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(続)第四十一話〜仮面を外して〜

 この程度の傷で死ぬはずなどないと瞬時に理解したが、誰かに刀で切られるのは数十年ぶりのことであり、それは彼女が死を悟るには十分な期間であった。



(忘れもしない。最後に私を斬ったのは愛しい愛しいアンナリリアン)



 十一年前に起きた騎士団壊滅事件。まさかティリスの小娘ごときに体を斬られるなど思っても見なかったベルリナが、その時得た感情は屈辱ではなく好意──想定外に芽生えた恋心であった。そんなアンナの兄に斬られた今は、悔しいやら情けないやらでアンナのときとはまるで違うものであった。


 正体を偽っていたレンに斬られた直後、一瞬だけベルリナを心配して名を呼んだ愛しい彼女は、兄を追って行ってしまった。儀式の塔の中央で血を流すベルリナを救護しようと駆けつけた騎士団員達を追い返し、己の魔法で回復を図る。傷が消えるとはいっても、完全に回復するものではない。魔法使いの回復魔法は血を止め、完治したように見せるだけのまやかしである。この大きな傷を回復させるにはエルフの治療が必要だった。傷が深く、僅かな時間意識が飛んだものの、なんとか傷を隠して起き上がる。



(……こんな傷)



 情けなかった。


 きっと儀式の最中にアンナを苛めたツケが早々に回ってきたのだ。気を抜いていた自分を叱責し、騎士団で最高位である通称 (おきな)の執務室へと無理矢理に足を進める。今回の件を報告する為であった。


「ハァッ……くそ……」


 館の窓から射し込む光が体に沁み、傷口が痛む。久方ぶりのこの感覚に戦慄し、柄にもなく悪態をついた。幸い、誰にも見られていなかったようで胸を撫で下ろす。ようやく見えてきた目的地の扉をノックする力さえあまり残っていない。小さな体躯で扉に体当たりをし、部屋の主の返事を待った。


「どうぞ」

「──先生」


 師である翁に、隠し事をすることはなかなかに難しい。それでも弟子としては見栄は張りたいというもの。動かぬ足を無理矢理動かし、ずんずんと執務机まで足を進める。


「ベルリナ」

「申し訳ありませんでした」


 悔し涙を流したのは、何百年ぶりだろう。結果、やはり師である翁には全て見透かされてしまった。報告の後、ガブリエルかラビエルの元できちんと怪我の治療をきちんとするよう叱責されるのも久方ぶり。何もかもがイレギュラーなことであった。



(あの子はまだ到着していないのでしたね……)



 エルフの力を借りれば確かに、怪我の回復は早く済む。第三騎士団長ガブリエル・ガザニアルも、第十一騎士団長ラビエル・ライラックも腕利きのエルフではある。しかし怪我をした際、現在のベルリナが進んで治療を受けたいのはただ一人。騎士団の中では弟弟子のニノに続いて、長年付き合いのある第二十一騎士団長ファヌエル・フランネルフラワーだけであった。


 騎士団壊滅事件より以前から騎士団長を務めている者は現在自分を含めて八名。内四名がエルフであるが、ベルリナが体の傷を見せるのは一人だけと決めていた。騎士団総団長である己の弱味など、複数人に見せるものではない。実際、あの時の傷を治療の治療を頼んだのも、ファヌエルだけであった。



(我儘を言っている暇はなさそうですね……)



 翁の言いつけ通りに、今いるエルフに治療を受けねば何を言われるかなど目に見えていた。仕方がなく医務室へと足を伸ばし、ラビエルに頭を下げて治療を受ける。

 総団長という立場の自分が、わざわざエルフに治療を受けているという事実が、周りに与える影響は計り知れない。実際、医務室内で治療を受ける騎士団員達からは、不安そうな感情がだだ漏れだ。トップが怪我などしていては、周りに良い影響など有る筈がないのだ。


「ラビエル。あなたとガブリエル以外はまだ到着していないのですか?」

「ああ。まあいつものことだろう」

「……誰か一人に執着するなんて、私らしくもない」

「何か言ったか?」

「……いえ」


 治療も粗方済んだことであるし、これ以上醜態を晒す前に、さっさとここを立ち去ってしまおうとしていた所に騒がしく姿を現したのは、第一騎士団アイザック・アスター。彼が人間である以上、弟子として扱うことはなかったが、彼はベルリナの事を師として慕う。ベルリナからすれば、入団当時から自分が育て上げた子というよりも弟のような存在であった。


「ラビエル、もう大丈夫です。ありがとうございました」

「お前。まだ治療は七割程度しか終わっていないぞ」

「それだけ治っていれば十分です。他の団員達の治療をお願いします。傷の酷いイリスとゼアのことも頼みますよ」

「わかっている。イリスとゼアはガブリエルが初期治療を進めたから大丈夫だ」

「では、他の団員達を」

「ベルリナ!」


 ラビエルの制止も受け流し、着替えを済ませ医務室を後にする。人が多い場所はどうも好きにはなれない。様々な感情が揺蕩うのを肌で感じる事がどうにも不快なのだ。一階の医務室を出ると、ベルリナは自身の執務室へ急ぎ足を進めた。転移魔法を使う余力さえ残っていないのだ。己の執務室までの道のりが酷く遠く感じる。この建物内の廊下に手摺などあるはずもなく、壁に手を添え二階への階段を上り一度呼吸を整えた。


「ハァッ……我ながら情けないですね」


 団服の首元を緩め、パタパタと風を送り込み涼む。膝に手を添え顔を上げると、視界に黒いブーツが入り込んだ。


「……総団長?」

「あ……到着したんですね、ファヌエル。お疲れ様です」


 ブーツの主は第二十一騎士団長ファヌエル・フランネルフラワーだった。鋭い目元を弛緩させ、小柄なベルリナを気遣うように腰を屈めて視線を合わす。


「到着しましたので、ご挨拶に向う所でしたが……どうかなさったのですか?」

「別に。なんでもありません」


 フーッと長く息を吐き出すと、額の汗をハンカチで拭いベルリナは歩き出す。その背をファヌエルは慌てて追いかける。


「遠い所からわざわざすみません」

「緊急招集ですから」

「……まだ何か?」

「ですから、到着のご挨拶に」

「今ここで会ったのですから、もう結構です。翁の所には顔を出したのですか?」

「はい」


 ファヌエルから逃げるように足を動かすが、両の足は思うようについてきてはくれない。一旦立ち止まり、再び額の汗を拭った。


「あの、総団長」

「なんですか」

「何か隠しています?」

「何故」

「そのくらい、わかります」


 顔を上げたベルリナの視線がファヌエルと絡まると、彼はキツく眉を寄せるやいなやベルリナの体をひょいと横抱きに持ち上げだ。肩を貸すにも体格差があり過ぎ、無理だと判断した為であった。


「な……ファヌエル!」

「申し訳ありませんが失礼します」


 そのままベルリナの執務室へと向かい、二人は誰ともすれ違うことなく目的地に到着。扉を開けると二人揃って室内へと姿を消した。


「肩を貸すのは無理だと判断しました」

「理解しました。運んでくれてありがとうございました」

「総団長……」

「……下ろしてもらえます?」

「申し訳ありません……!」


 ベルリナを開放し、頭を下げるファヌエルの横を通り過ぎ、彼女は壁に背を預けた。


「一体何を血迷ってこんな所で横抱きに?」

「隠しているおつもりですか?」

「何の話です?」

「ベルリナ様」

「なあに?」


 ベルリナは全てを偽り怪我を隠すつもりらしい。それは、彼女の態度からも理解が出来た。本心をひた隠し、いつだって冷静に明朗に総団長を務める彼女の本当の姿を、ファヌエルは未だ見たことがなかった。


「いい加減、本当の姿を見せては頂けませんか?」

「いい加減、というのは?」

「とぼけないで下さい!」

「怒らないで下さい」

「申し訳ありません……」


 やれやれと小さく溜息をつくと、ベルリナは諦める決心をした。今後も何十年、何百年とこの男の前で嘘を積み重ねるよりかは、いっその事全てを話して楽になってしまったほうが互いに良いと気が付いたが為であった。魔法使いとエルフだ、大げさに言えば互いに寿命はないようなもの。気を遣いすぎるのは疲れる──一人でもそれを許せる相手がいてもバチは当たらないだろうと、信じたかった。そのような考えに至ったのは、疲れていたからなのかもしれない。


「……まだ時間もありますし、まあ……仕方ないですね」


 ベルリナはファヌエルの手を握る。ファヌエルが驚き声を上げたのも束の間、転移魔法で二人の居場所が移った。


「……ここは」 


 照明は落ちているが、薄っすらと西日の射し込むほんのりと明るい部屋。暗い青と白を基調としているようで、目に留まるのは第二騎士団長執務室と同じ仕立ての青い薔薇のカーテンだった。綺麗に整えられたベッドにソファ、部屋の隅には散らかった様子の白い机。


「私の自宅よ。そしてこれがあなたが望んだ、私の本当の姿」


 くるりと身を翻すと、ベルリナの衣服がパッと消える。それと同時に彼女の身長が少しばかり縮み、代わりに短かった白髪(はくはつ)は太腿の辺りまで伸び、薄かった胸がぐっと迫り出した。


「え……あ……の……」

「傷はまあこんな感じね」

「あわわわわわわわ!」

「何を今更慌てているの。治療の度に見てるでしょ?」


 ファヌエルが慌てるのは、回復していた筈のベルリナの胸の傷が、魔法によって再現されたからではない。彼女の言葉遣いが、姿が、自分が彼女だと信じてきたもの全てが──取り払われたからであった。


「血を流しすぎたせいで魔力が回復しないの。手っ取り早い方法があるんだけど協力してくれる?」

「俺に出来ることでしたら」

「抱きしめてくれる?」

「え……っと」

「ドン引きしてる?」

「いや……そういう訳では」


 とりあえず服を着てくれませんか、と伝えても「見たいと言ったのはあなたよ」と受け入れてくれる様子はなく。声こそ幼子のような可愛らしいままであるが、血に塗れた真っ白で艶めかしい身体を、いつまでも無心で見続けていることはなかなかに厳しいものがあった。


「何故姿を偽っているのですか?」

「その方が色々と都合がいいから。ねえ、傷の治療の続きはお願いしてもいい?」

「はい、勿論です」

「ラビエルに意地を張っちゃって……途中で医務室を抜け出してきたの。私がいつまでもあんな所にいたら、皆の士気が下がっちゃうでしょう?」


 とすん、とベッドに腰掛けたベルリナは、サイドテーブルに置かれた花弁の蕾のようなスタンドに明かりを灯す。青白い光が彼女の裸体を照らす様は、妖艶だった。


「体の傷は、エルフに任せれば回復するけれど、魔力の回復は別。イメージが大事で……魔法自体がイメージによる部分が大きいしね。人それぞれだけれど、魔力の回復は……睡眠だったり、食事だったり、入浴だったり、あとは……性交だったり色々。それが魔力の回復に繋がるというイメージが大切」

「ベルリナ様にとってのそれは、抱きしめるという行為だと?」

「さて、どうかな。順番に全部試してみる?」

「お戯れを」


 傷が完治すると、ベルリナは大きく腕を広げながら短く「はい」とファヌエルを誘う。最初に挙げた抱きしめる、を実行しろということらしい。


「ええ……と……」

「構わないよ、私は」

「そう言われましても」

「ファヌエル、自分の発言に責任を持って? 本当の姿を見せろと言ったのは誰?」

「……失礼しますよ」


 小さな体は、思ったよりも柔らかく冷たかった。己が触れた部分が少しつずつ熱を孕んでゆくのが喜ばしい。


「ファヌエルが魔法使いだったらよかったのに。野心が強すぎることもなく、意志が弱すぎることもなく、人材としては最高なのに……なんて」

「もしかして、後継の話をしています?」

「ええ。言わなくても誰のことだかわかるでしょ?」

「……まあ、はい」


 ベルリナの腕にぐっと力が籠もる。長い髪が放つ甘い香りに、頭がくらりと揺さぶられてしまう。普段の彼女はこのような香りを放ってはいなかった──筈で。ここまで距離を縮めたことなど皆無であったので、あまり自信はなかったのだが。


「あの、この体勢はいつまで」

「じゃあ睡眠をとる?」

「今眠るわけには」

「なら食事ね」


 睡眠、食事、その次に彼女は何と言ったか、ぼんやりと靄のかかった頭を働かせるが、その間にもキッチンから魔法で転移させた果実の乗った皿が、サイドテーブルの上にパッと現れた。


「この部屋、ひょっとして魔法がかかっています?」

「ううん。どうして?」

「はっきりと物を考えることが出来なくて」

「それはあなたの感情が揺れているからではなくて?」

「感情の……揺れ?」


 思いがけず想い人の本当の姿を目の当たりにして、私室にまで通された。気が動転していることに違いないと、ここでようやくファヌエルは気が付いた。


「あなたも食べたら? 美味しいよ」

「これは……魔法がかかっています?」

「さあ?」


 悪戯っぽく微笑むその笑顔を守りたいと願う、男の揺れる心。そこにつけ入るのは些か気が引けたが、命を落とすかもしれない大仕事の前に悔いの残ることなど、したくはなかったのだ。


「私もあなたもいつ死ぬかなんてわからないもの」

「あなた様が死ぬなんて、考えられません」


 五百歳を優に超えるベルリナであるが、本人は騎士団への在籍年数を、最長クラスであるにも関わらず正確に覚えてはいない。勿論、後輩であるファヌエルもそれを知る所ではない。そんなファヌエルがベルリナの命が危機に晒される怪我を見たのは、過去に指を数本折る程度の少ないものであった。自他共に認めるトップクラスの魔法使いが死ぬなど、想像するほうが難しいというもの。


「『無名』との最終決戦に、翁が誰を選び、どう派遣するかなんてわからないじゃない。全員かもしれないし、選抜かもしれない」

「負けるような人材派遣はありえないでしょう」

「それなら、私が選ばれる可能性は高い。最大戦力のローリャもね」

「……」

「あなたには来てほしくない」

「……あの」

「言ったでしょう? ここでの姿は本当の私。外に出てしまえば、見栄で塗り固められた、嘘だらけの私」


 ベッドからベルリナが立ち上がると、魔法でスッと現れた薄手の部屋着が、彼女の体を覆い隠した。


「ごめんなさい、中身の無い遊戯に付き合わせてしまって」


 振り返ると、ファヌエルが握りしめたままだった果実を一口噛り、咀嚼し、飲み込むと同時にベルリナの腕をそっと掴んだ。


「構いません」

「退屈だったでしょ? そろそろ戻ろう」

「戻りません」

「……戻らないの?」

「想いは告げねばならぬと気が付いたのです」


 ぐい、と腕を引くと小さな体との距離はすぐに縮まった。先程と同じように腕の中に閉じ込めると、ファヌエルは彼女の白い髪の隙間から顔を覗かせる耳輪を、じっとりと喰み始めた。





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