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魔女の守る国

能ある鷹は花を愛でる

「魔女との約束」の世界観で四年ほどあとの話になりますが、別の国のお話なのでこちらだけでもお楽しみいただけます。




このローレイン王国でも膨大な所蔵数を誇る学園付属の図書館の窓際でローズマリーは溜息をついた。

その視線の先、窓の外に見える中庭で一組の男女が仲睦まじく話をしている。

女性のほうはここ数年色々な意味で話題があがり、ローズマリーとしても何度か話したことのある程度の見知った顔。

男性のほうは週に一度お茶を共にすることを義務づけられた間柄の人物であり、相手の親と自分の親が決めた将来夫となるはずの人物。

そしてこの国の未来を背負っていくだろう立場の人。


この国の第一王子である婚約者は今、未来の妻であるはずの自分とは違う女性と人目を憚ることなく逢引している。

つまりローズマリーは婚約者の浮気現場を見下ろす位置から見つけてしまい、溜息をついたのだ。


「溜息をつくと幸せが逃げてしまうよ?」


そんなローズマリーに声をかけた青年は断りを入れるでもなく彼女の前の椅子を引いて座ろうとしていた。

ここは学園に属する者であれば誰でも使うことを許されている図書館だから身分など関係なく各々の自由気ままな席へ着くことが許されている。

それでも貴族にとって婚約者でもない未婚の男女があまり近しい位置に座ることはいい振る舞いとはいえないが、もともとローズマリーは彼と共同研究の課題を済ませるためにここに座っていたのだ。

だから彼が彼女の傍に断りを得ずに座ることはなんの不思議なことではないし、提出日の近づいたこの日のこの場においてはそうした理由で向かいか隣に座る男女の組み合わせの生徒は多くいた。


そうして椅子に腰を落ち着けた彼にローズマリーは席を立ち礼を取ろうとするが、机に手をかけたところで止められてしまう。

過度の礼儀を嫌って困ったような顔をする彼のために、しかたなくローズマリーは座ったまま目礼という形を取った。

彼が編入してからこの数か月で何度もされたやり取りをローズマリーはやめる気はない。

それだけの礼議を受けるだけの立場があるのだ、彼には。


亜麻色の髪に翡翠の瞳を持った青年はこの国の北にある国からの留学生だ。

何かとヴェールに包まれたその国から国外へと留学生が出ることは珍しく、編入したての頃は随分と多くの好機(好奇)の目に晒されていたというのに彼はそんなものを微塵にも気にすることなくこの学園へと馴染んでいった。

この学園に通う者ならば誰にでも優しく分け隔てなく接し、しかし決して個と深く関わりすぎない、正しく平等で公正なお方だとローズマリーは彼のことを評価している。

評価というのも不敬といえるが、どうしたって自分の婚約者と比べてしまうのは仕方がないこと。

婚約者と同じ地位でありながら彼とは比べ物にならないほどに自身の立場に自覚を持ち自立しているこの方こそ、小国ながらも世界に名を轟かせている国、マルブライト王国の第一王子アーノルド・マルブライトなのだから。




ふと、アーノルドが窓の外へと目をやった。

きっと先ほどまでローズマリーが見ていた視線の先に溜息の理由があるのだろうと思ってのことだ。

そうして目をやった中庭にはいまだに寄り添う二人がいて、その光景に彼はああと一つ納得したような声を出したかと思えば、その後は何事もなかったかのように視線をローズマリーへと戻した。


「課題を済ませてしまおうか」


そうしてにっこりと笑いかけたアーノルドに、ローズマリーはホッと息をつく。

慰めの言葉も憐れみの気遣いもローズマリーには不要なもの。

日ごろの婚約者からのローズマリーへの扱いを知る者は多く、そうした人たちはローズマリーの心中を慮って声をかけてくれる。

しかしそうされる度、ローズマリーは逆に申し訳なさで息苦しく感じてしまう。

だって婚約者と自分は王権強化のための政略結婚に他ならない。

彼が他の誰を愛そうが、彼を愛していないローズマリーには関係がないから彼女はそうした声も必要としていない。


彼が恋人に唆されて少々不審な動きを見せているのはわかっているが、それに対する対策はしっかりととってある。

父である公爵を始めとするこの国の重鎮たちが腐らず、しっかりと未来を見据える王への忠義厚い人たちでよかったと思う。

そしてローズマリーの進言に耳を傾け協力してくれたことに感謝している。

だからこそそれに報いるために尽力はすれど、その結果としてこの先彼がどのように事を運んでいこうがローズマリーには関係がなかった。

とはいえ、それでも婚約してから十数年、互いに支え合えるように切磋琢磨してきた仲だとは思っているので愛はなくとも情はあった。

できることなら最悪の未来だけは避けてほしいと願いながら、ローズマリーは近く提出期限が迫る課題へと頭を切り替えた。











しかし、そんなローズマリーの願いはそれから半年もたたずに叶わぬものとなった。


「ローズマリー・バチェット!この魔女め!貴様の悪行はもはや看過できるものではない!私はローレイン王国第一王子、グレイソン・ローレインの名において貴様との婚約を破棄する!」


そう高らかに宣言するのは婚約者であったグレイソンで、そのわきには彼の恋人であるヘレンが寄り添うように彼の腕に自身の腕を絡ませている。

その顔は聖女というのが信じられないくらいには醜く笑っていた。

それを彼らを囲う周りの人々は目にしていたが、残念なことにぴったりと腕にまとわりつかせている当のグレイソンには見えていないのだった。


ヘレン・イーヴァルは男爵という下位の貴族の生まれでありながら、入学の折に行われた魔力検査にて膨大な魔力と聖なる力を発出させたことで聖女とされていた。

しかし最初こそ聖女だといろいろな人に慕われはしたが、生徒のほとんどは徐々に彼女を遠巻きにするようになる。

愛らしい見た目に天真爛漫な性格、平等を詠う彼女はたしかに多くの人に好かれる人物像ではあった。

しかしあまり裕福とは言えない生活を送っていたからか、彼女は貴族のマナーには疎いようでそのことに眉を顰める者もはじめから少なくなかった。

それは挨拶だったり男女間の貞節だったり、それぞれは些細な事ではあれど積もりに積もった不満は着実に周囲からの孤立を浮きだたせるには十分で、最終学年となる前までにはついに彼女の取り巻きと呼ばれる生徒しか傍には寄り付かなくなっていた。


それでもそんなことなど気にならないようにヘレンは彼らと気ままな学園生活を送っているようだった。

たとえ多くの人が彼女を心の内では嫌っていたとしても彼女は正式に認められた聖女であったし、彼女を守るように囲う取り巻きの中にはこの国の第一王子が含まれていた。

しかもその王子はヘレンにぞっこんであり、人目を憚らず甘い言葉を囁き、彼女に危害を加えるようならば誰あろうと容赦なく処分した。

そんな危険をおかしてまでヘレンに物申す勇気のある生徒などいなかったのだ。


かくいうローズマリーも最初こそグレイソンへの挨拶や距離の取り方、そしてごく一般的なマナーについて苦言を呈することもあったが、一年も過ぎればそんなことをする気にもならなかった。

ローズマリーの家は国王陛下の覚えめでたい公爵家であり、王家の決めた婚約者という立場のため王子の独断で彼女が罰せられるということはなかったが、それゆえに彼らはローズマリーを煙たがった。

廊下をすれ違うだけで彼らはヘレンを害す悪女のように警戒し喚いて遠ざけようとするほどには嫌悪していた。

それはそれは煩い威嚇に辟易したローズマリーも一年もすれば自分から近づこうとも思わなくなったし、実際すれ違いもしないようにあらゆる手を尽くした。


だというのに、彼らはローズマリーがヘレンをいじめた、なんていう嘘にもならない妄言で彼女を責めたてている。

学園ではおろか休日にだってはち会うことのないように細心の注意を払ったというのにいったいどうやってヘレンをいじめるというのか。

魔法を使えばどうにかなるのだろうが、そんなことに魔力を消費したくもない。


溜息を付きそうな口元を扇で隠し、ローズマリーは周囲を伺った。

豪華に飾り立てられたホールには華々しく着飾った若き紳士淑女が声を荒げるグレイソンを遠巻きに見ているのを確認してローズマリーはよろしい、と満足げに頷いた。

彼らだってこれまでどれだけ苦汁を飲まされようとも卒業までと我慢をしてきたのだから最後の最後に面倒ごとに巻き込まれてほしくはない。

グレイソンたちはそんな彼らを自分たちの仲間でありこの愚行を暖かく見守ってくれているように思っているようだが、冷静になってちゃんと見れば彼らの白けた目に気づくことができただろう。

人生で一度のせっかくの場を騒がせる人への視線というのは意識しようとも冷めてしまうものだ。


ここはローレイン王国の誇る王立学園が主催する卒業パーティの場。

三年間共に学び競い合い、そうして過ごした学園を卒業する生徒たちを祝うため多くの大人がこの時のために準備をしてくれていたというのに、それをグレイソンはぶち壊した形になる。

自分の婚約者はここまで愚かだっただろうかとローズマリーは頭を抱えそうになるのを必死で抑え、口元を隠していた扇をスッと下した。


「殿下、発言の許可を」

「なんだ、言い訳でもするつもりか?それで貴様の悪行が覆されることはないがまあいい、最後に私たちへと許しを請う無様な貴様の姿を見物するのもまた一興だろう。発言を許可する。本来なら聖女に対する不敬として謝罪すらできずにその場で刑に処されるはずなのだから感謝するがいい」


たった一言発言の許可を求めただけだというのに返ってきた随分と長く傲慢で知性のかけらもない返事に、わずか残っていた情すらもローズマリーの心から消えた。

切磋琢磨してきたと思っていたが、どうやら頑張っていたのはローズマリーだけでグレイソンは婚約当初よりも退化していた。

自分がどんな立場にいるのかですらも忘れてしまっているようなのだから。


「婚約破棄については殿下のご随意に。陛下の認められた婚約ですのでご自身で陛下へとご奏上くださいませ。わたくしも父へと報告いたしますわ」

「ふん、そんなこと貴様の口から是と聞かずとも決定事項だ。私が許可したのはそんなことではなく謝罪だ!早くヘレンに謝れ!膝をついてな!」


政略結婚とは家同士の取り決めであり、しかも国王が認めた婚約となればそれぞれの意思での破棄や解消はできるものではない。

それなのにグレイソンはまだ奏上もされていない破棄が決定事項と信じて疑わない。

どこまでも堕ちた婚約者の姿に憐れみすらも湧いてきた。

とはいえそんなことはおくびにも出さず、ローズマリーは凛と背筋を伸ばしグレイソンをまっすぐと見つめた。

その意志の強い瞳に一瞬だけグレイソンは怯んだが、睨みつけるように彼女の目を見返した。


「ヘレン・イーヴァル男爵令嬢に対する行いについては一切を否定いたしますわ」

「なっ!!この期に及んで言い逃れができると思っているのか!こちらには証拠が、」

「証拠……証拠ねえ……あるならば出してくださいませな、もったいぶらずに」

「っああいいとも!その余裕ぶった態度を今に後悔するがいい!!」


自身が並べ立てた罪を否定され、さらに冷めたような目を向けるローズマリーに激高したグレイソンは同じく取り巻きと化した側近候補へと命じて証拠とやらを持ってこさせる。

本来ならば王子を諫めようとせねばならぬ側近候補にも、ローズマリーは冷めた目を向けた。


ヘレンの取り巻きは基本的に見目のいい高位貴族だったり何かしらの特権を持つ者が多く、中にはローズマリーの幼馴染に従兄弟、果てはこの学園の教師まで見受けられたことで彼女の頭はすっかりと冷めきっていた。

彼らが何を思って一人の令嬢をやり玉にあげようとしているのかはとんと興味もないが、従兄弟だけはきっと彼の強い意志をもってこの場に立っていることはわかる。

魔力量や頭の出来を妬んでいるのか彼が何かにつけて突っかかってくるのは子供のころからのことで、そんな彼と目が合った瞬間ローズマリーは鼻で笑ってやった。

それを受けた従兄弟のその顔の醜いことといったらない。


もういい加減うんざりなのだ。

妬み嫉みで蹴落とそうとする従兄弟にも、人の話を聞かないうえに理解もできない脳筋な幼馴染にも、ローズマリーが婚約者になった理由も忘れてしまった王子にも。

王家からのお願いであったから今まで自分がどれだけ窮屈な思いをし、蔑ろにされてきてもじっと我慢をしてきたが、それももう我慢の限界に来ていた。


学園内での素行は全て各家のみならず王城へとあげられる。

つまりグレイソンや彼の側近候補たちの自堕落な生活だって大人はみんな知っている。

だからローズマリーの話に彼らは耳を傾け婚約破棄にも同意してくれたし、今までかけられた分の苦労に見合う褒賞をローズマリーにくれることを約束してくれた。

グレイソンにはああ言ったが、実の所二人の婚約はもう既に破棄の方向へと動いている。

何も知らなくて可哀想と憐れむ先ではグレイソンが嫉妬に駆られた女の醜さを説いているが、それこそローズマリーにとっては鼻で笑うよつな内容だ。

何を勘違いしているか知らないが、ローズマリーはこれっぽっちもグレイソンを好いたことなどない。


王家がローズマリーをグレイソンの婚約者に据えたのはひとえにその魔力の多さだ。

この国では国民のほとんどが魔力を有しており、その保有量は尊き血、名のある貴族の高位にいけばいくほど多くなる。

公爵家に生まれたローズマリーも例にもれず膨大な魔力を有していたからこそグレイソンの婚約者となった。

なぜならばグレイソンは尊き血の最高位に生まれながら、その身に有する魔力は低位貴族ほどでしかなかったからだ。

そのことで別段困ることはないがやはり体裁というものを気にした王家からバチェット家へと婚約を打診したのが始まりであり、あまり乗り気ではなかった公爵が渋々と頷いて成り立った婚約なのだ。

つまり、この婚約は王家から望まれたもの。

本当ならばグレイソンがローズマリーに対して誠意を見せなかった時点でバチェット家のほうから婚約破棄をすることだってできたし、ローズマリーよりも後ろ盾になりそうな人物が現れた場合はそちらを優先することだってできた。

だからこそローズマリーはヘレンへの苦言もそれほどしつこくしなかったし、彼女を上回る魔力を持つヘレンへと婚約者を挿げ替えることに異論はなかったが、いかんせんやり方がまずかった。


これがもし穏便に正式な手順でもって移行されたのならばよかった。

もしくは人払いをしたうえで糾弾したのならばまだ許せた。

けれど彼らは今、この祝いの席で衆人環視のもとローズマリーへの謂れなき罪を押し付けた。

ローズマリーが想定した最悪の状況を彼らは作り上げたのだ。

彼らが上げる証拠のなんとずさんなこと。

一つ一つ潰していくのも簡単だが、それはそれで面倒ごとが長引くだけだとわかっているローズマリーはそれらを黙って聞いた。


「以上がお前の悪しき行為の全容だ!」


そう誇らしげにこちらを見やる従兄弟をローズマリーは再び鼻で笑ってやった。

彼らが並べ立てた証拠とやらは被害者と宣う聖女の証言をもとにでっち上げたものでしかない。

ローズマリーが行った場所や時間なんかは記憶と一致することから、彼女の行動を辿ったうえで作り上げたものなのだろう。

その努力をもっと他に向けてくれればこの国の未来は明るいものだったろうにと嘆いたローズマリーを責められる者はいないだろう。

あまりにも拙い計画が上手いこと行き過ぎていることに、断罪されているはずの自分の方が心配になってくる。

主に、彼らの頭の出来が。

それくらい、子供でもわかってしまうだろうくらいにはその証拠と呼ばれる物はずさんなものだった。


しかし、実をいえばローズマリーに今その断罪を完璧に回避することは難しい。

否定していくことは簡単だが全てを否定するためには今この場にはそれを示す物的証拠も何も無く、ローズマリーのそれも本人の証言でしかないからだ。

それでも彼女が落ち着いていられるのはこの場に来る前に言付けられた言葉をただただ信じているからだ。


『君は君らしく誇りを持って、凛と胸を張って待っていてね』


侍女から聞いた言葉は彼女の脳内ですぐに言付けた本人の声で再生され、同時にあの柔らかく優しい笑顔が脳裏に過ぎった。

出会ってからまだ一年ほどしか経っていないというのに、ローズマリーの人となりをよく理解し、彼女がその時々に欲しい言葉でもって叱咤激励してくれる人。

その人の言葉を思い出して、同時にふと今のヘレンの取り巻きに特に目立っていた金色の君が居ないことに気がついた。


金髪に青い目をした彼はアーノルドの従者として彼と共にローレイン王国へときたのだが、数週間もしないうちにヘレンの取り巻きと化していた。

従者が主人の側を離れるなんて、と憤るローズマリーにアーノルドは大丈夫だといつも笑っていた。

というよりも彼が怒っているところなどほとんど見たことがないほどに彼は穏やかな人だった。

気に入らないことがあるとすぐに怒鳴り散らすグレイソンとは本当に正反対、と思いかけてまた比べていることに気がついたローズマリーは苦笑した。

しかしそれも仕方ないことだろう、どうしたって彼らは同じ立場なのだから、比べるなという方がおかしい。

誰だって自国の未来の担い手が他国よりも優れていると思いたいもので、比較対象がいるならばそうしてしまうはずだ。

もっともグレイソンとアーノルドでは比べ物にもなりはしなかったのだが。


そんな彼女の苦笑をどう受けとったのかグレイソンやその他の取り巻きたちは勝ち誇ったように笑う。

さしづめ、もはやここまでと諦めの自嘲とでも思ったのだろう。

だからもう一度否やと声をあげようとしたローズマリーが口を開く前に、ホールへと高らかな笑い声が響き渡った。


「あっははははは!これはこれは楽しい余興をありがとう、グレイソン殿。まさか卒業パーティのためにあなた方がこのような寸劇を用意しているとは思いもしませんでしたよ!」


そう心底面白そうに笑いながら割って入ってきたのは他ならぬアーノルドで、彼の側には金色の従者が付き従っていた。

彼らの登場に心なしかヘレンの顔が喜色ばんだように見える。

恋人の腕に抱きついているというのに他の男を見て喜ぶなど、本当にはしたない。


「アーノルド殿、これは余興などではない。本気の断罪だ。邪魔だてするのは辞めてもらおう」

「いいや、やめないね。むしろ本気だと言うのなら余計正気を疑うよ」

「何?!」


包み隠すでもなく正気を疑われたことにグレイソンたちがまた喚き出すが、アーノルドはまったく聞こえていないかのようにローズマリーへと笑いかけた。

あまりにも普段と変わりのないその様子にローズマリーは知らず肩に力が入っていたことに気がついた。

ほぅっと息を吐いて心を落ち着けた後、もう一度アーノルドへと目を向ければ彼はすでにグレイソンへと目を向けていて、代わりに従者の彼と目が合った。

見られていたことにびっくりしたが、彼はローズマリーに青い目を細めて笑いかけたあとすぐにアーノルドへと小さく耳打ちをしてその場から下がって行った。


「貴様!私を侮辱したな!?今ここで叩ききってやる!」

「君は本当に、自覚が足りないんだなぁ……その言葉を宣戦布告と捉えることになってもよろしいのかな?」


呆れたような顔で肩をすくめたと思えばすぐに紡がれた続きに誰もがその意味を捉えかねて沈黙が落ちる。

しかし、つかの間の沈黙の後その意味を正確に理解することができた人のハッと息を飲む音を皮切りにホールにはざわめきが広がっていった。


「学園内ではみな平等。身分など関係なく貴族も平民も等しく何の弊害もなく学ぶことが許される……まあ、一部は権力を誇示していたようだし矛盾はしていると思うけれどね」


その一部、というのは明らかに今ほど喚き散らしていたグレイソンとその取り巻きたちのことだろう。

彼らは生徒も教師も関係なく自身に融通を利かせなかったり聖女に苦言を呈したという者たちを片っ端から処分させてきた。

その多くは謹慎や他クラス編入などで収まっているが、酷い時は無期停学や最悪の場合退学という処分までされた者もいる。

平等を謳う聖女の取り巻きでありながら一番権力を行使してきたのだから、それを矛盾といわず何というのか。

もっともその聖女自体も平等とは程遠い位置にいるのではないかとローズマリーは思っている。


「学園の理念として全ての生徒が平等であったからこそ、学園内では家名も親の権限も介入することはなかった。けれどね、グレイソン殿。今日僕らは長く過ごした学舎を卒業したと共に親の庇護下より卒業したと言っても過言ではないのだ。これからはこの場にいる誰にもがその言動に責任を持つことが求められる。そして今この場は学を修めた大人としてそれぞれの家名を背負い挑む初めての社交の場と言えよう」

「だから、それがいったい何だというのだ!」

「つまりね、グレイソン殿はローレイン王国の王族として、僕はマルブライト王国の王族として今この場に立っているということだ。今この場での僕らの発言にもそれ相応の責任が伴うということ。これを踏まえて改めて聞こう」


にこにこといつもと変わりのない穏やかな笑顔で朗々と語るアーノルドとは対照的に、アーノルドの言いたいことを予測し事態を飲み込み始めた他の取り巻きたちの顔色は確実に悪くなっていく。

だというのに、当の本人であるグレイソンはいまだによくわからないような顔をしていた。


「先ほどのマルブライト王国第一王子たる私への『叩き切る』という言葉、我が国への宣戦布告と見做して異存はないな?」


朗らかであった笑顔をおさめ厳しい顔つきになった途端、彼の口から発せられた声色も重く冷たいものへと変わった。

ここにきてようやく事態を飲み込めたのか、はたまたその気迫に負けたのかグレイソンは息を詰まらせ足を半歩引かせた。

それを見ればこの場にいる誰もが彼に自分たちの将来を任せてもいいものかと疑問に思うことだろう。


「そ、それはお前が、私を侮辱したから……!」

「なるほど、まだご自覚がないようだ。このような場所でこのような騒動を起こし自身の失態をひけらかしていることについて正気を疑うと言ったんだ。君の行動を知れば他国の者はこう思うだろうね。『ローレイン王国の次期国王は直情的で挑発に乗りやすく操るにはもってこいの愚か者。世代交代した後はかの国を取り込むのは簡単だろう』とね。さすがにこれがどういう意味かわからないわけもあるまい?」

「ぐっ」


アーノルドの言うことは正論でしかないために、グレイソンには次の句は告げられないようだった。

むしろ今ここで指摘されなければ彼の言った通りの未来となったことだろうことを考えれば、先ほどの余興という言葉も彼らの愚行をごまかすためのアーノルドからの助け舟だったのだとわかる。

そう思い至れるほどにはグレイソンの頭は冷静を取り戻しつつあるのかもしれないが、もう遅いのだろうな、とローズマリーは妙に落ち着いた気分で彼らのことを眺めていた。


「そもそもの話をしようか。君たちの言うバチェットご令嬢の罪に関してだけどね、やったやらないの水かけ論よりもっと確実な方法があるだろう」

「……なに?」


アーノルドが来てからはグレイソンもヘレンも取り巻きもみなそちらに意識が行っていて、ローズマリーのことなどすっかり忘れていたのだろう。

けれどアーノルドが再び話を戻したことで、彼らの憎悪の視線もまたこちらへと戻ってきた。

心の準備をしていなかっただけにそのことに肩を震わせたが、すぐに守るようにアーノルドがローズマリーの前へと進み出てその視線を遮ってくれた。


「たしかに学園内は平等だし警備体制も抜群だ。しかし君は腐っても王子、何かあってからでは遅い。やりすぎることもないんだよ。必要としていない僕にだってローレイン国から護衛が付けられるくらいだし、次期王妃でもあった婚約者にだってつけられていたようだ。もちろん君にだって護衛はついていたはずだ。そして国にとって重宝されるべき聖女様にもね」

「護衛……?」

「そう。そうだな……僕の国には該当する役職がいないから他の国での呼び方になるけど、『影』って呼ばれるような存在かな?護衛対象の邪魔にならぬように気配を断ち、有事にはいつでも助けられるように傍にい続ける。彼らはとても優秀だと聞くし、君たちの行動全てを把握しているはずだよ」


例えば君たちが証拠作りに奔走している姿、なんてものもね。

厳しい顔から一転、また朗らかな笑顔と声色へと戻ったアーノルドだったが、その口から紡がれる内容はやはりグレイソンを責め立てるためのもの。

ここまでくれば彼のその笑顔が穏やかな性格を表しているものではないと誰でもわかる。

位置的に顔の見えないローズマリーでさえ、彼から紡がれる声にうすら寒さを感じるほどに彼の感情が伝わってくる。


アーノルドは怒っている。

声を荒げるでも力尽くでねじ伏せるでもなく、ただただ静かに説き伏せるように相手を責め立てている。

冷静に相手の反応を見ながら手を変え品を変え、相手が一番恐れている物を掌握し、それをいっきに深くえぐりこませる。

それが彼の怒りの表し方だった。


グレイソンにとって一番の弱点となるのは王家での立場だ。

ローズマリーと婚約することでグレイソンは公爵家の後ろ盾を得ることはできたが、それだけだ。

長兄であるがために次期国王の座に一番近いとされてはいても、彼の下には側室の子を含めてまだ四人の王子がいる。

しかもグレイソンの同腹の弟でもある第四王子はまだ幼いながらもローズマリーを凌駕するほどの魔力を有し、さらに聡明であるとの評判もある。

やるべき範囲の学習は治めていたもののそれほど優秀とは言えず、さらに素行不良となれば王座は一気に遠のくことだろう。

それをアーノルドはしっかりと把握し、ローズマリーにもあえて過度な苦言を避けるよう忠告していた。

それがローズマリーにとって不利になりえたからだ。

事実、先ほどの糾弾では最初のころの苦言や忠告が彼らの都合のいいように誇張されて捻じ曲げられていた。

彼は転入してきてからしばらく観察しただけのグレイソンの素行や立ち位置、思考回路をすぐに理解し、半年以上先の彼の愚行までをも計算し見越していたのだろう。


それは今日留学先の学園を卒業したばかりのたった18歳の若者ができるような手管ではなく、今すぐでも国の代表として他国との交渉官として出てもおかしくないほどの手腕だった。

そんなアーノルドを見てようやくローズマリーの胸の内にあった違和感が一つの疑問へと形を変える。


そもそも、アーノルドは何をしにこの国へと来たのか。


かの国には学園制度はなく貴族の教養は各家庭での履修であり、王族も同様だった。

それでも彼らの国の官吏たちは他国にも負けず劣らずの博学さを持っており、それについてローズマリーが褒めれば彼は効率的にしているだけさと何でもないように、けれど嬉しそうに笑った。

実際彼自身だって留学の必要を疑うほど優秀なこともあり、そのことにいつもローズマリーは違和感を感じていたのだ。

それでいて彼は何故留学してきたのかを誰が問うても『ちょうどよかったから』と答えたきりでそれ以上は教える気もないようだった。

ローズマリーはその答えにも違和感を感じていた。

何が『ちょうどよい』というのか。


そうした違和感は多々あって、今この時になってローズマリーはやはりと確信した。

もしかして、彼にとって留学は隠れ蓑で本来は別の目的がありこの国に来たのではないか。

滞在する理由として留学が『ちょうどよい』ということなのではないか。

そしてその目的は今もうすでに、遂行されたのではないかとも。


「ところで、この国での聖女の定義は何だろうか?」

「はい?」

「聖なる力にて奇跡を起こし、全ての人間は平等であると訴える慈愛に満ちた女性、であっている?」


思考を巡らせている中でそう確認するように見られてローズマリーは思わず頷いてしまう。

正確には基準というものはないが、聖なる力を持っていることで聖女であるかないかを判断する材料となることはあるので間違ってはいない。

そうして頷いたローズマリーを見てアーノルドも安心したようにうなずいて見せる。

その笑顔越しに見える聖女ヘレンとグレイソンたちはやはり訳が分からないという顔をしていた。


「それにしてもこの国の聖女様はみんな平等だというのに奴隷を買っているんだね?驚いたよ、奴隷は平等の枠に入らないのかい?だとしたらその理由を教えてほしいのだけれども」


ローレイン王国では奴隷は禁止されていない。

そのために貴族の中にはたくさんの奴隷を買い、下働きをさせている屋敷も少なくない。

最初に金さえ払って必要最低の衣食住の保障さえしてしまえばその後給金を出さなくてもいいからだ。

バチェット家は昔から奴隷を嫌っているためにローズマリーは直接見たことはないが、中には体罰のためだけに飼われて死ぬまで虐げられるものもいるらしい。

ローズマリーとしては話を聞くだけでおぞましいと思うが、そんな存在を平等を詠う聖女が否定するどころか自ら所有していることを信じられなく思う。


けれど問われたはずの聖女は答えることができないのか、口を開け閉めしながら目を泳がせるばかり。

それが聖女らしからぬ所業であるというのを十分にわかっているのだろう。

そんな彼女の代わりとばかりにグレイソンが口を開く。

この期に及んでまだ愚行を重ねるらしい。


「奴隷は何も持たぬからだ!」

「何も持たぬ?」

「そうだ。わが国では魔力こそが重宝される。奴隷たちは皆魔力を持たぬ者だと聞く。いわば役立たずなのだから奴隷として仕事を与えられているだけでもありがたいはずだ!」

「へえ、そう……」


それをお前が言うのかとローズマリーに限らず誰しもが思ったことだろう。

グレイソンにそこそこの魔力しかないことは公表されていないにしても公然の事実、彼は今自分で自分を役立たずに近いと言ったも同然だが、やはり彼にはそこまで考える脳がないらしい。

そしてそんなグレイソンの言葉にヘレンの顔色はどんどんと青ざめ、今にも倒れそうなほどに血の気が引いていた。

ヘレンはグレイソンほど愚かではないようだった。

取り巻きたちの気持ちを汲んだり、彼らをうまいこと動かしているところを見ると非常に狡猾な女性だとローズマリーは思っている。

だからこそアーノルドが相手の弱点を掌握して叩くことは先ほどまでに理解してたのだろう彼女は、どうやら自身の弱点に心当たりがあるようだった。

そんな彼女の様子にさすがのローズマリーも心配になった時、ホールのドアが重々しい音を立てて開いた。

そのドアから現れたのは先ほどアーノルドへと声をかけてその場を辞した彼の従者で、どうやら彼はその腕に小柄な人を抱きかかえているようだった。


「遅くなりまして申し訳ありません、殿下」

「いいや。ちょうどよかったよ、ラリマー。ご苦労様」


ホールの入り口からアーノルドの元に来るまでの間に青ざめたヘレンを目にしたはずなのに、彼は彼女に声をかけるでもなく主人であるアーノルドへと跪いた。

そのこと自体はなんの違和感もないはずなのに、編入してからすぐにヘレンの取り巻きと化していたことを知る身としては申し訳ないが違和感しかなかった。

在学中、彼は暇さえあればヘレンの元へと傅いていて本来の主人を蔑ろにしていたのだ。

それを思えば彼も彼女らと共にアーノルドと対立していてもおかしくはないはずなのに彼はそうはせず、今日は終始アーノルドと共に行動していた。

アーノルドもそんな彼を責めるでもなく、むしろ労いの言葉をかけている。

それだけで彼がヘレンの側にいたのがアーノルドの指示であったことは明白となり、そのことにヘレンは息を飲んだかと思えば次には抱えられている者の正体に気付き、悲鳴のような引きつった声をあげた。


ラリマーが抱えていた人を丁寧に床へと下し、包むようにされていた外套を取り去ればそこに現れたのは一人の少女であった。

白い髪や服ははろくに洗い流されていないために汚れていて、やせ細りぎょろりと窪んでいる赤茶けた目は暗く影を落としていた。

見るからに奴隷という身分のものだろうことは実物を見たことのないローズマリーでさえもわかる。

そんな薄汚れた存在をこの空間へと連れてきたことに眉を顰める者も少なからずいたが、アーノルドは驚くことに彼女の前に膝を折った。


「はじめまして。私はアーノルドと申します。いきなりで不躾ですが、あなたが付けているその耳飾りを外させていただいてもよろしいでしょうか?」

「で、でも……」

「大丈夫、ソレがなくとも何も怖いことは起こりません。仮に起こったとしてもこの者が必ずお守りいたします」


ことさら優しい顔と声で丁寧に言い聞かせるように言えば少女は戸惑うようにラリマーへと視線を向ける。

そしてアーノルドの言葉が本当なのか尋ねるように首を傾げるその様子から彼に助けを求めるように見やるくらいにはラリマーとは面識があることも伺えた。

そうして少女に縋られたラリマーもそれに応えるように笑って頷いて見せれば、ようやく少女はその耳につけられていたピアスを外すことに同意した。

ぱちりと音を立てて外された耳飾りをまずはアーノルドが確かめるように見分し、次にラリマーへと渡された。

そして少女を観察しながらどうだと尋ねられたラリマーは困ったような顔で首を振る。


「やはり私では……姉さまをお呼びした方が確実です」

「できればお手を煩わしたくはなかったのだが、」

「あら、お気になさらずとも構いませんわ」

「ぅ、わあ!」


もはや二人のやり取りに外野は完全に置いてきぼりにされていたのだが、アーノルドの声に答える声と共に突如として現れた女性に会場のそこかしこから悲鳴があがった。

しかし彼女はそれを気にもとめるでもなく次の瞬間にはラリマーに抱き着いていた。


「まあー!ラリマー!!ちょーっと見ない間に随分と男らしい顔つきになって!」

「ちょ、まっ、ね、姉さまあと!あとにして!」

「……シルヴィア殿、感動の再会は後回しにしていただけますか?」


ぐりぐりと音が付きそうなほどにラリマーに頬ずりしていた女性を引きはがしながらアーノルドの呼びかけた名前に学園を卒業したばかりの生徒たちは息を飲む。

学園で世界史の授業を受けていれば必ずと言っていいほど耳にするし、そうでなくともその国のその名前は世界に名を轟かせている。


マルブライト王国を守る世界最強の魔女シルヴィア。

かの国が小国ながらも世界から一目置かれるゆえんは彼女を有しているからであり、彼女が加護する限りマルブライト王国が亡ぶことはないと言われているほどに強大な力を持った魔女。

そんな彼女が今目の前に現れたともなれば生徒たちは恐怖ですくみ上るだろうに、目の前でやり取りされる会話にそれが湧き上がることはなかった。

それほど魔女のイメージとはかけ離れた容姿と言動を彼女はしているのだ。

そうして戸惑う周りをよそに、彼女はプラチナブロンドを揺らしながら朗らかにアーノルドに謝るとすぐに少女へと向き直る。


「お嬢様、お母様から何か大事なものをもらいませんでしたか?」

「大事な、もの?」

「ええ、形あるものに限らずなんでも、お母様から、そしてそのまたお母様から代々受け継がれるもの。何かありませんか?」

「おかあの、おかあから……あ、あるよ。お歌が」

「お歌……それはこのようなものですか?」


そう言ってシルヴィアの口から紡がれたのは母が子を想う歌であり、それにつられるように少女が歌い始めた歌はそれに応える子から母への歌。

二人の声が重なることで完成される親子の愛の歌はその場にいる者の心を洗うように清らかに尊いもので、そこかしこからすするような泣き声が漏れ始めていた。

ローズマリーも同じく静かに涙を流していたが、それに気が付いたアーノルドがその涙を拭うようにとハンカチを渡してくれた。


そして歌いだしと同じメロディで歌が終わるころ、驚くことに少女の身は歌いだす前とはその様相を変えていた。

白かった髪は魔女と同じプラチナブロンドに、暗く赤茶けていた瞳もオレンジと赤の間のような色合いとなっていた。

そのことにローズマリーやその場にいたものは驚き、アーノルドとラリマーでさえも息を飲んで呟いた。


「カトレアの瞳だ……」

「ああ、なんと完璧な身隠しの魔法……我が親族ながらあっぱれですわ」

「それじゃあ、本当に?」

「間違いございません。髪と瞳の色が何よりも証拠となりましょう。子守歌が解除のカギとなっていたのです。このお方こそ、直系でありながら王家を追われたリリウム・マルブライト王女と彼女を生涯守り続けたアルナイル・ウィズフォレストの血を受け継ぐ方にございます」

「この子が……」

「お目にかかれて光栄でございます、お嬢様。長いこと、あなたのことを探しておりました」


そう言いながら深く頭を下げた魔女に倣うようにラリマーも彼女に傅き、少女は戸惑うように二人の頭を交互に見やった。

その光景はとても絵になるものではあったが、これ以上訳も分からぬままでこの後どういった対応をすればいいのか決めかねたローズマリーはアーノルドへと問いかけた。


「あの、アーノルド殿下。これはいったいどういう……?」

「ああ……話せば長くなるから諸々は省くけれどね、つまりあの奴隷として聖女に飼われていた少女は我が国の王族の血を引くものであり、魔女の子孫でもあるんだ」


アーノルドの話を要約すれば、少女はマルブライト王国の正統なる血統の王女と彼女を守った魔女シルヴィアの子孫の血を引いているのだという。

王女は少々複雑な理由で百数年ほど前に王家を追われたそうで、当時逃げおおせたのがこの地だった。

身分が割れ追手に捕まればどのような扱いを受けるかわからないと付き添った魔女の家系の男性が王女に身隠しの魔法をかけて隠れ住んでいたが、そのうちに二人は愛し合うようになり少女の祖母が生まれた。

そうしてしばらくはささやかながらも幸せな生活を送っていたが、王女と男性は運悪くも災害に見舞われ祖母を残して帰らぬ人となる。

せめて祖母が男性の魔力を受け継いでいれば事情は変わったかもしれないが王女の血を色濃く継いだおかげで魔力が皆無だった祖母は父により身隠しの術を強く施されたままこの地で生きていくこととなった。

魔力もない少女が一人身一つで生きていくなど、その行く末は聞かなくとも想像することは容易いだろう。


「わたくしたちも長く王女様の子孫を探しておりましたが、なにぶんマルブライトの血の特徴も、ウィズフォレストの血の特徴もうまく隠されておりましたからこんなにも時間がかかってしまいました。此度のことはわたくしの失態です。本当に遅くなってしまい申し訳ありません」


ウィズフォレストの血とこの地の血が混ざることで段々と男性のかけた魔法が薄らぎ魔力も高まってきたおかげで、この国の辺りということまでは辿れたものの、数年前からそれまで追えていた魔力が途端になくなってしまったという。

悲劇が重なったとはいえ王家の失態ともいえる出来事を公にできるわけもなく表立っては動くことができず、その理由と子孫の無事を探るためにアーノルドは留学という形でこの国へと来たのだった。

もちろんそのことはローレイン国王も承知しており、アーノルドとラリマーには広く自由に動く権限が渡されていた。


それがヘレンの周辺を探ることに繋がることとなる。

理由までは解明されていないながらもこの国において魔力の保有量には血筋が大きく関わることは周知の事実。

もちろん例外はあるにしてもだいたいはそれぞれの家系に見合った魔力量を持つ子供が生まれることからそれはもはや確定事項とも言えた。

そんな中、下位貴族でありながら突如膨大な魔力と聖なる力を発揮した少女がいるというのなら、まずその子を探るのが妥当。

最初は聖女自身が王女の末裔かと思われたが、どれだけ繋がりを探ってもその家系に王女の血が入った痕跡は見つけられなかった。

それどころか聖女というにはあまりにも奔放で偏った思考を持つ彼女にアーノルドとラリマーは視点を変えることにしたのだ。


その魔力は彼女自身のものではないのではないか。


近年魔道具は急激に進化しており、その中には他人の魔力を一時的に借りることができる道具もあった。

本来は魔力の出力数をあげて大きな問題を解決するために開発されたものだが、それを悪用するものが現れないわけもなかったのだ。

案の定、裏社会にはそうした魔道具があることも掴んだ彼らはより一層その疑惑を深めた。

そうしてラリマーは取り巻きとなることで彼女の家の深くまで探りを入れることができ、見事少女を見つけ出すことができた。


「魔道具自体正規品ではないものだし、出どころなどについてもいろいろと余罪もあることだろう。その女とイーヴァル家についてはマルブライト王国が処分を預かることになっている。ああ、もちろん聖女の名ははく奪したうえでね」

「そう、ですか……」

「本来ならばもっと穏便に済ませるはずだったのだが、このまま彼女を聖女の立場で学園の外へと出すわけにはいかなかったのだ。この場にいる生徒の皆様には我が国の事情に巻き込んでしまったことを深くお詫び申し上げる」


そうアーノルドは生徒たちに詫びを入れたが、本当ならばそれをすべきは自国の王子であることも彼らにはわかっていた。

けれどそのグレイソンは本来ならばそうやって裏を探り悪を正さなければならない立場にあったというのに聖女の取り巻きと化し、彼女を助長させていた。

確かに少女にマルブライト王族の血が入っていたことにより、かの国の問題と重なってしまったが、その前に聖女は他人の魔力を奪い自分の力と偽ったという問題がある。

魔力を重んじるからこそ他者の魔力を勝手に使うことは到底許せるものではなく、その力によって聖女の名をいただいた上にその名を好きに使うことで被害にあった者たちの怒りはそうとうなものだった。


憎悪の視線を一身に受けたヘレンは腰を抜かし、へたり込むがグレイソンは彼女を助けるそぶりも見せない。

彼らもまた彼女に騙されたという気持ちがあるのだろう。

だからといって自分たちの愚行が取り返されるわけでもなかったが、ここまできてまだ彼女を庇うようなものはいない。

そもそも彼らも同じような視線を向けられてそれどころではないのだ。

手のひらを返したような周囲の態度に彼女はもう狂いだしそうで、これ以上はまともに話ができなくなってしまうことを懸念したアーノルドはラリマーに彼女を連れ出すように命じた。

それを合図に、その場は解散となった。






あれから数日、ヘレンを含むイーヴァル家の者たちはマルブライト王国へと連行され、これからさまざまな余罪についての追及がされるそうだ。

取り巻きたちはそれぞれの家長から謹慎や廃嫡を言い渡されており、幼馴染も廃嫡のうえ領地へと送られたらしい。

従兄弟は昔からのローズマリーへの固執と嫌がらせが露呈し、勘当されて王都を追い出されたそうだ。

また逆恨みされるのではと少し気がかりに思ったが、追い出される前に垣間見た彼は何故かローズマリーと共にいたアーノルドを見て恐怖に震えていた。

グレイソンももちろん王座に座るどころか廃嫡となったが、彼の場合は野放しにするといらぬ後継者争いを生みかねないと生涯王宮の奥にある砦へと幽閉されることとなった。

あのパーティの場で懸念された自国の不安の芽はこれにより全て摘まれたことになる。


そんな中、ローズマリーは王宮のサロンへと招かれていた。

豪奢なテーブルにはティーカップが二つ置いてあり、渇いた唇を潤すためにローズマリーはそのうちの一つに口をつける。

目の前ではにこにこと嬉しそうな笑顔を浮かべるマルブライト王国の魔女、シルヴィアが同じようにカップへと口をつけていた。

どうしたって緊張しかしないような状況に湿らせたはずの喉はすぐに渇いてしまっていた。


「そんなに緊張しないでくださいませな。わたくしはアーノルド殿下の花がどれほど美しいのかを見に来ただけですのよ」

「は、花?」


意味が分からずにオウム返ししたローズマリーに魔女がおかしそうに笑うのを、やはり自分の持つイメージとの相違に困惑してしまう。

ローレイン王国に限らず様々な国での魔女の印象は悪い。

それはたくさんある魔女の出てくる物語の中でも理不尽な力で人々を苦しめる悪い魔女を勇気ある若者や心清らかな姫が倒すという話の方が子供の好奇心をくすぐり人気があるからだろう。

ローズマリーも子供のころはよく兄たちと共にそんな冒険譚に心躍らせていたので、彼女の中の魔女もしゃがれた声の醜悪な老婆がイメージとして固定されていた。

もちろんこの広い世界中にいい魔女もいるというのは知っているけれど、それでもやはり長い時を経てもなおヴェールに包まれたままの国の魔女などという得体のしれない者と対峙するなど、緊張するなという方が難しい。


「此度のことはローズマリー様には多大なるご迷惑をおかけして、本当に申し訳なく思いますわ」

「いっ、いえ!わたくしなどは本当に、ご迷惑など何も!」

「でも、やはりやりようによってはローズマリー様があのような場でいらぬ矢面に立つこともございませんでしたもの。謝罪させてくださいませ」


そう言って頭を下げた魔女の緩く背中に流した髪からひと房のプラチナが滑り落ちた。

サロンに差し込む日差しを受けて煌めいたそれは思わずうっとりとするほど美しく、このひと時だけでローズマリーの中の魔女のイメージがどんどんと塗り替えられていく。

ほう、と思わず漏れた感嘆の溜息に慌てて口元に手をやれば、彼女はゆったりと微笑んだ。


「アーノルド殿下がこの国へとやってきたのは確かに王女様のひ孫でいらっしゃるダリア様を見つけるためでございました」

「え、ええ。そうなのだとはあの場で納得致しました。実を言いますと本当はずっとあのお方が留学していることに違和感を感じておりましたので……ご親族を探す大役を担っておいででしたのですね」

「ええ、そうでございます。けれど先ほど申し上げた通り、あのお方の才知であればやりようによってはもっと早く、穏便に事を済ませることができたはずなのです」


それはローズマリーとしても同じ考えだった。

正確な時期はわからないけれど、アーノルドとラリマーの手腕を見れば卒業よりも前に数々の証拠を集め終えていたように思える。

転入から数週間でヘレンを疑い始めた彼らの情報収集能力と判断力の高さを知ればこその疑問だった。

こちらで卒業をしてから祖国へ帰りたかったにしても、秘密裏にでもイーヴァル家への断罪をすることはできたはず。

ローレイン国王も承知していて彼らにはその権限があったのだからなおのことだ。

それでもアーノルドは何故か卒業まで彼女らを泳がせ、考え方に偏りはあったものの直接にはダリア様とは関わっていなかったグレイソンたちをも巻き込む形で彼女らを断罪した。

そのやりかたにローズマリーも疑問を持っていたのだ。


「それなのに何故、ローレイン第一王子とバチェット公爵令嬢の婚約を破棄させるまでに話を持って行ったのでしょうね?」

「え?」

「お気をつけくださいませ。マルブライトの血を引く男は執念深いのです」


いつの間にか絡めとられてしまいますわ。

そう意地悪く笑った顔の怪しさにぞくりと背筋が震えたけれど、次の瞬間にはその怪しさはすっかりと消えて元の朗らかなものへと戻っていた。

その笑顔の意味にも言葉の意味にもローズマリーは訳が分からなくなってしまっていたが、魔女はそれ以上話す気もないのかすっかり冷めているだろう紅茶をおいしそうに飲んでいた。

そうしてこのあとのこの場をどうすればいいのかとローズマリーが途方に暮れているとサロンの扉が勢いよく開いた。


「義叔母上!!」

「まあアーノルド様、断りもなく扉を開けるなんてはしたない。それにそんな大声をお出しになって、ローズマリー様がびっくりしておいででしょう?」

「誰のせいですか!ああローズマリー嬢、申し訳ない。おひとりで魔女の相手など恐ろしかったでしょう。もう大丈夫です、すぐに回収して行きますから」

「回収!?失礼ですわね!いつのまにそんな生意気な口を利くようになったのでしょう」

「言っておきますが僕をこんなに生意気にしたのはあなたの旦那様ですし、回収してくるようにと言ったのだってあなたの旦那様です」

「まあ!オスカー様が!?酷いお人!」


荒々しい足取りで入ってきたのはさきほどまで話題にあがっていたアーノルド自身で、それに続くようにラリマーも慌てた様子でサロンへと入ってきた。

彼は魔女と王子の口げんかを止めようとしばらく間でおろおろとしていたが、やがて止めること諦めたのかそっと二人から離れてローズマリーの側へと寄ってきた。


「騒がしくして申し訳ありません。それに、他国の魔女に呼び出されるなんて驚かれたでしょう。魔女様は気まますぎて、僕らもこのことを先ほど知ったばかりで……すみません……」

「いいえ、お気になさらないでくださいませ。本当に楽しくお茶をいただいていただけですわ」

「……お気遣いいただきありがとうございます」


平伏しそうな勢いで謝るラリマーの印象も学園にいたころとは大きく変わっていた。

在学中は関わりも薄かったこともあり常に冷静そうでどこか冷たい印象のあった彼だが、実際の彼はとても人懐っこい性格をしているようだった。

あれから度々話して彼の人となりを知った今となっては違和感しかない在学中の態度に、あれは演技だったのかと感心するローズマリーにラリマーはそんな大層なものじゃなくただ気を張っていただけだと苦く笑った。

そうしている間にもアーノルドとシルヴィアはまだ言い争いをしているようで、その様は本当の家族のように親し気でローズマリーはほんの少しだけ羨ましく思ってしまう。

彼がこんな風に感情のままに言葉を発しているのを見るのは初めてだったからだ。


「魔女様の旦那様はアーノルド様の叔父上様、つまり現国王の弟君でいらっしゃいます。あのお方も大変気やすい方ですので、いつかローズマリー様もお目にかかられた時にはどうぞ肩の力を抜いてお話くださいませ」

「そうなんですの?ああ、だから義叔母上様と……。でも、わたくしなどがマルブライト王国の王弟殿下と話す機会など、きっと一生ございませんわ」

「……そうとも限りませんよ」

「え?」


あのままグレイソンと結婚して王子妃となっていればいざ知らず、婚約破棄をしたローズマリーには他国の王族と話す機会などありはしないはず。

それなのにその可能性を示したラリマーに首を傾げれば彼は少しだけ意地が悪そうな笑顔でローズマリーを見ていた。

その顔が先ほど見た魔女の顔と驚くほどに瓜二つだったのでそう指摘すれば、それは光栄ですねと今度は心の底から嬉しそうに笑った。


「さあ、姉さま。ダリア様がお昼寝から起きる時間ですよ。ご本を読んで差し上げるんでしょう?殿下もまだこちらで処理すべき仕事が残ってるんですから早く片付けましょう」

「少しだけローズマリー嬢と話を、」

「後回しにしたぶん花を愛でる時間が遅れるぞ、アーニー?」


少しだけと言い募るアーノルドをピシャリと窘めてラリマーは二人を引きずってサロンを後にしてしまう。

扉が閉まる間際にまた、と手を振るアーノルドに手を振り返しながら、ローズマリーは深まっただけの謎に溜息を付いた。

アーノルドがイーヴァル家を放置した謎も、魔女の忠告の意味も、ラリマーの言葉も、そして最後の最後に愛称で呼ぶ主従関係なんかも見せつけられて、むしろわからないことだらけになってしまった。


そもそも、どうして魔女のお茶相手に呼ばれたのだろうと悩んだローズマリーの元に、魔女の親書と共にマルブライト王国から婚約の申し込みが来るのはそれからまた数か月後のこと。

その親書によって彼女は未来の王妃となる女性はすべからく魔女によってその人となりを確かめられていると知り、あの奇妙なお茶会がそうだったのだとそのときようやく知ることになった。

それと同時にアーノルドが婚約のためにいろいろと手を回していたことも知ることになり、断罪を遅らせた理由も魔女と従者の意味深な言葉の理由も全てここに繋がっていたこともようやく知ることになる。


そしてローズマリーがマルブライト王国に嫁ぐことになったあと、少しだけ気安すぎるとも感じた彼らの関係性の複雑さをいやがおうにも知ることとなった彼女が目を回すことになるのはもっと少し先のお話。






アーノルドが少々腹黒い?


活動報告にローズマリーがマルブライト王国に来てからの小話を載せてますのでよろしければそちらもぜひお読みください。


お読みいただきありがとうございました!

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