探偵と助手
「此処ですか? 先生……」
地下へと通じる病棟の階段を覗き込みながら、少女が声を震わせた。壁や階段の大理石は所々ひび割れ、その隙間から好き放題に雑草が伸びきっている。人の管理の手を離れて、もう何年も経つのだろう。灯り一つないその階段の先は見たこともない闇に包まれていて、地獄の入り口のような、何とも不気味な雰囲気を漂わせていた。
「そうだよ、吉田君」
怯える少女に腕を掴まれ、初老の男はシルクハットをいじりながら頷いた。
「此処でかつて、とある一人の犯罪者が人体実験を繰り返していたと言う。何でもそいつは、『苦しみから解放してやる』などと宣って、人々に怪しげな薬をばら撒いていたらしい」
「ひっ……!」
長身の男は左手に懐中電灯を構え、革靴の音を響かせながらゆっくりと階段を降りていった。懐中電灯で照らしても、先はまだはっきりと見えなかった。どうやらよほど長い階段らしい。右腕にしっかりと掴まった三つ編みの少女の反応を面白がって、あご髭の男は笑いながら更に続けた。
「一度その薬を吸い込んでしまうと、まるで惚けた顔で廃人のようになってしまうのだと。まあ麻薬のようなものだね。警察関係者は、被害者のことを『穏やかな廃人』と呼んでいたよ」
「穏やかな廃人……」
「フフ……被害者は、確かに”悩み”は無くなったみたいだけど、それって生きてるって言えるのかな? おかしなものだ。生きている限り、苦しみから解放されるなんてことはないのにね」
「…………」
セーラー服の少女が更に男の腕に縋り付いた。やがて彼らは階段の一番下までたどり着くと、真っ直ぐと通路を歩いて行った。壁や天井は既に腐敗しかけており、最早通路というよりも地下道と行った感じである。男が懐中電灯を揺らすたび、凸凹の間に溜まった地下水やネズミ達の影が蠢いた。しばらくして、彼らは観音開きの扉の前までやってきた。少女が不安げに男を見上げた。
「先生……」
「此処に、一連の連続猟奇殺人の解決につながる、何らかのヒントが隠されていることは間違いない。怖いのなら、此処で待っていてもいいんだよ? 吉田君」
「も……もうっ! 酷い! そっちの方が怖いに決まってるじゃないですかっ!」
「これ以上君を怖がらせるのは忍びないと思ってね」
「……先生が困ってる時に助けるのがっ、そのっ……助手の勤めなんですから……!」
年頃の少女が顔をほんのりと赤らめ、男の胸を何度も殴打する。男は予想外の力に息を詰まらせながら、苦笑してゆっくりと目の前の古ぼけた扉を開いていった。
「…………」
「…………!」
「これは……」
……扉の向こうで二人を待っていたのは、手術室の跡だった。男は持っていた懐中電灯を中に向けた。もう何年も放置されていたであろう医療器具が、部屋の中にところ狭しと並んでいる。錆つき、原型を留めていないものもある。二人は息を飲み、何やらどす黒いシミ(一体なんのシミなのか、考えたくもない)のついた絨毯を踏みしめた。部屋の中は何年も熟成された塵や埃に塗れ、少女は顔を顰め袖口で口元を覆った。
「先生……!」
「嗚呼……どうやら当たりみたいだ。気をつけ給え。何処かに逃走中の犯人が潜んでいるとも限らない」
「!」
男は静かな声で頷いた。それから慎重に、錆びついたベッドを掻き分け部屋の奥へと進んでいく。
「先生……私、怖い……」
「だから言っただろう……」
「先生は怖くないんですか……?」
男の右腕を掴む少女の力が、更に強くなった。男は警戒を緩めず、じっと辺りに気を配りながら頷いた。
「そりゃあ、怖いさ……」
「じゃあ……困ってるんですね……? 苦しいんですね……?」
「ん?」
「私が……助けて上げなきゃ……」
男は怪訝そうに少女の顔を覗き込んだ。
「どうしたんだいさっきから? 吉田君、そんな穏やかな顔をして……」




