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目を疑う景色がそこには広がっていた。
部屋、と呼ぶべき空間ではない。そこにはまるでどこかから切り取られたように青々とした草木や花々、風に舞う蝶、そして鳥の声までが広々とした空間に存在していた。
四方を素焼きの煉瓦が囲い、そして四角の青空が一面を明るく照らしていた。
頬をなでる風に、ライザーは困惑した。その風にのって水の匂いまでする。よく鍛練された五感が、まるで野原が目の前にあることを証明していた。
木々の向こうに見えるうず高い煉瓦さえ見えなければ、一見、そこはただただ穏やかな時間がゆるやかに存在していた。
「…ここは地下ではないのですか?」
あまりにも間の抜けた質問だと、自分でも分かっていた。だがいくつもの通路を通り、欠けた古い階段を下りここへたどり着いた。気づかないうちに外に出る道を通ったと言うのか。
「地下だよ、ライザー。ここはシムスル国サンスタン城の奥深く」
呆然と辺りを見回すライザーとフェンネルを背にヴァイアスは歩を進める。
慌ててその後を追い、繁った草の上を進む。
緑の匂いが瑞々しい。まるだこの野原自身が呼吸しているようだ。
「そしてこれがこの国の核、中心、そしてあらゆるものの始まり」
振り返り、ライザー達に向き直るヴァイアスの数歩先に円状に広がる大小様々な花が咲き誇っていた。
両腕を広げた程の大きさのその花壇とも呼べないその場所は、雑然とした印象を受けるほどさまざまな花の色で埋め尽くされていた。
「…一体どういう」
言葉が出てこない。思考がまったく機能しない。やっとのことで捻り出した声はひどく愚かな問いにも聞こえる。
だが、ライザーの戸惑いも当然のものだった。神話が目の前にあると言う事実をヴァイアスは真面目な顔で言ってのけているのだ。
「まさか、冗談ですよね?団長…。あらゆるものの始まりって、それは」
ファンネルも同様だったようだ。お互いに見合わせた顔は同じ表情だっただろう。
ヴァイアスの眼光が細められる。その目に浮かぶものは一体どんな感情なのか、推し量るには難しい。試すようでいて、諭すようでもある。だがしかしありありと浮かぶのは意志の固さだった。
「君たちの団長は嘘もつかないし、またこんな冗談も言わんよ。受け入れ難いことだろうが、紛うことなき事実だ」
皮肉に笑う口元に、ライザーとフェンネルは確信する。
ーーー真実だと。
冷静になろうとすればするほど、この異質さがジワジワと身に染みてくるようだった。静けさの中には鳥の声や小動物の気配、ありとあらゆる生の空気がそこかしこにある。
姿こそ見えなくとも、感じられるのは本物の森の中に広がる穏やかな野原。
「神の降り立った、乙女との約束の場所だよ」
ヴァイアスは目の前を開けるように一歩下がる。それを合図にライザーとフェンネルは足を踏み出す。
「なあ、ライザー…」
「うん」
「ここが神話の始まりの場所だと言うなら、さ」
「うん」
「いるよな?ここに」
「いる?って…何がだ」
「何って…」
ぶつぶつと呟く。
あと一歩踏み込めば円の中に収まる花々を踏んでしまう場所で立ち止まる。
侵し難い静かな存在を前に、二人は呆然と立ち尽くした。
しばらくの後、
「神と約束を交わした乙女もいるぞ」
…沈黙。
俺は今一体何を聞いたんだ?
振り返るとそこには騎士団団長の悠々とした姿と、目深に被ったローブで顔を隠した乙女がそこにいた。