第十九話
『美少女女優、桂木忍保護される!』
『桂木忍、ロケ現場近くの山中で発見』
『今注目度NO.1子役、大野翔平君も無事に保護』
『翔平君さすが男の子「不安だったが怖くなかった」と、大物の片鱗!』
翌日の新聞の見出しには、これらの文字が躍っていた。
「まったく! 被害者はこの二人だけじゃないってのに」
彰子はあるだけの新聞を買ってきて目を通すや不満を口にした。
「しょうがないよ。忍さんと翔平は有名だけど、あたしは違うもん。それに変に騒がれないだけ気が楽だよ。ただ、ねぇ……」
文音の言いたいことはよくわかっている。
「なーにが「不安だったが怖くなかった」よ! 聞いてあきれるわ。怖くてチビッたくせにさ!」
翔平のみごとなまでのヘタレっぷりは文音から聞いてフォローする言葉も出なかった彰子だ。
結局、翔平が目覚めたのは、彰子がすべての手はずを整えて事務所へ戻った後のことだった。
武の指示により、彰子は短時間で誰にも悟られず奔走しなければならなかった。
結果、新聞雑誌の見出しからもわかるように、どれも忍の記事に「無事」「無傷」の文字は無く、人の不幸は蜜の味とばかりに群がって来る芸能リポーターたちの言葉にも今回は気遣いさえ感じられた。
(桂木忍、ケガしたらしいよ)
(それも顔だってさ! そーとー酷いんだって)
(マジ!? それヤバくね? 顔は女優の命じゃん)
(それ本当なの? ガセだったりして。アンチ忍の嫌がらせ!)
(でも、大丈夫なら出てくるはずでしょ)
(ガチで、整形手術するために極秘でアメリカに渡ったらしいぜ)
(アメリカ? イギリスじゃなかったっけ?)
すでにネット上では忍に関する様々な噂や憶測が飛び交っていた。
「まずは作戦成功ってとこかしら」
パソコンの画面に向かって彰子はつぶやいた。
武に言われて彰子が用意したのはウイッグとメイク道具だった。
再度ロングウイッグで女性に戻った忍の顔面に武が傷メイクを施し包帯を巻く。そして空港のターミナル前で彰子の車に乗った忍を偶然激写した風に見せかけた写真をマスコミに流せば、あとはネットの力を借りて忍の存在を消し去るまでだった。
「それにしても倉本先輩の特殊メイク技術には感動したわ。どう見ても本物にしか見えなかったし本当に忍さんが痛々しく見えたもの! あれだけの腕がありながら、それを鍬に持ち替えるなんてやっぱりもったいないよ! 文音もそう思うでしょ?」
彰子はあの日から同じことばかり言っている。文音も最初はそう思ったが、今は農作業に精を出す父親の方がいいかなと思う。忍もそんな武に会ったからこそ、本当の自分に戻る決心ができたような気がするからだ。
文音は警察の事情聴取で忍のケガについては、気を失っていたのでわからないと繰り返した。本当に気絶していた翔平は、目覚めると顔に包帯を巻いた(女性の)忍がいたので頭の中は「???」である。
「翔平、可哀想に! 忍さんが男だったなんて変な夢を見るくらいショックだったのね!」
という文音の小芝居で、翔平が忍について見たものや聞いたことはすべて寝落ちとして片づけられたのだが、後の取材に対して自分の活躍をあることないこと喋るのに忙しい翔平にとっては忍が男か女かなんてどうでもいいことだった。
忍の母、桂木智子には忍が国内にはいないことを証明してもらう意味で、いったん海外へ行ってもらうことにした。
「帰って来たら忍に会わせていただけるんですね!?」
「はい。すぐにとはいきませんが、お約束します」
「あの、せめて忍がいる場所だけでも……」
「申し訳ありません。大変心苦しいんですが、それもお教えすることはできません。この計画には忍さんの将来がかかっているんです。今、情報が漏れてしまったら取り返しがつかなくなります。どうかわかってください」
彰子はそう言うと、智子に向かって頭を下げた。智子はまだ何か言いたげだったが、彰子の意志が固いことがわかるとそれ以上口を開くことはなかった。
クローンとはいえ智子にとってはたったひとりの子供に違いない。初めて会った時よりひとまわり小さくなったように見える智子が哀れに思えたが、ここは心を鬼にして協力してもらうしかない。
「桂木さん、忍さんから伝言があります」
「えっ、忍は何と言って……」
「『お母さん、月並みだけど俺をこの世に送り出してくれて、育ててくれてありがとうございます。俺は息子としてあなたを、そして結城英二として桂木智子を愛しています』と」
号泣する智子の背中をさすりながら、彰子も溢れる涙を拭うことができなかった。
真山透には知らせるべきか悩んだ彰子だったが、どうせあいつのことだからとっくに追跡済みだろう。
「いやぁ、ここいい場所っすねぇ! 隣にオレっちのラボも建ててもらっちゃおっかなー」
忍がどうしてもと言うので彰子は不本意ながら忍と真山を会わせることにしたのだ。
真山は相変わらずチャラチャラした口調で、本気とも冗談ともとれることを言っては彰子を苛立たせるのだった。
「忍くん、久しぶり~! オレっちとしては女の子キャラの方が好みだっけど、まぁ仕方ないか」
「真山先生はお変わりないですね」
真山に会えて忍が心なしか嬉しそうに見えるのが、また気に入らない彰子だった。
「真山先生にお願いしたいのは、俺のメンテナンスのことなんです」
「あぁ、忍くん細胞年齢はアラフォーだもんね。そろそろ更年期障害が出てきてもおかしくないお年頃か……なんか自覚症状あんの?」
「いえ、まだこれといっては。ただ、何かあった時のために真山先生には俺の体の状態を把握しておいてほしいんです。それが研究目的でもかまいませんから」
「オッケー。オレっち、医師免許持ってっから安心しな」
この真山という男、確かに頭がいいのは認めるが、絶対どこかの配線がタコ足になっているに違いない。
「真山さん何度も言いますけど、ぜーーーーーったい忍さんがここにいることがバレないようにしてくださいね! それから倉本先輩にも、ぜーーーーーったい迷惑がかからないようにしてください! いいですね!?」
「倉本っさぁ~ん、この人オレっちのことぜんぜん信用してないんだぁ。いっつもガミガミ怒ってるし、怖いよぉ」
「な、なんですってぇー!!」
彰子は真山と話すと鼻息が荒くなってしまう自分に気づき、後で凹んでしまうのだった。そんな二人を文音は笑いをこらえて見ている。
「お父さんの計画、これで成功したのかなぁ」
「たぶん大丈夫でしょう。あの業界は入れ替わりが激しいですから、しばらくメディアに顔を出さなくなっただけですぐに忘れ去られてしまいます。忍くんがフェイドアウトするのも時間の問題ですよ」
忍の海外脱出説がマスコミの間でほぼ確定した頃、文音だけが未だ不安を募らせていた。
「ごめんね、文音ちゃん。俺のために余計な心配ごと増やしちゃって……」
忍はここへ来て以来、武の農作業や大工仕事などを手伝っていた。
文音が心配しているのは忍の所在が世間にわかってしまうこともだが、日に日に逞しくなっていく忍に対する複雑な思いの方が大きいかも知れない。
男性に戻ってからの忍は、水を得た魚のように力仕事に精を出していた。そのおかげで透き通るように白かった肌は陽に焼け、美少女の頃の面影はほとんど無くなってしまったが、やはり美しいことに変わりはなく、そんな忍を近ごろ直視できないことに文音は気づいていた。
「文音ちゃん、それは恋というものだよ! 叔父さんが知らない間に、恋するお年頃になったんだねぇ♡」
「こ、ここここ恋!? ……ってか真山さんっ、いつからあたしの叔父になったんですか! それにちょっと最近ここへ来過ぎですよ!」
「だって倉本っさんとこ居心地がいいンだもん。あ、でも文音ちゃんと忍くんの邪魔はしないから安心してくれたまえ」
「だから違いますってば! 忍さんへの想いは、芸能界にいた頃からの単なる憧れです!!」
今日も忍は朝から武と共に文音の部屋の建築作業に取り組んでいた。
真山は特別な用事も無いのに武の家にやって来ては「ついでにオレっちの家も建ててくださいよぉ」とか言いながら二人の邪魔ばかりしている。真山に対して彰子がキレるのも無理はないと納得する文音だった。
しかし、さすが研究者だけあって先ほどのように心の内を見透かすようなするどい指摘をすることがあり侮れない男だ。
「文音ちゃんてさ、お母さん似だよね」
「はぁ!? なに言ってんですか! 冗談はやめてください」
「小野寺友里恵に似てるよぉ。遺伝子工学の専門家が言うんだから間違いないって」
遺伝子学者が言うことにゃ、文音はこれからどんどん美人になっていくらしい。この薄い醤油顔が、である。
グチリがてら彰子に真山の言ったことを伝えると、思ってもいない言葉が返ってきた。
「それ、確かに当たってるかもね。最近の文音、可愛くなったよ。来年の俳優名鑑の写真が楽しみだわ♪」
(可愛くなった? あたしが? マジで? そんなこと言われたら本気にしちゃうよ)
文音はめったに覗かない鏡の中の自分に小野寺友里恵の顔を重ね合わせてみたが、百歩譲っても似ているとは思えなかった。やはりこの薄い作りの顔はどう見ても父親似だ。
母親の容姿に近づくのも夢だが、文音にはもう一つ夢があった。もし一ミクロンでも可能性があるのなら、いつか母と共演したい。その時は一人の女優として、小野寺友里恵と同じ舞台に立ちたいと願う文音だった。
~ つづく ~




