はじまりの花
初めての投稿です。
楽しんで頂けると嬉しいです。
「こんにちは、騎士様」
「……」
「今日もいいお天気です」
「……」
「昨日の雨が嘘みたいですねぇ。ところでいかがです?昨日たくさん神様から雨をもらって、こんなに元気で綺麗なお花が咲きましたよ。おひとつお部屋の潤いに買っていかれませんか?」
「……」
街の雑踏のなか、その少女の声はまるで瑞々しい新芽のような爽やかさがあった。
騎士に捧げる様に手に持つ大きな花は、純白で淡い紫の筋がいくつも花弁に伝っている。花に疎い者にも、一目で珍しいと分かるものだっ
きっと秘密の咲く場所があるのであろう。どこの花売りもありきたりな花なのに、彼女の持つ籠の中の花はいつもどこか変わったものだった。
「このお花、とてもとても特別なんですよ。香りもいいし、それにお水を毎日変えてあげれば長持ちします!」
まるで楽しむように胸いっぱいに香りを嗅いで、花売りの少女は満面の笑みを浮かべる。
まだ15、6歳位だろうか。その笑顔には幼さが残るような、無邪気なものだった。
だが騎士様と呼ばれる黒い短髪の青年は、表情を変えない。
切れ長の黒檀の瞳はまるで彼の実直な性格を表すかのように、揺らがない。
ちらりと青年がそちらに目を向ければ、少女の美しく癖のないプラチナの髪がその背に穏やかな滝のように流れている。そしてもう少し目線を下げれば深い紫の瞳が、じっとこちらに向けられていた。
その手に持つ大輪の花を凝縮したような、そんな色を持つ少女だ。そしてその髪の色と瞳が彼女の存在を際立たせていた。
「…仕事中だ」
青年の少しかすれた低い言葉。
「「「しゃべった!!」」」
「!?」
思わぬ言葉に驚く。
辺りを見渡せばいつも通りの風景が広がる。
「さぁさぁ!今日もいい魚が入ってるよ!どうだい?そこの奥さん!」
「いやいや、奥さん!やっぱり魚じゃなくて肉だよな!今なら500ゲノでこの肉の塊だー!どうだい!」
「ふぉふぉふぉふぉ!なーに肉にも魚にも野菜は必要じゃ。ついでにどうじゃ?そこの別嬪さんや」
おかしい。
今の声は明らかに軒先に食材や商品を並べて売る店主たちの声だった。
声の出所の主たちは、まるでこちらのことなど気にしてないとばかりに声を張りながら軒先を歩く人々に声をかけている。
どの顔もいつも見ている見知った顔だ。
このシルースの街の良いところは豊富な食材と、それらを使う飲食店がこのメインストリートを埋め尽くしている。
街は活気に溢れ、また人々はそれに比例するかの如く活力に満ちているようだ。
この街の警備をする者として、この街の賑やかさや人々の笑顔はなによりのものだ。
だが気になるのは、どこからともなく感じる生暖かい、なんだかゆるく見守られているかのような視線だ。
雑踏に紛れて、
いけ! もう一丁! 騎士がほだされてきたぞ!
とあらゆる方向から聞こえるのは気のせいだと思いたい。
「騎士様!!」
少女の鈴のような声にはっとする。
しかし今はあくまで勤務中だ。浮わついた姿勢を取るなんて、騎士としてあるまじきこと。
顔の筋肉を引き締める。
形のいい眉がキリッと上がり、少し薄めの唇が引き結ばれた。
騎士様と呼ばれるこの青年は、微動だにせず自分自身の役割を果たすことにしたようだった。
「初めてです!騎士様がお返事してくださるなんて!あああ、お声をかけ続けること1ヶ月…。諦めないでよかった…!」
「……」
悶えるように空を仰ぐ少女の髪が風に遊ばれるのを、動かさない視界の中で捉えた。
「ふふ。思いがけずいい日になっちゃいました。ありがとうございます、ライザー様」
そう言いながら少女はごそごそと何かをし始める。
「どうぞ、騎士様」
声につられてつい少女を見る。
日に照らされ、白い肌が緩やかに動いた。
と、騎士服の胸ポケットが膨らむ。
先程まで少女の手にあった花が細い黄色のリボンを結わえられ、騎士の胸に大輪の花を咲かせていた。
少女は髪に祈るようにゆっくりと両手を組む。そのプラチナの髪と同じ色の睫毛が伏せられた。
青年は息を飲む。
否、空気が止まった。
「あなたの望むものが叶いますように」
まるで祈りのように静かな、厳かで厳粛な、それでいて透明な声だった。
水面に落ちるたった一粒の雫。
違和感もなく、耳に染みる。
通りを駆け回る子供たちののはしゃぐ声も、飲食店の軽快な呼び込みも、楽器を抱え奏でる吟遊詩人の歌声もなにもかもが、止まった。
それはまるで、この世に存在するのは二人だけのような感覚。
伏せられた睫毛が震え、ゆるゆると開かれる。
光がその柔らかそうな頬と瞳を照らし出す。
その光景に目が離せなくなる。
その少女の瞳は金の花が咲いたかのように輝いていた。
彼女の瞳は深い夜明けのような紫のはずなのに。
光のせいかと瞬きをした刹那。
雑踏が戻る。
街のあちこちからいつもの掛け合いの言葉が溢れ出す。
止まった空気が流れ始めた。
忘れていた呼吸を取り戻すかのように息を大きく吸った瞬間。
「それでは、騎士様!」
くるぶしまであるスカートを翻し、少女は駆けていく。
先々で店主たちに声をかけられているようだ。
しかし直にその姿も人混みに紛れていった。
「……」
花が差された胸ポケットに手をやる。
そこには現実の感触がある。
まるで夢を切り取った空気だった。
彼女とあんなに視線を合わせるのは初めてだった。
それにあの神に捧げるような祈りは何だろう。
街は何も無かったように動いている。いつもと同じ風景。
と、思考でいっぱいなりそうになった時、ひとつの疑問に行き当たる。
「俺、名前言ったか…?」
騎士様、と呼ばれていたライザーはその険しい顔に、更に困惑と言うなんとも言えない表情を浮かばせていた。