第四話
どれくらい時間が過ぎただろう。
冷たい床の感触とゴトゴト揺れる振動で目が覚めると、文音は自身が後ろ手に縛られて寝転がっていることに気が付いた。おまけに口には粘着テープのようなものが貼り付けられ、両足も動かせないことを考えると何かで縛られているようだ。というのも、真っ暗で何も見えないからだった。
(!!!???)
危うくパニックになりかけた文音を正気にさせたのは、すぐ近くで誰かのうめき声が聞こえたからだ。
(あたしの他に誰かいるの?)
その誰かはこの暗闇の中でもがいているようだった。
(こういう時はヘタに動いて体力を消耗しちゃダメだって、先日見たドラマの中で刑事が言ってたし)
どうやら車の荷台に乗せられている……トラックのようだ。
文音は丘の上から見たトラックを思い出した。
(まさか、ね)
それにしてもどこへ連れて行かれるのだろう。時々停まるのは信号待ちだろうか?
まったく、あたしなんか誘拐したって何にもならない……まさか、あたしが小野寺友里恵の娘だということを知って誘拐したの!?
ネット社会の現代、本人の意思に関係なく個人情報は世間に晒され氾濫している。文音が友里恵の実子だという証拠写真が流出していないとは言い切れない。
友達のほとんどが個人のホームページを作ったりSNSでは複数のアカウントを使いこなしたりしているが、匿名で誹謗中傷を書き込まれてはショックを受け傷つき騒いでいる。そんなことなら閉鎖してしまえばいいのにと思うのだが、今やネットはコミュニケーションには欠くことのできないアイテムになってしまった。
そうだ、スマホ……しまった! 衣装に着替えたからロケバスに置いてきちゃったんだ!
このままでは友里恵だけでなく、武や祖父母にまで迷惑がかかってしまう。母はともかく、父と祖父母は大金なんて持ってるわけないし用立てることも不可能だろう。
(?)
じゃあ、さっきから横で暴れてるコイツは誰なんだ?
いや、とにかく今はどうすることもできないので静かにして様子をみよう。いずれわかる時が来る。
(……その前に殺されたらどうしよう!!)
真っ暗な上に身動きがとれない状態では、どんどんネガティブ思考に陥ってしまう。
(あぁ、死ぬ前に一度でいいから母と共演したかったな……なっちゃんが主役のミュージカルも観たかったよ……育ててくれた祖父母に「ありがとう」もまだ言ってないし親孝行だってしていない……もっと行きたいとこもあった……食べたいものだって……あ! 先日駅前にオープンしたドーナツ屋さんのメイプルチョコがけドーナツ食べておくんだったぁぁぁぁぁ!!)
そして彰子さん、もし無事に生還できたらあなたの望み通り七光りでも何でもいいから思う存分プロデュースさせてあげよう……。
ちょっと涙目になってきたところで車が停止した。エンジン音が止み、コンテナの扉が開けられる音がすると後部から一筋の光が荷台に差し込んだ。
全開になった扉の向こうに男のシルエットが見えたが、明るさに目が慣れていないのと逆光で顔がわからない。
すると、しばらく静かだった隣のヤツがまた暴れ出した。
(ほんっとに、誰だこのバカは!)
恐いよりも怒りの方が先に立って横を見ると、そこには文音と同じように拘束された大野翔平の姿があった。
しかし、それよりもっと驚いたのは翔平の隣にもうひとり捕まっているのが桂木忍だとわかったからだ。
「おい! なんで三人もいるんだ!?」
シルエットの男が叫んだ。
「えぇ? オレ言われたとおりさらってきたぜ、桂木忍」
シルエットの隣に現れた背の低い男が、心外だとでも言うように答えた。
「馬鹿野郎! 忍は俺たちがとっくに捕まえてたんだ! 横のうるせぇガキは一緒に居やがったから仕方なく連れてきちまったが、どこでなにモタモタしてるのかと思えば、お前は……!」
どうやら誘拐犯は複数人いるらしく、内輪もめをしているようだ。会話の内容からして計画では忍だけを誘拐するはずが、どういうわけか文音と翔平までセットで連れて来てしまったらしい。
文音はターゲットが自分でないとわかって少し安心したが、余分なオマケだと知って消される可能性が増したことに気が付いた。
「連れてきちまったものは仕方がない。とりあえず最初の計画通りに進めるぞ」
仲間を怒鳴りつけていたシルエットの男が荷台に乗り込んで来た。
そのころ撮影現場では忍と翔平がいなくなったことで大騒ぎになっていた。
まず最初に騒ぎ出したのは翔平の母、大野香だった。愛しい愛しい息子の姿がかき消えたことでパニック状態となり、スタッフが捜しまわった結果、キャストの待機所に争ったような跡が見つかったことでさらに手がつけられなくなった。
プロデューサーは警察へ通報する前に撮影中止ということでエキストラたちを解散させてしまい、これに関しては犯人がエキストラの中に紛れ込んでいたかも知れないということで警察からきつくお叱りを受けるのだが、もし忍と翔平の行方不明事件が芸能レポーターにバレるようなことがあれば二人の命を危険にさらすと判断しての措置だった。
仕事の都合で現場に来ていなかった忍の母、桂木智子にも連絡が行き、彼女は自ら高級外車を飛ばしてやって来た。よくここへ着くまでに事故らなかったものだと思うくらい目は血走り顔面は蒼白を通り越して土気色の仁王のような表情になっている。
「奥さん、お嬢さんから何か連絡はありましたか?」
担当の刑事が智子に聞いた。
「いえ、何も……」
すべての感情を必死で押し殺しているかのような智子とは反対に、香は半狂乱になって撮影スタッフやプロデューサーを責め立てていた。
「これだけの大人がいて誰も気づかなかったの!? 翔平にもしものことがあったら、あんたたち全員訴えてやるから! 警察もボヤッとしてないで早く捜しなさいよ! この役立たず! 税金ドロボー!」
「はい、それじゃあ翔平くんのお母様、翔平くんがいなくなった時のことをあちらで詳しく聞かせていただけますか?」
こういった人種の扱いには警察も慣れているのだろう。女性刑事が興奮している香をなだめながら警察車両へと連れて行った。
一方、彰子と夏美も文音を捜して公園中を走り回っていた。
「スタンドインが終わってロケバスに向かう文音を音声さんが見たのが最後だって」
「でも彰子さん、車内には文音の服とスマホが残ってるんでしょ? 衣装のままどっかへ行くなんてありえないよ」
「そうだけど……それじゃ文音も翔平と桂木忍と一緒に消えたってこと!?」
彰子の脳裏に最悪のシナリオが描かれた。もしこれが誘拐事件だとしたら、犯人は文音が小野寺友里恵の娘だと知って拉致したのだ。あとの二人に関しては知名度がある有名子役だから? それ以外に考えられない。
彰子は震える指でケータイの番号を押すと、友里恵のマネージャーの時田に連絡を取った。
「あ、おはようございます。劇団とび箱の矢沢ですが……」
なんと言って切り出せばいいのだ。
(友里恵さんの娘の文音さんが誘拐されたんですが、犯人から身代金の要求はありましたでしょうか?)
とでも聞くのか?
『ああ、矢沢さん。ちょうどよかった! そっちの撮影は順調に進んでますか? 終わり次第すぐ翔平くんに劇場まで来てもらいたいんだけど。ちょっと演出に変更があって』
時田の口ぶりからして、どうやら脅迫めいたものは届いていないようだ。しかし、いなくなった翔平を連れて来いとはえらいことになった。
「えーっと、まだ少し長引いてまして……今日はちょっと難しいかと……」
『セリフも増えたから、できるだけ早い方がいいんだけどなぁ』
そんなこと言ったって、いないものは連れて行けないでしょーが!
彰子が冷や汗をかきながら言い訳を考えていると、桂木智子がツカツカとやって来て彰子の前に立ちはだかった。
「矢沢さん、今すぐ江藤さんをここへ呼んでちょうだい」
「はい? あ、時田さん、またかけ直します……」
「早く江藤を呼び出しなさい!」
ここへ到着した時より少しは落ち着いたかのように見える智子だったが、こんな時に江藤をどうしようと言うのだ。
「あの、江藤が何か?」
「決まってるじゃない、忍をどこへ連れて行ったか聞き出すのよ」
「ちょっと待ってください。それじゃ、うちの江藤が忍さんを誘拐したって言うんですか?」
「そうよ! 忍の引き抜きに失敗した腹いせにこんなことするなんて、卑怯だわ!」
江藤が忍をうちの劇団にヘッドハンティングしているという噂は本当だったのか。だからといって忍を誘拐しても、デメリットこそあれメリットなど無いのはわかりきってるはずだ。はたして江藤がそんなことをするだろうか……あの計算高い江藤が。
「桂木さん、忍さんが心配なのはわかりますが江藤は関係ありません。彼は今日、ヘレンディアの舞台で朝から劇場へ行っていますし」
「誰かに依頼したかも知れないでしょう? お金さえ出せばなんでもする連中はいくらでもいますからね」
ダメだ。完全に江藤を疑っている。
「……矢沢さん、私なんの根拠もなく江藤を疑っているわけじゃないんですのよ」
「と、言いますと?」
智子は一呼吸おくと、吐き捨てるようにこう言った。
「江藤に、脅されていたんです」
夏美は何かが引っ掛かっていた。それはどうでもいいようでいてとても大事なことのような、何かを文音と一緒に話していて……。
そうだ、トラック!
夏美は撮影中、木陰に隠れるように停まっていたトラックのことを思い出した。普段の日であれば園内の車両乗り入れは禁止だが、今日はドラマの撮影ということで許可されていたのだ。きっと入ろうと思えば誰でも車で入ることが出来たはずだ。
「彰子さん!」
彰子はたった今、忍の母から聞いた話が信じられず思考が停止していた。
「彰子さん、聞いて! もしかしてだけど……お昼前くらいに丘の向こうに怪しいトラックが停まってたの」
夏美の言葉に我に返った彰子は、智子から聞いた話をそっと自分の胸の内にしまった。
「夏美、そのトラックの車種わかる?」
「えー、そんなのわかんないよ」
「じゃあ大きさは? 色は? 車体に何か書いてあった?」
「あれくらいのコンテナ車で……色はシルバーだった。なんか書いてあったみたいだけど思い出せない」
そう言って夏美が指さしたのは、撮影クルーの4tトラックだ。
「大きいね。あれなら三人くらい余裕で乗せられるわね」
疑ってはみたものの、夏美の他にそのトラックを見た者がいたかどうか、エキストラを帰してしまった今となっては確認のしようがない。
「警察に言った方がいいかな?」
「そうだね、二人だけで何かできるわけでもないし」
夏美はもっとトラックをよく見ておくんだったと後悔しながら彰子と警察車両へ向かった。
~ つづく ~