プロローグ
放課後。梅雨の季節らしい湿っぽい風が窓から入ってくる。グラウンドから運動部員達が練習をしている声が聞こえてきた。
本校舎四階東側。思ったよりも長かった階段を登り切り一息つく。ここまで来ると生徒の姿はほとんどなく、西側の端にある音楽室から管楽器の音が微かに聞こえてくる。
一番端の部屋。増設されたような、他の教室と比べてどことなく新しい雰囲気に違和感を覚える。下駄箱には上履きが一足入ってはあるものの、部屋の中から人のいる気配はしない。意を決して、『コンピューター室』と書かれた札のかかった扉をたたいてみた。
いつの間にか運動部の声も、楽器の音色も止んでいた。
閑散とした廊下に、ノックの音が響いた。
「失礼します」
返事がないので扉を開けて部屋に入ると、機械やら埃やらの匂いが混じって独特の香りが漂ってきた。悪くない匂いだと思った。古書の匂いが好きという人がいるが、それと同じようなものだろうか。
部屋の真ん中くらいに、イヤホンを耳につけパソコンの画面を見ている人影が一つあった。その人はこちらに気づいて、少し背筋を伸ばしてこちらを窺った。
「おかえりー土居……じゃない?あれ、どちら様?」
「えっと、あの……見学をしたいんですけど……」
二人そろって少し黙り、二人そろって怪訝な顔をする。
「……まぁ、座って。どこでもいいから、適当に」
おそらく先輩と思われる人に促されて、パソコンが置いてあるおよそ20個程ある席の中から、少し悩んで扉から一番近い席に座った。
「見学ってことは新入生かな?部活の体験入部期間はとっくに終わっているんだけど、結構迷ってたのかな?」
また沈黙。
「あー、自己紹介をまだしてなかった。申し訳ない。俺はここの部員の芦屋といいます。どうぞよろしく」
芦屋さんは自分の席から一歩も動かずに、しかしちゃんと届く声量で言った。
「あの、僕は」
「たっだいまーっす!」
扉が勢いよく開いて大きな音が鳴った。それと同時に、どこかで見覚えのある背の高い男子生徒が、コンビニの袋を提げて部屋に入ってきた。あまりに突然のことに驚いて少し浮いてしまった。
「おー土居。おかえり。菓子買ってきた?」
「色々選んで、ポテチの新しいのがあったんで買ってきましたよ。後でワリカンっすよーっと、あれ?新入部員っすか?」
「えっと、見学に来ました。今里といいます」
どさくさに紛れて自己紹介をした。
「今里クン…?あぁ、確か転校生っすよね。b組の。俺、a組の土居っす。よろしくー」
「え、転校生?土居と一緒……ってことは、え?二年?」
やはり一年生と勘違いをしていたようで、やけに驚いている。というか慌てている?初対面だが少し微笑ましいと思ってしまった。
「はい。五月の中ごろに越してきました。だから新入生といえば新入生ですけど、だから……」
「だから六月なんて中途半端な時期に見学を……ってことね。なるほどなるほど」
芦屋さんはやっと納得した表情を浮かべたけど、すぐに普通の顔になった。ここでいう普通の顔とは、土居さんと話しているときにするような顔である。そしてこう続けた。
「まぁ、ようこそ、総合情報技術部へ」
芦屋さんは、そこでようやく立ち上がった。