養生訓について こんな時代もいいなと思う
03.10.9記
養生訓といっても、いつもの私の例にもれず、貝原益軒の原典を読んだわけではないし、あるいはその現代語訳を読んだわけでもない。
2~3年前にNHK教育テレビの人間講座で、養生訓がとりあげられ、そのテキストを読んだだけだ。
テレビのほうはほとんど見なかったと思う。
このテキストで印象に残ったことを書く。
現在は「若さ」に価値があり、誰もが若返りたいと願うが、江戸時代は「老いる」ということに価値があり、老人で「若返りたい」と願う人はほとんどいなかった、ということだ。
江戸時代は漸進的な進歩があったとはいえ、時代の進み方はゆったりしたものだった。
その人の人生の最初期と最晩年で、世の中の風景がさほど変化するわけではない。
老人のもつ知恵は、そのまま若い世代にとって有益であり、経験を多く積んだ老人は世間から尊敬される対象であった。
現在、世の中はめまぐるしく変わる。
パソコンをはじめ、世の中にどんどんでてくる新しい道具の使い方にとまどう老人は、若い人から蔑視、笑いの対象となる。
江戸時代、若い時代というのは一生懸命働いて苦労をする時代。
そして今の感覚でいえばかなり若い年代で、子の世代に家督を渡して隠居する。
江戸時代における老年は、その人がその人生において、ようやく手に入れた自由な時代だったのである。
したがって、もう一度若返りたいなどとは考えなかったのだ。
鎖国していた江戸時代。
人々にとっては、この日本が視野にいれることのできる全世界だった。
現在の感覚でいえば、各旧国あるいは、藩領、天領が今の国民における日本という感覚であったろう。
例えば、当時畿内に住む人にとっては、関東、東北、九州などという土地は、はるかなる憧れの地であったろう。
時間的にも空間的にもこの日本という限られた場所、その全体が 、意識において丁寧に耕されたことだろう。
今、この便利な時代からその時代に移りたいとは思わない。
が、意識の上で本質的に世界の風景が変わることのない時代。
限られた世界を丁寧に耕していた時代というのをうらやましい、と思う気持ちは大きい。