そんなことばかり繰り返して、俺が折れるのをただ待っていた大人の男達。


「神谷社長より歳上の方達はターゲットではないのですか?」

「来るなという気持ちはもちろんありません。ただ、自分は、日本人をバブル前と後でわけていて、自分と同世代、それと、後の人達のために何かをしたいと思ってる人間なので」

「はい」


 高度経済成長。頑張れば夢が見られた時代。その時を生きた日本人と、その後を生きている日本人は、同じ日本人でも全然違う。


「これをこのまま書かれると角が立つので、うまく丸めて欲しいんですが、歳上の人達を敵対視しているわけではなくて、ただね、日本って年長者を敬う文化を持ってるでしょ?」

「はい」

「ひっくり返せば、若者の味方が少ない文化なんです」

「……」

「会社なんかでは、どんなにその人の意見が優れていても、若者の意見は通りにくい。知らず知らずのうちに若者を折ってしまっている。本当は育てないといけないのに。若者はね、未来を担うのだから。年寄りの連中は自分で自分や子供達の未来を折ってることに気がつかない人ばっか、自分達は過去なのに」


 ははははは、笑った。


 でも、笑えないほど悔しい思いを自分は何度もしてきた。だから、今、そういう思いをしている人達のために自分は生命をかけている。

 年下の人達の夢を奪わないでほしい。未来はそのたくさんの夢の中からしか芽生えないのだから。


「時代の反逆児ってやつですね」


 暎万ちゃんの目がきらきらしている。


「今言ったことをこのまま書かないでくださいね」

「時代の反逆児は、使ってもいいですか?」

「そういうのは女の子にはモテるけど、自分よりおじさんの人達にボコボコにされるので、やめてください」

「え〜、せっかく思い浮かんだのに〜」

「ウルトラマンみたく強くないんでね。頼みますよ」


 まだつまらなさそうな顔をしているが、構わず続ける。


「お店に入って、会社であった嫌なことをすっかり忘れて、そして、自分が何にだってなれる、何だってできる、そう思っていた子供の頃のことを思い出して元気になれるレストランが作りたいんです。成功してこんな店、簡単に来られるようになってやるって思いながら帰って行ってもらいたい」


 今の日本には、僕たちの世代には、夢が必要なんです。僕は傘になりたい。夢を壊す雨から人を守る傘になりたい。


「え?ちょっ、泣いてるんですか?」


 ぎょっとした。


「すみません……」


 俺は立ち上がると、ドアんとこで外に向かって言った。


「ちょっと、誰か、ティッシュ持ってきて」

「あ、いや、大丈夫です。ハンカチ持ってますから」


 でも、遅かった。崇がすっ飛んできた。そして……


「ちょっ、オーナー、なに、泣かしてんですか!」


もちろん怒られた。


「え?いや、俺、別に何もしてない」

「じゃ、なんで泣くんですか?」

「いじめたり、意地悪なこと言ったりしてない」

「あの……」


 暎万ちゃんがハンカチで鼻を抑えながら、声を出す。崇君がそっち見る。


「お話に感動してしまって……。すみません」

「……」

「ほら、見ろ」

「優雅と一言で言うのとはちょっと違う、どうしてどのお店もあんなに優しいのか、わかった気がします」


 そう言われて、俺も多分崇もちょっと照れました。


「そういう風に言われると、嬉しいですね」

「オーナー、一体どんな話をしたんですか?」

「後で記事読めよ」

「……」


 崇はテーブルの上に箱ティッシュを置くと、訝しげな顔をしつつまたあっち行った。


 すん


 暎万ちゃんはハンカチで涙を拭いた後、元に戻りました。


「それで、どうして今回和食のお店を出されるかと言うことなんですが……」

「ああ、すみません。話がずいぶん脱線してましたね」


 つい、余計な方向へ。


「今までは、日本人の憧れる欧米を具現化してきたつもりで、その反対なんです」

「というと?」

「外国人の憧れる日本を具現化したいんです」

「へ?」


 また、こういう反応になると思ってました。楽しい。笑った。


「和食とは言っても、お出しするのは創作料理でね。日本人が見たら、こんなん日本料理じゃないってものになると思います」

「ええっ?そんなんでお客さん来るんですか?」

「来ますよ。だって、今回のメインターゲットは外国人観光客なので」

「……」


 しばし沈黙。


「ええっ?」


 レスポンスまでに時間かかったな。


「なんで、そんな、路線を180度変えてしまったんですか?」

「そうですねぇ」


 少し頭を整理して言葉を選ぶ。


「僕としては、それでも日本人のためにっていう気持ちからなんですが……。ま、それと、10年くらいやってきて、お陰様で基盤が少しできてきたから、冒険ができると言うのもありますけど。日本人が自分で思う日本人というのと、外国人が思う日本人というのは違うんですね。でも、日本人にはね、自分達があまりに当たり前すぎて忘れてしまっている美徳とでもいうのかな?いい所があると思うんです。そういうものに今、興味があって」

「それで、和食、あ、いや創作料理。その、外国人から見たというのはやっぱり欧米系の人から見た日本なんですか?」

「そうですねぇ、それもありますけど、今、中国人の人が多いじゃないですか」

「はい」

「だから、同じアジアの人から見た違う日本というのがテーマになるのかな?」

「なるほど」

「だからね。お店の名前も漢字にしたんですよ」


 香具土


「これ、なんて読むんですか?」

「かぐつちです」

「かぐつち、どっかの地名かなんかですか?」

「神様の名前です」

「えっ?」

「流石にそのまま使うとバチが当たるような気がして、漢字を一個取り替えました」

「有名な神様ですか?」

「暎万さんもイザナギ、イザナミの2人の神様は知ってますよね」

「はい」

「イザナミが最後に産んだ火の神様です。イザナミはカグツチを産んだ時の火傷が原因で死んでしまうんですよ」

「ああ、ああ、思い出した」

「そしてね。怒ったイザナギに、お父さんに殺されてしまうんです」

「……なんか、可哀想な神様ですね」


 暎万ちゃんが気の毒そうな顔をする。


「母の命を奪い、父に命を奪われる。それだけ見ると、ただの残酷な話なんですけどね。でも、剣で斬られてその剣から滴ったカグツチの血からね、また、ありとあらゆる神が生まれるんですよ。それを見て、これは死と再生の原点を語っているんだと言った人がいて……」


 そう、日本の神話になんて俺は造詣がない。カグツチの話を俺に教えてくれた人がいる。


「昔は、お産で死ぬ女の人も多かったですしね。でも、死んでも生まれる。だから、従来の和食を壊して、外から見た和食のような物を作って、それが再生の原点にならないかと、新しいものが生まれないかと考えている、この店に相応しい名前かなと思って……。火の神様ってのも料理を連想させますし」

「奥が深いですね〜」


 暎万ちゃんが感心している。


 その後もいくつかの質問に答えて、取材の目処が立つ頃には昼時になっていた。


「上条さん、お食事用意しましたんで。お店のメニューに入る予定の料理です」


 崇君がちょこんと顔を出す。


「ええっ!」

「いや、レストランの取材なんですから、料理見ていただかないと。お時間、大丈夫ですか?」

「嬉しいっ!ありがとうございます〜!」

「ちゃんと写真撮って、宣伝してくださいね」


 食事を用意したテーブルの方へ歩き出す。お店のメインホール、目の前で焼いて見せる形になったカウンター席が中央にあって、それから、それを囲むように一段高くなったテーブル席がある。中央の様子がどの席からも見られるように工夫して設計されている。

 調理の最中に、ボワッと調理人が火を立てて見せることがあるでしょ?それをやるんです。 

 火をどう見せるか、火がどう見えるか。

 人間が火と初めて出会った時のような、そんな雰囲気を味わえるお店にしたいと思っていた。

 カグツチという名前を浮かべたときに、古来の神話と意識が結びついて浮かび上がってきたコンセプトだった。


「オーナー、もういいですよ」

「俺の分はないのかよ」

「さっさと会社戻ってください。ここはいいですから」


 なんだよ。厄介払いかよ。


「あ、そういえば」


 不意に暎万ちゃんが口を開く。


「神谷社長、兄に会ったことがあります?」

「お兄さん?」


 なんの話だろう?


「なんか、兄が言ってたんです。仕事の絡みでお会いしたって」

「へぇ〜、お兄さんってどこの会社?」

「会社っていうか、弁護士なんですけど」


 ちーん


「弁護士の、上条先生……の、妹さん」

「はい。上条春樹の妹です」

「……」

「オーナー、弁護士さんなんかと会ってたんですか?なんで?」

「……」


 2人の目に見つめられています。


「いやぁ、世間は狭いなぁ。びっくりしたぁ」


 ははははは


「なんで弁護士さんなんかと会ってたんですか?」


 しつこいな。崇君。世の中には知らないでもいいことがあるって。


「ちょっとプライベートなことでね」

「プライベートってなんか、弁護士さんに相談しなきゃいけないことがあるんですか?」

「お前、しつこいな。プライベートって言ったら、プライベートだよ」

「社長のプライベートは社員にも飛び火するんですよ」

「そんな飛び火するような類のプライベートじゃねえよ」


 ふと気づく。横からじっと暎万ちゃんが、俺の昔の女の今の彼氏の妹さんが、見てる。じっと観察してる。


「俺、会社戻る」

「ああ、はい」


 じっと観察体勢だった暎万ちゃんが姿勢を正す。


「本日はお忙しいところを貴重なお話、ありがとうございました」

「ああ、いえ、お兄さんにもよろしくお伝えください」

「はい」


 車に乗って会社へ向かって走らせながら、改めて思う。

 

 びっくりしたぁ〜。

 まさか、こんな形で会うなんて思わないもんな。顔だってそんな似てないし。上条って名前だって、そんな珍しい名前じゃないし。気づかなかった……。


 そして、また、思い出してしまう。

 静香、元気かなと。


 君は気づくだろうか?それとも忘れてしまっただろうか。

 自分が日本の神話について話したことを。そして、その君がした神様の話のその神様の名前の一つの漢字を、俺が変えた意味に。

 会うことも話しかけることももうできない日々の中で、それでも俺が君のことをときどき思い出してしまうことに、

 

 君は気づくだろうか?


 いつかきっと自分の記憶は色褪せる。そして少しずつ減っていくだろう。

 その前に、何か形に残したかった。

 あからさまな形ではなくて、気づくか気づかないかわからないような形で。

 2人が一緒にいた記念のようなものを。


 信号が変わる。俺は会社に向けて車を走らせる。


 神様、痛みは時とともにやわらぎますか?

 自分が彼女に出会った意味を、いつか自分は悟るでしょうか?

 出会ったことを後悔しなくなる日がいつか来るでしょうか?


 きっと来る。そう、きっと来る。そうでなくては。だって、俺はまだ生きていくんだからな。


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