第三話
土曜日。
今日は朝から文句なしの晴天だ。文字通りの撮影日和。
今回は夏美も一緒なので文音は特に機嫌がいい。前回と違い、たとえエキストラだけ自前の服だったとしても。
先日の撮影で衣装を汚してしまった子が何人かいたらしいく、今回はエキストラだけ衣装の貸出しが無いのだ。文音にしてみれば気を使わなくて済む分ありがたいのだが、中には俳優扱いされていないと文句を言う子や親もいる。
何度か衣装を借りてわかったのだが、たとえモブシーン(群衆)のエキストラであってもブランド物を貸し出される場合がある。すべての仕事がそうというわけではないが、いつだったか旅行会社のスチール撮影の時に貸し出された子供服が超有名ブランドだとわかり、休憩時間にお茶も飲めなかった経験がある。スポンサーとのタイアップでもなければ、そんなところにこだわらないでほしいと思う文音だ。
「文音ー、おはよう!」
「なっちゃん、おはよう!」
文音が夏美と仕事で一緒になるのは久しぶりだった。約束通り彰子さんが声をかけてくれたのだ。
「なっちゃん、ダンスのオーデ残念だったね……」
「ははは、ぜんぜん残念じゃないよ。最初から自信なかったし、やっぱりヒップホップって難しいわ。あたしさ、バレエちっくな踊りは得意なんだけどストリート系はどうも苦手なのよね。やっぱり習っとく方がいいのかな」
そう言って夏美は笑ったけど、本当は最終審査まで残ったオーデションだっただけに悔しかったに違いない。
だって彰子さんから、すごく泣いてたって聞いたもの。それにひきかえあたしは……。
たとえどんなオーデションでも真剣に頑張っているつもりだ。事前に課題が与えられれば練習して行くし、役のイメージを考えて髪型を変えたり服装を選んだりと文音なりに努力はしていた。
ただ、文音はアドリブが苦手だった。一生懸命になり過ぎるあまり頭の中が真っ白になって現状が吹っ飛んでしまうのだ。そのためバラエティのオーデションは特に嫌だった。
それに比べて関西出身の子はさすがだ。アドリブはもちろん、ボケとツッコミはお手の物。上級者になるとプロの芸人相手にノリツッコミまでかましてしまう。度胸と頭の回転の良さは練習して出来るものではない。少しでもいいからその才能を分けて欲しいと思う文音だった。
「文音に夏美、そろそろ時間だよ。スタンバっといで」
「はーい」
スタンバるといっても二人は撮影隊の遥か彼方でバドミントンをして遊ぶエキストラだ。こうなったら本気でバドミントンを楽しむことにする。
二時間ドラマ『飛べない天使~僕はきみを守りたい~』のストーリーはだいたいこんな感じだ。
ある日、自分は両親の実の子ではなく養子だと知った少年が家出するシーンから物語は始まる。少年は自分が生後間もない時に預けられた施設を探し当て訪ねて行くのだが、そこでひとりの少女と出会い恋に落ちる。だが、少女は限られた時間の中で生きていた。
天使の存在を信じている少女のために、白い羽を集めて翼を作ろうと考える少年。しかし、翼が出来上がる前に少女は天に召されてしまう。悲しみに暮れる少年に少女の声が聞こえてくる。
<どうか、あなたにとっての天使を見つけて……>
やがて少年は、自分をここまで育ててくれた両親や周りの友人たちこそが自分にとっての天使であると気づく。その少年の前に、本当の天使になった少女が現れるのだった。
で、この公園で撮影されるのが、すべてを受け入れた少年と両親が再会し再び絆を取り戻すシーンだ。ドラマの中でも視聴者の涙を絞り出す大事なシーンのひとつである。
その少年役、大野翔平が大物俳優さながらロケバスから降りて来た。まったく、なーに気取ってんだか。
「文音、あそこに停まってるトラックさ、撮影の邪魔にならないのかな?」
夏美が指さす方を見ると、確かに生垣の低木に隠れるように撮影クルーのものではないトラックが一台停まっていたがスタッフは誰も気付いていないようだ。
ああ、そうか。カメラは丘の反対側になるので見えないのだ。文音たちは一番高い丘の上にいるので公園が一望に見渡せるのだった。
「シーン51、テイク1。スタート!」
メインキャストの照明合わせが終わって監督の声がかかり文音たちエキストラが動き出す。ちなみに今日、公園内にいる人の中に一般人はいない。皆どこかの劇団や事務所に所属している役者だ。
なぜかというと、たとえモブであっても監督の思い通りに演技をしなければならないからだ。遊んでいる子供同志の位置関係や遊具の種類、それぞれの位置関係まで大切な画面構成のひとつなのである。
ここだけの話、街頭インタビューされる通行人も役者だったりすることがある。これを「仕込み」という。全部が全部ではないが、時々知っている子役が一般人のふりをして映っているのを見つけるのも楽しいものだ。
「カーーーット!」
結局このシーンはフリスビー犬の動きが気に入らない監督のおかげでテイク16まで撮り直しが続いた。
一時間の休憩後は、亡くなった少女が少年の前に現れるシーンの撮影だ。
桂木忍はすでに到着していて、自分専用のロケバスの中で待機しているはずだった。
文音と夏美は木陰に座り、お互いの通っている学校の話などしながら持参してきたクッキーに手をのばす。
夏美が通っている学校は中高一貫の私立校だ。高校は芸能活動を認めていないので夏美は他の高校を受験しようと考えているらしい。このように校則がネックになって芸能界を辞めていく子役も少なくなかった。成長するにつれ、親としては翔平のように売れっ子にならないかぎり、やはり勉学に励んで欲しいものなのだ。
「なっちゃんママのクッキー美味しい! また太っちゃうよ」
「タレント名鑑の撮影までには痩せないとヤバいね。あれ、スリーサイズ申告するのも嫌じゃない?」
「え? なっちゃん正直に書いてるんだ」
「え? もしかして文音、ごまかしてるの!?」
「うん、身長5センチ低く書いてる。みんなやってると思ってた」
「ダメでしょ、やっぱり~」
だってあたし、なっちゃんみたいにスタイル良くないし、中一の平均より遥かにデカいし、醤油顔だし、自慢できるとこないんだもん。
余談だが役作りの上で必要な時以外、髪を極端に短くしたり、染めたり、パーマをかけたりしてはいけない。どうしてもという場合は、事前にマネージャーにお伺いをたてて許可を得なければならないのも子役の決まりだった。もちろん日焼けもNGである。
翔平は以前、連続ドラマの最中に日焼けをしてメイクさんに白肌用のドーランを塗られた経験を持つ。下手をすればプロデューサーにこっぴどく怒られて降板にだってなりかねない。
そういえば、文音は学校で変な噂を立てられたことがあった。
「倉本さんは日舞を習っているから日焼けできないんだって」
なんだそりゃ。文音は日本舞踊など習ったこともないし、だいたい日舞が日焼け禁止など聞いたことがない。もちろんこれは文音が芸能活動をしていることを知らない者が流した噂だが。
「文音ーっ、ちょっと来て!」
彰子さんだ。どうせまた桂木忍のスタンドイン(代役)で照明合わせか何かに駆り出されるのだろう。
「ご苦労さん。それじゃ文音、また後でね」
文音を見送りながら「あれ? さっきのトラック、いつの間にかいなくなってる……」と、ぼんやり思う夏美だった。
文音が忍の代わりに衣装を着てロケバスから出てくると、どうも現場が騒がしい。撮影機材の一部がトラブったため代わりの機材を局まで撮りに行ってるのだという。
照明合わせには支障がないので予定通り文音は指示されるがまま立ち位置の確認に入った。
昼近くになって、今度は発注していたロケ弁が間に合わないことがわかった。文音たちエキストラは手弁当なので問題ないが、腹をすかせて不機嫌なスタッフの八つ当たり被害に遭うのは遠慮したいところだ。
「あ、文音ちゃん! 翔平見なかった?」
スタンドインが終わり衣装を着替えるためロケバスへ向かっていると、翔平の母が心配顔でたずねてきた。
「いえ、見てませんけど……トイレじゃないですか?」
「それがどこにもいないのよ。もう少しで本番だっていうのに、あの子ったらどこ行ったのかしら」
どうせどこかに隠れて手のひらに書いた「人」という字を飲み込んでるんじゃないですかぁ、と危うく言いかけた。翔平は態度がデカいわりに蚤の心臓なのだ。いや、蚤より小さいかも知れない……ということは微生物クラスじゃん!?
なんてことを考えながら文音がロケバスのドアを開けて中へ入ろうとした時、突然背後から羽交い絞めにされ口を布でふさがれた。自分に何が起こったのか悲鳴ひとつ上げる間もなく、文音はそのまま意識を失ってしまった。
~ つづく ~