(続)第十一話~母として出来ることⅡ~
ルークがサラをおぶるカスケに追い付いたとき、レノアは既にルークの背後にまで到達してきた。
片足になった彼女が、どうして目にも止まらぬ早さでルークに追い付くことが出来たのか。それは彼女の足を見れば、頷くことができる。
右足、それに左足のあった場所には、傷だらけの体を纏う雷とは見るからに質の違う神力が、ゴロゴロと音を立てて、まるで足に癒着でもしているかのように、一体となって揺らめいている。
そんなレノアの渾身の一撃――それは虚しくも寸前のところで遮断される。薙刀を振り下ろした刹那、ルークの背後に何者も入り込めない薄い氷の膜が幾重にも張られた。それに食い込んだ薙刀は、先端から一気に凍りついてゆく。
「なっ…………!」
手を離すのが一瞬遅かった。氷はみるみるうちにレノアの手から腕にかけて、凍りづけにした。レノアは身動きがとれなくなった。
そんなレノアの追撃に目も向けず、ルークはカスケの背からサラを剥がし落とす。サラが悲鳴を上げて地面に転がり落ちるやいなや、ルークはカスケの腕を捻り上げた。カスケが声を上げる間もなく、彼の全身は氷と化した。
「いやああああっ!」
氷の彫刻と化したカスケにサラが駆け寄ろうとするが、それは立ちはだかったルークによって阻止された。
「どいてよ!」
サラは勇猛果敢にもルークに掴みかかった。ルークはそんなサラの小さな体を、簡単に地面に押し倒した。
「サラ、これが最後だ。ネスがどこへ行ったか教えてくれ。あいつがお前に行き場所も告げずに村を離れるなんて、有り得ないということくらい知っている」
押さえ込まれたサラはキッとルークを睨みつけた。
「それを話せば、村のみんなは助かるの?」
人口わずか百人にも満たない村人全てが、わずか十分間で氷の人形と化した。目の前にいるルークによって。
「いや、助からない。お前も、話そうが話すまいがあれと同じになる」
と言ったルークの視線の先には、凍りづけになり動きを停止したカスケ。その更に後ろには、痛々しい姿のレノアが、どうにかして氷の膜から抜け出そうと、必死にもがいていた。
「レノアおばさん……の、足……が」
サラの顔は一瞬にして真っ青になった。
「ああ、ないな」
ルークがサラから離れると、彼女はその恐怖に満ちた表情のまま凍りづけになった。
今この村で動いているものは、ルークとレノアの二人だけになった。人も家畜も草木も川も、全てが強制的に動きを停止された。
ルークとレノアの距離が縮まると、レノアの動きを封じていた氷の膜は崩壊し、砕け散ったそれは彼女の手足を完全に封じ込んだ。足先の氷は太腿を、手首の氷は二の腕を、じわりじわりと侵食してゆく。
「まさか片足を切り落として来るとは」
抑揚のない彼の声は、その事実を何とも思ってもいないことを強調しているようだった。
「どうせ何も教えてはくれないのだろう。言い残したことがあるのなら、あなたの息子として聞き入れる気ぐらいはある」
一瞬、レノアは目の前にいる男が、自分の息子であるということを、忘れてしまっていた。そのせいだろうか、言葉が何も出てこない。親として言いたいことはたくさんある。聞きたいこともたくさんある。
「なんだ、何も言わないのか。だったら――」
けれど、今この状況で出てくる言葉なんて――
全身は血だらけ。意識も朦朧としてきた。左足も失ったし、命も、もう尽きそうだ。
「――ルーク」
体のほぼ全てが氷に飲み込まれ、人として残っている部位は左目と口だけになった姿で、レノアは口を開いた。その姿にルークは小さく息を呑んだ。
「愛しているわ」
それが彼女の最後の言葉になった。
「さよなら、母さん」
*
ジリリ。
左耳に付けた爪先ほど小振りな通信機が、小さく音を立てる。
――音が止む、それは接続の完了の合図だ。
「ナルビーか、俺だ。……ああ、そうだ。…………ああ、そうか。……え、いや、違うそうじゃない。……違うと言っているだろう。悪いが少し手間取ってな、そちらに着くのが遅くなりそうだ。……いや、それはいい。ではな」
一方的に通信を切ると、ルークはその場に座り込んだ。傷ついた体。傷を覆っていた氷を一ヶ所だけ解除すると、そこから血が流れた。
「……面倒だな」
そう言いながらも一つずつ傷を手当てしていく。
傷の手当てが全て完了すると、その場に仰向けになった。
空を見上げる。雨は止んだが空は真っ暗だった。まるで自分の心を覗いているようだと、ルークは思った。