第二十話
事件後、文音が母の小野寺友里恵に会ったのは、劇団「とび箱」事務所内にある狭い会議室だった。
わざわざ友里恵の方から出向いて来たことに驚いたのは彰子だけではないその場に居合わせた全員だったが、それ以上に驚いたのは文音を見るなり涙を浮かべて駆け寄った姿が、母親の姿そのものだったからだ。
驚いたのは文音も同じらしい。友里恵にきつく抱きしめられながら彰子に向けられた表情は困惑と喜びが入り混じった複雑なものだった。
「文音、怖かったでしょ? ごめんなさいね、お母さん何も知らなくて……無事で本当に良かった! ……よく頑張ったわね」
舞台の本番が近い友里恵に周りの者たちが事件のことを伏せていたいという気持ちは、文音にも十分理解できた。
「お母さんは、あたしが芸能界に入ったってこと知ってたの?」
「あたりまえよ、これでも母親ですもの。文音が出演した番組はすべて録画して見てるのよ」
「えー、恥ずかしいよそれ。でも、あたしが出てるってよくわかったね!」
「それは、矢沢さんから聞いて……」
「ちがうちがう。あたしがどこに映ってるかよくわかったね、ってこと」
「もちろんよ。どんなに小さな役でも文音だってわかるわ。お母さんには、あなたが誰よりも輝いて見えるもの。ほら、昨年公開した映画『白い鳩』の女学生役、とっても良かったわよ!」
映画『白い鳩』とは、戦火に巻き込まれながら学徒動員で労働奉仕に駆り出される女学生と、戦地へ出撃して行く恋人との悲恋物語だ。
文音は主人公の妹の同級生役で出演したのだが、もちろん役名など無いその他大勢の中の一人である。
文音が出たシーンは、爆撃される町の中を防空壕へと逃げ惑う人々を「引き」で撮影するわずか十秒にも満たないシーンだった。どうせ自分など映るかどうかもわからないし、もし映ったとしても見切れるか時間の都合でカットされるのがオチだろうという思いが、その時ふと文音に湧き上がったのは間違いない。
それならばと、大勢のエキストラが同じ方向へ逃げて行く中を文音は一瞬だけ立ち止まって後を振り返ったのだ。
「あのシーンは文音の演技があったからこそ引きしまったようなもの。あの一瞬振り返る様の中に、自分が生まれ育った家が焼かれる悲哀と怒りがすべて表現されていたように感じたわ。あのシーンを見た時、お母さんどれだけ誇らしかったか!」
なんて嬉しそうな顔をするのだろう……彰子は初めて見る友里恵に驚きながらも今以上の好感を覚えるのだった。
「ありがとう! お母さんにそう言ってもらえて嬉しいけど、なんだか照れるよ……あ! それより舞台の方はどうなったの? 翔平がいなかった分、稽古が遅れてるんじゃないの?」
友里恵が主演の舞台『女王ヘレンディア』には王子役で大野翔平が出演するのだが、今回の事件で稽古が十分に出来ていないためスケジュールがかなり遅れているはずだった。
「彰子さん、あのことお母さんにバラしちゃってもいいよね?」
「あのこと?」
彰子の耳元で何やら文音が囁くと、思わず吹き出した彰子は少し考えてからOKサインを出した。
「あのね、王子役の翔平のことなんだけど……」
文音は誘拐拉致されてから武の家に行くまでの間に起こった出来事(忍が男だったということは省略して)の中で、いかに忍が勇敢で頼りがいがあったか、それに比べて翔平がどれだけ腰ぬけで自分たちに迷惑をかけたかということを身振り手振りを交えて友里恵に話して聞かせた。話しているうちに再び翔平に対する怒りがこみ上げて来た文音は、そんなヤツが母と一緒の舞台に立つことなど許せないし立つ資格も無いと悔し涙が溢れてくるのだった。
大女優小野寺友里恵のために書き下ろされた壮大なミュージカル『女王ヘレンディア』には、たとえ端役でもかまわないとメインキャスト以外のアンサンブルオーデションにエントリーした人数は五百人を超えたという。
その中には文音の親友、戸田夏美もいた。
夏美は二次の歌唱審査で落とされた。緊張のあまり最後の最後で声が裏返ってしまったのだ。ダンス審査が完璧だっただけに、夏美の落ち込みようは見ているだけで辛かった。
夏美のように毎日人一倍レッスンに励み努力している者たちがふるいにかけられ辛酸を舐めているのに対し、最近ちょっとばかし顔が売れてきているからというだけで大役を手にした翔平と、そんな理不尽な業界のシステムに文音はどうしても納得がいかなかったのだ。
それに夏美は事件解決の糸口となったトラックに気づいてくれた命の恩人でもある。
文音の話を聞き終えた友里恵は、大きなため息をつくと文音にこう言った。
「文音の悔しい気持ちはよくわかるわ。でもね、大野くんの気持ちもわからなくはないの。大野くんは恐怖のあまり、ちょっと自分に正直になり過ぎてしまったのよ」
100%同意してくれるとばかり思っていた文音は友里恵の言葉に愕然とした。
「へぇ、お母さんって心が広いんだね~! さすが大女優さんは違うね。あたしみたいにひねくれてないんだ」
「文音、言い過ぎだよ。お母さんに謝りなさい」
「彰子さんは黙ってて! あたしと忍さんがどれだけ翔平のせいで危険な目に遭ったか知らないからそんなこと言えるのよ!」
文音は悔しさと母に対する絶望感で涙がこみ上げてきたが必死でこらえた。ここで泣いたらまるで翔平に泣かされたように思えて、さらに悔しさが倍増するからだ。
「文音、聞いて。大野くんには降板してもらうことが決まったわ。王子役はサブの子でいくことになったの」
「え……」
「決定したのは昨日よ。残念だけど大野くんよりサブの子の方が適役だっただけ。それから、王子と同い年のアンサンブルを一人増やしました。この役はヘレンディアの中で最も重要な役なのよ。物語の最初から最後までを見届ける天使の役」
天使!
文音は迷わず忍の顔を思い浮かべた。
事件に遭うまでは近寄ることもできない雲の上の人だった桂木忍。長い睫毛が透き通る肌の端整な顔に影を落とし、絹糸のような髪が踊るように風になびく姿は、まさに天使そのものだ。
ただ、それはいつのことだったのか……。
カミングアウトした天使は、今ごろ陽に焼けた肌で鍬を振り下ろしていることだろう。
「実はその役をダンス審査で最も高評価だった戸田夏美ちゃんにやってもらおうと思うんだけど、文音はどう思う?」
「え! それほんと!? すごい! お母さん、ありがとう! 彰子さん、このことなっちゃんはもう知ってるの?」
「まだだよ。だってわたしも今聞いたんだから……でも、小野寺さん。脚本家や演出家には了承済みなんですか?」
「矢沢さん、私を誰だと思っているんですか? 私の案を取り入れて失敗したことは一度だって無いんですよ。むしろ私がシナリオを書き直させたことで観客動員数が増えた作品だってあるんです」
まったく、脚本家や演出家にとって小野寺友里恵ほどやりにくい女優はいないだろう。
思わず同情してしまう彰子だったが、今回の件では友里恵のおかげで夏美に希望の光が当たることになったのだから感謝するほかない。
残るは文音だ。
「ねぇ、文音。文音はこれからどうするんだい? まだ小野寺友里恵の娘だっていうことを隠していくつもりなのかい?」
文音はうかがうように友里恵の顔を見た。すると、友里恵は笑顔で大きく頷いた。
「本当にいいの? お母さん、あたしお母さんが誇れるような女優にはなれないかも知れないよ。ずっとエキストラのままかも知れないよ?」
「ちょっとなに言ってるの! この敏腕マネージャー矢沢彰子を信じなさい、文音。バンバン仕事取って来るから覚悟しなさいよ。そうと決まれば、すぐにでも小野寺友里恵の愛娘として売り込むわよ! さぁ、忙しくなるぞーーーっ!!」
彰子は念願だった「文音をプロデュースする」ことがやっと許された嬉しさで、マスコミ各関係者に出す紹介文の内容やテレビ局と映画製作会社へ持って行く企画書のことを考えると興奮せずにはいられなかった。
文音はそんな彰子を見て、あたしがもう少しビジュアル的に良かったらなぁ……と、心の中で謝るのだった。
「文音、あなたはお母さんにとって十分過ぎるくらい誇れる娘よ。いつか文音と共演する機会が巡ってきたら、いいところを全部あなたに持って行かれそうな気がするわ」
「うかうかしていられないですね、小野寺さん」
「矢沢さん、どうか文音をよろしくお願いいたします」
友里恵は母親として、彰子に深々と頭を下げた。
~ つづく ~
次回、最終話。




